斜面に這いつくばるようにして、長い間一つの花を見つめて接写をしている人と出会いました。
あんな風にして撮ることができたらいいなぁ、膝を悪くしている私は、立ったままの姿勢で、
花に近づくのでなく、花をレンズに呼び込むようにして、横柄に撮っているのが、悲しくて、恥ずかしくて
このような山の撮影は、もう今年でお終いになるかも・・・と思っています。
その人の撮影が終わったので、今思っていたことを話しました。
大体同じ年代の人でした。
「毎年、今年が最後と思って出かけてきているのですが、きっと来年も、今年が最後と思いながら、
ここに来ることになるでしょうね。
来年も、再来年も、きっと。」
その人との会話から、とても温かい気持ちになりました。
この花に魅せられて、撮影するというよりも、花との語らいをカメラに刻み込んでいるような
話ぶりでした。
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この日写したすべての福寿草を、アップしました。
技術的なものを抜きにして、素直に見た儘を、「最後かもしれない」という気持ちで
3日間に分けてのブログです。
そしていつも思うことは、津越の福寿草は、春を告げる地上の星のような存在だと・・・