あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

コンンサートに出かけて

2015-11-27 23:35:10 | 日記
先日、知人からチケットを譲り受け、元「ふきのとう」のメンバーであった 細坪基佳さんのコンサートに出かけて来ました。
秋から冬へと移り変わる季節をテーマに、バラード調の曲を中心にした構成でした。

「ふきのとう」時代に知っている曲は「冬が来る前に」ぐらいだったので、ほとんどの曲が初めて耳にするものでしたが、どこか
なつかしく 心地よく心に響きました。

歌声はもちろんのこと、生ギターの音色も、しっとりと心に沁み込んで来るものがありました。

若かりし頃の出来事や思いが、走馬燈のようによみがえってくるような感じもしました。
待望の「冬が来る前に」をアンコール曲として生で聴いた時には、よしだたくろう・南こうせつ・森山良子のコンサートでも感じた 
郷愁にも似た なつかしさに満ちた感動を覚えました。

かって耳にした歌を通して、かっての時代にタイムマシンに乗って戻ったような感覚にとらわれるからなのでしょうか。
あの頃の自分を思い出し、同時に 時の経過の中で 失われていったものや取り戻せないものまで 感じてしまうからなのでしょうか。
周りを見渡せば、同世代の方々が観客のほとんどで、皆さんも同じ思いや感慨を味わっていたのかもしれません。

細坪さんの語りは、ユーモアに満ち、共感を覚えることがたくさんありました。
中でも印象的だったのは、安保法案が通った時代状況を憂えてのコメントでした。

「戦争を知らない子供たち」の歌を耳にし、口ずさんだ 我々の世代も、戦争のない時代を生き 「戦争を知らないじじいたち」となった。
しかし、やがて 安保法案に沿って 自分たちの子供や孫が戦地に出かけるようになれば、その子たちが「戦争を知る子供たち」になるかもしれない。

細坪さんは、コンサートの中で ジョン・レノンの「イマジン」から着想した歌をつくったそうで、その歌を熱唱しました。
ラブ(愛)と ピース(平和)こそ 世界のだれもが求め 夢見るものなのだ と。

平和は銃で勝ち取るものではなく、愛によって勝ち取るものなのだと思います。
銃で得られるものは、平和ではなく 憎しみであり、その憎しみが゛終わりのない戦いを生み続けるのではないでしょうか。

戦争を知らない子供たちの時代が、日本はもちろん 世界中でも 永遠に続く時代であってほしいものです。
同時に 今戦争やテロにおびえる子供たちの前に 穏やかで平和な日々が一日も早く訪れることを 強く願い祈りたいと思います。




『イマジン』の世界が実現できたら

2015-11-25 21:39:54 | 日記
ラジオで、オノ・ヨーコさんの書いた本「どんぐり」の紹介があり、今読んでいるところです。
序文に、全然売れなかった 1964年に出した本「グレープフルーツ」のことについてもふれていました。
この二冊を読んでから、改めて感想をまとめたいと思っています。
どちらの本も、読者に 想像すること・考えることの楽しさやすばらしさを 再発見させてくれる内容のようです。

ヨーコさんの夫であった ジョン・レノンも 想像すること、そして理想とする世界を「イマジン」の中で、伝えたかったのではないでしょうか。

凶弾にに倒れず ジョンが今でも生きていたら、改めて平和の大切さを この歌を通して語りかけてくれるような気がしてなりません。
訳された歌詞を私なりの思いも込めて書き出してみます。多分に一人よがりの意訳となっていることをお許しください。

 想像すれば 天国も地獄もなく 空があるだけ 確かなのは 今 生きているということ
 想像すれば 国なんてなく 殺す理由も 死ぬ理由も 宗教もない ただ平和に生きているということ

