「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

七尾藍佳さんのステップアップ

2006年09月28日 00時08分16秒 | 人々
 僕は七尾藍佳さんにメールをもらったことがあるのが自慢です。僕は七尾さんに近い存在ではありません。一ファンでしかありません、あしかけ三年ぐらい前から七尾さんのブログに書き込みをしたりしてました。である時メールを頂きました。その経緯についてはお話する予定はありませんが、七尾さんファンとしては筋金が入った気分です。

 で、ずっとFMで朝の報道ワイドを担当なさってたのですが、今度日テレで始まるニュース番組にレギュラーを持つことになりました。


 めでたい!

 
 というわけで記事にしました。


 どんな人やねん?

 という方はNEWS ZERO 七尾藍佳動画で意気込みを伝える

 
 日テレの「今日の出来事」の後を引き受けるそうで、何だか新しいことにチャレンジしている雰囲気が強い、それだけにコケる可能性もあるわけだが、どうか上手く出帆して軌道に乗って欲しいものであると祈っている、そして更にメインに座れる人になって頂きたいのである。

「Doctors」  医師達の肖像 当直医3  呼び出し

2006年09月27日 23時52分30秒 | 人々
 彼女がひとしきり唸った後、診察ベッドに寝かされた父には酸素吸入の他に点滴とモニターが取り付けられました。

 呼吸、脈拍、血圧、心電図等のデーターが画面の右から左に流れていきます。それらは僕らがよくテレビの集中治療室の場面で見るもので、人の臨終の場面では波形が「ピー」という高い音声とともにフラットになってしまうものです。最近ではピロピロ」という警戒音も流されるようになってきました。

 僕はその一週間前に同じ病院で突然死をもたらす「ブルガタ症候群」の疑いで同じものを付けて検査を受け、しかも幸いなことに「心配なし」のお墨付きをもらったばかりなので、それほど嫌悪感は無かったのです。


 しかし今回の場合は違いました。父に取り付けられたモニターからは常に警戒音が発せられていました。僕はその音を聞きながら何の処置をもしない医療関係者に少し苛立ち始めたとき、二人の若い(僕より)医師が診療室に入ってきました。

 記憶が前後してるかもしれませんが、父はその間にレントゲンを撮りに行きました。僕は暗い廊下を運ばれていく父の傍らで手を握っていました。父の手をこんなに長い時間握ることが自分の人生の中であろうとは考えても見ませんでした。そしてこんなに冷たい手を握ることになるとも思っていませんでした。

 総合病院での当直は3人体制で行われるといいます。ですから入ってきた二人は待機してた当直の医師だと考えました。

 そしてそれと前後して、まるっきり父と同じような症状の患者さんが運び込まれてきました。呼吸困難でした。

 父とその患者さんは処置室の奥のベッドに並んで寝かされました。

 これで処置室は満杯です。

 僕はこの日珍しく救急車で運び込まれる患者がいなかったことを記憶しています。後で父とも話したのですが、あの夜はとても静かで一度もサイレンを聞かなかったと言ってました。

 僕は途中で更に緊急性を要する患者に父が優先順位を取られてしまうことを何処かで怖れていました。

 都合3人の医師が何事かを相談し、女医さんは別の夜間外来の患者さんを診察し始めました。他の二人の若い医師はモニターやレントゲン写真を見ながら何事か話し合っています。

 そして僕が医師に呼ばれました。

 彼はレントゲン写真を指さしながら言いました。

 「あなたのお父さんは多分、心不全から、心筋梗塞になって、それが原因で肺水腫を起こしています。」と言い。写真の肺の下の部分を丸くなぞりながら「この部分が白くなってますね。ここが肺水腫を引き超している部分です。水が溜まってますね。」と言いました。

 どれがどういう因果関係で結びついているのか分かりませんが、「心不全」「心筋梗塞」「肺水腫」等は、最終的な人の死因としてあげられる単語であったのでビックリしていました。

