「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

人の「手」について考える2 際だつ感覚

2006年05月24日 22時34分40秒 | 文化論
 指先だけでなく、「手」そのものの感覚って非常に繊細なものではないかと考えています。

 焼津には世界に誇ることの出来る職人さんが嘗ていました。名前を法月惣次郎さんといいました。

 町の鉄工所の人なのに世界の名だたる天文台の望遠鏡や、パラボナアンテナを制作した人なんですね。

 法月惣次郎

 平成7年になくなってしまったんですけど、僕はその最晩年のドキュメント見た覚えがあります。レンズを磨く話で少しでも歪むとレンズが大きい分だけ画像がぶれるんだそうです。そのブレをコンピューターで制御して研磨しても限界があるそうで、最後はやっぱり職人さんの手の感覚なのだそうです。

 ナノ単位のブレを触って感じるのだそうで、鍛冶屋さんで丁稚奉公したときに刃物をうつ感覚と通じるものを手に入れたんでしょうか。

 これも他のテレビで見たんですが、新型新幹線の先頭車両の突き出た鼻の部分を作るのも職人さんだそうで、手仕事で実に滑らかな曲線を作り出していますね。

 人間にとって「手」ってすごいなあと思うわけですけど、意外に重さの目盛りは大雑把に刻んであるようで、例えば僕らが10キロの荷物を両手で持っていて、その上に1キロの荷物を上乗せしても人間はその重さが加わったことを感知しないのだそうです。
 つまり自分の持っている重量の十分の一の重さは関係ないように感じているわけですね。

 お寿司屋さんはシャリを握ってお寿司を作りますけど、いちいち計っちゃいませんよね。

 あれは重さでシャリの量を把握してるのかというと、そうではないような気がします。
 握ったときの感覚じゃないでしょうか。
 このブログを読んでいる方でお寿司屋さんがいらっしゃったら教えて頂きたいです。
 
 計ると言えば、お肉屋さんも昔は量り売りでしたね。

 お肉屋さんの重さの感覚も触感に近いものがあるのではないでしょうか。

 はかりに載せてくれますが、今も昔もどちらかというとお客さんにちゃんとありますよ~、ずるしてないですよ~とアピールしているようなものでしょ。

 だってベテランの人はほとんど一発で決めてくることが多かったような気がしてるんですが、それは思いでを美化しすぎているのでしょうか。

 今では計って売ってくれるお肉屋さんも見かけなくなりましたねえ。

 デパートの地下の食品売り場で言うと、潰れてしまった西武にあったのは覚えているのですが、松坂屋や伊勢丹にもあったかなあ。

 本格的なのは駒形通に一軒見かけましたが、なんというお店か分かりません。

 SBSの近くに住んでいたときは、花城さんというお店がありましたが今はどうなったか分かりません。

 じゃあ次はどうして手の感覚がそこまで優れてしまったのか想像してみます。