カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

ご朱印 その2

2004年08月31日 | ▼ 思い出綴り
入院中の夫を 勤めの帰りに病院に訪ねるのが、毎日の慣わしだった。
病院の早い夕食が済んで、夫は大抵、ベットの上の机に向かっていた。般若心経と不動明王の真言の写経をしていた。それは、筆を持つ気力がなくなるまで続いた。

近畿三十六不動への納経を思い立って、遺品となった写経を、お参りした三十六のお寺に納めると共に、ご朱印を頂いてきた。
こんな形で供養するのが、残された者の役目だと思う傍ら、空虚な時間が満たされる行脚でもあった。

一人車で訪れたこともあったが、大抵娘夫婦が同行してくれたのはあり難かった。

満願までに三年ほどかかったが、これを機会に、夫が私に与えてくれたこれからの時間を、自分のために使おうという一つの区切りになった。

それ以降、夫からプレゼントされた日々を私自身が幸せと思う生き方をしている。


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ご朱印 その1

2004年08月30日 | ▼ 思い出綴り
お寺にお参りすると必ずご朱印を頂く。
これまで頂いたご朱印帳は、10冊を越えている。
お仏壇の下の戸袋に仕舞っているが、私が亡くなった時、お棺に入れてくれるように娘に伝えている。

初めて朱印を頂いたのは、西国三十三観音にお参りした時で、30歳になったばかりの頃であった。
夫の発案で、休日は、ドライブ気分で出かけた。それでも、ただ朱印を頂くのでなく丁寧に般若心経を唱えた。2年くらいかけた観音参りだった。

次に、秩父三十四観音をと 夏休みを利用して、夫の運転で秩父まで行き、向こうでは、地理不案内と休日に限りがあるので、タクシーで3日間で満願と言う強行軍のお参りだった。

西国と秩父の掛け軸が見事に出来上がったら、坂東三十三観音様にもお参りすれば、百観音満願になると夫と長期の計画を立てていたが、その願いを果たすことなく夫は、彼岸へと旅立ってしまった。
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さなぶり餅

2004年08月29日 | ☆ ふるさと・大和
おふさ観音の門前に、一つの 幟旗を目にした。
『さなぶり餅』と書かれた旗が、ハタハタと風を受けている。

心を惹かれたのは、「餅」ではなく、「さなぶり」という言葉だ。私を思い出の世界へ導く、キーワードのようないくつかの言葉の一つであることに、この時気づいた。

小さな町から、山奥のお寺に嫁いだ。境内から北を望むと、遥か彼方に、生まれた町を見下ろせる位置にあることが嬉しかった。
桜にはまだ早い季節に嫁いだ。その年の6月の中頃、
「今日は、さなぶりやさい(から)、さなぶり餅 作ったんや、本堂さんに供えてから 食べてんか」
と、檀家さんの家から、重箱にずしりと重いお餅が届けられた。
町で育った私は、「さなぶり」の風習を知らなかったが、田植えが無事に終わった日、農作業を休んで、お餅を搗き、田の神様に供えるのだと、夫が話してくれた。

お餅は、小麦で作られ、さくっとした口の中の感覚が良く歯切れがいい。たっぷりと きな粉がまぶされて、本当に美味しかった。初めてのお餅だったので、今も味覚に記憶が残っている。

遠い日の思い出の甦ってくる言葉との出会い。観音様にお参りし、風鈴を楽しんだ後、門前の「さなぶりや」に立ち寄って、一折買って来た。

美味しい、実に美味しい!こむぎ餅も、きな粉も、その味といい口触りといい昔のままのものだった。これだけを、商いにしている店主の、拘りが、私の、若い頃の思い出を一層鮮やかなものにしてくれた。
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風鈴寺

2004年08月28日 | ☆ ふるさと・大和
山門を入ると、風鈴の奏でる音に包み込まれる。
本堂に通じる道に吊るされた風鈴は、折からの強い風が指揮者となって奏でる、譜面の無い音楽に訪れる人を惹きこんでいく。
道の左側の薔薇園に、色とりどりに咲く薔薇の香りがさらに、残暑を忘れさせてくれる。

8月もあとわずか、最後の夏に会っておくような気持ちで尋ねたお寺、大和十三仏霊場第八番札所
小房観音寺。
いつかテレビで、風鈴の寺として紹介されたのを思い出しての参詣だった。

風鈴祭りは7月1日から8月31日とのことで、もう訪れる人も少なく、風鈴の音に包まれながら、時間をかけてゆっくりと 境内の散策をすることが出来た。癒しの時間を与えられ、安らぎの時を過ごした。
千個以上の風鈴が境内にあると、記されている通り、思わぬところからの音色に、驚いたり、趣向の面白さに、感激したりした。

本堂前の天井に隙間無く吊るされた風鈴は、観音様にお参りする頭に音色の雨を浴びているようだった。           
                            
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夏の間に

2004年08月27日 | ★ 日々の呟き
新芽が、夏の間にどんどん伸びて、空に向かっている。
昨年の暮れに、剪定をして貰って、すっきりとした庭の木達だったのに、ひと夏を越すと、伸び放題で見苦しくなってしまった。

肥料もやっていないし、消毒もしていない。高温の続いた時期は、夕方の散水をするのが、世話と言えば、世話らしいことだった。引いた雑草や、落ち葉などを、土を掘って埋めたのが、こやしになっているのだろう。

ぼさぼさになった頭を見ながら、木の生命力を感じる。
今年も、年の暮れまで、この頭で、ガマンしてもらいましょう。
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