「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

クリスマスイルミネーション in 浜松

2007年11月29日 23時26分07秒 | 文化論


 アクトタワーと満月とメイワンです。

 発光ダイオードのおかげで、少ない電力ながら素敵なイルミネーションを楽しむことができるようになりました。ライトアップとかいう手段で街ごと家ごとに様々なイルミネーションを競うようになりました。
 良いのか悪いのかは知りません。でも夜更かしさんの家族連れが増えたのは確かですし、明るくなれば魑魅魍魎系の邪悪さは姿を隠さざるを得なくなりますから良いことなのかもしれません。

 だけどなんだね。健康的すぎるね。

 遠鉄百貨店の脇にあるクリスマスツリーの所にもいっぱいカップルがいましたが、そんなに間がもたないみたいですね。

 僕ら家族はアクトタワーの東側にある北口駐車場に車を停めて、アクトビルの通路を通り抜けてきたんですが、そちらの暗がりには結構高校生だののカップルが盛り上がっていてウチの娘さんの目のやり場をフォローするのに必死でした。



 ここのツリーは真下に潜り込めるのがよくて、寝転がって見てる人もいましたね。

 まあとにかく明後日から12月、ウチもクリスマスイルミネーションを出さなきゃね。



疲れているのかな?

2007年11月24日 23時42分53秒 | 妄想
 イオン浜松志都呂ショッピングセンターに行ってきたんですが、どうも疲れているってのがあるようで、困ったモンです。
 今、ニューヨーカーの間で無印良品が流行っているというので、気になって何の気なしに入ってみたのね。それでね何の気なしに商品を手にとって、思ったのは


”今時、こんなのも百円で売ってるんだ”

てことで、次の瞬間


ん!!!

 生活良品って百均じゃないじゃん!!!

 素で間違えてるよって思ってがっかりしちゃいました。

大原美術館2

2007年11月20日 22時48分21秒 | 紀行
 大原美術館いって、そのことを母に話したら、私も行ったことがあるといってたんですね。母は歯科医に勤めていたんですが、社員旅行で主な観光地は連れて行ってもらってますから、その類だろうなと思ってたんです。当時の歯医者さんって今と違って町に歯医者なんて2軒ぐらいしかなくて随分と大名商売でとおっていましたね。今じゃそうはいかないでしょ。過剰気味で営業時間も長くなったし、土曜日曜もやるところがあるし、大変だなって思います。
 で、ウチの母も従業員としては大変だったようで、よく怒られていましたし、半分家政婦扱いで家の掃除だとかさせられてましたので、ぶつぶつ言ってました。当時は僕も同情してましたが、8時半に出勤で、昼休みが2時間あって、5時半には仕事が上がれて、固定給とボーナスと土日の休みがあるって、結構良い職場だと思うんですよ。それに加えて半年か1年に一度の社員旅行があって、タダで、全く積み立てなしで連れて行ってもらえるでしょ。今じゃあまり聞かない待遇ですよね。
 そういうイメージで考えてましたから、今度もそうかと思ったんですね。でも母の返事は違っていました。
 ”修学旅行で行ったんだよ、中学?いや小笠農校の時だったよ。”ですって。だから少しばかり不意をつかれた感じで、18歳の母があの建物の玄関にセーラー服を着て友達と中に入っていく姿が思い浮かびました。僕の生まれる2年前の、今から五十年ぐらい前のことなんですけどね。昭和三十三年のころかと思います。そのころから「モネの睡蓮」や「受胎告知」の絵があって、当時十八歳の母と、今、四十七歳の僕が時を超えて同じ場所に立ち、同じように「へえ~」とか言ってると考えると不思議で面白い感じがしますね。うまくいえませんが、全くひょんなところで若い母と出会ったしまった感じがします。

おーはら、おーはら、大原美術館

2007年11月18日 17時40分57秒 | 紀行

倉敷行ったら大原美術館は外せないでしょ。でもまあ町の美術館と違って、観光地のど真ん中にある美術館ですから、多少客層に差異を感じましたね。なんて言ったらいいか分からないけれども、いわゆるツアーのコースに組み込まれてしまっていて、本人はそれほど興味があったわけではないし、自分には絵画を、どうにか鑑賞しうるだけの鑑賞眼はないと信じているし、尚かつバスの中で多少ともお酒が入っているしと言うような人たちは残念ながら、団体という多勢に無勢を殊更強調するために、多少大きな声で”こういうのはおいらにゃわかんねえや!!”と場にそぐわないかもしれないというコンプレックスを強引に否定なさるようなことはしなくて良いから、静かにして欲しいのでありますね。

 

 そういうときは500円追加するとしゃべる羊羹みたいなのをかしてくれますから、そいつで絵の説明を聞いていきましょう。結構親切な説明だし、エピソードなんかも紹介してくれますよ。
 下世話ついでに絵のお値段なんかも教えてくれたら、みんな借りるんじゃないかなと思ったりしますが、大原美術館自体が奇跡的な産物なのだから、ここに所蔵されてるという事だけで、もう値段の問題では無いのかもしれませんけれどね。

