あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

クウタの一匹言

2012-11-27 21:29:16 | インポート

我が家の愛犬:クウタに異変が生じました。鼻の頭に斜めのひっかき傷ができているのです。幸い、えさを食べたり匂いをかいだりする際に支障はなく、傷も治りかけているようなので安心しているのですが……。そんなクウタの一匹言です。

飼い主とにらめっこしていて、このごろ気がついたことがある。オレの目を見ているようでいて、真剣に見ているのがオレの鼻。なんで、そこに傷があるんだろう?そんな目でオレではなく鼻を見ているんだ。

じつは、鼻の頭にできたひっかき傷は、野良猫がつけたもの。夕方の散歩が終わって、飼い主が用意してくれた ドッグフードというご馳走を食べていた時のことだった。体を動かした後で、おなかもすいていたので、夢中になって食べていたんだ。その時に、あの白い野良猫が(飼い主は、シロと名付けているようだけど)やってきたんだ。その気配を感じてはいたんだけど、オレは全然気にしないふりをして、食べ続けていたんだ。

そうしたら、シロのやつ、我慢ができなくなったみたいで、いきなりえさのそばまで近づいてきたんだ。オレが、あっちへ行けとほえたら、突然前足でオレの鼻をひっかいたもんだから、びっくりしたのと痛いので、オレは大慌て。思わずそこを逃げ出したら、何とシロのやつ ずうずうしくも、まだ半分も食ベ終わらないご馳走の中に頭を突っ込んで、ムシャムシャ食べ始めたんだ。又、引っ掻かれたらいやだし、正直言ってこわいものだから、オレはその様子を離れたところで見て見ないふりをしていたんだ。

そこに、また飼い主が顔を見せてくれたのでラッキー。シロは人間が苦手みたいで、いちもくさんに駆けていった。その様子を見て、オレは飼い主に感謝を込めてしっぽをふりながら、少し減ったご馳走を食べ始めたんだ。

飼い主は、なんかあきれかえったような目でオレを見、それから少し離れたところにいるシロをながめていた。おかげで、オレはすっかり安心して、残りのご馳走を全部たいらげることができた。

でも、飼い主は、オレが食ベ終わるのを見届けると、こう言ったんだ。

あんなに小さなシロにえさを横取りされるなんて、情けないぞ、クウタ。もう少し、犬らしく堂々としていなくちゃ。オレ様が食べきれなかったら、その残りは食わしてやるから……。そう言えるぐらい強い犬でなくちゃ。鼻を引っ掻かれたぐらいで、オロオロするなんて……。でも、シロも寒くなって食べ物を見つけるのが大変になってきたんだろうなあ。シロの食べる分も考えてやる必要があるのかなあ……。

シロのことより、オレ様のけがのことを心配してほしいなあ。

家に入っていく飼い主を見ながら、ちょっぴりさびしい気がしたよ。


牡蠣を味わう中で

2012-11-25 22:35:25 | インポート

石巻市:牧の浜の皆さんが、私の住む若柳にある農産物直売所の「くりでん」で、焼き牡蠣や殻付生牡蠣の販売をしました。牧の浜は、以前にボランティアで訪れたところでしたので、その折に出会った豊島さんはじめ浜の皆さんと再会できたことをとてもうれしく思いました。

さっそく 焼き牡蠣とシウリ貝の焼いたもの、さらにはシウリ貝の味噌汁を味わいました。海の香りと塩味が沁み込んだ格別の味わいでした。前日に収穫作業をし、今日の早朝に浜を立ってきたとのこと。疲れも見せず販売する皆さんの姿を見ていて、私もじっとしてはいられずお客の呼び込みの手伝いをしました。

特設ステージで行われていた演芸ショーの飛び入りとして、牧の浜の伝統芸能である獅子舞いの披露もありました。勇壮でちょっとコミカルな動きもあり、観客の皆さんも夢中になって演技に見入っていました。無病息災を祈って頭を口に入れてもらう希望者もたくさんいました。震災を乗り越えてきた獅子の御利益には大きな力が内在しているのかもしれません。豊島さんたちは、子どもたちに後継者になってもらおうと、地元の小学校で継承指導にもあたっているとのことです。

牧の浜は、小さな浜なので、漁業再生のための行政の支援はまだまだ行きとどかないところもあるようです。そういった厳しい状況にありながらも、内陸に住む私たちのために、牡蠣を持ち込み新鮮な海の幸を届けようとする思いに、心からの連帯と感謝の思いでいっぱいになります。何らかの形で、これからもできるところで復興の手助けができたらと思いました。

震災からの復興には、これからも継続的な支援の手が必要なのだということを、改めて感じています。

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リンゴ狩り

2012-11-23 23:31:35 | インポート

今日、木のオーナーとなっているリンゴ園の収穫に行ってきました。

案内の葉書には、今年は天候不順の影響もあり、実が例年より小粒だということでした。実際、手に取ったリンゴはいつもの年より小さめで、片手でつかめきれないほど大きく実ったリンゴはありませんでした。しかし、味の良さは例年通りでした。実の中には黄金色の蜜ができ、フジらしい甘味を十分に味わうことができました。

リンゴ園の持ち主の方の話によると、木の苗木を植えてから25年も経過し、木自体が老齢期を迎えているとのことでした。オーナーの募集があった初年度から毎年リンゴ狩りに訪れていたのですが、時の経過を改めて実感しました。幼い子どもたちと歓声をあげながら、たわわに実った真っ赤なリンゴをもぎとった頃を なつかしく思い出します。

