あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

特定秘密保護法案について

2013-11-20 18:16:52 | インポート

この法案については、現在国会で審議中ですが、野党の一部も修正案を認めてもらう形で賛成に回り、最終的には多数の賛成を得て成立する方向にあるようです。

それにしても、なぜこの法案が必要なのか、いまだに不可解です。特定秘密とは、どこからどこまでの範囲を指し、誰が秘密事項と判断するのでしょうか。罰則などは10年といった具体的な形で決められているのに、秘密となる事項については抽象的であいまいです。情報公開制度や国民の知る権利の確保といった流れと逆行するような気がしてなりません。誰から秘密を守るための誰のための法律なのでしょうか。国家間の安全保障や外交機密を守るために必要な法律だとしても、その秘密にあたるものが国民の納得のいかないものであったらどうでしょう。秘密というベールで包みこんでしまえば、知られないですませられます。それを知ろうとすれば、簡単に罰せられます。

国家間のさまざまな交渉や軍事事項については、公開できない側面はあるとは思いますが、政府として、国民の知る権利に対して、公開する努力や義務も負っているのではないかと思います。ここまでは公開し、ここまでは秘密とする。そういったことを政府によって決めることができるとしたら、都合の悪いことはすべて秘密のベールで覆われてしまうのではと心配になります。罰則規定があるため、得た情報を公開したり獲得したりすることにも及び腰になり消極的になってしまうのではないかと思います。そういった悪循環の中で、ますます国民は肝心なことを知ることから遠ざけられていくのではないでしょうか。

単純に考えるならば、個人の秘密は保護されるべきですが、公的な国としての秘密はない方が望ましく、極力ごく狭い範囲に留めるべきだと思います。国益を損ねる心配があるからと、政治家は語りそうですが、国益という抽象的なものに置き換えることで、国民の知る権利を否定すること自体が、国民目線からはずれた今の政治家の立場のような気がします。

国家間の信頼も、秘密を持ちあうことで確立されるものなのでしょうか。理想論かもしれませんが、秘密を担保にして成り立つ建て前の信頼よりも、開かれた形で創り上げていく信頼の方が確かなのだと思えるのですが……。戦略的互恵関係を築き……と語る政治家の言葉が相手国の心には決して届かず、頭の上を素通りしていくような気がしてしまいます。

個と個の関係においても、国と国民との関係においても、国と国との関係においても、心を開き風通しのいい関係の中で確かな信頼を築くものであったらいいのですが……。


原発0に向けて

2013-11-18 09:23:52 | インポート

今日の新聞によると、廃炉に決まっていた東海原発の作業が放射性廃棄物の処分場が見つからず、先送りされることになったということでした。

また、インターネットのニュースでは、福島原発1・2号機の取水口付近に掘られた観測井戸では、3日前に比べると27倍もの濃度の汚染水が観測されたとのことです。

福島県内の郡山市、富岡町、いわき市、福島市の首長選挙では、除染などの遅れに対する不満から、軒並み現職首長が敗れるという選挙結果になっているとのこと。

放射能廃棄物の処理問題、汚染水への対応、除染作業の遅れ等、原発によって引き起こされる問題は深刻な状況にあります。

原発から生みだされる放射性廃棄物の処理を先送りしながら原発を再稼働させていくか、これ以上廃棄物をつくらないようにするため、原発は稼働させず廃炉の方向に踏み出していくべきか、どちらかの道を選択せざるを得ない段階なのではないかと思います。

小泉元首相が、原発0に向けて踏み出すことを提言していますが、私も同感です。その理由をいくつか書きだしてみます。

○原発から生じる高度な汚染ゴミの処理方法は、現段階では見つかっておらず、地下深くに埋めることでしか対応できない。しかも、その処分場の確保さえ難しい。

○再稼働させることで新たな汚染ゴミが増え続けていき、その管理だけでも費用面や技術面で大変な負担が強いられる。

○福島での原発事故から教訓として学んだことは、一度事故が起こると、そこで暮らす人々の生活の場を奪い、避難生活や新たな土地での生活を余儀なくさせ、将来にわたって健康被害が憂慮されること。除染や汚染水の処理、廃炉といった対策に、限りない年月と費用がかかるということ。放射能のコントロールは、人知を超えているということ。地震大国である日本である以上、新たな事故が起こりうる可能性が大きいということ。

○一つの原発を廃炉にするだけでも、多くの技術的な課題があり、その処理過程でもいろんな問題が生じる可能性がある。地震によって生じたがれき処理一つをとっても、受け入れ先が見つからなかった状況を考えると、どこを最終処分場にするかも、難問である。

このまま汚染ゴミの取り扱いを先送りしながら、再稼働を続けていくことで、どんな未来が期待されるのでしょうか。先のことは考えず、今だけよければそれでいいと考えるのであれば、すべての負担と課題を未来に丸投げするようなことになります。未来に対する責任を果たすためにも、今行動しなければならないのではないでしょうか。

