あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

図書館に出かけて

2016-02-28 11:59:08 | 日記
先日、岩手県一関市の図書館に出かけてきました。

下が駐車場、二階が図書館スペースとなっている二階建ての新しい図書館でした。
蔵書量の多さはもちろんですが、ゆったりとしたスペースのところどころに読書用の椅子とテーブルが配置され、
書庫を取り囲むように、自習室やパソコン室(持ち込み使用ができるコーナーもあり)、読書室が配置されており、
さらには持ち込んだ食べ物などを飲食できるスペースまで確保されていました。

児童図書のコーナーには、小さな机と椅子が配置され、寝転がって読める(読み聞かせもできる)場所もありました。
外国の絵本のコーナーには、原書版の絵本も作家別に収められており、外国の子供たちも利用できるよう配慮され
ているように感じました。

貸出期間は3週間で借用できる冊数には制限がなく、市外に住んでいる人も自由に利用できるとのこと。
返却も、市内にある図書館であればどこでもでき、24時間返却可能なボックスも設置されているようです。
図書館内には、窓口を通さず借りることのできる自動貸出機も設置されています。

一階には、軽食喫茶店も併設されており、一日を通して過ごすことができそうです。

徹底した利用者サイドに立った 究極の図書館といった印象を持ちました。
宮城県に住む私のところから車で30分程度で行けますので、格好の快適な居場所になりそうです。

市町村の財政難もあり、公共サービスの削減や民間委託が進む中、この流れと逆行するような一関市のスタンスに、
文化的な価値や側面を重視し、充実した市民サービスを提供しようとする姿勢を感じとてもうれしくなりました。

人はパンのみでは生きられず、図書館はその飢えに応えるためのオアシスといった空間でもあるのだと思います。
新たな知識や考えを求める場として、学びや発見の場として、本の世界の広さや楽しさにふれ味わう場所として、
図書館は お金では買えない 生きていく上で必要な 目には見えない大切なものを 提供してくれます。

次に出かける折には、じっくりと一日 この図書館で過ごしてみたいと思っています。

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天声人語を読んで

2016-02-23 07:15:20 | 日記
アリの世界には、働かない働きアリが集団の中に 常に2・3割存在するそうです。
しかも 勤勉なアリだけの集団と働かないアリの混じった集団を比較した実験によると、後者の集団の方が、長く生き延びたそうです。
勤勉なアリたちは、一斉に働くものの一斉に疲れて動けなくなり、片時も手を離せない卵の世話などができなくなり、壊滅してしまうのだそうです。
一方、ふだんサボっているアリは、仲間が休むと代わりに働き、卵の世話をするそうで その力もあって、後者の集団の方が長く生き延びることになるとのこと。

無用な存在とみられているアリが、いざとなった時に有用となって活躍する。
物語の世界のような胸のすく話です。

有用か無用かといった効率的な視点のみで、物事をとらえる 人間社会の狭小な側面を照らし出してくれる事例のような気がしてなりません。

天声人語は、次のように結ばれています。
「昆虫に限らず、人間の組織を含め、短期的効率を求めすぎると大きなダメージを受けることがある」。何事も長い目で、と。

いざとなった時に、働かないアリが働きだすのはなぜでしょうか。
私は、その集団がその存在を認め、居場所を確保してくれているからなのだと思います。
だからこそ、その集団の一員として困ったときに動きだし働いてくれるのだと思うのです。
仲間として受け入れられているからこそ、仲間として行動できるのではないのでしょうか。

人間社会においても、組織や集団においても、そこにいる誰もがそこでの存在が認めれ、受け入れられ、居場所が見出せる場であれば、誰もがいざとなった時に行動できる。

ひとりひとりが かけがえのない存在として認められる 心地よい人間社会でありたいものだと 強く思います。

レオ・レオニの絵本「フレデリック」に登場するフレデリックも働かないネズミでした。
仲間の野ネズミたちが、冬の準備のために食べ物やワラを集めていても、昼も夜も働いていても、フレデリックはべつでした。
なかまの野ネズミたちが、「フレデリック、どうしてきみは はたらかないの」と聞くと、フレデリックはこう答えます。
「こうみえたって はたらいているよ。寒くて暗い冬のために、おひさまの光を集めているんだ。」
フレデリックは、光のほかに言葉や色も集めていたのです。
やがて冷たい冬がやってきます。
初めのうちは、食べ物も話題も十分あったのですが、時がたつにつれ、食べ物もなくなりかけ、話題もつき、こごえるような寒さにふるえるようになります。
その時にみんなは思い出します。フレデリックが集めていたもののことを。
そこでフレデリックは語り出します。
おひさまの光や色や言葉を、みんなの心に見えるように感じられるように……。
野ネズミたちはまほうにかかったように あたたかく幸せな気持ちになります。

野ネズミたちと同じようにフレデリックも働いていたのです。
その働き方がちがっていただけなのですね。
目に見える働きや効率だけで物事をとらえていくと、かんじんなものまで見落としてしまうのかもしれません。

