僕が小学生低学年の頃は静岡は遠かった。東名高速道路は小学校2年の時に開通して、工事関係者の家族がいなくなって一クラス減ってしまった。
みんなでお別れに行ったら家がいわゆる工事現場用のプレハブ住宅ですごく格好いいなあと思ったことがある。
それを母親に言ったらすごくバカにされた覚えがある。
で、東名が開通して便利になったかというと当初は滅多に使用することがなく、専ら国道を通って行った気がする。
で、金谷から島田、藤枝や焼津を抜けて、丸子あたりに来るともうすぐだという感じになる。
オシッコの近い僕はそのあたりでトイレ休憩になって、丸子に立ち並ぶドライブインに入るのが好きだった。
帰りも寄ってくれておもちゃの一つも買ってくれたら、これ以上の幸せはないだろうなと思いつつ、そんな甘い現実はそうそう訪れなかった。
父親は車をだいたい駅前に止めたんじゃないかと思う。
記憶の映像に残る最古のものは、今のアソシア静岡ターミナルの辺りだったと思うが貨物関係の施設だったところが駐車場になっていて、そこに停めたのを覚えている。
いわゆる呉服町の商店街には子供としては随分遠くて、遙かだった気がする。多分買い物の中心が松坂屋が中心だったのでしょうね。
呉服町へは地下道を通っていきましたね。今もそれは変わりません。地下道があるところが静岡だと思ってました。
街であることの絶対的な証拠品と言えると思います。
僕は長らくアーケードというものに憧れていますが、静岡はアーケードを造りませんね。何故でしょう。
焼津にはあるんですよ。
呉服町通り、(正確には紺屋町)で地下から顔を出すと、チャンチャンチャン、キュ、キュ、キュ、キュというけたたましい音が両側から聞こえてきます。
おもちゃ天国「赤春堂」さんと
「SUZUYA」さんですね。
この道の両側にある2つのおもちゃ屋さんからサルがシンバル叩いて途中で歯をむき出すおもちゃが唸りをあげて子どもたちを刺激します。
内気な僕は自分の欲望を必死にこらえながら、なんかのハプニングでおもちゃ屋さんに入ることになりはしないかと密かに願うのでした。
だからこのおもちゃ屋さんに入ったのは大人になってからで、赤春堂さんの内部がかなりマニアックな内容になっていることに、かなり驚いたのを覚えています。
ですから僕が最初に赤春堂さんで購入したものは、コルト44のモデルガンでした。屈折してますねえ。
今はSUZUYAさんの方は子供向けではなくホビーショップみたいになってますがかつてはSUZUYAさんの方が激しく子供を引き寄せていたように感じます。
そういえばスクランブル交差点を渡るとHORIHATIさんというおもちゃ屋さんもあるのですが、一向に記憶にございません。
カミさんに言わせると、タキイうばぐるま店のほうが断然すごい!らしくて娘がまだ乳幼児の頃に行ったことがあるが、すごく混んでいた印象が残っている。
で、今日は何が言いたいのかというと、おもちゃ屋さんの店頭にはモンキーシンバルなる昭和を代表するおもちゃがないとおもちゃ屋さんとは言えないのではないかという妙な価値観を植えつけてくれた静岡の2店舗の想い出なのである。