アンカラを拠点にヒッタイト文明の遺跡を辿るのは、実はなかなか簡単なことではありません。なぜならば、ハットゥシャシュ、ヤズルカヤ、アラジャホユック、チョルムなどの点在する遺跡をつなぐ交通機関がないのです。アンカラからバスを乗り継いで遺跡群の最初の入り口とも言えるボアズカレ村に辿り着いたところで、結局はタクシーをチャーターしなければどこにも行けません。それがタイミングよく捕まえられるとも限りません。しかも、アンカラからボアズカレまでだけだって、バスで4時間もかかるのです。観光用のツアーバスなどもありません。
もし、ヒッタイト文明に興味がおありになるならば、一番のお勧めはアンカラでガイド付きの車をまる一日チャーターしてしまうことです。と言うと何やら贅沢に聞こえますが、ものは考えようです。時は金なり、効率よく移動ができて、目的地で十分に時間を取れること、そして自分たちの興味に合わせて動けることこそが、「旅」という限られた時間の中では一番だいじなことではないでしょうか。
ホテルのフロントに、朝早くから夜遅くまで、いつどんなことを聞いても一生懸命答えようとする青年がいました。それが2年前にアンカラの大学の観光学科を卒業したというアラファでした。
私たちが夕食の後でヒッタイトの旅についての相談をすると、「ちょっと考えさせてください。明朝にはお返事を致します。」という答えが返ってきました。
その返事と言うのがこんなものだったのです。
まるで期待もしていないことでした。
「もしよろしければ僕がハシムと一緒にご案内をさせていただきます。僕の非番の明後日はいかがでしょうか。ホテルからの許可も取りました。」
かくして約束の朝、私たちが朝食を済ませて階下へ下りて行くと、ポロシャツにジーンズという私服のアラファと、きちんとスーツを着てネクタイを締めて緊張した面持のハシムが並んで立っていました。ハシムというのが、あの、いつもニコニコと笑顔で迎えてくれる無口なドアボーイであることに気づいたのもその時でした。
8時30分、私たち4人はミニバンでアンカラの高台にあるホテルを出発し、高速道路を東へ東へと時速120キロで走り始めました。
これがどんなに素晴らしい一日となり、二人の青年たちがどんなに有能にして善良なガイドであり、運転手であり、ボディーガードであり、助っ人であったかについては、いつかぜひともお話ししておかねばなりません。
今日はまず、第一弾として最初の休憩場所、チリッカレまでの車窓の景色についてです。
車に揺られながらなぐり書きで書いた手帳の文字が、自分でもよく判読できないのですが、よほど感激したのでしょう、かろうじてこんな言葉が読み取れます。
黄色い帯は菜の花でしょうか。
紫の帯はヒヤシンスでしょうか。
それなら赤い帯はポピーにちがいありません。
近づけばきっと風に揺れているはずなのに
高速で走る車の窓からは
まるでじーっとそこにいるように見えます。
私たちのヒッタイトの旅が始まりました。
ご訪問をありがとうございました。
どちらでも一つ押してくださるととても嬉しいです。
どうぞ良い一日でありますように!
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