「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

石垣イチゴと静岡への入り方3

2008年02月25日 22時41分31秒 | 妄想
 安倍川橋のたもとに来ますと右手に「よこち鳥獣店」が見えてきます。静岡に民放がSBS静岡放送しかなかったころから、テレビでCMを流してましたね。よこちのペット、かわいいペット、たのしいたのしいお友達♪だったかな、動かない絵に音楽だけが陽気に流れていましたね。僕はテレビのCMってすべて全国共通だと思ってましたから、よこち鳥獣店も、漢方薬のにいやも、酒の若竹も、学生服のヤマダもすべて全国で流れているものと信じておりました。馬鹿ですね。どのお店もまだ残っているのは幸いですが、こうして自分で車を運転するようになって初めて、これらのお店の所在地を知ることができました。それまでは名前は知っていてもどこにあるのか分からなかったですね。
 浅間神社の参道入り口に、よこち鳥獣店を初めて見つけたときは、すこしがっかりした覚えがあります。テレビでCM流しているから、凄い規模の店を想像してたんですね。でもそのあたりのお店変わらなくて、拍子抜けした感じでした。
 よこち鳥獣店は文字通り鳥獣を売る店で、いまこそ様々な種類のペットがありますが、僕らの小さな頃って、鳥を飼う人が多くかったようなきがするんですがどうでしょう。ジュウシマツとか文鳥とか飼っている人がいっぱいいたような気がします。なかでも鳩は沢山いましたね。何がどう可愛いのか理解できなかったし、臭かったし、無表情のまま餌に群がってくるのをみると気味が悪かった覚えがありますね。それに高圧線に引っかかったり、ネコにやられたりと結構悲惨な経験も積まなくちゃいけないペットでしたね。僕の一つ上の先輩が家族ぐるみで飼ってました。ただゲージをあけてあげると我も我もと外に出て、全速力で空を駆け回る姿はいいなあって思ってました。
 「鳥獣店」などという店名はもう希少価値でしょうから末永く続いてもらいたいものですね。
 それから、同じ動かないCMで、ジンギスカン料理を宣伝してた蒲郡あたりの温泉のCMが頭に浮かんでいて、しかもはっきりしないんですが、どなたかご存じないでしょうかね。

石垣イチゴと静岡への入り方2

2008年02月24日 22時55分32秒 | 妄想
 松の並木に気を付けながら手越に向かいます。バス停があってバスが停まっているとなかなか追い越せませんね、この道路はそれでも酒蔵とか古い感じのお店がありますから、悪い感じではありません。そうやってみていくと右手に高林寺って書いてある掃除の行き届いたお寺が見えてきますね。鉄橋の手前の信号が長いのでこのあたりで停まっていることが多いのでのぞき見してしまいます。そんなに大きなお寺じゃないんですが、こぢんまりとしててすきな感じです。臨済宗のお寺ですから曹洞宗の大学出身者の僕が共感するのでしょうか。
 手越河原というと太平記に出てくる手越河原の戦いで歴史に登場する場所ですから関係あるのかなと思って調べてみたんですが、関連はなさそうですね。だいたい手越ってどういう地名なんだろうって思いますね。他にもある地名なんですね。「越す」っていう動作が入っていますから川を越すのかなって思いますが、そういう場所に限ったわけではなさそうな感じです。手越には万葉集の歌碑があって、『あずまじの てこのよびさか こえていなば あれはこひむな のちはあひぬとも』となっていますね。この「てこのよびさか」というのが「手児の呼坂」と書くそうですから、もしもこの歌の「手」と「越」をつなげてつくったとしたら、焼津、草薙と並ぶ、随分古い地名と言うことになりますね。
 さきほども言ったようにこの手越は古戦場でありまして、それもかなりの激戦地だったらしい。南朝方の新田義貞と、足利尊氏の弟、直義・高師泰連合軍が17回にわたって激突した場所なんだそうです。太平記ってドラマになりにくいから、戦中戦前の方々とは認識度合いが全く違うんです。NHKの大河ドラマでも一度だけでしょ、今のところ。室町時代という日本人の様式美の原型ができた時代なのにそれほど面白く感じないのはなぜなんでしょうかね。信長や秀吉や家康においてさえ格好いいのにどうして尊氏は人気ないんでしょうか。楠木正成にいたっては戦前は神様だったはずなのに今ではそれほど注目されない存在ですよね。時代そのものが私利私欲のぶつかり合いと言った印象が強く、貴族と武士という存在がそれぞれの既得権益を守るために殺し合っていた時代のような感じがして、いわば保守勢力同士の争いみたいで現代と同じく、痛快さが無いんでしょうな。
 

