いっとき、共通の絆で深く結ばれた学生時代からの友人たちの間でこんなメールが飛び交いました。きっかけは、天皇・皇后両陛下のペリリュー島ご訪問でした。
*天皇皇后両陛下が昨日ペリリュー島をご訪問されましたが、繰返し放映されるニュース映像を見て45年前を思い出し、感慨に耽っていました。あの時ぼく達はパラオの中心地コロール島からモーターボートをチャーターしてペリリューに向いました。途中エンジントラブルで一時ボートが漂流しはらはらしましたが、無事紺碧の海を渡り島に着きました。後で知りましたが、この海上ルートは米軍上陸後にパラオ本島から増援部隊(高崎15連隊)が夜間逆上陸のため辿ったルートです。現在は慰霊施設が多数整備されているようですが、当時は戦後25年を経たとはいえ、終戦直後から殆ど時間が止まったような状況でした。
*私たちもグアムのジャングルで道に迷って抜け出せなくなり、からだ中がブチブチになるほど蚊に刺されながら延々と泥沼の中をさまよいました。どこかから横井さんが見ていたのではと思います(笑)。私たちがピーピーべそをかくタイプでなくて本当によかったですね。
*タラフォフォの滝で泳いでいたらFさんの姿が忽然と消えて、不安を感じ始めた頃にようやく浮かんで来て、なんでも滝壺のなかに潜ったら滝の力で上に上がってこれなくなった、なんて言ってヘラヘラ笑っているのです。あの頃はみんな死とは全く無縁に生きていたのですね。
*遭難もどきの話が出てきたので、もうひとつ記憶にある話を。みんなで天元台にスキーに行った時、MさんとNさんが夜になっても宿に帰ってこなくて大騒ぎしたことがありました。みんなで山の方に捜索を開始したところ、暗闇の林間道をスキーを両手に抱えて雪道をずっぽずっぽと足をとられながら懸命に下山している二人を見つけて、その根性に感動したことがありました。確かみんなで山上のゲレンデのリフトに乗って山頂に至り、男性陣はそこからスキーで麓の民宿まで下りてきて、女性陣は下りのリフトに乗って帰ろうと思っていたら、帰りのリフトが営業を終えてしまって、歩いて帰るしかなくなったということだったように記憶しています。二人を見つけた途端、それまでの心配が、わははと全て溶けてしまいました。本当に青春時代は楽天的で思慮浅く、何でも何とかなると思っていましたよね。
たしかにあの頃は、みんな何が起ころうととも「死とは無縁に生きていて」、「楽天的で思慮浅く」、「何でもなんとかなると思っていた」と思います。それが若いということ、若さの特権でした。
そんな私たちも今では「分別」や「知恵」や「経験」を幾重にも身にまとい、「あの頃はねえ」だとか「若かった時はねえ」などと言っては、まるで遠い将来を見るかのような目で、遠い過去を思い出すようになりました。 そしてこんなことを言い出しました。
「70越えたら誰かしらが欠けていって、こんなに全員で集まれるなんてこともなくなるんだろうから、もう少し頻繁に集まろう!」
そして、いい年をした11人の元青年たちが、遠い過去を振り返りながらも、今でも一緒に将来に向かって歩いています。メイおばさんの宝物です。
ところでこれは昨夜9時半の窓の向こうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/51/7529ee5821cae3566923a896a79e64c1.jpg)
そしてこちらは今朝6時のプールです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ee/18aa950ad287b577817fc9ac972a7f1f.jpg)
お日様が寝不足にならないかと心配です(笑)。
読んでくださってありがとうございます。
どうぞ今日も良い日でありますように。
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*天皇皇后両陛下が昨日ペリリュー島をご訪問されましたが、繰返し放映されるニュース映像を見て45年前を思い出し、感慨に耽っていました。あの時ぼく達はパラオの中心地コロール島からモーターボートをチャーターしてペリリューに向いました。途中エンジントラブルで一時ボートが漂流しはらはらしましたが、無事紺碧の海を渡り島に着きました。後で知りましたが、この海上ルートは米軍上陸後にパラオ本島から増援部隊(高崎15連隊)が夜間逆上陸のため辿ったルートです。現在は慰霊施設が多数整備されているようですが、当時は戦後25年を経たとはいえ、終戦直後から殆ど時間が止まったような状況でした。
*私たちもグアムのジャングルで道に迷って抜け出せなくなり、からだ中がブチブチになるほど蚊に刺されながら延々と泥沼の中をさまよいました。どこかから横井さんが見ていたのではと思います(笑)。私たちがピーピーべそをかくタイプでなくて本当によかったですね。
*タラフォフォの滝で泳いでいたらFさんの姿が忽然と消えて、不安を感じ始めた頃にようやく浮かんで来て、なんでも滝壺のなかに潜ったら滝の力で上に上がってこれなくなった、なんて言ってヘラヘラ笑っているのです。あの頃はみんな死とは全く無縁に生きていたのですね。
*遭難もどきの話が出てきたので、もうひとつ記憶にある話を。みんなで天元台にスキーに行った時、MさんとNさんが夜になっても宿に帰ってこなくて大騒ぎしたことがありました。みんなで山の方に捜索を開始したところ、暗闇の林間道をスキーを両手に抱えて雪道をずっぽずっぽと足をとられながら懸命に下山している二人を見つけて、その根性に感動したことがありました。確かみんなで山上のゲレンデのリフトに乗って山頂に至り、男性陣はそこからスキーで麓の民宿まで下りてきて、女性陣は下りのリフトに乗って帰ろうと思っていたら、帰りのリフトが営業を終えてしまって、歩いて帰るしかなくなったということだったように記憶しています。二人を見つけた途端、それまでの心配が、わははと全て溶けてしまいました。本当に青春時代は楽天的で思慮浅く、何でも何とかなると思っていましたよね。
たしかにあの頃は、みんな何が起ころうととも「死とは無縁に生きていて」、「楽天的で思慮浅く」、「何でもなんとかなると思っていた」と思います。それが若いということ、若さの特権でした。
そんな私たちも今では「分別」や「知恵」や「経験」を幾重にも身にまとい、「あの頃はねえ」だとか「若かった時はねえ」などと言っては、まるで遠い将来を見るかのような目で、遠い過去を思い出すようになりました。 そしてこんなことを言い出しました。
「70越えたら誰かしらが欠けていって、こんなに全員で集まれるなんてこともなくなるんだろうから、もう少し頻繁に集まろう!」
そして、いい年をした11人の元青年たちが、遠い過去を振り返りながらも、今でも一緒に将来に向かって歩いています。メイおばさんの宝物です。
ところでこれは昨夜9時半の窓の向こうです。
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お日様が寝不足にならないかと心配です(笑)。
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