カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

福寿草の赤ちゃん&西吉野町津越

2012年02月29日 | ☆季節
「天空の郷・津越」と途中の説明板に書かれている。
そんな雰囲気の山々の見える場所に立ってみた。
こういう所だからこそ、清らかに咲く花が、毎年花の咲くのを待つ人に愛され、「今年も出会えた」と、ほっとした安らぎを感じることができるのだ。





   

「天空の郷」に咲いている福寿草を見つけては、カメラに収めて一周し、再び同じコースを歩いた。
今度は、次にここに訪れる人と、きっと出会えるであろう赤ちゃんの福寿草・蕾を枯れ草の中に探しながら写した。
   



今朝2月29日の朝、起きてすぐ西吉野町方面の山を見たら、昨日行った辺りはすっかり雪に覆われていた。
しかもまだ雪が降っているようである。
あの、福寿草の赤ちゃんには、厳しい冬の戻りだろうが、自然の摂理に従って、地上の星のような花を咲かせてくれることを願っている。
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福寿草・津越の早春 2012

2012年02月28日 | ☆季節

厳しい冷え込みの朝、床を離れるのが辛いなぁと、ぐずぐずしていたら、東の窓に差す朝日がオレンジ色に障子に光の帯を走らせた。
カーテンの隙間から入った太陽に「今日は晴だ。今日行かなければ・・・」津越の山の中で春を告げるあなたに出会える日に違いないと・・・



福寿草自生地の南限の地である、ここ津越で「春を告げる花」が咲くのをはじめて見たとき、「地上の星」と言う感想を持ったものだ。

     

毎年のように蝋梅のいい香が山に向かって歩き出した私の頭の上に降りてくる。
今年は花の数がやや少ないような気がする。
お寺の下から福寿草の自生地に散策道ができている。
そのお寺の下の家の庭の土手に、先ず小さい数輪の開花した花を見つけた。
朝日の良く当たる斜面だから、一番良い条件で、開花した花に「おはよう」と声をかけたくなる。



昨日までとは打って変わった快晴の空だ。
昨日までの冬戻りの時は、我が家から、この方面の山は、雪雲が時々かかっていた。
そんな冬の幕をさぁ~と引き払った高く澄んだ空である。








福寿草のご機嫌な時は、先ずお日さまニコニコのときだ。
このように開花した花は、みんな太陽の良く当たる斜面で見ることができた。
固い蕾が固まっている所には、今朝の冷え込みの霜が、白く凍ったままで蕾を包んでいた。

これから気温が上がるにつれて、今蕾の赤ちゃんが、どんどん育ってくるだろう。
曇った日には花をすぼめたままなので、晴れた時の機会を逃さないことが、今年の福寿草に出会えること間違いなしだと思う。




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一歩踏み出す人たち

2012年02月27日 | ★ 日々の呟き

毎月最終の月曜日は、ひまわり会(退職者の会女性部)の支部活動「楽しく歌いましょう会」の開催日だ。
会場に、希望者が集まって楽しい時間を過ごす。
最初は、今までに歌ってきた歌の復習をし、次に新しい歌を譜面とカラオケで何回も練習する。
大体歌えるようになったところで、個人個人のリクエストを書いて、好きな歌を歌うのがこの集まりの流れである。
気楽に大きな声をお腹から出してすっきりした気分でその日が終わる。
今画面に出ているのは「谷瀬の吊橋」で以前に覚えた歌の復習の歌だ。
十津川村の吊橋をテーマにした歌で長保有紀が歌っている。





歌の途中でいい香とともに、調理室で活動していた人が、バスケットに入れたミニ食パンを持ってきてくれた。



そこで休憩に入り、食パンを頂くことにした。
コーヒーの変わりに、お茶タイムである。



おやつにしたら少しボリュームが多いかと思ったが、美味しいので、一つ頂いた。
人数分をちゃんと持ってきてくれていたのだ。
これは、お試しのミニ食パンで、アンケートが添えてあった。
この集会場でのいろんな会の人たちに試食してもらって、販売するための一歩が今ここから始まったのである。



空になったバスケットと、アンケートを世話係の人が、調理場へ返しに行ってくれた。

この人たちの活動がうまく販売に繋がって収益を得る日の1日も早いことを願いながら、アンケートの感想欄に、ご馳走様と書き添えた。
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幻の五新鉄道・ジオラマ 五條市文化博物館

