あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

松谷みよ子さんを偲んで

2015-03-22 09:49:36 | 日記
 児童文学作家の松谷みよ子さんが2月末に89歳で亡くなりました。子どもたちの心に残る名作を数多く残されたことに感謝すると同時に、ご冥福を心よりお祈りいたします。
「いないいないばあ」や 小さいモモちゃんシリーズの作品はもちろんですが、私にとって最も印象的な作品は、「龍の子太郎」「二人のイーダ」「花いっぱいになあれ」の三作品です。どれも、子どもたちと 担任であった私をつなぐ 忘れられない作品でもありました。

 「龍の子太郎」は長編ですが、太郎の活躍と成長を 子ども自身が自分と重ね合わせて読み味わうことのできる、ストリー性豊かな作品でした。3年の担任時代に、昼食後のひとときに継続して読み聞かせたこともありました。長編の物語を自力で読める頃にこの作品と出会うことで、読書の世界の扉が開かれるように感じたものです。

 神沢利子さんの書いた「ちびっこカムの冒険」も、この時期に出会う最適な作品としてお勧めです。

 「二人のイーダ」は、高学年の子どもたちを物語の世界へ誘う格好の作品でした。動く椅子の謎を通して、広島に原爆が投下された事実を知ることになり、良質な子ども向けのミステリーであり、同時に戦争と平和について考えさせられる作品でもあります。

 さとうさとるさんの書いた「だれも知らない小さな国」、いぬいとみこさんの書いた「木かげの家の小人たち」も、子どもたちを本の世界に導いてくれる傑作だと思います。

 「花いっぱいになあれ」は、1年生の国語教材にもなった作品で、子どもたちと一緒に読み味わうことのできた、心に残る作品でもありました。
 「花いっぱいになあれ」の願いを込めて、学校の子どもたちが、ふうせんに花のたねをつけてとばします。その願いを受けとめ、山の中の小さな野原を 金色のお花畑に変えたのが 子ぎつねのコンでした。文字を知らないコンは、ふうせんに添えられた手紙を読むことができません。赤いふうせんを 見たことのないきれいな花とカン違いするコンでもありましたが、手紙に込められた子どもたちの願いをみごと実現してみせたのです。
 
 子どもたちとは、ふうせんの花との出会いから 花のためにコンのしたことやしぐさ・語りかける言葉 を読み取りながら、その時々のコンの表情や心情の変化をイメージしていきました。
 野原でいいゆめを見ていたコン →目の前にまっかな花を見た時のコン →紙づつみの根っこを埋めてあげた時のコン →お水をくんでかけてあげた時のコン →次の朝小さくしぼんでくたんとたおれた赤い花を見つけた時のコン →雨が何日も降り続いたあとに見たことのない芽がすっくり顔を出しているのを見つけた時のコン →ぐんぐんのびていく芽を見ている時のコン →コンをおいこし、ばいのばいのばいものびた茎を見上げている時のコン →ある日大きな金色の花を見つけた時のコン →いくつもさいた金色の花の中にいる時のコン →こぼれ落ちたひまわりの種を食べた時のコン →毎年金色の花に囲まれ種を味わうコン
 その時々のコンの表情を想像し合いながら読み進めた楽しいひとときを思い出します。
「花いっぱいになあれ」と願った子どもたちの願いがコンを通して実現され、美しい金色のお花畑になった喜びを 読み手である子どもたち自身も強く感じ取ることができたように思いました。

 子どもたちの内に在るさまざまな願いや想い、それが叶えられ実現できた時の喜び。コンの姿と一体となって、読み手の子どもたちはその喜びを体感する。そして何よりその場に立ち会うことができたことが、教師としての大きな喜びでもありました。
 一人で読む楽しさとは異なる 集団として読み味わうことの楽しさ。それを実感させてくれたのは、この作品の持つ力であり、子どもの心によりそって数多くの作品を生みだした 松谷さんの表現力によるものだと強く感じます。
 子どもたちの想像の世界が揺さぶられ、一人ひとりの想像した絵が重ねられ、豊かで立体的なイメージとなって 作品世界が子どもたちの心の内につくりあげられていく。
 物語文を読むことの 限りない可能性と楽しさが満ちている このような作品が、教科書教材として数多く取り上げられることを心から願うものです。
 生きた言葉の担い手となるべく言語活動が重要視されるようになったとは言え、文字である言葉と向き合い、そこから広がる想像世界の楽しさを共に体感できる国語の時間でありたいと願うからです。
  
 低学年の子どもたちを読書の世界に導く傑作としては、いぬいとみこさんの書いた「長い長いペンギンの話」がお勧めです。長編ではありますが、次から次へと新たな出来事が起こりハラハラドキドキの連続で、読み聞かせの作品としても最適です。

