あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

娘の卒業と就職

2012-03-29 11:44:21 | インポート

先週から今週にかけて、忙しい日が続き、ブログの更新もできずにいました。

三番目の娘が大学を卒業し、東京へ就職することになりました。引っ越し作業等もあり、仙台や新居となる神奈川県川崎市に出かけたりと、あわただしい日々を過ごしております。

先日は、娘と一緒に川崎市に出かけ、新居となるアパートで、仙台から送られた引っ越し荷物を受け取り、その整理の手伝いをしてきました。娘は、そのアパートから東京にある介護施設の職場に通うことになります。帰りは、私だけが最終の新幹線で自宅の方に戻ってきました。

これまでは、自家用車で娘のもとまで出かけることができたのですが、これからは新幹線を利用しての行き来になりそうです。何かあったときに、すぐに駆け付けることのできない遠さに、もどかしい思いを感じています。子は、自立のために親元を離れる。そのことを頭で理解しながらも、心情的には大きな寂しさを感じてしまいます。

夜は眠れただろうか…。きちんと食ベているのだろうか…。4月から社会人としての一歩を踏み出す娘に対して、過保護で手前勝手な親心を持ってしまいます。

娘が暮らすことになる川崎市は、私が教師としての第一歩を踏み出した町でもあります。初任地は、市内にある新設2年目の小学校でした。渋谷から田園都市線に乗り、娘の住むことになるアパートに向かう途中で、なつかしい駅名や地名を目にし、当時のことを思い出しました。

担任した子どもたちや同僚の先生方のこと、休みのたびに子どもたちといろんなところに出かけたこと、先輩の先生方の自宅に招かれて食事をいただいたこと、お世話になったアパートの大家さんや文房具屋のおばさんのこと等、なつかしい顔といっしょに当時のあれこれが走馬灯のように浮かんできました。教師として未熟でいたらないことの多い3年間でしたが、子どもたちや同僚の先生方からたくさんのことを学ぶことのできた充実した日々でもありました。

今度、娘のところに来る時には、37年前に勤めていた学校にまでゆっくりと足を伸ばしてみようと思いました。

その川崎市に、娘が住むことになるとは 奇遇です。こういった巡り合わせもあるんですね。

介護の仕事ですから、体力やきめ細かな心遣い・温かいハートが求められます。いろんな苦労はあるとは思いますが、心身ともに健康で、頑張ってほしいと願っています。

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石巻工業の健闘を讃えて

2012-03-23 08:42:05 | インポート

選抜高校野球開会式での、阿部主将の選手宣誓もすばらしかったのですが、昨日の試合でのチーム一丸となってのプレーも感動的でした。

鹿児島代表の神村学園に序盤の内に4点をとられ、好調な相手ピッチャーの出来を考えるとこのまま一方的な試合展開になってしまうのではないかと、思いました。しかし、4回裏の見事な集中打で5点をとり一度は逆転したところに、石巻工業の底力と熱い闘志を見た気がしました。

…… われわれ高校球児ができること、それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。

選手宣誓の言葉通りに、甲子園という夢のステージで、力いっぱいのプレーを表現した石工ナインに心から拍手をおくりたいと思います。石巻に限らず被災された多くの方々も、その奮闘振りを見て、これからに向けた新たな力を見出すことができたのではないでしょうか。

勝負に負けても、夏の大会に向けて 石工ナインは また新たな闘志をかきたてていることと思います。試合後の選手の涙から、その思いを感じました。

先発投手だった三浦君は、小学校の卒業文集に「お母さんを甲子園に連れて行く」と書きました。その息子が甲子園のマウンドで投げる姿を見て、お母さんは「本当に甲子園に連れてきてくれるなんて。生きていてよかった」と思ったそうです。三浦君は試合後に、「夏は自分の投球で勝ち上がって、絶対に戻ってきます。」と語ったとのことです。

