生きていれば、
幸せも感じられるし、
不幸も感じられる。
人間は、
幸せなほうばかり欲しがるけれど、
不幸を感じられるのも、結局は、
幸せなのだと思う。
(ロングテール)
毎日の終わりに、
最後に感じている気持ちを
中心にしてしまえば、
それが、その日一日を
決めてしまうようなことになる。
けれども、
一日をよくよく見てみれば、
うまくいったこともあれば、
そうでなかったことの両方があるはず。
生きていれば、
そのどちらもが
ずーっとある状態に、
変わりはない。
なんで、
こんなことがあるんだよ、
と思っていた瞬間に、
ラッキーなことが起こりうる。
だから、
そんなことを感じられている時間、
そういう人生があることそのものが、
きっと幸せなのだ。
人生がなければ、
そんなことも感じられない。
ちょっと先には、
何があるか、
何が起こるか、
分からない。
ずーっとがんばっていこうとか、
この調子で生きていこうとか、
力むことなく、
突然の壁が現れたときには、
まずは一歩進むことを目標に
がんばればいいのだ。
それができる幸せを
噛みしめればいいのだ。
『今日のいい言葉』 2010年08月21日(土)に配信されてきた、「今日のいい言葉」を今の自分へのエールにしたいと、突然12月10日に閉じたままにしていたブログに向かっている。
彼岸へと旅立った彼女の存在感の大きさを、残されたものは、ことあるごとに突き当たりつつ、力を合わせながら、日々悪戦苦闘。
感謝と、祈りの日が続いているが、そんな様子を大きな目をくりくりさせて、軽快な冗談を飛ばしながらどこかできっと眺めていることだろうと思う。
もう何年前だったか誰かに貰ってきて「これ、蜜柑やから抜かんといてよ。」そう言ってカーポートと塀との空き地に植えたのは、50cmくらいの苗木だった。
木の丈は毎年どんどん大きくなり、枝を張り、隣接の敷地の空間を占領していた。
それが今年初めて実をつけた。蜜柑でなく八朔で枝をしなわせて大きくなっていった。
緑色のころは気がつかなかったが、黄色く色づくにつれてどこからも目に付くようになった。
病院のベットで、たわわに実った八朔を写メールで見て、喜んでいたと聞いたが、それを口にすることなく、彼女はお浄土へと旅立ったのは、12月11日だった。
更新もせず、コメント欄も黙って閉じたままにしていましたが、その間もカフェテラスにアクセスしていただき、気に掛けていただきましたことに感謝しております。
空白の時間の流れの中の一こまを書かせていただきました。
そのうちブログに復帰いたしましたら、どうかよろしくお願いいたします。
拙いブログに目を通していただきましてありがとうございました。
もう暫くコメント欄は閉じさせていただきます。