 でもまあ、今はもうこういう事をする日本人もいなくなってしまったし、大原孫三郎にしても児島虎次郎にしても明治の日本人じゃなきゃしえなかったことでしょ。だからそういう気概というか、明治の日本人像を具体的に知ってもらうためにも、当時の物価換算で値段を教えてくれたらいいなと思いました。

倉敷美観地区

2007年11月15日 22時48分10秒 | 紀行


 岡山城を出たのは午前10時前だったと思います。市電で駅まで帰り、電車にのって行きました。岡山からそんなにかからないんですね、倉敷って。途中、岡山理科大とか川崎医科大学とか倉敷マスカットスタジアムとかを田園風景の向こう側に見ながら、電車はのどかに走っていきます。僕は地図感覚に鈍い男で、要するに方向音痴なんですが、駅のどちら側にいわゆる倉敷が展開するのか知らなくて、倉敷駅に着くと「倉敷チボリ公園」の方に出ようとしてました。反対側に行かなくちゃいけません。駅を降りたらすぐに倉敷美観地区に入るのかと思ったら大間違いで、そこから500mぐらい先だって書いてありました。

 500mってすごく微妙な距離で、すぐのような気もするし朝から歩き回って、かなり足にきているおじさんにとってはかなりきついきょりだったりします。でもバスは適当なのが無かったし、タクシーは高くつきそうなので、やはり歩いていくことにしました。

 目的地までの距離感がつかめないまま歩くのってしんどいのですが実際は”あれ?”ってな感じですぐについちゃいますね。皆さん歩いてますし、誰かと一緒におしゃべりしてたらすぐに着きそうな距離です。

 

 美観地区の入り口付近ですね。

 予想通りの展開でした。

 いや、嫌いじゃないんですよ、こういうの。

 と言うよりこうでなくちゃいけないと思いました。

 今回の出張に出てくる際に、僕は義理の母からお小遣いをもらっているんですね。ちょうど義母が泊まりに来ていて、そうなるかなって思ったらそうなってしまったので、どうしても多少値の張る、おしゃれなおみやげを買わなくちゃいけないんですね。
 まあ半返しといったところで納めなくちゃいけません。
 
 結構気を使うでしょ。大変なんだ婿だって。

 で、こういうお店が一つもないとこっちとしても困るわけで、それなりにありきたりのお土産と言うよりも、少しだけ専門店っぽくなってるのが良いんだけどな。何せ1万円ですから。5千円に限りなく近くて決して安っぽくなく尚かつ倉敷色が出てるものって言うのは…難しいでしょ!これ。

 で、トンボ玉とビーズのネックレスなんか良いかなって思ったんですけど、壊れ物は避けた方がいいし、かなり趣味が反映されるから怖いなと思うわけですよ。
 僕のセンスに関しての評価は悪くないんですが、それは廉価で良いものを、と言うよりもそれなりに値段をかけて間違いのないところを選んでいるからであってセンスの問題じゃないところで勝負してるんですね。

 まあこんな事を力説しても始まらないんですけど。

 で、結局ですね。吉備団子とかは買わずに、そういうのを求めてあっちに行ったりこっちに入ったりで散策なんて言うもんじゃありませんでしたね。

 まあどのみち観光客でごった返しているまでは行かなくても、悠長に歩く雰囲気じゃありませんでした。

 ここにくるのなら、明るい朝でお店が開いて無くて観光バスがまだ着かない時間帯にくるべきなんでしょうね。誰もいない道を手をつないで歩いてみたいな、カミさんじゃ無い人と。
 夜なら良いだろうって思うのですが、夜間照明でライトアップしてるみたいだし、泊まるところも多いみたいだから、混むんじゃないかと思います。


 え?何買ったの?

 倉敷ですからね。

 倉にちなんで、酒蔵で使われている発酵したお米を濾すときに使う布で作った小物入れバックにしました。渋い茶色なんですが、味がありますよ。

 喜んでもらえたし。

 実は出かける2,3日前にカミさんに、ママもう少しましなバッグ持ってないのお?買いなさいよ。とかいわれてたのを覚えてたんですね。

 聞き逃してないでしょ。偉いともうよ自分でも。

 話は変わりますが倉敷美観地区は少しだけ路地にはいると、とても静かになるから、そういうところにわざと入り込むのも良いかもしれません。

 
 

岡山城

2007年11月13日 22時57分55秒 | 紀行


 城好きの僕としては外せない箇所でしたね。隣に日本三大名園の後楽園がありながら、そちらには目もくれずにコンクリート再建のお城に行ってしまいました。「烏城(うじょう)」とも呼ばれる岡山城は不等辺五角形の変わった形状のお城ですよ。最も僕らのお城の基本は姫路城とか名古屋城にあるわけで、それが基本となりうるかって言うとそうでも無いんですけどね。
 岡山城はかの安土城に近い形だともいわれているそうで、公園の正面から見ると一層二層がのっぺりして見えますが、違う角度でみると結構かっこいいのです。