 夢の世界に生きているだけだと言われても 僕は一人ではなく いつかみんな仲間になって きっと世界は一つになる

 想像すれば 何も持たないことで 欲張ったり 飢えることはなくなり 人は皆兄弟で 世界を分かち合う 

 夢想家だと言われても 僕は一人ではなく いつか あなたも 仲間になって きっと世界は一つになる

今 生きていることを 誰もが感じていて 誰もが大切にしてほしい
死んだ後の世界ではなく 今生きているという この時間と この世界のことを

国という枠がなくなったら 一人の人間  一人の地球人として 生きることになる
そこには 殺す理由も 死ぬ理由も 宗教も 消えてしまい 誰もが 平和な世界に生きることができる

誰もが 持つことを忘れれば 奪い合うこともなくなり 欲張ることも飢えることも なくなる
人は皆仲間であり 兄弟であり すべてを分かち合う

こう 想像することが 考えることが 願うことが たとえ夢であったとしても
いつか みんな 同じ夢をみる仲間となり きっと世界は一つになる

テロも戦争も現実のものです。
この現実の中に止まる限り、かけがえのないたくさんの命が失われていきます。
それを変える力こそ、現実を越えたところにある 想像力なのかもしれません。
誰もが幸せに生きることのできる世界は、どんな世界なのでしょう。
そんな世界を夢見る人々が、国や民族や宗教の枠を超えて テロや戦争のない 平和な世界をつくりあげていくのだと思います。
きっと世界は一つになる そんな未来が訪れることを 真に願います。

 

 

パり・テロ事件に想う

2015-11-22 22:03:04 | 日記
パリで起こった無差別テロによって、130名が亡くなり、352人以上の負傷者が出ました。
なんとも悲惨なニュースであり、平和な市民社会への増悪に満ちた残酷な挑戦です。

天声人語でも、ポーランドのノーベル賞詩人:シンボルスカの詩を引用し、テロを取り上げています。
 ~ 憎しみ 憎しみ
   その顔は愛の恍惚に
   歪んでいる
   ……
   憎しみはコントラストの名人
   爆弾の轟きと静けさ
   赤い雲と白い雪を対照させる
   ……
   憎しみは狙撃者の目で
   未来をのぞき込んでいる  ~

憎しみの向こうに見えているのは、生と希望ではなく 死と絶望なのでしょう。
「憎しみは狙撃者の目で
   未来をのぞき込んでいる」 
殺戮の論理の中でしか見えない未来は、なんと悲しい未来でしょうか。
心休まることなく憎しみの対象を狙い続けて生きることに どんな未来があるのでしょうか。

聖戦の戦士として戦うことが 今を切り開く。
テロリストとしての生き方を 愛の恍惚で歪んだ顔で そう正当化するのでしょうか。
そうして、かけがえのない命は 軽々と 奪うもの・捨てるもの と 見なされてしまうのでしょうか。