原発を0にするということに踏み切れば、これから将来にわたってしなければならない課題が明確に見え、その一つ一つを具体的に解決していくためのプロセスも考えられるようになってくると思います。

踏み出す一歩が、未来に対する責任を果たすための一歩になることを心から願います。


秋が そこに

2013-11-14 21:05:26 | インポート

丘の中腹に建つ一軒の家の前に、一本のイチョウの木がありました。葉はすべて落ち、幹を囲むように鮮やかな黄色のジュウタンが 地面をおおっていました。身にまとった秋の衣服をきれいに脱ぎ捨てた、裸のイチョウの あまりの潔さに、深い感動を覚えました。そして、しみじみと そこに 秋を感じました。

一つ一つの小さな秋が過ぎていく中で 秋は深まり、やがては 冬の訪れとなるのでしょう。遠くの山々には、すでに積雪が見えます。

鮮やかな紅葉から白い雪へと移り変わる中で、世界は 原色から無彩色の世界へと転じていきます。それはまた、無垢な白にリセットされた世界が 鮮やかな原色の世界へと移り変わっていくための 準備の段階なのでしょう。そうして やがては 冬から春へと 季節は転じていきます。

こうして巡る季節だからこそ、今 秋が終わらないうちに 小さな秋を いっぱい見つけておきたいものです。

イチョウの潔さに感動したとき、思い浮かんだのが「ゆづり葉」の詩です。改めて、そこに込められた作者の思いを汲み取りながら、ゆずり葉を見上げてみたいと思いました。

            ゆづり葉

                      河井 酔茗〈1874~1965〉

子供たちよ

これは譲り葉の木です

この譲り葉は

新しい葉ができると

入り代って古い葉が落ちてしまうのです

    こんなに厚い葉

    こんなに大きい葉でも

    新しい葉ができると無造作に落ちる

    新しい葉にいのちを譲って ---

         子供たちよ

         お前たちは何を欲しがらないでも

         凡てのものがお前たちに譲られるのです

         太陽の廻るかぎり

         譲られるものは絶えません

              輝ける大都会も

              そっくりお前たちが譲り受けるのです

              読み切れないほどの書物も

              みんなお前たちの手に受取るのです

              幸福なる子供たちよ

              お前たちの手はまだ小さいけれど---

                   世のお父さんお母さんたちは

                   何一つ持ってゆかない

                   みんなお前たちに譲ってゆくために

                   命あるもの、よいもの、美しいものを

                   一生懸命に造っています

                        今、お前たちは気が付かないけれど

                        ひとりでにいのちは伸びる

                        鳥のようにうたい

                        花のように笑っている間に

                        気が付いてきます

                             そしたら子供たちよ

                             もう一度譲り葉の木の下に立って

                             ゆづり葉を見る時がくるでしょう

            ※旧かなづかいを現代かなづかいで表記しました

いのちのバトンと共に 都会も書物も 親たちが一生懸命に造った すべてのものが、子供たちに譲られていく。やがて親となった子供たちは、同じように我が子にすべてを譲っていく。季節の巡りと同じように、譲り譲られながら世界は巡っていくのでしょう。何一つ持っていかない潔さと 命あるもの・よいもの・美しいものをつくる努力を忘れずに、今を大切に過ごしていきたいものだと思います。


半沢直樹から学ぶこと

2013-11-12 22:15:44 | インポート

テレビでも高視聴率を獲得したということで話題になった  半沢直樹が登場する池井戸潤の著書を読んでみました。

「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」「ロスジュネの逆襲」と 3作とも、読み応えがあり、夢中になって読みました。銀行という特殊な世界が舞台になっているものの、会社組織の論理にとらわれず、個人としての正義感と行動力を通して、組織の腐敗やゆがみを正していく 主人公:半沢直樹の姿に 深い共感と爽快感とを覚えました。原作のもつ面白さがドラマにも生かされ、人気を博したものと思います。それだけ 現実社会の中で組織の論理に縛られ、個人としての自由度を何かと制約されながら生きざるを得ない人々は、半沢直樹の活躍から胸のすくような思いを感じたのではないでしょうか。

人間は社会的存在であるが故に、何らかの組織なり周りの人々とのかかわりの中で生きています。そういった中で、個人としての志や哲学を貫き通しながら生きていく主人公の姿に、組織を超えた個人としての生き方を見てしまいます。シリーズの第3作目となる「ロスジュネの逆襲」には、その生きる哲学が明確に描かれています。

物語の後半に、バブル時代に入行した半沢直樹が、ロスジュネ世代〈バブル崩壊後の不景気の時代(就職氷河期に世の中に出た若者たちの世代をロスト・ジェネレーション世代と某全国紙マスコミが名付けた) の部下の一人に語る言葉があります。