 父のを苦しめている事態が、そういう単語で表現されることに困惑を隠せませんでした。しかもその言葉は父の耳にも届いているはずなのです。

 父はちっとも意識混濁状態ではありませんでした。医師の質問にもしっかりと答えて外した答えは一つもありません。呼吸困難で体中の酸素が不足しているにも拘わらず、脳だけは、意識だけはしっかりしていることが僕を支えていました。

 そして彼は更に「いつ亡くなってもおかしくない状態です。」と続けました。

 僕は今までの対応・処置の緩やかさや父の意識レベルの高さと、今現在父が置かれている状況とのギャップに苦しみました。

 で、何もすることがないのか?と聞きたくなりました。

 そして彼等はこう続けました。

 「今、心臓の専門医がこちらに向かってます」と。

「Doctors」  医師達の肖像 当直医2  疲労、過労、加重

2006年09月24日 22時37分31秒 | 人々
 僕と父が診察室に入ると左手に医師が座っていた。

 若い女医さんだった。

 職業柄なのか、自分に威厳を付けるためなのか、それとも生来の性格がそうさせるのか、彼女は殊更に低い声で、父を座らせ問診を始めた。

 僕は彼女を見た途端に少し不安になったことを白状する、そしてそれは彼女の性別や若さから来るものであったかもしれない。

 でも一番大きな理由は彼女が「疲れて」いることだった。


 見た目にもはっきりとそれが分かる疲れかただった。

 今、僕たちの住んでいる静岡県の西部地方の公立病院では10月1日から夜間の診療体制が大きく変わることになる。

 時間外の診療は市内各所の民間の医院が当番制で受け持ち、公立病院では交通事故や、その病院に通院中で、病状が急変した場合などの緊急性の高いものに限定して受け入れることになっている。

 そして10時以降は通常の救急医療になるということだ。

 これは慢性的な医師不足によるものだとマスコミは報道しているが根はそう単純な問題ではないかとも思う。

 バブルの崩壊以後、僕らの仕事は効率化の点で限界まで研ぎ澄まされてきたといえる。つまり正社員は簡単に休めないという状況を創り出してきたのだ。
 加えて戦後教育の民主主義、個性重視の指導方針は社会全体の規律性を失わせ、個性という名の「わがまま」ほ助長する価値観を野放しにしてきたと言っていい。

 その結果、自分さえ良ければ良い、自分は特別だという意識を他とのバランスのを考慮に入れずに考えるようになってしまった。

 先ほど僕らのいた待合室には「夜間外来は緊急でない限り利用しないでください。」
と張り紙がしてある。

 仕事を半日以上も休んで、しかもその時間のうちの九割が待ち時間の通常の外来という実体を知っていて、しかも症状がクスリをもらっとけば明日の仕事には差し支えないくらい軽度だとしたら、そこに本当に困っている人に対する倫理観が働かないとすれば、通常よりもずっと待ち時間のすくない夜間外来を選ぶ人が多くいたということだ。

 医師達の連続勤務時間は36時間に及ぶ。しかも命と直接対峙しなければならない場面も多くある。幸いなことに父が倒れた日は救急車が一台も来なかった。しかしインフルエンザ流行時期には夜間外来だけで70人を超す人数を裁かなければならないこともあるそうだ。この数は繁盛している民間の内科医院では一日に診察できる患者数の倍にあたる。1日半眠らずに性格かつ迅速な判断が継続できているのなら、その人はきっと人間離れした能力の持ち主であるに違いない。

 そして当直医は必ずしも、その患者にとって専門医であるわけではない。

 つまり僕の想定してた、診療室の風景は拠点都市にある救命救急センターの場面でしかなく、僕らが入ったのは基本的に応急処置を目的とした一時的な治療を施す場所でしか無かったのだ。

 そして父と母はそのとき問診の上で、今から考えればとてつもなくトンチンカンな考えだったが、水とか、青汁の粉とかが軌道に入ったために起こった症状だと訴えたのだ。

 他にも糖尿病であること、血糖値をインシュリンで押さえ込んでいること、それはそれなりにコントロールできていること。高血圧気味であること、座骨神経痛であること、脳梗塞、白内障の経験があること等、持てる情報はすべて克明かつ、詳細に、説明しようとした。