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谷川俊太郎詩集から

2016-02-22 18:38:59 | 日記
詩集「こころ」朝日新聞出版 から

    ありがとうの深度

              谷川俊太郎

 心ここにあらずで
 ただ口だけ動かすありがとう
 ただ筆だけ滑るありがとう
 心得顔のありがとう

  心のそこからこんこんと
  泉のように湧き出して
  言葉にするのももどかしく
  静かに溢れるありがとう

   気持ちの深度はさまざまだが
   ありがとうの一言に
   ひとりひとりの心すら超えて
   世界の微笑がひそんでいる


ありがとうに込められた心の深度は、さまざまなのかもしれません。
発する側と受け止める側といった立場の違いによっても、その深度の印象は異なるものなのかもしれません。
ただ確かなのは、ありがとうの一言は 発する側にとっても 受け止める側にとっても どこか心地よい響きを持っている言葉であるということ。
その深度に多様さはあっても、ありがとうの言葉の持つ包容力が 双方の心を開かせる働きを持っているからなのかもしれません。

ありがとうと伝えるとき 伝え手の心は開き(相手の好意を受け入れ)、その一言が 相手の心の扉を開くのではないでしょうか。

お互いに開いた心の真ん中で、ありがとうは 微笑んでいるのかもしれません。

そんなありがとうの一言を いつでも どこでも 誰にでも 大切に伝えることのできる 自分でありたいものです。
「ひとりひとりの心すら超えて 世界の微笑がひそんでいる」 ありがとうなのですから。
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春の訪れを想いながら

2016-02-16 07:58:06 | 日記
真っ白なビオラの花を二つ、庭先で見つけました。
秋に種をまき発芽したものを庭に植えたものでした。
まだ葉も十分育たない小さな苗から顔を出し、「もう、春ですよ!」と告げているようです。
庭の一角に溶けずに残る雪の白さに負けない 可憐な花のたたずまいに しばし見とれていました。
まだまだ寒いというのに 雪の降り積もることもあるだろうに、いち早く春の訪れを見せようと咲いてくれたのでしょうか。
日当たりのいいところには、愛らしいコバルトブルーのオオイヌノフグリも咲き始めています。
梅の枝の花芽も赤く色づき、暖かそうな綿毛で包まれたハクモクレンも咲き時を待ちかねているようです。
雑草も生を取り戻したかのように、生き生きと葉や茎を伸ばし始めました。
季節はゆっくりと春に向かって動き出したようです。

東京に住む かっての教え子から、チョコレートが届きました。
娘さんのことで心を痛めているのに、その優しい心遣いになんとも言えない気持ちになりました。
手紙には、母親としての自分を見つめ直しながら、娘の「伴走」をしていきたいと書かれていました。
娘さんの心の痛みによりそいながら共に生きていく。
「伴走」という言葉の内に、その思いをよみとれるような気がしました。
母親としての温かさに満ちた言葉だと思いました。

そんな「伴走」をしてくれる母が身近にいてくれるのですから、娘さんも一歩を踏み出してくれることでしょう。
戸惑い、迷い、立ち止まり、苛立ち、悩みながらも、前に進んで行ってくれることと思います。
草花が春を待つ準備をしているように、今はその心の準備をしている時期なのだと思います。

やがて雪解けが始まり、ゆっくりと心の春も訪れることと思います。

母娘一緒に春の光の中を歩む日を 心から待ちたいと思います。







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心あたたまる贈り物

2016-02-09 07:32:52 | 日記
昨日、箱入りの荷物が届きました。
送り主を見ると、1月の子どもたちとの新年会で幹事をしていた子の名前がありました。
記念の写真でも入っているのかなと思いながら開けてみました。
中には 愛らしいリボンの飾りのついた箱入り菓子と写真が入っていました。

驚いたのは、写真が壁掛け用の立派な額と卓上型の額の二つに収められていたことです。
しかも、卓上型の集合写真の裏には、並んだ順に名前がわかるように名前入りの白黒写真も貼られていました。
当日は、小学校1年の時の面影から34歳の大人の顔になった子どもたちとの再会で戸惑ったものの、改めて
一人ひとりの名前と顔を確かめることができました。

写真をながめながら、そのあたたかい心遣いに感激していました。
一期一会という言葉がありますが、一つの出会いを大切にする思いを形あるものにして示してくれた子どもたちの
行為に、深い喜びを感じました。
そこに、幼かった子どもたちの人間的な成長を実感したからなのかもしれません。

人と人との出会いを大切にすることが、これからの子どもたちの人生をさらに豊かなものにしていってくれること
でしょう。

私自身も、子どもたちに負けないように これまでの出会いと これからの出会いとを大切にできる人間でありた
いと思います。

心あたたまる すてきな記念の贈り物をいただき、子どもたちには心から感謝しています。

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