あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

塔和子さんを思い出して

2013-08-31 21:08:26 | インポート

昨日の天声人語で、詩人の塔和子さんが 28日に亡くなったことを知りました。

小学校6年の春にハンセン病を発症し、以来 83年の生涯を 瀬戸内海の島にある 国立療養所大島青松園で過ごされました。昭和20年代の後半に、プロミンという特効薬により、病は治癒可能となり、塔さんも1952年:昭和27年に完治するのですが、1996年:平成8年に「ライ予防法」が廃止されるまで、隔離政策は終わりませんでした。病の後遺症もあり、施設には留まった状態で過ごされるのですが、島から離れることはできず 差別と偏見の中で生きざるを得なかったのです。その間の思いを19冊の詩集に著わしています。

改めて手元にある詩集「 塔和子 いのちと愛の詩集 」 平成19年4月 角川学芸出版発行 を 読み返してみました。中でも印象に残ったのは、「淡雪」と「糸」です。編者の中野新治さんによれば、、「淡雪」は 過酷な療養所での生が形象化された作品の一つ、「糸」は 患者としての生を超えた対象が描かれた作品の一つにあたるようです。

    「淡雪」

  在ったという過去の中に私はない

  在るだろうというあいまいな未来に私はない

     やわらかい息をし

   すずしい目をして

            他人を見

     花を見

     空を見ているとき

   あるいは

   勢いよく水道の水をほとばしらせて

   野菜を洗うとき

     にんじんの赤さ

     ほうれん草の緑

     だいこんの白さが

  在ることの喜び

     いのちの新鮮さをかきたてる

  このふるえるような愛しさ

        昨日と明日の間

           ただ

        今だけを生きている

        淡い雪のようなものが

           わたし

~ 私は生死という不可思議なものにはさまれて在る私の存在が、どのように詩ってもうたい切れない、ほんとうにきらりと流れを見つけたり、見失ったりする、昨日と明日の間だけ、なぞのように在る永遠の流れの中のいちさいくるを、生きているのだと思うのです。~

 1988年12月号の「詩学」に寄せた文章の一節です。「淡雪」の冒頭の 在ったはずの過去の中にも、在るはずの未来の中にも 私はない という表現と、昨日と明日の間に自分が在り、その1サイクルを生きていると感じる思いが 重なり合っているように感じます。

 生きている今という時間が、どんなに確かで大切な時間なのか。淡雪のように、今にも消えそうな自分を見つめることに、塔さんが置かれた厳しく辛い現実状況が見えてくるような気がします。

                「糸」

  生から死へ一本の白い糸があって

    日々たぐっているが

    ほんとうは誰も

    いまだその糸を見た人はいない

      たぐり終わったとき

    いのちも終わるからだ

  私の糸はあと何年あるいはあと何日残っているか

  糸のとぎれたところは冥界で

  神様のさいはいするところだから

     きっと

     美しい花が咲き乱れ

     清らかな音楽がしっとりと流れているだろう

      しかしそう思っても

  やっぱり雑事に追われるこの世に

  愛着があって

  糸のことは忘れている

  そして

     病気になるとふっと思い出し

     いま自分のにぎっているのは

     どのくらいのところだろうと

     改めてその命の糸を

  ひっぱってみたりする

   亡くなった塔さんは、白い糸をたぐり終え、今は 冥界の美しい花をながめ、清らかな音楽に聴き入っているのでしょうか。命の糸をひっぱってみたりすることで、自らの命を確かめ、生と向き合うことで、詩を書き続けた塔さん。

 その思いは、詩の形となって今を生き、多くの人の心に語り続けることになるのだと思います。

   ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 


ボランティアの中で感じたこと

2013-08-30 23:58:23 | インポート

一度も会ったことのない

顔も 姿も 見えない相手と

電話一本で 向き合います

  抱えきれない 思いが

  やるせない気持ちが

  言葉から はみ出す 辛さが

  切々と 電話の向こうから 心に届いてきます

    受け止めるだけで 言葉も返せず

    その重さに たじろいでしまいます

      光の届かない 世界の中で

      たった一人の自分と向き合い

      傷ついている 姿が 見えてきます

        責める刃は 自分に向けられ

        自分の周りに築いた 壁が

        自らを 閉じ込め

        背負っている重荷を どこにも降ろせずに

        立ち続ける

           無力な自分を感じながら

           心で 語りかけます

               もう 自分を 責めないでください

               背負っているものを わきにおいてください

               傷つくほど 心やさしい 自分を 受け入れ 

               かけがえのない 自分を 大切にしてください

 

