カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

幻の五新鉄道・ジオラマ 五條市文化博物館

2012年02月26日 | ☆ ふるさと・大和

昨年新聞で「五條市文化博物館再開」の記事を読んだ後、ジオラマに惹かれていってからかなり月日が過ぎた。
その時はジオラマ製作の初期であったから、製作に取り組んでいる人といろいろ話をして、完成したらまた見せてもらいに来ますと言いながら、今回の写真展の機会までお預けになっていた。



生まれ、育ち、学び、働き、歳を重ねてきたこの町には、ジオラマの中に見る場所のいくつかが、子供の頃の遊び場だったり、訪れることの多かった場所だったり、とにかく懐かしい思い出に繋がって、テーマの「幻の五新鉄道」よりも、昔のこの町への郷愁の方が先に立って、眺めている。
赤い屋根のドームのようなのは、西吉野町にある「柿博物館」その辺りの山が西吉野町で、幻の五新鉄道(五條~新宮まで)は吉野川を渡り西吉野のトンネルへと走る。
現在も鉄道は未完のままになってしまったけれど、西吉野の山間に入ると、いくつかのトンネルがあり、JRのバス路線として使われている。



中央にある瓦屋根の家並みが見える。これは古い町並みで、主に通称「新町通(しんまちどおり)」と呼ばれる旧紀州街道。昭和50年(1975)の調査では、江戸時代の建物が77棟、明治時代の建物が19棟確認されているそうだ。
この新町通りを跨ぐように「幻の五新鉄道」の高架アーチが残っている。
R24にも国道を跨ぐように残っていたが、今歩道工事のためアーチがなくなっている。
残しておいて欲しいこの町の風景の一こまだけど・・・
一番手前の鉄道線路は、吉野地方の木材産業が盛んだった頃、木材の集積貯木場のあった、川端駅までの、引込み線で貨物専用の鉄道だった。



上の写真と同じような画面だが、撮りたかったのは、山の上のほうから斜面を、鉄のロープで繋いで、荷物や鉱石などを運び降ろす、索道と私たちが呼んでいたものがここに造られているので、今では山道の自動車道がいたるところまでついているのが、その頃では考えることもできない便利さだろう。




実際の場所とは違っているが、この町の建物として欠かすことできない、藤岡家住宅の白壁に囲まれた漆喰塀と、300年余りの命を繋いできた長寿梅の紅が、目に付く。
俳人文人のサロンのようだった藤岡玉骨氏を屋敷は、金剛山の麓で、現在公開されている。
また中央のサーカスのテント小屋は、吉野川原の河川敷に、定期的に開催され、娯楽に乏しい小さな町の子供たちの楽しみだった。
このサーカスのライオンを主人公にした、「サーカスのライオン」はこの町の児童文学者川村たかし氏の名作で、小学校の国語の教科書の物語を読む教材として学習している。




JR二見駅から川端駅までの引込み線で、運ばれてきた吉野、奥吉野の木材が、ここでは競にかけられて、目的地へ運ばれるまでこのように貯木してあった光景、目に浮かんできて懐かしい。



会場の隅のほうに、ひっそりと置かれているのは、北宇智駅で、これは未完成だそうだ。
スイッチバックだったこの駅のその場面を取り払う以前の形で、再現したいので、只今考慮中だと、係りの方が話された。

こうして思い出に浸りながら長い時間をかけてジオラマを楽しんでいる間も、いくつもの列車が、ジオラマの町を走り続けていた。
さらにもっと沢山の建物などが造られていたが、この度は、私の子供の頃に見たこの町への思いを、見つけながら昔辿りをした。

コメント (8)
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