「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

麻機街道

2016年08月26日 22時08分24秒 | 妄想
静岡の麻機街道をバスで往復した。先輩のお宅が麻機が丘にある。
静岡駅前から静鉄ジャストラインで30分。
大浜麻機線は浜の大浜プールと麻機北をつないで、ほぼ静岡市街を縦に貫く。

静岡駅から県庁前を通り、駿府城のお堀端を通り、安東の複雑で狭い街区を抜けて、麻機街道に入る。

この辺りは全くと言っていいほど、再開発がされておらず、狭い道が終点まで続く。

南アルプスの南端にいちする賎機山の裾に張り付くように続く麻機街道は両脇に間口の狭い家々を並べてここが県庁所在地であることを忘れさせる。
街道の東側には麻機遊水地が広がっている。

今でこそ、バイパスや第2東名が走っていて特会的な風景もあるが、それまではかなり昔から変わらない風景がそこにある。

賎機山山塊と竜頭山に挟まれたこの界隈は、水田としても畑作地としてもまた、宅地としてもなかなかに難儀な土地のようで、静岡市の拡大を阻んでいる。

水の逃げ場がない。


畑作であれば高燥であればよく。

水田であれば、水の入れ替えが必要である。

宅地としても同様である。

しかし静岡の北部はそのどれにも適さない。

バスの車窓からそういう風景を見ながら取り留めのないことを考えてみた。































レ・ミゼラブルが町の文化度の指標になるかについて考える。

2013年08月28日 22時01分17秒 | 妄想
 レ・ミゼラブルがDVDになって、町のレンタルショップに置いていありますね。僕は起き始めてからどのくらい経ってから行ったのだろう、ちょっと分かりませんが、ウチの娘さんなどがですね。それなりに感激して、ユーチューブなんぞで、曲を再生しまくって「いいねえ~」とか親父みたいなうなり声を上げてるものですから、親父としてもここは一つ世界の名作だし、知らないじゃ済まされないだろうと言うことで、近所のビデオセラーに行ったんです。すると入り口正面には大抵の場合、最新作で人気が高いいわゆる借りスジの洋画か邦画がドカーンとおいてあるんですが、今回の場合は「テッド」でした。アメリカでしか作ることのできない、R15指定の非常に下品な作品でしたね。おもしろいけど、日本人にはやり過ぎの館が強いんじゃないでしょうか。
 なんで、知ってるの?ってききますか?それは僕もそれを見たからですよ。なんで借りたのか?っていうんですか?それは目的の「レ・ミゼラブル」が無かったからですよ。まあ正確には見つけられなかったんですね。
 で、次の機会に返しに行ったらちゃんとありました。新作のコーナーの一番隅の最上段に7巻ほどありました。しかも誰も借りてないんですよ。世界的な名作ですよ。覚悟して見れば絶対感動が約束されている作品ですよ。ブロードウエイで、ロングラン公演されているミュージカルの映画化ですよ。誰も借りてないんです。新作で3泊4日のレンタルなのにね。置いてある位置といい、借りられ具合といい、この町にそういう需要はないんだなあと実感しました。この町にレ・ミゼラブルは似合わない。そういうことですね。城下町の掛川や、商業都市島田のTUTAYAでの借りられ具合はもう少し良いに違いない。ちなみに袋井のトーホーシネマズではもう「風立ちぬ」は劇場でスカスカになっていました。いい映画なのにナぁ。メルヘンじゃないけどね。
 全国学力試験の県別成績では小学校6年生の国語が全国最下位でした。分かるなあ、あんまりコミュニケーション得意な県民性じゃないものなあ。アーチストにとってこの県で舞台田のライブだのやると最も盛り上がらない県として蛇蝎のごとく嫌われているという噂もありますがどうも納得のいってしまう出来事でした。