2012年02月26日 | ☆ ふるさと・大和

昨年新聞で「五條市文化博物館再開」の記事を読んだ後、ジオラマに惹かれていってからかなり月日が過ぎた。
その時はジオラマ製作の初期であったから、製作に取り組んでいる人といろいろ話をして、完成したらまた見せてもらいに来ますと言いながら、今回の写真展の機会までお預けになっていた。



生まれ、育ち、学び、働き、歳を重ねてきたこの町には、ジオラマの中に見る場所のいくつかが、子供の頃の遊び場だったり、訪れることの多かった場所だったり、とにかく懐かしい思い出に繋がって、テーマの「幻の五新鉄道」よりも、昔のこの町への郷愁の方が先に立って、眺めている。
赤い屋根のドームのようなのは、西吉野町にある「柿博物館」その辺りの山が西吉野町で、幻の五新鉄道(五條~新宮まで)は吉野川を渡り西吉野のトンネルへと走る。
現在も鉄道は未完のままになってしまったけれど、西吉野の山間に入ると、いくつかのトンネルがあり、JRのバス路線として使われている。



中央にある瓦屋根の家並みが見える。これは古い町並みで、主に通称「新町通(しんまちどおり)」と呼ばれる旧紀州街道。昭和50年(1975)の調査では、江戸時代の建物が77棟、明治時代の建物が19棟確認されているそうだ。
この新町通りを跨ぐように「幻の五新鉄道」の高架アーチが残っている。
R24にも国道を跨ぐように残っていたが、今歩道工事のためアーチがなくなっている。
残しておいて欲しいこの町の風景の一こまだけど・・・
一番手前の鉄道線路は、吉野地方の木材産業が盛んだった頃、木材の集積貯木場のあった、川端駅までの、引込み線で貨物専用の鉄道だった。



上の写真と同じような画面だが、撮りたかったのは、山の上のほうから斜面を、鉄のロープで繋いで、荷物や鉱石などを運び降ろす、索道と私たちが呼んでいたものがここに造られているので、今では山道の自動車道がいたるところまでついているのが、その頃では考えることもできない便利さだろう。




実際の場所とは違っているが、この町の建物として欠かすことできない、藤岡家住宅の白壁に囲まれた漆喰塀と、300年余りの命を繋いできた長寿梅の紅が、目に付く。
俳人文人のサロンのようだった藤岡玉骨氏を屋敷は、金剛山の麓で、現在公開されている。
また中央のサーカスのテント小屋は、吉野川原の河川敷に、定期的に開催され、娯楽に乏しい小さな町の子供たちの楽しみだった。
このサーカスのライオンを主人公にした、「サーカスのライオン」はこの町の児童文学者川村たかし氏の名作で、小学校の国語の教科書の物語を読む教材として学習している。




JR二見駅から川端駅までの引込み線で、運ばれてきた吉野、奥吉野の木材が、ここでは競にかけられて、目的地へ運ばれるまでこのように貯木してあった光景、目に浮かんできて懐かしい。



会場の隅のほうに、ひっそりと置かれているのは、北宇智駅で、これは未完成だそうだ。
スイッチバックだったこの駅のその場面を取り払う以前の形で、再現したいので、只今考慮中だと、係りの方が話された。

こうして思い出に浸りながら長い時間をかけてジオラマを楽しんでいる間も、いくつもの列車が、ジオラマの町を走り続けていた。
さらにもっと沢山の建物などが造られていたが、この度は、私の子供の頃に見たこの町への思いを、見つけながら昔辿りをした。

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五條市立文化博物館 写真展「大塔・西吉野、大地の祈り」

2012年02月25日 | ☆ ふるさと・大和

市立文化博物館で、冬季特別企画の写真展が、開催されていることを聞いたので出かけた。




台風12号災害復興応援を目的として、「大塔・西吉野、大地の祈り」をテーマに、御所市の 写真家 梅本 隆 氏の四季折々の素晴らしい作品を鑑賞した。


三階特別展示室の写真展会場
期間 平成24年1月17日(火)~3月20日(火・祝)


作品の中から10点ほどポストカードとして販売されていた。
一枚100円でその半額は、台風12号災害復興支援に当てられるとのことが書かれていた。
ポストカードになっている写真を、受付で購入してきた。
その1枚目は、最後の教え子で今もバースデーのメッセージを、送ってくれる子の誕生日のお祝いの言葉を書いて
関東で頑張っている彼に送った。

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