以下 本文より抜粋

「あと10年もすれば、お前たちは社会の担い手になる。そのとき、世の中の在り方に疑問を抱いてきたお前たちだからこそ、できる改革があると思う。そのときこそ、お前たちロスジュネ世代が、社会や組織に自分たちの真の存在意義を認めさせるときだと思うね。オレたちバブル世代は既存の仕組みに乗っかる形で社会に出た。好景気だったが故に、世の中に対する疑問や不信感というものがまるでなかった。…… 」

「だが、お前たちは違う。お前たちには、社会に対する疑問や反感という、我々の世代にはないフィルターがあり根強い問題意識があるはずだ。…… だが、世の中に受け入れられるためには批判だけじゃだめだ。誰もが納得する答えがいる。」

「批判はもう十分だ。お前たちのビジョンを示してほしい。なぜ、団塊の世代が間違ったのか、なぜバブル世代がダメなのか。果たしてどんな世の中にすれば、みんなが納得して幸せになれるのか?会社の組織も含め、お前たちはそういう仕組みがつくれるはずだ。」

部下に、半沢の持つ信念について問われ、次のように答えます。

「簡単なことさ。正しいことを正しいといえること。世の中の常識と組織の常識を一致させること。ただ、それだけのことだ。ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価される。そんな当たり前のことさえ、今の組織はできていない。だからダメなんだ。」

その原因を、部下に問われ、半沢は答えます。

「自分のために仕事をしているからだ。」

「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のために仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る。…… 」

こういった信念と誇りをもって仕事をする半沢直樹だからこそ、真に組織と向き合い戦うことができるのだと思います。誰のために仕事をするのか。仕事の中身によって、その対象は異なってくるのでしょうが、仕事に生きがいを見出す人は、自分以外の誰かのために働いているのだ という実感があるのではないでしょうか。

個と組織という関係では、組織があって個があるのではなく、個があって組織が成り立つものだということが前提になるのだと思います。そうして個の主体性や存在が大切にされることによって、組織が活性化され変革されていく流れがつくられていくのかもしれません。

個を否定するような組織であり、それが組織の論理であるならば、個として戦わなければなlりません。

半沢は、部下に「 戦え 」 と言い、

「そして、オレも戦う。誰かが、そうやって戦っている以上、世の中は捨てたもんじゃない。そう信じることが大切なんじゃないだろうか」

と、語ります。

組織の中の 社会の中の 国の中の 一人として、正しいことを正しいと言える自分であり、その道に沿った生き方を貫ける自分であったらと思います。

半沢直樹のような強さは 身につけていないのですが……学ぶところ 大です。


楽天 日本一 おめでとう!

2013-11-04 18:43:35 | インポート

第7戦までもつれた日本シリーズでしたが、最後は見事、楽天が 美馬・則本・田中の三投手のリレーで完封勝ちしました。セリーグを圧倒的な強さで制覇した巨人を相手に、投打のかみ合った すばらしい戦いぶりを展開することができました。

特に印象的だったのは、チーム誕生以来のメンバーとして活躍してきた 牧田選手のホームランでした。「長かった。でもこういう場にいられて、うれしい。」 という言葉の内に、楽天と共に歩んできたこれまでの苦労が最高の形で報われた という充実感と達成感が 込められているような気がしました。〈声援に後押しされ、食らいつこうと思って一生懸命に打った〉というホームランは、勝利を決定づける 美しい花火のような 心に残る一打でした。この日、同じく9年間の苦楽を共にしてきた中島選手も、先発メンバーとして出場しました。ヒットにはなりませんでしたが、痛烈なレフトライナーを放ちました。日本シリーズというステージで活躍できたことに、中島選手も充実した思いを抱くことができたのではないかと思います。

寄せ集めの弱小球団と言われながらも、これまで歩んできた9年間の歴史の上に刻まれた日本一であり、積み重ねてきた1年1年がこの日を迎えるためになくてはならない貴重な年月だったのではないかと思います。また、これまで楽天のメンバーとして活躍してきた監督も選手もコーチも チームを支えてきた裏方役の皆さんも、その時々になくてはならない大切な人材としてこれまでの歴史をつくりあげてきたのではないかと思います。

誰かがいたからではなく、誰もがなくてならない大切な存在として 楽天イーグルスと共に歴史を刻んできたからこそ 輝かしい日本一という座にたどりつくことができたのではないかと思います。

夢を夢のままで終わらせることなく、日本一という形あるものにつくりあげたという事実は、震災で被災した多くの方々や楽天ファンに、大きな感動と生きる勇気を与えてくれたように思います。

一人のファンとして、楽天の歴史を刻んできた多くの皆さんに、心から感謝したいと思います。

そして、改めて これからも 楽天の熱いファンの一人として 楽天というチームと共に歩んでいけたらと思います。

優勝おめでとう! 最高の感動と勇気を ありがとう!