あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

戦いがもたらすもの

2022-02-26 22:31:39 | 日記
ロシア軍がウクライナに侵攻したことに、驚きました。
ウクライナに暮らす人々の無事を祈るばかりです。
戦争に駆り出されたロシア兵にも、故郷のロシアで暮らす家族がいることでしょう。
戦争によって一つの命が喪われるたびに、その尊い命によりそって生きてきた家族や
友人といった数多くの人々が、深い悲しみの淵に立たされることになるのだと思います。

今から30年前に、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴヴィナで民族間
の対立をめぐり、激しい戦争がありました。およそ3年半(1992年~1995年)の戦闘で、
死者20万人、難民・避難民が200万にも達したと言われています。

この戦争を 一人の女の子の視点に立って書かれた 松永伍一さんの詩があります。
前にも紹介した詩ですが、戦争が始まり この詩に登場する女の子の切実な声や思いが
ひしひしと心に届くような気がしてなりません。

   たとえば、ボスニアでは

            松永 伍一

 もう
 なみだもでない
 ボスニアの女の子が、
 まあたらしい父さんのお墓のまえで、
 祈っています。
 「ひとは、
  どうして憎みあうの?」
 と 母さんにきくと、
  だまって首をふるだけです。
  きのうも銃弾がとんできて、
  きょうも死者がでました。
  どこを見ても、
  青い空はありません。
  学校にも行けない女の子は、
  小さな小さな
  虫になりたいとおもうのです。
  ねらわれずにすむからでしょう。
  母さんは怒っています。
  仕事もなく、
  お金もなくなっていくのです。
  「みんな仲よく生きていける日は
  いつ来るかしら」
 ボスニアでは、
 「希望」という言葉は病気中です。

 女の子は、
 天をあおいで言いました。
 「神さま、
  にんげんを叱ってください。
  そのあとで、
  お助けください」

この女の子と同じ 悲しみや恐れ、心の痛みを抱く ウクライナやロシアの子どもたちが
たくさんいるのではないでしょうか。
この女の子は、戦争がもたらすものについて問いかけています。

「ひとは、どうして憎みあうの?」
青い空の下で 学校に行ける日は、
銃弾がとんでこず 小さな小さな虫になりたいと思わなくてすむ日は、
「みんな仲よく生きていける」日は、
「病気中の希望」が治り、誰もが希望を持って生きることのできる日は、 
いつやって来るのか と…。

この女の子は、神さまへ願います。
「神さま、にんげんをしかってください。そのあとでお助けください。」と。
神さまは この願いに どうこたえたのでしょうか。

この女の子の問いや願いに、一人のにんげんとして どうこたえたらいいのでしょうか。
今起きている戦争だからこそ、自らに問われているような気がしてなりません。
 子どもたちが 未来を信じ、希望を持って生きることのできる世界。
 ひとが憎みあうことがなく みんな仲よく生きていける世界。
 銃弾を恐れることなく 誰ひとり悲しむことのない 平和で 戦争のない世界。
そんな世界をつくっていくために何ができるか、それを考え行動していくことが、女の子の
問いにきちんと向き合い、こたえていくことなのだと感じています。