あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

孫の誕生

2021-12-29 16:04:58 | 日記
昨日、22日に誕生した孫の顔を見に、東京へ出かけてきました。
コロナの感染を気にかけながらも 感染拡大が進んだら会うことができなくなるのではと考え、
妻と二人で会いに行きました。
2920グラムで生まれた 小さくて かわいい 女の子の赤ちゃんでした。
22日は、私と妻と長女の誕生日でもあり、不思議な縁を感じています。

 3キロに満たない 
 かけがえのない いのちの重さ
 その軽さをはるかに超えた
 かけがえのない いのちの尊さ

 全身で表現する
 かけがえのない いのちの輝き

 そのなきごえ 
 表情のひとつひとつに
 いのちそのものが 見える

 親から子へ
 子から孫へと 受け継がれた
 いのちのバトン

 しっかり 握って 離さずに
 そのいのちを 輝かせ
 健やかに 歩んでいってほしい

 母となり 父となった
 二人のあたたかい愛に包まれ
 幸多い人生で ありますように

と願いながら、孫誕生の喜びを胸に東京を後にしてきました。
新たな いのちに出合い ふれることで、私の内にも新たな生きる力がわいてくる気がしました。

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サンタクロースの願い

2021-12-13 17:17:27 | 日記
もうすぐクリスマスです。
クリスマスは、キリストの誕生を祝う日であると同時に、サンタクロースの存在を通して世界中の子どもたちの幸せを願う日でもあるのだと思います。

虐待、貧困、いじめや差別の中で 辛い日々を過ごしている子ども。
寒さに震え、食べ物もなくひもじい思いを抱えている子ども。
重い病気やケガで苦しんでいる子ども。
テロや戦火におびえている子ども。

こういった幸せとは言えない環境の中で過ごしている子どもたちが、笑顔を取り戻すことができるようにするために 何が必要でどんなことができるのか と、大人である自分は問われているような気がしてなりません。

今 戦火の中にいるミャンマーやアフガニスタンの子どもたちは、どんな日々を過ごしているのでしょうか。
そんな子どもたちのことを考えると、一つの詩が思い浮かんできます。

          たとえば、ボスニアでは

                   松永 伍一

     もう
     なみだもでない
     ボスニアの女の子が、
     まあたらしい父さんのお墓のまえで、
     祈っています。
     「ひとは、
      どうして憎みあうの?」
      と 母さんにきくと、
      だまって首をふるだけです。
      きのうも銃弾がとんできて、
      きょうも死者がでました。
      どこを見ても、
      青い空はありません。
      学校にも行けない女の子は、
      小さな小さな
      虫になりたいとおもうのです。
      ねらわれずにすむからでしょう。
      母さんは怒っています。
      仕事もなく、
      お金もなくなっていくのです。
      「みんな仲よく生きていける日は
      いつ来るかしら」
     ボスニアでは、
     「希望」という言葉は病気中です。

     女の子は、
     天をあおいで言いました。
     「神さま、
      にんげんを叱ってください。
      そのあとで、
      お助けください」

1992年、旧ユーゴスラビア連邦のボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に、民族間で紛争が勃発。この戦いの中で虐殺や強制移住が行われ、およそ20万人の人々が戦火の犠牲となりました。
この詩は、その中で暮らす女の子の心情を描いたものです。
父を喪った悲しみに耐え、母の苦悩する姿に接しながら、女の子は問いかけます。
 「ひとは、どうして憎みあうの?」
母は、つぶやきます。
 「みんな仲よく生きていける日は いつ来るかしら」
女の子は、神さまに願います。
 「神さま、にんげんを叱ってください。そのあとで、お助けください」

これらの言葉に、どう応えてあげたらいいのでしょうか。
学校にも行けず、銃弾があたらないようにと小さな小さな虫になりたいと思う女の子。
この子に 青い空と希望の光を見せてあげるために、どんなことができるのでしょうか。

今年は、太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃から80年の節目の年でもあります。
改めて、反戦の誓いを新たにし、戦争のない 人間同士が憎み合うことがなく みんな仲よく生きていく中で 子どもたちが幸せに過ごすことのできる世界をつくっていきたいものです。
それが 子どもたちが幸せな時が自分の幸せな時と考える サンタクロースの願いでもあるのだと感じています。
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音楽劇「母さん」を観て

2021-12-07 21:05:26 | 日記
先日、仙台演劇鑑賞会の12月例会に出かけてきました。
演目は「母さん」。
詩人・作詞家:サトウハチローの生き方や母との関わりを ピアノとバイオリンの生演奏を背景に
歌や詩を織り交ぜて描いた 作品でした。

パンフレットに書かれた劇評によると、
「母を主題に書き残した詩が3000偏を超えていることから、母との関係で詩人を描いた着眼点が
 優れている。母からの愛情に確信を持てずに反発を繰り返した詩人を、拗ね者で稀代の甘えん坊
 として捉え、奇行も辞さない豪放磊落なイメージとは真逆の、心優しい繊細な人物像から切り取
 っていく。……」

