野山や小鳥に鳴き声に、早い春の訪れを嬉しく感じていたのですが、
このところの、戻りの冬に、我が家から見える大峰山脈の冠雪が、
はっきり見えるようになりました。
この冠雪が見えなくなるまでは、私の住む町には、本当の春の
訪れがないものと、毎年思うのですが、今年もまた同じ思いで
冠雪の山を眺めています。
野山や小鳥に鳴き声に、早い春の訪れを嬉しく感じていたのですが、
このところの、戻りの冬に、我が家から見える大峰山脈の冠雪が、
はっきり見えるようになりました。
この冠雪が見えなくなるまでは、私の住む町には、本当の春の
訪れがないものと、毎年思うのですが、今年もまた同じ思いで
冠雪の山を眺めています。
今日のリハビリが、もう2月最後となりました。
日の立つのが早いと、つくづく思います。
8時50分にお迎えの車が来てくれます。
いつもと違ったことがありました。
ドライバーさんが、「体温を測って来ていますか?」との問いかけでした。
私は新型コロナのウイルス感染のニュースが、報道されたころから、日に4度検温して、
メモしていましたので、平熱であることと答えました。
次の人をお迎えした時には、検温していなかったので、車に乗る前に
ドライバーさんが体温計を出して、検温して異常がなかったので、出発
しました。
3月の前に、ショウウインドウの飾りが、お雛様に変わっていました。
何となく春めいて、楽しい雰囲気でした。
168号線を暫く走り、美味しい豆腐屋さんの看板を目当てに、丹生川を渡りました。
途中から右手を見ますと、はっきりと紅枝垂れ梅の木が、目に入りました。
休日の病院に駐車させてもらいました。
すぐ傍に綺麗に開花した枝垂れ梅が、待ってくれているようです。
舗装された1本の道が、五條から新宮まで繋がるはずだった、幻の五新鉄道の軌道跡です。
暫くは国鉄バスが通っていたので、今もこのようにきちんとした道路になっています。
春には、「幻の五新鉄道を歩く会」というイベントが企画されているようです。
何人かの人が、梅を見に来ているようです。
殆ど満開に近い花の下に立って、今年の花に出会えた喜びで、場所を変えていろんな角度から写しました。
ピンクの枝垂れ梅の木の横に白梅の枝垂れがあるのですが、これは開花が遅く、
来週ぐらいが見頃になるかもしれません。
ここで出会った人と話しながら写しました。
私と同じように、毎年来るのが楽しみだそうです。
孫夫婦もひ孫ちゃんも、こんなに綺麗に咲いている梅を楽しみながらゆっくりと眺めていました。
連れて来てもらえて本当に良かったです。
奈良県西吉野村の北部・和田の丹生川の清流に臨むようにひっそりとある賀名生の旧皇居「堀家住宅」。延元元年(1336年)の年の暮れ、足利尊氏によって京の都を追われた後醍醐天皇は、吉野へと向かう途中に郷土堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました。天皇を手厚くもてなした郷士「堀孫太郎信増」の邸宅はその後、後村上、長慶、後亀山天皇の皇居として南朝の歴史を刻んできました。
五條でランチより
長い間、常時かやぶき屋根の「皇居」という扁額の掛かった、門は閉まっていました。
見学のの申し込みをした人は中に入って、見学できたのだと聞いていました。
門に掛かる、古木の枝垂れ桜の咲くころには、そこの趣が好きでよく訪れていました。
今は、ランチができたり、宿泊もできるようになっているのを、広報で知り、
皇居として使われていた古民家が、里山の観光に門戸を開いたのを実際に知り、
多くの人たちが訪れてくれればいいなぁと思いました。
開かれた堀家住宅。
枝垂桜の古木の咲くのが待たれます。
花簪のようです。
裏の道を駐車場に戻りました。
丹生川のそばに咲く梅は、8分咲きくらいでした。
その上に幻の五新鉄道の名残があります。
明日は、もう少し南にある、屋那瀬の枝垂桜を掲載します。
こんな可愛いチョコのプレゼントを持って、孫夫婦とひ孫ちゃんが
来てくれました。
先日から約束していたレストランで昼食をしてから、いいお天気に誘われて
西吉野町の、賀名生の里へのドライブに、連れて行ってもらいました。
梅林はまだ開花していなかったのですが、目当ては歴史民俗資料館の
雛飾りを見に行くことと、屋那瀬の枝垂れ梅を見に行くことでした。
雛飾りは、この資料館と向かい側の和室の廊下に展示してありました。
廊下の方のお雛様は、ガラス戸越しだったので、光の加減で、うまくカメラに入れることができません。
それでもお道具類も立派な、丁寧に保存されていたことのよく分かる
いいお雛様でした。
ひ孫は、お雛様よりも、外に展示されている、昔の農機具に興味を持って、
ぐるぐる回したり、中を覗きこんだりしていました。
資料館ではお雛様を観るだけでは、入場が無料でした。
どのお雛様も、立派な段飾りで、お道具類や小物まで、よくもこんなに
綺麗に保存されていたものかと、感心しました。
自分の幼い頃に飾ってもらった御殿飾りが二揃いあったのですが、
飾ってくれている1か月の間に、兄弟で触って遊んだりしたのか
いつの間にか、御殿と内裏様だけはちゃんと形が整っていたものの、
お道具類は玩具にしてしまったような記憶があります。
それでもこのように立派な雛飾りを見つめていますと、
幼い頃の日々が甦って、亡き両親のことが深く偲ばれます。
歳のせいでしょうね。