夏の県大会での、石巻工業の活躍が楽しみです。叶うならば、また甲子園でプレーする姿を見てみたいものです。

東北勢は、宮城・岩手の代表が残念ながら姿を消すことになりましたが、青森と福島の代表はこれから登場します。両チームの活躍も心から応援していきたいと思います。

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みをつくし料理帖 『夏天の虹』 を読んで

2012-03-18 21:02:16 | インポート

やはり、このシリーズは、いいですね。主人公の澪はもちろんですが、登場人物一人一人が人間的な魅力をもった存在です。善人という言葉でひとまとめにはできない、温かく人情味のあふれた人々が、物語の世界を深みのある世界にしています。ふれあう思いや通いあう心情が、澪が苦難を乗り越える時に、響き合い、その励ましや支えとなります。日々の生活の中で忘れてしまいがちな情の大切や温かさが思い出され、心の中まで温かくなってきます。

窮地に陥った澪に、周りの人々の語りかける言葉が、何よりの励ましとなり支えとなります。

料理の番付で関脇の位置にあった「つる家」が、番付から姿を消すことになります。そのことに精神的にも肉体的にも打ちのめされた澪に、源斉はこう語りかけます。

「~医師見立、と呼ばれる番付が、医師にもあるのです。実は私は、その番付に一度も載ったことがありません。……目の前の患者を病から救うこと、それこそが医師の本分です。医師としての真の喜びは、本分を全うすることでしか得られません。番付に載ることが、即ち喜びでは決してない。……番付から外れたことで、多くの人を失望させてしまった。--澪さんは、そのことが何より辛いのでしょう。ひとの想いを大切に扱うことは間違いではない。けれど、その思いに押しつぶされてしまわないでください。料理人の本分は、その喜びは、きっと別のところにあるはずです。~」

源斉のこの言葉が、澪を 料理人としての本分に立ち戻らせてくれます。番付に店の名が載ることではなく、目の前にいるお客が喜んでくれ、食することの楽しさや幸せを感じてくれるような料理をつくることが 目指す料理人としての本分であったことに……。

料理人として大切な 匂いも味もわからなくなり、つる家に自分が必要ないのではないかと落ち込んだ澪に、名料理屋、一柳の店主の柳吾が、瀬戸物屋に連れて行き、こう語りかけます。

「~匂いと味がわからないのは、料理人にとって確かに試練でしょう。だが、鼻と舌が眠っている間に、すベきことはあるはずだ。……あなたは先ほど、『もっとよく見よ。』との私の助言を受け、器を叩いてその音を聞き、撫でてその感触を確かめた。器に何を盛り付けようか、考え悩んだ。鼻と舌以外で料理への理解を深めようとした。その姿を見て、嘉兵衛さんが何故、あなたに天満一兆庵の再建を託したのか、理解しました。その姿勢を失わない限り、たとえ何処に身を置こうとも、何が起ころうとも、必ず道は開けるでしょう。~」

料理人としての道をあきらめかけた澪にとって、なによりの力強い支えとなる言葉でした。

しかし、澪にとって過酷だったのは、失った味覚と嗅覚を取り戻すきっかけとなる出来事でした。支えとなる人が支えとなる人を守るために命を落とす場面を目の前で見ることで、その感覚がよみがえったのです。

一つ一つの試練を乗り越えていくことで、澪は一人の料理人として一人の人間としてこれからも大きく成長していくのでしょう。

半年に1冊の予定で発刊されてきた『みをつくし料理帖』のシリーズも、今回が7冊目となります。後の付録を読むと、次号は1年後の発刊になるとのこと。それまで待ち遠しくもありますが、主人公:澪の活躍と健やかな成長を心から願い応援していきたいと思います。

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辛 と 幸 について

2012-03-13 09:51:07 | インポート

研修会で星野富弘さんの詩が紹介されました。偕成社から出ている詩画集『速さのちがう時計』に収められている詩の一節だそうです。とても心に残る詩でしたので、次に紹介します。