海野光弘さんは富士山を描かなかったについて考える。

2013年08月26日 23時38分17秒 | 妄想
 富士山が世界遺産登録されましたね。僕は相変わらず、年々衰えきますね。まあ。富士山もだんだん、変形していってるようですがね。この間このブログで「徳願寺山と富士山」の記事で、海野さんは富士山を一枚も描いてない。って書きましたけど、正確じゃなかったですね。海野さんは富士山描いてます。これも記事の中にある「海野光弘が愛した静岡35景」という雑誌に入ってます。この雑誌は僕は今とても欲しい雑誌で、2004年に出たものなんですけど、どこにもないのです。ついでに島田の海野さんの版画が展示してある場所には一冊あったはずなんですが、この間行ったらなくなってました。どうしたのかな?と思って館員の人に聞いてみたら、気づいてないようでした。盗難じゃなければいいのにと思ってます。

 じゃあ、君はどこで見たんだという話になるんですが、グーグルで検索すると、国立国会図書館に1冊、静岡県立大学の図書館に1冊あるんです。で、僕はそんなところにいける暇も金も、権利もないものですから、当然そこじゃありません、そうすると後は静岡の海野さんのお宅しかないんですね。で、そこは「紅工房」という場所になるんです。
 というわけで、今回のお話は、海野さん奥さんである、海野花告枝(かつえ)さんから聞いた話です。

 海野さんが描いた富士山は2枚あります。どちらも伊勢丹の依頼で作ったものです。ひとつは三保の松原の海岸風景でもう一つは安倍川の河原からの視点です。でもどちらも富士山はメインでなく、あくまで遠景の一つなんです。
 なぜメインに据えなかったのか?富士山は人気のある画題です。つまり売れ筋なんです。だから富士山を扱う作家さんは沢山居ます。でも海野さんは静岡に住みながら、富士山に背を向けました。忍野八海にいっても背をむけて、民家を書いてるんだから、意識しているに決まってます。


何かをテーマにして人生を送っている人にとって富士山というのは、別枠になってしまうような気がしますね。

まあ興味のない人にはまったく面白くないお話でした。


日本橋のアンテナショップについて考える。

2013年08月03日 21時55分58秒 | 妄想
 東京に研修に行ってきました。ホントは2日だけが研修で、自費で5,000円払って、ビジネスホテルに泊まって来ましたのさ。で、2日の夜は、銀座に出て、自分へのご褒美企画で、銀座ライオン七丁目店にいってきました。銀座ライオンなんぞ、何処にでもあるじゃないか、という方もいらっしゃるかと思いますが、





僕はここで飲むのが大好きで、もう30年近く前に一回連れて行ってもらって、それ以来のファンなのです。


とにかく、この空間にいるのが好きでたまらなくて、お店は300人ぐらいの人がワイワイガヤガヤやってるんですけど、全然うるさい感じがしないんですね。全部たかーい天井に吸い取られてしまうようで、全く気にならない。お客さんの層も良くて、無茶飲みして、はめ外して大声でわめき散らす人も居ないんですね。

喫煙席もちゃんとあって、仕切りなんて無くて。通路で隔てられているだけなんですけど、煙が高い天井にのぼっていってしまうので、近くでも全く苦痛じゃないんですね。



少々高いけど、それはご褒美だし、ほとんどの人はビールを飲んで、一品か二品頼むくらいが乙な所だと思うのです。

なんかね、歴史遺産の中で、飲んでる感じなのですね。



まあ、それはさておき、


今日は今朝から、日本橋に出まして、かつお節のにんべんにいってまいりました。そこで、予定のかつお節削りと、出汁つゆを購入して、千疋屋を冷やかしてきたんですが、その通り沿いって、色々な県のアンテナショップがあるんですね、今日は島根の日本橋島根館に寄ってきました。この間は奈良まほろば館だったかな?