実生活での母との関わりは 、ハチローにとって 素直になれず反発を繰り返した不信の日々でした。
放蕩生活を繰り返し ハチローの母を捨て 舞台女優と暮らすようになる 父:紅緑(こうろく)。
その父に何も言えずに耐える母:ハル。
そんな両親との暮らしの中で、心の置き場のないハチローの心は さまようばかり。
そういった思いの積み重ねが、反発や奇行・不良行為という行動に結びついていったのだと思いました。
「…あんたは冷たい、丸ごと母親失格だ…」と 自分がこうなったのも母のせいだ と責め立てるハチローでした。

それでも ハチローにとって やはり母は、心のよりどころとなるかけがえのない存在でした。
「ちいさい秋みつけた」のもとになった 幼い頃母の背に負われて出かけた野原で 目にした草花や耳にしたモズの声
不良行為を重ねて家を出されたハチローの肩に、寒くないようにと身に付けていた赤いショールをかけてくれた母の優しさ
離婚して仙台で暮らす母のもとに 酔っぱらって出かけては その膝枕で眠ってしまう ハチロー

ハチローには、現実の母のひとつひとつの姿の向こうに こうあってほしいと願う母の姿も見え、その姿を重ね合わせて母さんの詩を書いていったのではないかと感じました。

   ちいさい母のうた

  ちいさい ちいさい 人でした
  ほんとに ちいさい 母でした
  それより ちいさい ボクでした
  おっぱい のんでる ボクでした

   かいぐり かいぐり とっとのめ
   おつむてんてん いない いない バア


   序 詩
            詩集「おかあさん2」より
 -母のうたを
  つづるときの
  よろこびとかなしみ

 -母のうたを
  うたうときの
  さみしさとうれしさ

  いつでも二つのものが
  ぼくの胸の中で
  ひろがったり つぼんだり
  重なったり
  こんがらかったりするのです
  ボクはこれからも
  これをつづけて行くことでしょう

 -母のうたを
  うたうときの
  さみしさとうれしさ

 -母のうたを
  つづるときの
  よろこびとかなしみ

ハチローの心に在る 二つのものは、母の姿を通して見えた よろこびとかなしみ であり さみしさやうれしさ。
それとともに在ったのは、現実の母の姿と あこがれる母の姿の 二つでもあったのではないでしょうか。

亡くなった自分の母は、私にとっては 時が経つにつれて 現実の母以上にあこがれた母の姿に近づいていっているような気がします。
それだけ母という存在は、すべてをあたたかくやさしく受け入れてくれる大きな存在で在り続けてほしいと感じているからなのかもしれません。

それなのに、母が生きている間にしてあげられなかったことのあれこれを、後悔の思いとともにかみしめたりしています。
母のしてくれたことの大きさに比べると、やはり今でも自分は ちいさなちいさな子どものままです。





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初雪

2021-12-02 21:35:38 | 日記
12月に入り、冬の訪れを告げるかのように 初雪が降りました。
予想より早く 干し柿を食べ終える前の 雪の到来でした。
みぞれ混じりの雪で、地面に舞い降りると あっという間に消えてしまいました。
「 本格的な厳しい冬が、いよいよやって来ますよ!準備はいいですか? 」
そんな声が 聞こえてくるような気がしました。

もう一つ 別の声も聞こえてきました。
「もうすぐ クリスマスがやってきますね!」
そんな声と一緒に かって担任した教え子から クリスマスのプレゼントとクリスマスカードが 今日届きました。
手作りのプレゼントは、クヌギやドングリで縁取られた すてきなクリスマスリースでした。
クリスマスカードに添えられた「 … お身体 大切に お元気でいらして下さい 」の言葉に込められた思いに、
あの優しい心のままに 少女から 妻となり 母となり 子育ての苦労や悩みを抱えながらも サンタクロースの夢を今でも追い続ける姿が 見えるような気がしました。
「かんじんなものは 目には見えない 心で探さないと…」
星の王子様の一節のように あの子は かんじんなものを心で探しながら すてきな大人になり、そして もう一人のサンタクロースになったような気がしてなりません。

このすてきな贈り物に どうこたえたらいいのか、
さらに もう一人のサンタクロースになったつもりで 悩んでいる所です。

五味太郎さんの絵本「クリスマスにはおくりもの」に登場する 女の子にプレゼントをもらった 
サンタの思いのように…。

「サンタクロースってほんとにいるの」(てるおかいつこ:文・すぎうらはんも:絵)にあるように
「…サンクタロースはね、こどもをよろこばせるのが なによりのたのしみなのさ
 だって こどもが しあわせなときは みんなが しあわせなときだもの …」
この思いを心にとめながら 返事を書きたいなと思っています。

忘れていた クリスマスとサンタクロースへの思いが 心あたたかく蘇ってくるような出来事でした。







 
コメント (2)
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