 医師はその話を聞き終わって、父を診療台に寝かせ、酸素マスクを付けさせた。

 
 そして「う~ん」と悩んでしまっている風であった。

 僕は何だか絶望的な気分になってきたのだった。
 

「Doctors」  医師達の肖像 当直医1  救命救急と夜間外来

2006年09月23日 21時45分12秒 | 人々
 病院に着くと、夜間外来の入り口付近で父と僕が降りて、母は駐車場へ車を置きに行きました。僕は父の手を取って夜間外来の受付に行きました。僕は車で向かっている途中からずっと父の背中をさすっていました。精髄は神経系統の美希と言える場所です。当然、呼吸を司る神経もそこにはあります。そのとき僕に出来ることの唯一のことはその部分をマッサージしていくらかでも呼吸を楽のしてあげることでした。効果があるのかどうか分かりません。でも父の体全体が冷えていることが気になったのです。そして僕の頭には鬱病の女性と対峙しなければならなかった場面を浮かべていました。彼女は激しく泣いていました。そしてそれは自分でもコントロールできないほどの激しさだったのです。かなり年上で立場も上だった僕は、周りから後でセクハラと誤解されても仕方がないという覚悟で彼女の背中をさすり続けました。それは15分ほど続けましたが、彼女は次第に呼吸を落ち着け、泣きやむことが出来ました。

 僕は父の呼吸困難を神経性のものかも知れないと考えていました。



 外来の受付には警備員といった恰好の男性が落ち着いた態度で座っていました。
 
 僕は

 「さきほどお電話させていただいた○○です。」というと

 「ああ、それではこの書類に必要事項を書き込んで出して、そこでお待ち下さい。」といわれました。

 僕は何か調子が狂いました。

「え?」という感じでした。

 僕の素人はんだんでも父はかなり危険な状態です。

 それと事前に電話してあったので、すぐに治療を受けられるものだとばかり考えていました。

 僕の想像の中にはテレビで見た救命救急の場面がありました。敏腕の医者が患者の状況と治療方針を即座に決め、看護師と一緒に息を合わせて患者をベッドに移すのです。

 当然父もそうなるはずだと思ってました。

 ただ違うのは救急車で運ばれてこずに、自家用車で来てしまったことです。

 僕らはそれだけで救命救急患者から、夜間外来の客になってしまったようです。

 僕は父が嫌がった救急車を呼べば良かったと後悔しました。母は父の呼吸困難が始まってから何度も呼ぶことを提案しましたが受け入れられなかったようです。もしこのまま父にもしものことがあったら、僕は母を詰るかもしれないと思いました。せめて隣宅にいる長男を呼んで欲しかったくらいのことは言ってしまうかもしれない。それが母にとってどうしようもなかったことだと分かっていてもです。そしてそれが母を傷つけるだけのことだと僕は分かっているのです。

 僕は焦れました。もう少しで何か喚き出しそうな気分でした。

 ただ、それまで背中をさすっていた僕に向かい、父が「ありがとう、少し楽になったよ。」と言ってくれたことと、待合室にいた人がどうやら現在診療を受けている方の縁者であるようで、それが終われば父の番であることを材料にして踏みとどまっていました。

 どれくらい時間が経ったでしょうか、僕にも、おそらくそれ以上に父にも随分長く感じられた時間があり、父の名前が呼ばれて僕たちは、精神的に限界だった母を残して、治療室への引き戸の中に入っていきました。

「Doctors」  医師達の肖像 序章2 父のプライド

2006年09月19日 22時29分31秒 | 人々
 僕が慌てて着替えて外に飛び出すと、母が父を連れて車に乗ろうとしているところだった。
 父の息づかいは異常だった。明らかに呼吸困難に陥っている。大きく肩で行きをしているが「ヒュウー、ヒュウー」と音が出るような息をしている。今までに見たことのない症状だった。今にも息が止まりそうな感じだった。しかし自分の足で歩いているし、僕の呼びかけにも応答している。
 まだ大丈夫だ、と思った。そして同時に覚悟しなくてはいけないのか。とも思った。