ここも奈良も、それから、金沢の金箔ショップも、静岡の僕が言うのも何だけど、何だか垢抜けて無くて、良いんですよ。だから東京の人と言うよりも、東京観光に来ている人の方が多く感じましたが、それも土曜日のせいだと言えばそうかも知れません。

 東京駅周辺には後4つくらいありそうなので、そう言うところを散歩するのも面白いかも知れません。

藤城清治さんについて考える

2013年07月30日 12時14分50秒 | 妄想


静岡伊勢丹で藤城清治さんの展覧会に行ってきました。
藤城さんというと、影絵の第1人者で、僕らなんかで言うと、NHKの「みんなのうた」の背景でおなじみなんですが、幼少期の記憶をたどると、小心者のぼくは黒基調の絵がなんだか怖くて、あんまり好きじゃないんですけど、今回、実物が見られるということで、見に来ました。実際は影絵ではなくて、印刷したものなんですが、迫力とかかわいらしさとか、色々感じられました。
 で、藤城さんは、80歳過ぎなんですが、精力的な活動をされていて、驚いたのは震災直後の被災地に乗り込んで、被災地の復興を絵にされているんですね。すごいなあと思いました。

宝台院 陸橋について考える

2013年07月25日 10時18分51秒 | 妄想
宝台院出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内、 検索 宝台院(ほうだいいん)は、静岡市葵区常磐町二丁目にある浄土宗の寺院。山号は金米山。寺号は龍泉寺。本尊は阿弥陀如来。

歴史[編集]1509年(永正6年)祐崇によって開かれた寺で、1589年(天正17年)徳川家康の側室で2代将軍となった徳川秀忠の生母西郷局がこの寺に葬られて当初の法号から龍泉寺と号した。1628年(寛永5年)西郷局に宝台院殿の法号が与えられ寺号も宝台院と改められた。江戸時代には江戸幕府から朱印状も与えられていた。 本堂は旧国宝であったが、1940年(昭和15年)1月15日の静岡大火で焼失。
 

という寺院があるんです。とっても大きい寺院で、コンクリートなんですが、出てくるお坊さんの姿とか見ていると、格式が高そうなんですね。

よほど由緒のあるものだと思ってちょっと調べると、もともとは寺域からして広大で、国宝も所蔵していた寺院なんだそうです。
惜しいことに昭和15年の火事で焼けてしまったそうで、それから今の様子になったのだと思うのですが、今回この寺院が気になったのは、僕の幼少時の記憶にある。ある映像が関連していたことが分かって、思い出したのです。静岡というのは僕みたいな田舎人にとってとってもあこがれの土地で、僕らの日常ではあり得ないものと出会える場所でした。僕は電車が静岡に近づくと、車窓から見える道路がせり上がってきて、すぐ横を車が駆け抜けていくのが見えたりすると、それだけでときめいてしまい、街だなあとか思ってしまうのです。だから僕にとっては安倍川の鉄橋よりも、この宝台橋のほうが、静岡を感じさせるものでした。
で、このことは以前にもブログに揚げたような気がしてます。それで「あおい君」さんに、宝台院のことについて教えていただいたような記憶があります。
で、今回、なんで再度アップしたかというと、僕の好きな海野光弘さんの作品の中に、「海野光弘が愛した静岡三十五景」というのがあって、これは田中屋伊勢丹(当時はそう言っていたと思う)さんに依頼されて静岡市の代表的な風景をハガキ大の版画にして、それを伊勢丹が宣伝と共に、無料配布したらしいんですよ。僕は2006年?4年?に雑誌として刊行されたのを見る機会があって、(最近まで島田の博物館にあったのだが、係の人も知らないうちに無くなったらしい)それに宝台橋の版画があって、とても感動したんですね。僕はそれを自分のものにしたくて、八方手を尽くして探しているんですけど、どうにも手がかりがない。
見ることはできるんです。海工房に行けば、見ることができるのですが、海工房はなかば、ギャラリーというより、海野さんの生活空間ですので、そうそうお邪魔するわけにもいかないんですね

写真はブルートレイン愛好家の方が宝台陸橋(色んな言い方があるらしい)から撮影したものを無断で借用しております。
ブルトレの脇に坂道があるのがよく分かります。

 