石垣いちごと静岡への入り方

2008年02月17日 23時28分49秒 | 妄想
 先日、出張で静岡市に行ったんです。勤めは藤枝ですからバイパスで行くわけですね。出張先がお堀端なものですから、丸子でおりて国道を走るわけです。ここから僕は安倍川大橋方面に曲がるのを常としています。静岡駅方面がよく混んでいるってのもありますが、混んでなくてもこの道を選びます。国道から曲がると松の木が両側に植わっていて富士山の北の裾野がチラッと見えるんですね。もちろん電線が景色に斜線を引いてますから大した風景じゃないんですね。でも曲がった途端に見えるものですから少しビックリします。ちょっとだけ旅人の気分になれるんですね。
で、昔の人もそうだったのかなと思ってみたりするんですが、街道としては国道ではなく丸子川沿いに丁字屋から長田西小を通って丸子のバス停を経由して静岡銀行の所でググッと曲がれば、富士山も見えたのかなと思えて、僕とは少しタイミングが違うかなと感じたわけですね。ところがヤフーの地図で調べてみるとその道は長田西中の西側の「佐渡」という交差点に出るわけで、長田西中の東側の手越に行く道路とは異なるわけですね。
 そうなると昔の人も僕と同じように曲がっていったのかなと思うわけです。この辺は古地図を調べればすぐに分かるわけですが、そういう手段なしに手元の資料だけで勝手に想像しています。
で、そういう思いをもちながら掛川の本屋さんに寄ったら、「歴史群像シリーズ50戦国合戦大全上巻、下克上の本流と群雄の戦い」というのがありまして、今川家が出てるんですね。下克上の世でありながら、守護大名から戦国大名に巧く切り替わった大名ということなんです。そこに今川義元時代の駿府城下というイラストがありました。それを見ると川が2本流れていて、二本の川の間に長善寺一花堂というのがあります。多分安倍川を渡ったところの本通沿いにあるお寺だと思うのですが確認できません。だいたい安倍川とお城の間に川なんてあった記憶がない。そういえば静岡市内って結構川が少ないなと思ったりするわけですが、まあそれはさておき、国道一号線あたる道路なんてなくて、手越から弥勒に入るのがやはり正しいのかと思ったわけです。で、今日は時間がないのでここまでですが、この話はもう少し続きます。

猫も杓子もバレンタイン 奇襲攻撃に撃沈!

2008年02月14日 23時11分19秒 | 人々
 全国各地で繰り広げられたであろうバレンタイン協奏曲が終わったはず。僕は世間の片隅で、義理チョコというか日頃の感謝を込めて的なチョコを5ついただいて、ありがたいなあ、こんな50間近のオッさんに気を使ってくださるんだから、こっちこそ感謝せねばと思って一日を終わるはずだったんだけどね。

 今日は木曜日で、「モーニング」発売日だから、コンビニで「バガボンド」だけは立ち読みしてかなくちゃと思い、しかもいつも寄ってくファミマをボーっとしてて通り過ぎてしまったのがそもそもいけなかったんだと思う。反対車線のセブンイレブンに入ると、矢崎計器から大量にはき出される車の列に阻まれて、車がでれなくなってしまうと思い、ここもそのままスルーして、サークルKに入ってしまったんですよ。で、そこは以前よく寄っていたコンビニなんだけど、今はほとんど寄らなくなってしまった場所なのです。その当時は独特のイントネーションを持った女性が切り盛りしていて、それなりに面白かったんだけど、今日は僕より年上のおじさんがこれも舌っ足らずなマニュアル言葉で対応してたのさ。で、目当てはあくまで「モーニング」の立ち読みだから、目的は充分達したんだけど、なにか駄菓子でも買って、走りながら食べていこうと思い、360円という実にささやかな買い物をして立ち去ろうとしたそのときやや大きめな声で「お客さん!」と呼びとめられた。一瞬の間に僕は、自分が呼びとめられる理由を走馬燈のように探ったが見つからず、ゆっくりと振り向いた僕の視線に写ったのは、大きな硬貨型をしたチョコレートだった。「今日はバレンタインですんで…。」と不適な笑いを浮かべて僕にチョコレートを渡したのだった。最悪の展開としてははにかまれることだったけど、どやらそれは避け得た感じ。でもなんだか妙な感覚が残った。バレンタインとはいったい何なのか?神戸のモロゾフが始め、ソニーが喧伝に一役買ったといわれる、この無節操でイベント好きな国民性を象徴する、一大商業イベントは、そこかしこで小さな犠牲者を生み出してることを忘れてはならない。

 なんで最後がおっさんで締めくくらなあかんの?

