あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

道の途上

2017-03-22 20:42:33 | 日記
ふと 思う時があります。

今は まだ道の途上なのでは…と。

だからこそ、迷いの中で 立ち止まり
どんな一歩を踏み出すべきか、自問してしまうのです。

これでいいのだと 簡単に認めてしまうほど 決して単純ではないのです。

年齢を重ねることで
さまざまな経験を通して
多様な見方や考え方ができるようになったとしても

やはり 人生は 一回切りで
今という時間の中で出会うことは すべて 新鮮で初めてのことなのです。

そういった初めての人生の 途上にあって
誰もが 今という時間に向き合っているのではないか と。

迷いと
成長の途上にあるからこそ
今踏み出す 未来への一歩が 
いつでも 新鮮で 不確かなものなのでしょう。

昨日見た空と 今日の空が異なるように
さっき感じた風と 今感じる風は 同じ風ではないはず。

決して繰り返しているのではなく
異なる今を 確かに 生きているのですから。

 



 

未来ノートは生きる力

2017-03-13 20:30:20 | 日記
朝日新聞の「ひととき」に投稿されたのが、『未来ノートは生きる力』と題した文章でした。
投稿者は、千葉県船橋市の金澤里菜さん(20)。
15歳で白血病を発症。入退院を繰り返し、1年前に「いつ何があってもおかしくない」と
主治医から告げられたそうです。
今は、右目の視力が落ち、長い移動には車いすを使うことも。
そんななか、お母さんが「家族全員が後悔しないように自分の思いを『未来ノート』に書こう」
と提案し、今年1月から家族で書き始めたそうです。
皆が食べたいものや旅行したいところなどを書き、それがかなうと消すようにしているとのこと。

今の願いで 今できることは、叶えるようにしていく。
それだけ、里菜さんを真ん中に家族が率直に思いを伝え合い、家族がそろって過ごす今の時間を
大切に大切に過ごしていきたい というお母さんの思いが込められた提案だったのだと思います。

里菜さんは、このノートから生きる力を見出し、次のように書いています。
… 明日何が起きるかは誰にもわからない。だから楽しい話も、悲しい話も、逃げずに家族と
  真剣に話し合うことも大切だと思う。つらいこともあるけれど、ノートは私の生きる力に
  なっている。

この投稿を読んだ 水戸市立双葉台小の堀口正子先生が、担任する3年の子供たちにとって 
命を考える教材になると直感し、道徳の授業で取り上げることにしたそうです。この授業の中で
子供たちが書いた里菜さんに宛てたメッセージを、堀口先生は里菜さんに届けました。

 〇ぼくは病気になってしまったらさいあくだと思ったけど、人生は、どれだけ楽しく、くいの
  のこらないように生きるかなんだなあと文章で感じました。
 〇わたしはいやだなと思うことがあっても、家族に相談しないことがありました。里菜さんの
  話をきいて、つらいことを相談しようと思います。わたしも未来ノートをつくってもいいで
  すか。

このメッセージを受け取り、里菜さんは次のような返事を書きました。

… 私の記事を真剣に受け取ってくれてありがとう。毎日びくびく暮らす必要はない思います。
  でも後悔しないように、今日も良い日だったと言えるように、たくさん遊んで、笑って、
  泣いて、喧嘩してください。私は苦手でしたが、お勉強も頑張って。皆さんの毎日が、
  素敵な時間になることを願っています。

確かに生きている 今という時間を 後悔がないように、大切に生きていきましょう。
そんな中で 心に残る素敵な時間を 今日も良い日だったい言える日を つくっていきましょう。

そんな里菜さんのメッセージが 伝わってくるような気がします。

子供たちも もちろんそうですが、 
里菜さんにとっても 今の今が いつも 素敵な瞬間であり 幸多いひとときでありますように! 
と 心から 願います。

 






6年目の3.11

2017-03-11 11:01:13 | 日記
失われた命は、二度ともどらない。

大切な家族を失った遺族の喪失感を 6年という時の流れは 薄めてくれたのでしょうか。
遺族の心の空白は、亡くなった人しか埋めることのできないものなのですから、これからも
満たされない心の隙間を抱え込んでいくことになるのでしょうか。

テレビで、未だに遺骨も遺品も見つかっていない行方不明者を探し、大切に慕い続ける遺族
を紹介する番組がありました。

行方不明の妻を探すために、潜水夫の資格をとり 毎週末に 海に潜り続ける夫。
高齢でありながらも、妻の遺骨を収集できる日が来ることを夢に見、潜り続けています。
たとえ その日に見つからなくても、次の潜水では 見つかるかもしれない、その期待と
願いが、今を生きる支えとなっているように感じました。 

一人娘と生後6カ月の孫を失った母。
一年生に入学する孫を想い、小さなランドセルを祭壇に供えていました。
6年前の孫の姿や表情は覚えていてもその後の6年間は会っていないので、成長した姿が
想像できないと語る言葉に、悲しみの深さを痛感しました。

戻ってこない一人娘が、おなかをすかせているのではないかと気遣い、未だに毎週弁当を
つくり 海に流し続けている母親の姿が 印象的でした。
いつまでたっても子を想い続ける母の愛を感じました。
同時に 消えることのない 親としての心の痛みも感じました。

そうやって待ち続け、慕い・想い続けることが、遺族として 生きる支えであってほしい
と心から願います。

故人との思い出や出来事が 共に生きたという何よりの証であり、確かな事実であることを
忘れないで、明日への一歩を踏み出していってほしい と心から願います。

失われた故郷は、二度ともどらない。
福島の人々の共通した思いかもしれません。
原発事故の教訓は生かされず、原発の再稼働が進められています。

失われたものが どんなに尊く かけがえのない 大切なものであったのか、
3.11だからこそ 改めて かみしめ 忘れてはいけないもののあることを 感じています。