次は商品だそうで、売り物です。1,000円します。古写真になるのかな?ジャンル的に言うと。それとも絵はがきかな、どちらにしても、今と違って視界を遮るものが全くと言って良いほど無かったんですね。
 宝台橋は1,972年でしたか、東海道線の高架化に伴い、廃止になっていますから、今は確かプレートでその位置を忍ぶしか無くなっていたんじゃないかと思います。
でもまあ、僕の感じていた「静岡らしさ」が、海野さんをはじめとする静岡の街の人にもあった感覚なんだと知って嬉しかったので書きました。

民主党は新撰組だったのではないか、について考える。

2013年07月24日 23時36分55秒 | 妄想
 今日の民主党の内紛劇を見ていると、武士になりたかった田舎剣士と素浪人の集団であった、新撰組を思い出してしまいます。
菅さんと鳩山さんで作った「組」ですが、とうとう二人とも追い出されそうですね。芹沢鴨じゃなくて小沢カモはいち早く粛正されてしまいましたし、近藤勇は、トンチンカンな人で、最終的に名前変えて流山で自首して、斬首になってしまう人ですから、鳩山さんかな。そうすると菅さんが土方歳三ってことになるのかな?それも少し違うなあ、別派を作ったら、高台寺党を作った伊東甲子太郎になるはずなんだけど、それはどちらかというと、細野さんか、海江田さんの役割かと思う、ん?、前原さんがやってもいいね。でもだれもお世話はしてくれないね。とうわけで、民主党はいまのところ滅びの道を、進んでいるのですね。
 まあとにかく次に誰がでてくるかだけど、前原とか、岡田さんとかメディアに出てくればいいのだけれどね、不気味に沈黙してますね。だれが出てくるのかな。明らかピンチでもないと思うけどね。

電話線ってわかりますか?ラインのことじゃないんですよ。について考える。

2013年07月23日 22時53分39秒 | 妄想
 リゾート先のビジネスマンは自由のようでいて、実は本社の綱や紐に雁字搦めにされている。という文章の「綱や紐を象徴するもの」って何だい?って今の若い人たちには分からないのね。答えは「電話線」なんだけども、電話ってさ、電話線でつながれていないじゃない、今のって。だから比喩のイメージが湧かないみたいなんだよね。そもそも「電話」自体が死語になりつつあって、「ケータイ」とか「スマホ」とか呼ばれていて、通信機器であって、線で繋がっているイメージがないんだろうな。だから逆に「ライン」とかいう言葉が、市民権を得て、自分を中心とした人物関係図とかの方がイメージしやすくて、実はこのイメージが、ものすごく犯罪誘発をしているんだけれどね。またそれは別の機会にしますが…。
「電話」という直接声を届ける作業は、実はとても構成能力が必要で、電話が繋がっている間は、僕らはお互いに次の言葉を考えていなくちゃいけない。3分10円というのは、とっても時間もお金も貴重な感じにさせるし、お互いに何も話さない「間」は実は、「恐怖」でもありました。相手に「不誠実」であるかのごとく感じさせました。不思議なことに3分10円という感覚は、3分ギリギリまで話すのが筋だ!という考え方さえあったような記憶があります。
 でも今の人たちは、メールをもらったら、すぐに返さなくては不誠実だという意識もありますが、タイミングを逃した場合には、もういつでも同じだから、どうでもいいや、というノリがあるような機がします。
 そうすると、空を飛んできた瞬間だけが旬な人間関係で、そのタイミングを逃すと、普通の人になってしまうのかなと思ったりします。リアルで切羽詰まった瞬間を経験すると、どうやら人は大人になるようです。そういう場所とか瞬間をクリアすると、人は成長できるんだろうなと思います。
 自分で言っておいて何ですが、「赤い糸」ととかいうイメージもないのかな。だとしたら、怖いものです。