 人は死ぬ、そしてこれは誰の上にも例外なく来る。父も母も僕もその運命から外れることはない。

 だから僕が生きている限り、父や母の死を体験しなければならない瞬間があるはずなのである。そしてそれは突然にやってくるときもある。

 このときがそうなのか、そうなるのか、と思った。

 そしてそうであって欲しくないと強く思った。そして、そうであってたまるかという気持ちになった。

 呼吸荒く、足元がおぼつかない父の手を握って車の座席に座らせた。

 何十年も触ったことのない父の手だった。

 父は素直に僕に手をひかれ、車に乗り込んだ。

 父の手は異常に冷たかった。明らかに血液が行き渡っていない。

 しかし僕にはそれよりも、その父の素直さが哀しかった。

 息子になんか手を委ねるような父ではなかった。

 息子の世話にはならない、それが父のプライドだった。

 車の中で母が泣くように僕に訴えかけていた。

 「午後7時頃から息が苦しかったの。でもお父さん我慢してれば直るからって、病院に行こうとしないの。あんたにも言う必要ないって。私、どうしたらいいか分からなくて」 
 
 父は2,3日前からかなり具合が悪かったらしい。健康のために座骨神経痛をこらえながらも続けてきた散歩も体の不調で控えていた。昨日などは風呂から出たときに、バランスを崩して倒れるのが嫌で体を拭かなかったらしい。

 その手の話は僕の方に全くと言っていいほど入ってきてなかった。

 「余分なことは言うな!」というのが父の母に対する口癖だった。

 そしてそれは、自分の子どもたちに心配かけたくないという思いとと別に自分のみっともなさを他人にみせたくないという父のプライドそのものだったように思う。

 しかし、今回だけはそのプライドが父の命取りになるかも知れないと思った。

 母は鬱憤を晴らすかのように、僕に訴え続けている。

 僕はそれを遮るように「病院には電話したの?」と聞くと、母はかかりつけの隣町の病院にしようかと迷ったらしいが、父の様子が尋常ではないので車で3分の市民病院にしたと答えてくれた。結果的にそれは正解だった。

 父は、住んでいる街の病院ではなく車で20分ほどの市民病院に37年間通い続けてきた。なぜそういう選択になったかというと、多くの人が考えるように「なるべく良い医者にかかりたい」という考えがあったからだと聞いている。

 そして僕らが向かう先には父が選択しなかった市民病院の明かりが次第に大きくなってきた。
 

「Doctors」  医師達の肖像 序章1 必然のハプニング

2006年09月18日 22時24分01秒 | 人々
 8月24日、いつものように風呂を終えてブログでもみようかとパソコンの前に座った午後10時を少し過ぎた時間に階下からカミさんの緊迫した声が上がってきた。

 「お義父さんが、おかしいんでお義母さんが病院連れて行くって!」

 私の家の敷地には2軒の家が並んでいる。一つは僕たち夫婦の家。もう一つは僕の父と母が住んでいる。玄関も台所もトイレも風呂も全て別。二つの家は渡り廊下で結ばれている。カミさんとしても理想的な形だ。子供の面倒は見てもらいながらお互いの生活は干渉されないのだから。

 カミさんが叫ぶように僕に知らせたのは、夜9時以降にお互いに行き来しないようにしていたので、隣なのに母が電話で知らせてきたからだ。

 僕は全身で悪い予感を感じた。

 父は36歳の時から糖尿病と闘い続けている。

 それと知れたのはトイレを改築した際に屎尿処理業者の人が指摘したからだ。トイレの便器や床板が全て取り払われて丸見えになった便所のから、全ての糞尿をホースで汲み取りながら業者のおじさんが「この家には糖尿病の人がいるよ。」といった。そして僕の父の日頃の症状を次々と言い当てたのだ。当時父は36歳、大坂万国博覧会の前の年だったと思う。