かって担任した娘さんのお父さんが、リンゴ園の持ち主なのですが、その娘さんも今は2児の母親になったとのこと。時の流れを改めて思います。でも、毎年リンゴ狩りに出かけて収穫の喜びを体感し、持ち主の方の変わらぬ人柄と温かさにふれて過ごすひとときは、私にとってはこの上なく大切な恒例行事となっています。来年もオーナーとなることをお願いし、再会の約束を果たしてきました。お互い元気なままで、来年も実ったリンゴの木の下で、お会いしたいものだなと思いました。いつかは孫を連れての にぎやかなリンゴ狩りができたらいいなあ と思うのですが……。

リンゴ狩りが終わると、例年寒さが一段と厳しくなり冬の訪れを実感します。レオ・レオニの絵本『フレデリック』では、長いたいくつな冬が続いている時に、フレデリックがこれまで集めてきた色や言葉を詩人のように語り、暗く沈んだ野ネズミたちの心を明るくします。

我が家では、フレデリックのような役割をリンゴが果たしてくれそうです。高台にあるリンゴ園が満開の純白な花で包まれる春。太陽の光が降り注ぎ、青い実が一日一日と大きく実る夏。青く澄んだ空を背景にたわわに真っ赤な実がつらなる秋。そして収穫の時。リンゴの実を味わいながら、そんな季節の移り変わりを想ってみたいと思っています。


衆議院選挙について

2012-11-22 08:30:24 | インポート

想定外の野田首相の決断により、来月16日が投票日となる衆議院選挙が実施されることになりました。決められない政治から決めることのできる政治への転換を意図した 大いなる覚悟の決断なのかなと思いました。議員定数の削減、一票の格差の問題等については、改善の方向で自民・公明との合意ができたようですが、「0増5減」は区割り作業が間に合わず違憲状態のまま選挙は行われることになります。議員自体の痛みが伴う定数問題が後回しされて選挙が行われるところに、政治への不信が消えない面もあるのですが……。

選挙が行われることになり、あわただしく 新党が結成されたり、野合と批判される合流や連携が進められたりと、政治状況も大きく変わりそうな動きが出てきました。各新聞の世論調査では、自民党が政権を奪取する支持率を獲得し、第三極と呼ばれる日本維新の会を中心とした勢力の躍進を予想しているようです。民主党にとっては、政権党であるが故に厳しい選挙戦になるのではないかと予想されます。実現できなかったマニュフェスト、消費税率の引き上げ、東日本大震災や原発事故への対応や尖閣諸島等の領土問題等、政権を担ったが故に背負うことになったリスクを引き下げて選挙戦に臨むことになります。鳩山元首相は、「政権交代は間違いではなかったかと、国民は思い始めている。それは許されることではない。」と、野田首相に注文をつけ、引退の決意を表明したとのこと。

しかし、一方では民主党だからこそできたこともあったのではないかと思えるのです。高校授業料の無償化や官僚依存ではない事業仕分けの実施等、リベラル色を出した政策もありました。その功罪を含めた冷静な評価が必要なのかなと思います。今後は、各政党の選挙公約が公表されるはずです。それぞれの方針や政策を吟味しながら、選挙に臨みたいと思います。

原発の問題、TPPへの参加問題、対中、対韓の問題を含めた外交・軍事政策、消費税の値上げ問題、教育政策(教科書検定制度を含めた)、憲法改正問題、経済政策(日銀との関係も含めた)等、個々の政策に対する方針の違いを視野に入れながら、日本の未来を託せる 政党や人物を選びたいものです。

ただ私が今憂えるのは、尖閣諸島の問題が発端となって 世の中の重心が右方向に傾いているような印象を覚えることです。内向きに思考が働き、愛国心を強調した主張が幅を広げ、これまで培ってきた身近な国々との信頼関係までもが、失われてしまうのではないかという心配です。経済や文化面では国境を超えた交流や信頼関係が確立されています。世界に開かれた日本であるためには、どんな政策や考えが必要なのかについても、じっくりと考えてみたいと思います。


ボランティアに参加して

2012-11-19 22:23:11 | インポート

今日は、仙台に出かけ 電話による傾聴のボランティア活動に取り組んできました。先日の新聞でコールセンターで働く人々のルポを読んだこともあり、かけ手の方の心に少しでもよりそうことのできる傾聴ができたらと新たな気持ちで臨むようにしました。

終えた後で実感したのは、次のような思いでした。

かけ手の方の背負っているものの重さ、おかれている辛い環境、心を痛めながらも懸命に生きている姿、家族や我が子に対する深い愛情と温かい心遣い。人間として誠実に生きようとするからこそ、向き合うものが多く傷つきやすいのでしょうか。

吉野弘さんの詩:『夕焼け』を思い出しました。

  ………(略) ……

 

  やさしい心の持主は

  いつでもどこでも

  われにもあらず受難者となる。

  何故って

  やさしい心の持主は

  他人のつらさを自分のつらさのように

  感じるから。

  やさしい心に責められながら

  娘はどこまでゆけるだろう。

  下唇を噛んで

  つらい気持で

  美しい夕焼けも見ないで。

やさしい心の持主だからこそ 人一倍傷つきやすい心の持ち主なのかもしれません。電話の向こうの 姿の見えない人の 繊細で やさしい 人間的な心の温もりが 届いてくるような気がしました。それを 感じ取り 受け止めることが ボランティアとしての 私の役割のひとつなのだと思いました。そうすることで、少しでも かけ手の方の背負っているものが 軽くなれたらと 願います。