「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

名古屋的発想について考える

2006年05月27日 11時35分10秒 | 人々


 これはカミさんが職場でもらってきた御菓子なんですが、名古屋のお土産だそうです。

 で、エビフライの形をしてますね。

 ユニークですね。

 てんむす、みそかつ、小倉トースト

 一般の会社じゃ絶対企画として通らないものが名古屋から全国に発信させられる。

 名古屋の発想にはいつもビックリさせられますね。

 で、そのどれもが決してお洒落じゃない。

 どちらかというと言い方は悪いんですが泥臭いというか実に生活臭のする発想なんですね。

 名古屋に長い間住んでいた同僚の一人が「名古屋は巨大な田舎である」と表現してました。

 「安い」、「重い」、「大きい」

 結婚式の引き出物の三大条件なのだそうですが、何ともミエを強調した物質的豊かさを追求する価値観が見え隠れします。

 僕は数年前、よく日曜日に鈍行で名古屋付近に遊びに行きました。

 そうして沿線の街を眺めながら旅をするのが好きでした。

 そうすると気付くのが、昭和のままの街が結構多いと言うことで、言い換えればバブルの影響を最も少なく受けている感じがします。

 静岡はいわゆる自治省(現在は総務省)的な価値観で言うと優等生であって、駅前や都市整備計画も順調に行われて行きまして、現在それなりのバブル崩壊的ツケを払わされているわけですが、愛知の街にはそういう嘘っぽさが少ないような気がします。

 安い、重い、大きいを標榜としながら、逆にそれだからこそバブルのような実体の見えないもの乗っからなかったのではないか。

 そんな風に愛知の人の人間性を密かに尊敬したりしてます。