   幸せという花があるとすれば

   その花の蕾のようなものであろうか。

   辛いという字がある。

   もう少しで

   幸せになれそうな字である。

『辛』に 横線を一つ加えるだけで 『幸』 になります。 辛いことのある今が、幸せになるための蕾の時期と考えるところに、星野さんの苦難の歴史とそれを乗り越えてきた強さを感じます。幸せの花が開くのも、辛い蕾の時期があってのこと。寒い冬の後に暖かい春がやってくるのと同じように、『辛』の先には、『幸』が待っていてくれるような気がします。

相反する二つの文字であり、相反する二つの思いであるのに、一つ線を加えるだけで一つになってしまうのですね。ただ人生という時間の中では、自分の力で一つの線を加えることは決して簡単なことではなく、たくさんの苦労と時間が必要とされるのだと思います。それでも、その先に咲く『幸』の花を夢見ることで、『辛』の時間は蕾のひとときになるような気がします。

『辛』の蕾が開いて、『幸』の花になる。そう考えることで、生きることが少しは楽になるような感じがします。

被災地での今の『辛』も、一日でも早く『幸』に変わってほしいと心から思います。

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あれから1年

2012-03-12 11:57:50 | インポート

昨日の新聞の第1面に、東日本大震災関連の記事が大きく掲載されていました。現段階での被害状況について、次ような数値が示されていました。

  ○死者:1万5,854人  ○行方不明者:3,155人  ○避難者:34万3,935人

  ○家族が離ればなれの方 3割  

     ※そのうち一緒に暮らせる見通しが立たない人が 68%

  ○仕事失ったままの方 4割

  ○福島県の県外に避難した人の数が 6万3000人 

改めて被害の大きさと 現在でも被災された人々が困難な状況に置かれていることを実感する数値です。復興に向けた足取りは重く、避難されている方々の住宅や仕事の確保、安全・安心な町づくりの推進、がれきや放射性廃棄物の処理、除染作業等、課題は山積しています。これらの課題が一つ一つ解決され、復興に向けた動きが加速され、被災された方々にとって物心両面での負担が少しでも軽減されることを切に望みます。

南三陸町戸倉中学校の卒業式では、20名の生徒たちが新たな旅立ちの時を迎えました。卒業生代表の小野寺さんが答辞の中で、次のような決意を語りました。

『今日という日は、もっと生きたかった人の今日でもある。亡くなった先生や後輩の分まで僕らは生きたい。』

復興の鐘づくりや地元の復興計画に携わった岩手県釜石市の岩間さんは、次のように語りました。

『家を無くし、祖父母を亡くし、ゆっくり考える時間もなかった。これからどこに向かうかは分からない。でも、明日があると思うからやっていける。明日は、今日と同じように日が昇るから』

今日付けの天声人語では、福島県生まれの詩人:長田弘さんの詩集『詩の木の下で』の一節が取り上げられていました。

   あらゆるものには距離があるのだ。

   あらゆるものは距離を生きているのだ。

   そして、あらゆるものとのあいだの距離を測りながら、

   人間は いつも考えているのだ。

   幸福というのは なんだろうと  ……

      幸福を定義してきたものは、いつのときでも距離だった ……

離れているから、あらゆるものを客観的に見つめることができるのかもしれません。でも、今回の震災は、あまりにも遠くにあらゆるものを押し流してしまいました。幸福を定義する力さえ奪い去っていった思いがします。離れすぎた距離を縮め、人間が幸福について考えることのできる範囲にもってくることが、復興なのかもしれません。

天声人語は次のように結ばれています。

『時計の針は戻せない。だが復興とは、あらゆるものとの距離を、人がよりよく取り戻していくことだと思いたい。きのうの追悼の祈り。そしてきょうからまた、共に歩みながら』

昨日あった国主催の追悼式で、津波で両親と子ども二人を失った宮城の奥田さんは、次のように語っています。

『…… 愛する人たちを思う気持ちがある限り、私たちの悲しみが消えることはないでしょう。遺族はその悲しみを一生抱いて生きていくしかありません。だから涙をこらえて強くなるしかありません。』

この思いを真摯に受けとめることが、被災された方々との距離を縮めることでもあると思います。被災された方々が、自ら幸福について定義できるような距離に近づくことを祈りながら、共に歩むことができたらと思います。

 

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