 


前進座「あなまどい」の観劇

2013-08-27 21:28:16 | インポート

仙台演劇鑑賞会の8月例会が、前進座の「あなまどい」でした。

「あなまどい」とは、冬を前にした蛇が、晩秋になっても冬ごもりするための巣穴を見つけられずにいる様子を 意味するとのこと。

主人公は、上士である父を足軽:寺田金吾に殺されたため、仇討のために旅に出た息子:上遠野関蔵です。関蔵は、嫁いで間もない妻:喜代を残してひたすら金吾を追い続けます。金品を使い果たし、物乞いをしながらの 34年にも及ぶ過酷な仇討の旅でした。一方、残された妻は、病床にある義母の看病を続けながら夫の帰りを待ち続けます。関蔵に家督を預けられ、家族のことを託された叔父一家が、その約束を果たさなかったため、残された妻は経済的にも苦しい生活を余儀なくされますが、妻としての座を守り続けます。

34年後に仇討を終えた関蔵が、帰参します。その時の関蔵と喜代との再会の場面には、心を打たれ涙ぐんでしまいました。34年という時を経ての夫婦としての再会。その間のお互いの苦労を年老いたお互いの姿を見合いながら受け止め合う姿に、時を超えた夫婦の絆を感じました。

あなまどいは、34年という時の流れの前で お互いに安住の場所を見つけられずに迷い苦しみながらも歩んできた二人の人生を指しているかもしれないと思いました。

すべては、武士社会の持つ理不尽さがつくりだしたものでした。足軽は、上士と会えば平伏しなければならない。金吾は、病に苦しむ妻が平伏を求められたために医者に診せられずに死んだと思い、平伏を命じた 関蔵の父を切り捨ててしまいます。そのため関蔵は、父の仇討を果たすまで帰参できないという武士としての大義を守らなければならなかったのです。しかし、物乞いまでしながら後を追い続ける中で、仇討の虚しさを感じるようになります。30年後に、関蔵はついに金吾と再会することになります。しかし、二人は追う者・追われる者の立場を超えて、30年もの間 お互いに苦しみを抱きながら生きてきたことを認め合います。

劇の中では、願人坊主という人物が登場し、その出会いが関蔵の帰参と結びついてくるのですが、詳細は割愛します。関蔵は、金吾を討たず許したのです。持ち帰った首は、病で亡くなった願人坊主の首だったのです。

帰参した関蔵は、養子にした甥〈妻方の〉に上遠野家を託し、隠居して 妻の喜代と一緒に江戸に旅立ちます。その道すがら、妻には仇討の相手を許したことなど真実を告白します。妻は夫の心情を理解し、江戸で新たな二人の人生を生きていくことを改めて決意します。

あなまどい をしながら、冬ごもりの場所となり 終の住処となる江戸に 手を取り合って向かう二人の姿に、夫婦としての行く末の 心温まる在り方が 見えてくるような気がしました。

人は 何を求め どこに向かって 生きていくのか、あなまどいしながら 歩むのが人生なのかもしれません。同時に、よりそって生きることの意味や大切さを改めて考えさせられた 心に残る演劇でした。

次回の例会は、テアトル・エコーの「風と共に来たる」です。名作映画の「風と共に去りぬ」誕生にまつわるコメディということですが、どんな楽しい劇になるのか楽しみです。


勝負を超えたところにあるスポーツマンシップ

2013-08-25 22:17:52 | インポート

インターネットで、高校野球に関する記事を読み、深い感動を覚えました。私自身は、プレーそのものに心を奪われ、1点差で勝敗が決まるその拮抗し白熱したゲームに面白さを感じていたのですが、全く異なる視点から高校野球を見つめ、そこにすがすがしさ〈フェアプレー精神〉を見出す記事に、野球の原点を教えられたからです。