 松谷さんとは、私が若かりし頃に実際にお会いしたことがあります。栗原市にお呼びし、講演をしていただいた時のことでした。温かい人柄と 創作意欲に満ちた作家としての熱い思いにふれることができました。後日、感謝の思いを込めて地元産の米をお送りしたところ、お礼の言葉がていねいに綴られた直筆のハガキと色紙が届きました。心に残るなつかしい思い出です。

 この機会に、改めて松谷さんの作品を読み直してみたいと思っています。子どもの心に届く傑作をたくさん残して下さったのですから。できることなら、こんな夢のある想像世界を是非自分でも描いてみたいと想ったりもしてるのですが……。

3.11を迎えて想うこと

2015-03-12 00:35:54 | 日記
震災後、何が変わったのでしょうか。

警察庁の発表によると、震災の死者は15,891人、行方不明者は2,584人。
復興庁によると、震災後の体調悪化や自殺による震災関連死は、3,192人。
今でも避難生活を余儀なくされている方が、約23万人おり、原発事故よる福島県からの県外避難者は46,000人います。

震災後の復興状況について、朝日新聞の記事では 各地で復興のカタチは見えてきたが見えてきたからこそ実感する悩ましい現実を実感すると述べ、三つの事例を取り上げています。

一つは、宮城県岩沼市。津波に流された六つの集落が集まり、約400世帯:千人規模の集団移転の街ができるとのこと。しかし、住人の1/3が65歳以上で、高齢化率は市内平均よりも高い割合にあるそうです。

二つ目は、岩手県陸前高田市。甲子園球場80個分・総工費1200億円の土地区画整理事業が進み、完了するまであと4年を要するとのこと。しかし、人口流出が進み、4年で2割近く減り2万人ほどとのこと。こういった状態でどれだけの住民が住むことになるのか、過疎に対応したまちづくりが求められているようです。

三つ目は、全線開通した常磐自動車道。福島県内の帰還困難区域を貫き、安倍首相の語る復興の起爆剤であり、物流の新動脈です。しかし、高速道の下は無人の街であり、JR双葉駅は震災の時刻を指したまま、渡線橋は腐食して傾いたままの風景。高速道とは残酷なほど対照的とのことです。

この三例は、高齢社会、過疎、原発への対応といった現実的課題を突きつけられる復興のカタチでもあるのでしょう。カタチはつくれても、それが希望に満ちた復興への軌跡となるのかどうかはこれからの在り方に関わってくるのだと思います。

原発事故の廃炉に向けた取り組みについては、どうでしょうか。

使用済み燃料プールからの燃料取り出し作業は、4号期は昨年末に終えたが、汚染の激しい1~3号機については、前段階の「がれき撤去・除染」の過程にあります。次の段階の「燃料取り出し設備の設置」→「燃料取り出し」→「保管・搬出」に取りかかるには、まだ時間と技術的な工夫が必要となりそうです。
これらの作業を終えた上で、最難関の次の段階の作業があります。事故によって溶け落ちた燃料の取り出しです。今の段階では、溶け落ちた燃料がどこにあるかも不明なので、具体的な方法は決まっていないそうです。20~25年度の達成を目指しているそうですが、果たして可能なのでしょうか。
この取り出し作業が終えたところで、原子炉施設の解体となります。解体装置の開発や高度に汚染された解体がれきの管理・処理方法など、多様な技術や方法がさらに求められることになりそうです。

この一連の廃炉工程を終えるのに、30年~40年がかかると言われているそうですが、汚染水の流出さえ止められない現状の中で、この年数で完了できるかどうかは疑問です。
原発事故によって汚染されたゴミの始末に難儀し、処分先や方法まで決まらない中、原発再稼働に向けての動きが進んでいます。稼働することで、また新たな核ゴミが生じ続け、事故が起こる危険性は消えません。

未来に対して、事故の後始末と核ゴミの処理を託し、危険性を放置することは、許されることなのでしょうか。今生きている大人としての責任を痛感します。原発事故の当事国なのに、なぜドイツのように脱原発への道を選択できないのでしょうか。美しい環境の中で危険のない安心な生活がおくれる未来であってほしい、原発事故の教訓を通してその願いを痛切に感じているのですが…。

震災や原発事故を通して学び、その後の4年間の中で実感し・得たものを これからの中でどう生かしていくかが、変わらなければならないこれからの道筋のように感じています。

詩『そのあと』 を読みながら

2015-03-11 20:50:50 | 日記
   そのあと
          谷川俊太郎 詩集「こころ」より 朝日新聞出版
そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべてが終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

  そのあとは一筋に
  霧の中へ消えている
  そのあとは限りなく
  青くひろがっている

    そのあとがある
    世界に そして
    ひとりひとりの心に

東日本大震災の そのあとから 今日で4年が経過しました。
終わらないそのあとを 被災者の方々はどんな形で歩んできたのでしょうか。
被災の様子を知った人々は そのあとを どう過ごしてきたのでしょうか。

