あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

終戦の日に想う

2018-08-15 23:27:06 | 日記
終戦の日とは
戦争で亡くなった人々に
もう戦争の始まりは ないことを誓う日。

終戦の日とは
戦争で亡くなった人々の
かけがえのない いのちの重さを かみしめる日。

終戦の日とは
戦争で亡くなった人々が
生きて描けなかった未来を 想い描く日。

終戦の日とは
今も 世界のどこかで 
戦争やテロで失われている いのちを悼む日。 

終戦の日とは
世界中がら戦争がなくなり
悲しみが消えることを 祈る日。


1945年8月15日以来
73回目の8月15日を
不戦の歩みの中で迎えられたからこそ
永遠に 戦争のない 平和な世界であってほしいものです。



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「風の市兵衛」を読んで

2018-08-14 10:23:38 | 日記
辻堂魁 作の「風の市兵衛」も、最新作「銀花」で 23作目となりました。
テレビドラマ「そろばん侍」として映像化もされ、市兵衛も人気者の一人となったようです。

前作で 両親を亡くした(母は病死、父はやむを得ない事情によって市兵衛に討たれる)幼い兄妹を引き取り、
二人を我が子のように大切に育てて来た市兵衛でしたが、二人の子の将来の幸せを考え、亡き母の実家である
北最上藩の金木家に託すことにしました。
二人の子を金木家で引き取る橋渡しをしたのが、二人の叔父であり、亡き母の弟でもあった江戸藩邸に仕える
金木脩でした。

今回は、その続編です。北最上藩の権力争いに巻き込まれた金木脩が斬られ、瀕死の重傷を負ってしまいます。
その脩の依頼により、市兵衛が北最上藩の城下にある金木家に赴くというストーリーです。
小弥太と織江の兄妹と市兵衛は久しぶりの再会を果たすのですが、その場面が印象的でした。
市兵衛にとっては、自分が斬らざるを得なかった兄妹の父:信夫平八のためにも、その子どもたちを守る役目を
果たす一心で北最上までやって来たのです。

その後の展開については省略しますが、この物語の中で市兵衛の語る言葉が、心に残ります。
市兵衛の人柄や生き方がにじみ出ている言葉で、私がこの作品に大きく惹かれる理由も、そこにあるような気が
しています。

興福寺で修行をして、風の剣を体得し、その後商いやそろばんを学び、酒造りや米作りを体験し、今はそろばん侍
の渡り用人として暮らす市兵衛は、「侍を捨てるつもりだったのですか」と問われ、次のように答えます。

『自分が何者かを、知りたかったのです。』
『…わたしは、年が明ければ四十一になります。未だ自分が何者か、知り得ません。侍を捨てきれず、
 商人にもなれず、ただもがきあがくのみです。』

また、「唐木さんほどの方が、なぜ、今のような生き方をなさっておられるのか…」という問いに対して、次のように
答えます。

『わたしは、無用の者です。しかしながら、夥しい無用によって用は支えられていると、わたしには
 思えてならないのです。剣術にも、学問にも、商いにも、米作りにも、酒づくりにも、雨や風や雪や
 渇きや飢えや、喜びや苦難や、わが叫びやため息にすら、わたしにはわけがあります。そして、用が
 あります。その用を語るにはわたしの言葉では足りず、道理には収まりきらず、ただわたしはそれらに
 真っすぐ向かうのみなのです。ゆえに、無用の者である自分を、悔やんだことはありません。』

無用の者であっても、用を支える夥しい無用の一つとして なくてはならない存在なのであり、生きる営
みの一つ一つに それぞれ意味があり、わが叫びやため息にすら わけがあり、用がある。
言葉では語り切れず道理には収まり切れない、目の前の用に向かって 真っすぐに立ち向かっていく。

市兵衛は、剣の達人であるとともにそろばん侍でもありますが、同時に自らの生き方や在り方を問い続ける
哲学侍でもあるのだと思いました。
さまざまな用に 真っすぐに立ち向かう 市兵衛の活躍が、これからも楽しみです。
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翁長知事の死去を知って

2018-08-08 22:58:45 | 日記
沖縄県の翁長知事が亡くなったという報道を知って、驚きました。
あまりにも突然で、あまりにも若い(67歳)逝去の報に、残念な気持ちでいっぱいです。
辺野古への基地移設問題も含め、果たすべき課題を抱えながら、旅立たなければならなかった
無念の思いに心が痛みます。
近いうちに行われる知事選挙についても、オール沖縄の要としての出馬ができなくなってしま
いました。
想い描いていた 基地のない沖縄の姿を観ることなく旅立っていかれたことに、心から哀悼の
意を捧げます。

アメリカの軍事力や核のかさに守られる平和は、本当の平和なのでしょうか。
ヒロシマやナガサキの 核兵器の廃絶の願いと同様に、沖縄だけに基地負担を押し付け 軍事力
に頼る 平和は、核兵器の使用や軍事力の行使によって いとも簡単に否定される見かけだけの
平和なのではないでしょうか。
敵国と見なす相手国との 限りない軍拡競争は、防衛費の限りない増大を招き、国民の生活に直結
する 防災のための費用や社会保障費は、削減の一途をたどることになるのではないでしょうか。

真の平和は、軍事力のバランスではなく、国と国との敵対関係を超えたところにあるのではないで
しょうか。
先の震災の折には、世界中のたくさんの人から物心両面であたたかい支援をいただきました。
困っている人や苦しんでいる人に進んで手を差し伸べようとする人間としての善意に、国境はなく、
そういった思いの内にこそ、真の平和をつくっていく根本があるような気がしてなりません。

現憲法の平和主義や戦争放棄の考えのもとにも、戦争がもたらす 多くの国民の犠牲と悲しみと不幸を
再現してはならないという 深い反省が込められているのだと思います。
それはまた、戦争のない恒久の平和が世界中で実現されることを願う考えにも結びついているように感
じます。

いのちは、国や民族、肌の色を超えて はるかに重く尊いもの。
一人のいのちを大切に考えるところから、平和への一歩は始まるのだと思います。

日本が目指す方向も、いのちを守り、災害や戦火の中で苦しんでいる人、経済的支援や人道的支援を必要
とする人に、進んで手を差し伸べることを第一に考え、実践する歩みであってほしいと願います。

アメリカ軍の基地が集中する沖縄にとって、辺野古への基地移設は 恒久の基地を新たにつくることにも
なります。
翁長さんが願った 基地のない平和な沖縄の実現は、日本の平和を守るという大義名分のもとでますます
遠いものになっていくのでしょうか。
基地負担を沖縄に押し付けることで守られる平和とは、何なのでしょうか。
沖縄の人々の心の痛みを、同じ日本人としてどう受け止めていったらいいのでしょうか。

軍事力に頼ることで保たれる 平和から、軍事力を超えた 真の平和を実現する方向へと 未来を見据え
ていくことが、今こそ必要なのではないかと考えるのですが…

翁長さんの願いをかみしめながら、ご冥福を 心よりお祈り申し上げます。


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