 それから病院通いが始まり、今年で37年目になる。まさしく人生の半分以上を病気で闘ってきた人だ。

 東京に就職した僕が地元の静岡に帰ってきたのも、母の「お父さんの目が見えなくなった。」という電話からだった。10年前には脳梗塞をやって一時随分と左半身が不自由だった。これらの出来事はすべて糖尿病がベースとなって体中の血管を痛めた末に起こる動脈硬化→血栓から引き起こされるものと考えられた。
 つまり高血糖の血液が血管の壁に傷をつくり、そこにコレステロールが蓄積して段々と血管を塞いで行くのだ。その結果、毛細血管に新鮮な血液が行き渡らず、血栓の出来た部位の後の部分の組織が死滅することになる。それが目に出れば白内障、脳に出れば脳梗塞、肺に出ればエコノミー症候群と同じになる。つまり糖尿病患者は体の何処に飛ぶか分からない弾丸を安全装置を外した状態で抱えているようなものであり、朝露が降りただけで落ちる極めて軽いトリガーに指をかけている状態にあるといえる。

 脳梗塞の後、父は自分の死因は2度目の脳梗塞であると予測していたらしい。それより前から自分の寿命を40代から50代と踏んでいた。だから70台まで生き長らえた自分の人生を上出来だと思っているらしい節が見える。

 そして何事にもネガティブな思考をする母親は、父が糖尿病と診断されてから自分の想像する最悪の事態を子どもたちに吹き込み続けた。僕と妹は「もうお父さんはダメかも知れない。」というセリフを何度も聞かされて、その都度復活してくる父を見て、母親を半ば狼少年化していた。

 しかし70歳代前半の人間にしてはいかにも老けた感じの見た目や、座骨神経痛で日に日に少なくなっていく散歩の距離からも、父に残された時間がそう多くないかも知れないという予感を否応なく感じざるを得なかった。

 そしてカミさんの悲鳴に似た叫びが、僕についにその日が来てしまったという予感を強く思わせ、パジャマからズボンに履き替えさせる僕の足を震えさせたのだった。

 

分数の割り算!?

2006年09月14日 23時52分16秒 | 日記
 最近算数が分からないと言い出した小学校5年生の娘さんの話です。ウチの娘さんは幼稚園の藤組(年長)から公文式に通っているのです。で足かけ6年になるのですが、この公文式では分数の割り算って小学校4年生のうちに扱う教材になっているんですね。まだ小学校ではやっていません。

 で、教室では1回か2回、先生が一緒にやってくれるのですが、それだけだと忘れちゃうんですね。宿題もなかなか進まない。しかも学校では今市内の小学校の合同運動会(以前は「六校」と呼ばれ、今は「九校」と呼ばれています。)の練習で結構遅くなるのです。出ないんですよ実際には、六年生だけなんだそうです出るのは、来年は五年生の出るんですけどね。人数の関係だと思うのです。

 まあそれは良いとして、お祭りの太鼓の練習も始まっているので、学校の宿題で手一杯なんだな。

 で、かなりアドバンスの教材は手に負えないわけだ。でもママは呼ばないんだそうで、なぜならママは分からないと逆ギレするそうで、危険でしょうがないそうです。「『何でこんなの分かんないのよ!』って言われても分からないから聞いてるんですけど」というのが娘さんの言い分です。確かにね。カミさんは「先生にならなくて良かった。」っと一人で納得してますね。根本的な解決になっていませんよ、あなた。

 で、忍耐強さで定評のパパ登場だ。パパは病院に行くのと残業するのとの繰り返しで、ややヘタッているというのは許されませんか?

 で、見ると四則混合だ。

 「ここを通り抜けると高校生になれるから頑張ろうぜ!おー!」とか訳の分からない掛け声かけて、一生懸命解きましたよ。

 自慢じゃないが高校三年生で「数学Ⅰ演習」で0点取って「赤点」もらった男だよ。内緒だけど。

 で、何とか理屈は教えましたよ。でも計算スピードとか正確性は追いついていけません。

 公文式は字が汚くなるっていう評判もありますが、計算スピードは速くなりますね。しかも娘さんは自分から言い出して「そろばん塾」も行ってますから、早い早い。

 え~と、僕もそろばんやってました。6級ですがなにか?