霧の中に消えた道を 
手さぐりしながら さまざまな思いを抱えながら
自分の足で 歩き続けてこられたのだと思います。

青く広がっているのは 
故郷で見続けてきた海そのものなのでしょうか。
途方もなく広すぎる 空の青さなのでしょうか。
復興への希望の道を 開く未来なのでしょうか。

限りなく青く広がる世界の中で
時には 立ち止り
時には 振り返って そのまえに 立ち戻り
それでも 前へ前へと 歩み続けた そのあと だったのではないでしょうか。

4年が経過した これからも
そのあとが 先へと続いています。
大切な人を失うことがあっても
もうあとはないと思っても
すべてが終わったと知っても

誰にも そのあとがあり

フランクルが語るように
それでも 人生が 自分を待っていてくれるのだと思うのです。


政治家の暴走

2015-03-05 20:39:42 | 日記
国会での論戦を聞いていると、総選挙での圧勝を錦の御旗に、自民党議員や首相の驕りと野党議員を見下しているような傲慢さに、あきれてしまいます。野党側の肝心な質問には答えず、持論を述べることのみに終始する様子を見ては、国会論戦が成立していないことを証明しているかのような印象を受けます。

選挙結果は圧勝であっても、最低の投票率の選挙であったことは、それだけ政治に対する信頼が失われているのだという認識が政治家に求められているのだと考えるのですが…
獲得した議員の数ではなく、一人一人の議員としての資質が問われているのだという認識は、持てないのでしょうか。

自民党の総裁であり、首相である人物が、国会討論でヤジを飛ばすような行為を行い、それに対する反省の弁もないのですから、ますます政治家に対する不信は救いようのないほど大きなものになっていくような気がします。
最近辞職した某大臣が、退陣の弁で「分かろうとしない人に説明をしても無駄」と語ったように、国民に分かってもらうためのていねいな説明責任を放棄するような政治家が大臣の座におさまっていたぐらいですから…。
首相をはじめ大臣たち(民主党の岡田代表も含め)が、補助金を受けている企業から献金を受けていることが最近話題となっています。そのことを知らなかったと言えば、法的な責任は免れるということで、知らなかったですませるようです。補助金の出所は税金です。国民の血税が回りまわって政治家のふところに入っているという構図に、良心の痛みは感じないのでしょうか。政治家だからこそ、そこは敏感であるべきだと思うのですが、そういった感性を持ち合わせていないところに、日本の政治の現状と限界があるのかもしれません。
こういった政治家が、日本のかじ取りをしているわけですから、がっかりを通り越して強い失望感を抱いてしまいます。

沖縄県知事が首相との面会を求めても、多忙を理由に会うことさえ拒否する態度も、驕り以外の何物でもないような気がします。福島の人々の思いを汲み取らず、原発の再稼働を推進しようとする態度も同様です。そこに暮らす人々の痛みや願いに耳を傾けず、抽象的な国益のみを主張する政治家を、果たして信頼できるでしょうか。

韓国や中国との関係改善の方策は、見出し得るのでしょうか。やがて出される戦後70年談話は、その糸口となる内容となり得るのでしょうか。

自衛隊の活動範囲を無制限に拡大するかのような安保政策。そのこと以前にすべきことは、敵と想定する国との信頼関係を確立することなのではないかと考えるのですが…。集団的自衛権の行使をあれこれ考えること自体が、相手国の不信を招く要因になっていることにきづかないのでしょうか。
政府批判を自粛するようなマスコミへの圧力。集団的自衛権の行使、特定秘密保護法の成立と一体となって、日本の未来はますます危険な方向へ踏み出していくような不安を覚えます。

その先には憲法改正まで視野に入れ、一つ一つの危険な階段を上りながら、平和な日本を戦う日本に変えていくのでしょうか。

次の選挙までの間に、暴走はますますエスカレートしていくのではないかと心配になります。日本の未来をよりよい方向へと導いていくためにも、主権者である国民の一人として今の政治状況をしっかりと見守っていく必要があると痛切に感じています。


春を味わう

2015-03-05 20:38:11 | 日記
庭の一角に 毎年ふきのとうが顔を出すところがあります。
先日 春の到来を告げる 愛らしい姿を見つけました。
数にして3個でしたが、これからはどんどん見つかりそうです。
さっそく 妻が 天ぷらにしてくれました。
ほろ苦さが心地よく いかにも春を味わっている感じがしました。

寒さが和らぎ 春は確実に姿を見せ始めたようです。
オオイヌノフグリのコバルトブルーの花を数多く見かけるようになりました。
梅の木の枝のつぼみもピンク色に染まり、花開くときを待ちかねているようです。

春の持つ 季節の杖が 一振りされるたびに
芽吹きが始まり 緑が広がり 花が開き始めるのでしょうか。
一つ一つの春の姿を 確かめながら
春の訪れを ゆっくりと 五官で味わっていきたいものです。