あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

ハンセン病家族訴訟 控訴せず

2019-07-12 11:27:01 | 日記
7/10日の朝日新聞の第一面の見出しに『ハンセン病家族訴訟 控訴せず』とあり、元ハンセン病患者の家族への賠償を
国に命じた熊本地裁判決を、安倍首相が受け入れ、政府として控訴しないことを表明したことが報じられていました。
家族への人権侵害を考慮し、最終的に首相が判断したとのこと。結果的には正しい判断をされたと思うものの、選挙を意識
しての国民向けのパフォーマンスの一つでもあったのでは…? という疑問を吹き消すように、原告の家族の心の痛みにより
そい、真に偏見や差別のない社会を理想としながら 常に弱い立場の人々の側に立って行動できる政治家であってほしいと
願います。

 この記事に関連し、視点と題したコーナーの中で、この結果をどう受け止めるのかについて述べた箇所があり、とても深い
共感を覚えました。
「元ハンセン病患者にとどまらず、その家族が受けた差別についても国の責任を認めた判決への控訴を、政府が見送った。
 大きな一歩だが、始まりにすぎない。……政府が判決を受け入れることは、家族らの『人生被害』を償い、偏見や差別を
 なくす責務を負うことを意味する。…ただ忘れてはいけないのは、就学拒否、結婚差別、就労拒否などの具体的な被害は、
 直接的には国ではなく、地域や学校、職場などでの個人の振る舞いによって生まれたことだ。患者やその家族を排除して
 きた社会の構造を改めるには、社会を構成する一人ひとりの行動も求められている。」

 国を形作るのが国民一人一人であるのと同様に、社会を形作っているのもそこで暮らす一人一人です。大切なのは、一人
一人の意識や行動が、国の形や社会の形をつくっていくのだという点です。
 その意味でも、差別や偏見に対してしっかりと向き合い、自らをコントロールしながら行動していくことが求められている
のだと思います。
 年齢や性別・国籍にかかわらず一人一人の人権をお互いに尊重し合うという関係性を重んじ、相手の心の痛みを受け止める
想像力や感性を磨き、共にかけがえのない命を持つ者同士として助け合っていく。そういった意識や行動が、理想の国や社会
を形作っていくための 何よりの原動力となっていくのだと考えます。
 生きていてよかったと誰もが実感できる国であり、社会であってほしいものです。そんな国や社会をつくっていく 一人と
して、考え・判断し・行動できる自分でありたいものです。

 ハンセン病により、1943年に14歳で国立療養所大島清松園に隔離された塔和子さんの詩集に、『痛み』という題の詩が
あります。

   痛み
       塔 和子

世界の中の一人だったことと
世界の中で一人だったことのちがいは
世界の重さほどのちがいだった

投げ出したことと
投げ出されたことは
生と死ほどのちがいだった

捨てたことと
捨てられたことは
出会いと別れほどのちがいだった

創ったことと
創られたことは
人間と人形ほどのちがいだった

燃えることと
燃えないことは
夏と冬ほどのちがいだった

見つめている
誰にも見つめられていない太陽
がらんどうを背景に

私は
一本の燃えることのない木を
燃やそうとしている


燃えることのない木を燃やすように、たくさんの痛みを抱えながらも、塔さんは詩を書き続けたのだと思います。
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自分への問い(ハンセン病裁判の記事を読みながら)

2019-07-01 12:35:27 | 日記
 ハンセン病患者の家族に対し、熊本地裁は二十八日、『違法な隔離政策で家族も差別され,生涯にわたって回復困難な被害を受けた』として、
原告五百四十一人に、一人あたり五百五十万円の賠償金を支払うことを命じました。
 身内にハンセン病患者を抱えた家族の方々がこれまで受けてきた回復困難な苦しみや痛みを、裁判所が認めた判決でした。
 新聞の社会面では、どんな差別があり、その中でどう感じたか、家族の声も紹介していました。
ハンセン病患者を親に持つ子どもが、熊本市内の地元の小学校に通う際、保護者や地域住民の中で激しい反対運動が起こったとのこと。
また、別の小学校では、反対派が患者の子どもと一緒に学校生活を過ごすことを拒否し、寺などの別の場所で子どもを学習させるようにした例も
あったとのこと。
 ハンセン病の親を持つ原告の奥晴海さんは、「とにかく怖かった。保護者に『子どもにうつる』と言われて、自分の偏見も強くなり、患者だった
母親との間の心の壁が高くなった」と、当時を振り返って語っています。
 父が元患者だった福島県の男性は、療養所入所を父が拒み、秋田県内に住んでいた家族は孤立。男性の縁談が何度も断られ、父が自殺未遂したこと
もあったそうです。「過去の苦しみが心から消えることはない」と男性は、語っています。
 らい予防法により、国の政策として患者の隔離が行われ、患者本人はもちろんのこと、引き離された家族にとっても偏見による差別が行われ、辛い
人生が続いていたことに、心が痛みます。
 奥春海さんは、患者だった母親に対し心の壁を高くしてしまったことを、どんなに悔やんでいたことでしょう。ハンセン病患者に対する偏見が、
母として慕う思いさえ阻んでしまっていたのですから。
 縁談を何度も断られ、父の自殺未遂を目にすることで、福島の男性は消えることのない苦しみを背負い続けてこられたのだと思います。
 この元凶を国の政策の誤りとすることだけで、家族の方は納得できるのでしょうか。ハンセン病を感染する病気と見なすことで周りの人々が抱いた
偏見が、患者と家族を苦しみの淵に追いやったことも、重い事実なのだと思います。
 もし身近に患者とその家族が暮らしていたとしたら、自分だったらどう関わることができたのだろうと自問してしまいます。
 何が正しく、何が誤りなのか。その時の判断や行動が正しいとは限らないことを改めて深く考える必要があるのではないかと思うのです。
 たやすく情報が手に入り、たくさんの情報があふれている今の時代だからこそ、情報に左右されず 弱い立場の人々の側に立って、自分のできる
ことを考え、判断し、行動できる人間でありたいものだと強く思います。
 自分のこれまでの生き方の中にも、誤りがたくさん積み重ねられてきたのではないか。あの時ああすれば、こうすればと、やり直しのできない
過去の出来事や痛みの前で、立ち尽くした自分の姿を想います。その痛みを忘れずにいることが、かろうじて過去の過ちを反省し、少しでも人間らしい
自分を確立する日々につながっていくのではないかと考えます。
 より良く生きようとすることは、そういった痛みや反省を持ち続ける中でしか、次の一歩を見出せないのかもしれないとも感じます。
 それは自分を決して否定することではなく、不完全で未完成な自分を過去の痛みと共に振り返り、前へ進むことなのかもしれません。
 うつむきながらも前へ、限りある未来であるからこそ、常に心の痛みを抱える側に立って、自分を厳しく問い直していきたいものだと思います。
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