南大門焼ける!現代に生きる人の責任について

2008年02月11日 23時07分27秒 | 文化論


 辛いだろうな、韓国の人は。僕らは高松塚古墳の壁画にカビが生えて随分と残念な思いをしたけど、そういうレベルでは無いんだろうね。ただ歴史を次代につなげて行かなくちゃいけないのに、それが自分の次代に喪失させてしまって、どうも申し訳ない感じでは同じなのかもと思ってみたのです。金閣寺が焼失したときもおなじような気持ちだったのだろうか。歴史的価値からいったら近いものがあるかもしれません。でも大きな街のど真ん中にあって、都市の象徴みたいなものだとすればフランスの凱旋門並なのかと思う。日本は城壁国家じゃないんで、それに相当するものを探すのは難しいけれども、街の象徴という意味では浅草雷門とかがそうなるのかな。それとも東大寺かな。歴史は浅いけれども東京タワーを失うくらいの喪失感は感じているのかもしれませんね。
 歴史的建造物を失うってのは、とても残念で、僕のように城好きの人にとっては城郭がある街と無い街とでは同じ城下町と言っても随分と印象が違うのです。小さいときから、駿府公園に駿府城がないのが、なぜか悔しかったし、やや長じてホントはお堀がもっとあったのだけれども、旧日本軍によって堀を埋め立て、連隊本部にしちゃったという話を聞いて、それだけで戦争のばかばかしさを感じたことを思い出しました。他の県にはお城や武家屋敷の門が、そのまま学校の校門だったりするのを見ると、とてもうらやましく感じた覚えがあります。
 僕が住んでる田舎にはそれでも代官屋敷や庄屋さんのお屋敷が残っており、家の屋号めいたもので、「隠居」とか呼ばれている家があったりして、少しは歴史を感じたりするけれども、静岡市内の歴史的建造物って、山田長政の家の他に何があるんだろうって思うと、街のシンボル的歴史的建造物に乏しい感じがする。これも静岡空襲という人災のせいだとすれば、戦争のバカバカしさは僕らから歴史意識をも奪ってしまったことになる。
 

「神の手」とかいうチェーンメール

2008年02月11日 22時32分44秒 | 人々


かみさんの携帯に送られてきた写真で、沖縄に5年に一度くらい出る神秘的な雲の画像というふれこみ、ご丁寧にこの画像を7人の人に送ると幸せになれるという、落ちまでついている。
 そりゃ新手のチェーンメールだよ。って言っているようなものです。けなげなカミさんは、送ってくれた職場の同僚に感謝のお返事を送ってました。

 真相かどうかは確かめようはないけど、pukapukaブログというところで海外からやってきたチェーンメールであることが説明されている。ほかのブログでも話題になっているって事は、こういうのを望んでいる人も沢山いるんだろうなと思うのです。
ちなみに画像は加工品だそうです。

google earth には結構いろんなものが写っている。

2008年02月10日 23時45分59秒 | 妄想
 グーグルアースってのは膨大な数の衛星写真や航空写真の組み合わせなんだろうけど、撮ったタイミングなのか、それとも茶目っ気のつもりなのか、中にはとんでもない現場が写っている。このサイトはそういう場面を集めたものなんだけど、これを探してきた人ってのもまた凄い人ですね。

 Bad day グーグルアースに事故現場が写っている

救急車が通る

2008年02月06日 22時59分50秒 | 妄想
 僕の家の近所に市立病院(当時は町立病院)が来てからと言うもの、僕の家の前の道路は救急車の搬送経路になっているようで、日に何回かサイレンの音を聞くことになっている。救急車ってのは観察してると病院までの最短距離を行くわけではなさそうですな。だって菊川市街地方面から南に下ってきて、僕の家の50メートルほど西側にある元幹線道路を通り、一旦僕の家から300メーターほど南に下り、それからおもむろに方向転換して、僕の家の前を通って東に向かい、病院に向かっていくのである。時間を稼ぐつもりなら、今の小笠高校敷地内にはいるけど市道として登録されているはずの、東西道路を通過すれば3分は稼げると思うのだ。市道とはいえ、さすがに高校敷地の中を通るのはまずかろうと思われるが、他にも市道を使えば後何本か候補があげられるのではないかと思う。つまり、救急車はやむを得ない事態を除き、国道・県道優先で移動しているみたいなんだね。なぜなのだろうと思いませんか。県道・国道と市道町道の違いがどういう影響を及ぼしているかは知らないけど、命よりも管理責任を重要視しているとすればとても残念なことですね。
 

日本は中国に養ってもらっているんだという感覚

2008年02月03日 10時27分25秒 | 妄想
 今回の餃子の件でみんながビックリしたのは、安全性の問題もさることながら、こんなにも沢山の種類と量の食品が中国からきてるってことがわかったことで、安くておいしいって思っていた冷凍食品で日本料理のことなんか少しも分かっていない人たちによって、きんぴらゴボウだの牛タンだのまで作られていたんだと言う事実は結構衝撃的だった。
 僕らの国ってすごく危ないバランスの上に成り立っているんですね、と思わざるを得ません。食料の依存率70%。そのうち中国への依存度23%で、ありながら一日に無駄になる食料は3,000万人分に及ぶと言います。その一方で働いてもお金が稼げず、貧窮にあえぎ、働けなくなっても生活保護はなかなか受けられず、飢餓の状態に追い込まれて犯罪を犯す人たちを生み出している。
 国土とか、耕地とかいう規模で言えば、人工6,000万人ぐらいの国なんでしょうね。江戸時代はそれくらいいて、江戸も300万人ぐらいいて、それで食糧自給率100%でやってきたわけでしょ。
 そこに戻れとはいいませんが、結果として戻らざるを得ない状況はあり得るのではないかと思いますね。
 食べ物を粗末にしたら罰(ばち)があたります、って小さい頃よく言われましたが、日本なんぞはこれからエンドレスで罰が当たりまくるような国になってますな。