決勝に勝ち残った前橋育英と延岡学園。初出場校同士であったのですが、両校にはすばらしい共通点もありました。それは、勝ち負けを超えたところにある スポーツマンとしての精神です。

記事では、相手チームのキャッチャーがファールボールを足に受けて痛んでいる様子を見て、1塁コーチがかけより、痛みを抑えるスプレーをかけてあげたこと。痛むキャッチャーのマスクを持ったバッターがその様子を心配そうに見つめ、回復したキャッチャーにマスクを渡してあげたこと。ファールフライを追いかけた相手キャッチャーの投げ捨てたマスクを次打者が拾い、渡してあげたことなど、そういった行為を、両チームの選手が何気なくしていたことに、すがすがしさを感じたと書いてありました。

相手チームがあって、試合ができるのだということを、監督さんは語っていたのだそうです。選手は、戦う相手であると同時にそういった機会を与えてくれた相手チームに対する敬愛の思いを抱きながら、決勝戦に臨むことができたのではないかと思います。その思いが、敵味方を超えてけがを心配し駆け寄る行為や、キャッチャーマスクを拾って渡す行為にも結びついたのではないかと思います。

ゲームとは関係のないところにこそ、相互に相手チームを大切にし、正々堂々と戦おうという、スポーツマンシップが自然と表れてくるものなのかもしれません。

勝負に勝ち負けはつきものです。ただ、勝者は勝つ喜びと同時に、こういった戦いの機会を与えてくれた敗者に対しても 敬意と感謝の思いを感じてほしいものです。敗者も、相手の勝利を讃えると同時に 全力で一丸となってプレーした自らのチームに、誇りを持ってほしいものです。

両チームは、その思いを行動化できた すばらしいチームだったのではないかと思います。

甲子園で活躍したチームの中にも、地方予選で敗れたチームにも、同じように戦ったチームが数多くあったのではないかと思います。その中で示したスポーツマンシップは、スポーツの中だけではなく、社会で生きていく中でも、すばらしい人間性として発揮されていくように思います。

野球に打ち込んだ高校生たちの未来に 幸多かれ と心から祈ります。


イチロー選手の言葉

2013-08-23 23:31:58 | インポート

日米通産4千本安打を達成した イチロー選手。その記録達成もすばらしい出来事でしたが、試合後のコメントがまた心に残りました。

◇日米4000本安打に到達しての率直な感想は?

・4000という数字よりもあんなふうにチームメートやファンが祝福してくれるとは全く想像していなかった。それが深く刻まれました。結局、記録が特別な瞬間をつくるのではなくて、自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれるものだと強く思いました。

  いかにも冷静なイチロー選手らしいコメントだと思いますが、記録をつくった自分のこと以上に、達成した記録を心から祝い 特別な瞬間をつくってくれた チームメートやファンに対する、心からの感謝のメッセージだと思いました。

◇4000本安打は、大リーグでは、カッブとローズしかいないが?

・i日米両方のリーグの数字を足しているものですから、なかなか難しい。誇れるものがあるとすると、4000のヒットを打つのには8000回以上は悔しい思いをしてきている。それと常に向き合ってきたことの事実はある。誇れるとしたら、そこ。

  3割打者であっても、3度の打席で1本の割合でしかヒットを打っていないことになり、2打席は悔しい思いを抱いたことになります。その悔しい思いを8000回以上はかみしめ、試合のたびに向き合い、打てなかった理由を自問し打つための工夫や努力を 21年間積み重ねてきた。そういった真摯な姿勢を貫くことで、記録が達成されたのですから、なおさら4000本のもつ重みを痛感します。

※追伸

  楽天の田中投手は、今日のロッテ戦で開幕から18連勝・昨年度からの通算で22連勝となり新たに日本記録を更新しました。

  試合後のヒーローインタビューで、「今日の1勝も、チームのみんなとファンの皆さんの力で勝ち取った勝利です。」と語った言葉に、イチロー選手と共通するものを感じました。記録を達成した自分以上に、チームメートやファンに対する感謝の思いを忘れない姿勢に、一ファンとして、とても好感を持ちました。そこに真のプロ選手としての崇高な思いがあるように感じるからです。