同じ命の重さを持った 人間同士なのに 
亡くなられた人々の 失われた命と未来は 二度と戻ってこないのに

深い悲しみは テロリストへの増悪となり
平和を守るための戦いなのだという大義のもとに
終わりのない戦いが これからも繰り返されていくのでしょうか。

悲劇や増悪の連鎖は どうやったら断ち切ることができるのでしょうか。

今回のテロで、最愛の妻を失ったフランス人のジューナリストが、次のようなメッセージを述べています。以下、掲載された記事をそのままコピーして紹介します。
 ◇妻を亡くした仏ジャーナリストのメッセージが共感の輪
 【パリ賀有勇】「君たちに憎しみの贈り物をあげない」−−パリ同時多発テロで妻を亡くしたフランス人ジャーナリストのアントワーヌ・レリスさん(34)がフェイスブックに投稿した実行犯へのメッセージが共感の輪を広げている。
 レリスさんは、妻エレンさん(35)をバタクラン劇場でテロリストに射殺されたにもかかわらず、メッセージで実行犯を「君たち」と呼び、「君たちは特別な人の命を奪った。私の最愛の人であり、(生後17カ月の)息子の母親だ」と心境を打ち明けている。
 妻への変わらぬ愛をつづったうえで「君たちに憎しみの贈り物をあげない。君たちはそれを望んだのだろうが、怒りで憎しみに応えるのは、君たちと同じ無知に屈することになる」と、憎しみに憎しみで返すことはないと表明。現在の心境を「悲しみにうちひしがれている。君たちの小さな勝利を認めよう」としたうえで、実行犯に対し「私が恐れ、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいるのだろう。それなら、君たちの負けだ」と述べ、残虐なテロに屈することはないと宣言している。
 メッセージは、16日に妻の遺体と対面した直後に書かれた。最後に「私は息子と二人になった。だが私たちは世界の全ての軍隊よりも強い。君たちにかまっている時間はもうない。私たちはいつもと同じように遊ぶ。この子の生涯が幸せで自由であることが、君たちを辱めるだろう」と締めくくっている。
 劇場では事件発生時、米ロックバンドのコンサートが行われており、89人と最も多い犠牲者を出した。レリスさんの投稿は世界中の人々の共感を呼び、22万回以上共有されている。
レリスさんは、深い悲しみを抱えながらも、憎しみの連鎖の中に入ることを「君たちに憎しみの贈り物をあげない」と拒否し、テロリストたちの「無知に屈しない」と宣言しています。そして、テロを決して恐れず「安全のために自由を犠牲にしない」と明言しています。

増悪は、新たな増悪を生み、平和を守るための戦いを正当化させ、そのことが際限のないテロの繰り返しを生み、新たな悲しみと怒りをつくり続ける。
その連鎖を断ち切ることの意味と大切さを感じるからこその レリスさんの心の叫びなのだと思います。
同じ命の重さを持っている人間同士、誰もが幸福や自由を享受できる世界を目指していくことこそ、究極の理想なのだと。
それは、戦争やテロのない 平和な世界の実現を願う 強い思いなのでしょう。

今日の新聞に、レリスさんの記事が掲載され、その中で彼はこう語っています。

『… テロは、イスラム教の産物ではない。
問題は、宗教の名の下に操られた人々だ。
盲目的に人さえ殺せる。
そんな盲目的な憎しみに、私たちは盲目的な愛で答えよう。』

盲目的な憎しみが、盲目的な愛によって 断ち切られることを心から願います。

木々の向こうに空が

2015-11-13 07:39:31 | 日記
朝から、雲一つない青空が広がっています。
栗駒山も雪化粧し、その白さが浮き立つように見えます。
背景にある空の青さが、山容と白さを鮮やかに引き立ててくれているからでしょう。

真っ赤なカエデの向こうにも、空が広がっています。
葉を落とし始めた枝々の向こうにも。
建物や電信柱の向こうにも。

そこに在るべきものを 
包み込むように 
さりげなく 目立たぬように
空は 後ろに 在り続けます。

空への憧れは
そんなつつましさに 惹かれるところがあるからなのでしょうか。

若さの魅力

2015-11-04 18:54:51 | 日記
ホランティア活動を共にする若者の姿に、新鮮で圧倒されるような感動を覚えました。

若さっていいですね。
その柔らかな感性と まっすぐな行動力に 
唖然としながら 見とれてしまいます。

経験が邪魔をして入れないところにも
抵抗なく風のように スウッと 入っていく 身軽さに
相手も 構えることなく 素直に 応えてしまうのでしょう。

心の扉に向き合うとき
どんな強さで どんなリズムで たたこうかと 躊躇している間に
若者は 自然な形で 目の前の扉を開いてしまう。

構えることより 一歩進むことを優先する その潔さ。

扉は 開かれるためにあるのだと 迷うことなく開く 率直さ。

時には 生きてきた長さや経験が
相手には 壁のような さえぎる物に見えてしまうことがあるのかもしれません。

相手が 自分で扉を開いてくれるのを待つことが大切なのだと信じて
扉の前に立ち続けることが 相手の心の負担を大きくしてまうことにつながる場合もあります。

経験がすべてではなく、若さがすべてでもありません。

ただ確かなのは、経験を越えるところに若さがあり、若さで補えないものが経験の内にある ということなのでしょう。

若さにふれることで 感じ・学んだことを これからに生かしていけたらと思います。

戻ることはできなくても、心のありようだけは 若々しく まっすぐで ありたいものです。