富乃宝山とプレミアムビールと数の子の関係について考える。

2013年07月20日 22時36分39秒 | 妄想


僕は毎年お正月にかみさんの実家に帰るときに、富乃宝山を買っていくんですよ。この焼酎は芋焼酎でしてね。これがとてもおいしいんです。でもね、高いんです。ホントはね、千五百円ぐらいなんです。720mlで。でもね、定価で売ってるところ
なんてありゃしない。カインズホームでは1,980円だし、ベイシアストアーとか行くと2,300円ぐらいになってしまうんですね。
 昨年の正月にいった箱根の安旅館(といっても元ゴルフ場附属のホテル)ではボトルで入れると8,000円とか書いてあったので驚きです。
 ネット通販では1,500円で売ってるところもあるんだけれど、送料を入れると高く付いちゃうんですね。
一升瓶で1,980円するんですが、これもプレミアがついて大変な値段になってるそうです。僕の家から20分ぐらいの米屋さんでは1ヶ月に1度くらいセールをやっていて、その時だけ、1,680円で売るものだから、その時だけ買いに行って蚤つないでいる状態なんです。

 芋焼酎なんて、癖が強くて飲めないや、と言う人はだまされたと思って是非飲んでくだあい。とっても飲みやすくて、フルーティですから、ロックで行きましょう。
 グビグビ行きますから。

 でもね、逆に芋焼酎が好きな方には向きません。

 で、話を元に戻すとね。正月にかみさんの実家に持って行くでしょ。そうするとね。義理の弟が数の子を買ってくるんですよ。

 で、この数の子をサカナに富乃宝山を飲むと、溜まらなくおいしいんです。数の子がね。「味が引き立つねえ」とか言いながら飲むんですよ。

 ここからが本番でそういう風に飲んで食べた後にプレミアムビール(サントリー)を飲むと、これが実に不思議なことに、プレミアムビールが、本気で甘く感じるんですよ。それはもうジュースを飲んでる見たいに感じるんですよ。ホントです、これ。

 ただし、これは人生で一回のみのことでして、次からは不思議なことに感じないんですね。ホントに不思議です。
 その甘さは、心の底から笑えるほどですから、皆さんも是非試してみてください。

 ちなみに富乃宝山は、そういう風な魚介類とか、お刺身とか、酢の物と言った、素材の味を際立たせる効果が抜群ですから、
酒のつまみはなんでも旨くなります、

 ちなみに富乃宝山を一番正価で手に入れる方法は、一升瓶を8本まとめ買いすると送料が無料になって正価で手に入れることが出来ます。知り合いの職場では、富乃宝山愛好会なるものを作って、会員で買ってるそうです。


 それから静岡市清水区にあるエスパルスドリームプラザに入っている酒屋さんでは、正価で手に入れること出来るそうなので、いける人はいってください。世界遺産になったからというので三保の松原に行ってがっかりしたした人は帰りにお立ち寄りください。
 
 

蛇蝎のごとくの蛇蝎はへびとさそり

2013年07月18日 16時56分56秒 | 妄想
先ず日本に渡来する前に、仏教が経由した国・中国では、【蠍】は【蝎】の異体字とされ, ふつうは【蝎】のみが「毒虫の蠍」の意味で使われるとのことです。

蝎という漢字についてですが

【蝎】[音訓]カツ・ケツ・さそり
[意味][カツ]サソリ.*「蠍」も使う▼蛇蝎ダカツ・ジャカツ[注記]本来は、木食い虫の意。

とあります。

また、蠍は
【蠍】[音訓]カツ・ケツ・さそり
[意味](1)[カツ]サソリ.*「蝎」も使う。▼蛇蠍ダカツ・ジャカツ
(2)[さそり]毒虫の一。

蠍と蝎で、微妙に意味が異なるようです。
また、【蝎】の本来の意味の【木食虫・木蠧▼虫】は
①キクイムシ科の甲虫の総称。体は一般に黒褐色の円筒形でかたく、体長1~9ミリメートル。幼虫・成虫とも樹木の皮下や材部を食害する。林業の害虫。世界中に約七千種が知られる。
②甲殻綱等脚目の節足動物。体は黄白色の円筒形で,体長3ミリメートル 内外。木造船の船底や海中の木材を食害する。全世界に分布。