 こうやってかなわくなっていくんだろうな。僕もそのうち逆ギレするようになるのかな。

 僕も勉強しなくちゃいけませんね。

僕たちの戦争 森山未来くんに期待しましょう

2006年09月13日 00時15分26秒 | 書評
僕たちの戦争

双葉社

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 父が入院して手術を受けました。この本はICUにいる父の顔を見に行ったらその日の内にICUから看護程度の一段緩いHCUの病室に移ることが決まり、それまで時間を潰さなくてはいけなくなり、コンビニで仕方なく手に取った本でした。僕は歴史小説が好きなものですから、こういう小説はあまり読まないんですが結構面白く読ませて頂きました。

 「設定はちゃちだ。」とは劇中の主人公のセリフにもあります。二人の時代を異にした青年の精神だけがタイムスリップして入れ替わるというものです。そして入れ替わる時代は現代と60年前の昭和19年です。

 入れ替わる現代人は尾島健太(おじまけんた)という高校卒のフリーターで、将来はゲームクリエイターを目指す、大人からは理解できない存在。

 そして昭和19年から現代にスリップするのは石庭吾一(いしばごいち)。若鷲隊という戦闘機乗りになりたくて土浦の予科練で飛行訓練中の身であった。

 文化も国情も価値観も全く違う環境に放り出された同じ顔をした二人の青年がとまどいながらもそれぞれの境遇に順応してゆく姿を描いています。

 尾島健太はやがて特別攻撃隊「回天」(魚雷に人間を乗せる発想で造られた非人道的な攻撃艇)に乗せられることになるのですが…。

 それぞれの順応の仕方が良いですね。

 ということは戦争なんてとんでもない、人なんて殺せないし、国のために死ぬなんてとんでもないと思っているけれど、そういう平和的な価値観なんて実はとんでもなく不安定なもので、僕らはいつだって昭和十九年の日本国民の精神状態になりうる危険性を持っているのではないかと思わせてくれる流れが良いと思います。

 TBSドラマスペシャル僕たちの戦争では森山未来君が二役にチャレンジしますね。とても良い役者さんですね彼は。

 今時若手で主役張れる俳優さんっていうと山田孝之くんか長瀬智也くんぐらいしかいないでしょ。もこみちくんはぽしゃったし。

 脇を上野樹里さんと内山理名さんで固めていますね。上野樹里さんが文子さんやくかと思ってましたが違いましたね。

 とにかく俳優陣だけをみてもしっかりしたドラマになっていそうです。

 ちなみに放映は九月十七日午後九時からです。

たらこキューピーの歌

2006年09月10日 00時39分00秒 | 文化論
たらこ・たらこ・たらこ たっぷりたらこボックス(初回限定盤)
キグルミ, 加藤良1, 上野耕路
ビクターエンタテインメント

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 CMみていて、こんな歌CD化してどうすんのだろうって思ってました。で、テレビだと映像が付いてますから、結構見れるんですけどCDじゃどうしようもないなと思っておりました。

 最近更新が滞っているのはプライベートで、結構しんどい話があって僕は毎日静岡に行ってるわけですね。で、今日も行っていたわけですが何となく「すみや」に入って正面の棚に上の画像のやつが並んでいるのが目に入ったわけです。

 人間ってにっちもさっちも行かないときとか、自分の体の都合を先送りして動かなくちゃいけないときがあって、そういうときは人に八つ当たりするのが一番なんですが、そうも行きませんから次善策として衝動買いっていうのが結構あったりします。

 で、言い訳めいてますが「たらこ」を購入しました。

 カミさんも好きなのですが、僕はもっと好きだったりします。




御覧の通りのパッケージです。

 ええ、初回限定版ですから「たらこキューピー」が顔を覗かせていますよ。

 「でか☆ふわ携帯ストラップ」が付いていますよ。ステッカーも付いています。スペシャルグッズの応募券もあります。

 画像は無いのかって?

 

 ですが、なにか?

 はっきり言っていいですか。

 はっきりいって不気味です。

 曲ですか?

 PCで再生しようとしたら勝手に画面が展開してテレビで見る小さな女の子が二人しっかり躍ってますよ。

 かなり長い曲ですね。歌詞もしっかりしてます。


 まあ、買って良かったのか?と聞かれれば


 う~む

 と唸らざるを得ませんね。

 衝動買いの典型的な結末です。