また、漢字が伝わる前の日本での【さそり】という音が、【毒虫の蠍】でないことも有り得ると思い調べてみると

【さそり(螺)】
ジガバチの古名(『新撰字鏡』

【ジガバチ(似我蜂)】
①ハチ目ジガバチ科の昆虫の総称。
②ジガバチ科のハチの一種。体長2センチメートル 内外。体は細く,特に腹部の基部は糸状。体色は黒色で腹部第二節は赤色。地面に穴を掘り,シャクトリムシなどの幼虫を捕まえて貯蔵し,横腹に卵を産みつける。幼虫を埋めるときにたてる羽音を,昔の人は「似我似我(じがじが)」と聞き,他の虫をハチに変える呪文(じゆもん)と考えたので,この名があるという。腰細蜂(こしぼそばち)。(すがる)。


整理すると、元々、【蝎】はキクイムシの意味を持った漢字でした。
キクイムシは林業の害虫でもあり、古来の物流の要であった船が木造だったため、廃船にしてしまう虫で、やはり食べ進む際に穴を潜みます。

サソリ(蠍)については、南方系の密林に住む場合もありますが、砂漠に住むサソリは穴を住み処とし、日中はそこに潜んでいます。

元々害虫で船という価値のあるものの敵として嫌われ者だった【蝎(キクイムシ)】が、【毒虫の蠍(カツ)】と穴に潜むことや毒の有無は別として害虫であったことから、中国で重なっていったと考えられます。

【蝎(かつ)】という漢字に、キクイムシとサソリの意味を持ったまま伝わった日本には、【さそり】の音だった虫は、ジガバチやアナバチ、穴から出入りする虫で、何か不思議な力がある虫とも考えられていた訳です。

別の虫をハチに変える能力を持った虫、人間を殺せるくらい毒を持つと言われる虫という、《畏怖すべき不思議な力》といった共通点から、【蝎(カツ)】に「さそり」という読みを当てるようになっていったのではないかと推測します。

その一方で、仏教によって、毒虫の【蝎(かつ)】は、日本に広まっていったかと思われます。

ざっと調べても、
【摩竭宮・摩蝎宮(まかつぐう)】【沙蝎(竭)羅竜王】【天蝎宮(てんかつくう)】といった言葉が蛇蝎以外にも出てきます。

【蝎(カツ)】同様、日本には実在しないものの、一般に広く知られた動物として、【虎】や【象】があげられますが、こちらも、仏教や古典、書画によって広まっていったかと。

その過程が、平安時代に食べられていた【唐菓子(とうがし)】に残っています。

唐菓子(とうがし)は、奈良時代に唐(中国)から伝来した一連の菓子とその技術を言う。からくだものと呼ぶ事もある。 多くは、小麦粉を練り油であげたものです。

その名称に
【かっこ(「かっ」は食に渇のつくりを合わせた字、「こ」は餬)】
小麦粉をこねて蝎虫(サソリないしキクイムシとされる)の形とし、焼くか蒸したもの。かっぺい(「ぺい」は餅)とも呼ばれる。

とありました(Wikipedia『唐菓子』より)。

現代のように【毒虫の蠍】の実態が明治以降、写真や文献によって知られるようになる前に、【蝎】が「カツ」「さそり」として、じわじわ広まっていったのではないでしょうか。

つまり、【蝎】という虫は元々はキクイムシを指したが、サソリにも【蝎】を用いたことから、混在した状態で伝わり、日本では【さそり】の音を当てられ、日本人に受け入れられた仏教などによって、「嫌われる害のある虫」「恐ろしい虫」の代表格として広まり、【蛇蝎】という言葉と共に今に伝わる…のではないでしょうか。

長文を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
ご参考になれば、幸いです。

って出てました。

ちなみに「さそり」の語源は「さすはり」を100回ぐらい言うと納得できるかもしれません。

根拠のない妄想ですけどね。