 岡山駅から桃太郎市電にのって二駅目の城下で下車しました。100円でしたね。ホッとする料金です。そこから川沿いに出て歩いて行かなくちゃいけません。
この川沿いの道が良いですね。

 僕はこの川の風景がとても気に入ってしまって、しばらくたたずんでいましたね。


 お城もこの角度でみると結構繊細な感じがして良いでしょ。鉄橋が見えますが、それは岡山城から後楽園への渡り廊下みたいなものになっていますね。









 お城の御門のすぐ手前にある私邸の玄関先です。お着物を召したご婦人が車から降りてきて瀟洒なお庭の松を剪定なさっている親方に声を掛けていらっしゃいました。
 この土手沿いの道はNHK連続テレビ小説「あぐり」の撮影現場になったそうですが、そういった時代の雰囲気を少しだけ嗅ぐことができたような気がしてとてもうれしかったですね。

 

 朝日に映える岡山城でございます。



 秋に行ったという証拠も見せておかねばいけませんね。

 

「赤穂浪士」なんかだと浅野内匠頭の異変をいち早く知らせる武士役の人が袴を高腿に引き上げて全速力で駆け上がっていくシーンなんかでみたような気がします。

  

 城内に入ってきました。従業員のおばさまたちがモップで丁寧にお掃除されていましたよ。昭和四〇年に鉄筋コンクリートで再建されたお城ですから、中身に期待はしてませんでした。昭和三十年代から五十年代に掛けてのお城の再建は観光を狙って博物館を兼ねた作りになっていますが、歴史ブームがかなりマニアックになってくるとともに、お城にも本物志向があるようで、あんまり鉄筋再建のお城には人気が出ていませんね。でもこのお城のメインテナンスの仕方は結構気に入っていまして、岡山県人の律儀さとか誠実さみたいなものが出てるようで好感が持てましたね。

 備中と岡山の城主と言えば宇喜多直家でありまして、お家再興のために謀略の限りを尽くして、主家の乗っ取り、毒殺、だまし討ち、で一国の主にのし上がった人なんですよ。およそ今の岡山県人のイメージとはかけ離れていますね。むしろその息子さんで豊臣秀吉に愛され、関ヶ原の戦いで最も激しく、純粋に闘った宇喜多秀家の方に岡山人をみたいような気がしてますね。 


 

岡山へ 県民性の窓2

2007年11月12日 22時08分45秒 | 妄想
 岡山へ っていうより帰って来ちゃったんですけどね。まあその報告は後ほどかきます。

 で、僕が考察してるのは一般人が思い描く県民性についてのことで、そういうのってお祭りだけじゃなくて、その県から出た偉人や政治家なんかもかなり影響してるんじゃないかって思うのです。
 そういう意味では今生きてる人間のイメージもあるんだと思いますね。静岡県を代表する芸能人じゃないはすなのに、その手のバラエティーに出てくるのは、勝股くにかずだったり研なおこだったりするでしょ。なんかもう少しましなのいないのかなって失礼ながら思っちゃうんですよね。

 静岡も岡山もそういった意味からしてもぼんやりした県なのかなって思いますね。
 宮崎は今、東国原県知事のイメージが宮崎県民を覗く「窓」みたいになってますでしょ。宮崎県をみるときに東国原知事を通してじゃないとみえてこないのが今の宮崎県だと思うのです。

 歴史的な人物はいますよ。静岡には今川義元や徳川家康がいますし、岡山には宇喜多直家や秀家がいますからね。そういう意味ではもっとインパクトがあって良いと思うんですけどそうじゃ無いんですね。

 静岡や岡山じゃなくて駿府や備中なんでしょうね。それがそのまま県名に反映されていたらもう少し違ったものになっていたかもしれません。
 そうすると県名から歴史的色彩を消し去った県のイメージが湧かないのかもしれません。
 こいつは明治政府の謀略か?

 てなことは無いんでしょうけど、まあお互い頑張りましょうということでお茶を濁します。

岡山へ2 県民性の窓

2007年11月07日 20時30分08秒 | 文化論
 今度の岡山への出張はお仕事としては金曜日だけなんですね。で、終わりが6時ぐらいになるんで、泊まってくればいいよ。という優しい職場の配慮で宿泊がついたんですね。ほんとはね帰るつもりだったんですけど、一緒に行く人たちが”泊まるよー”とかいってるから、じゃあ泊まらなきゃ悪いかなって思うでしょ。下っ端だし。で、いざ蓋を開けてみると現地に泊まるのは僕だけになってたんですね。なんか上島竜兵になった気分なんです。

 ともかく僕は次の日フリーになったんで何処に寄ってきてもいいわけなんです。ところがね、じゃあ何処へ行こうかなって考えると、ちょっとの間浮かんでこなかったんです。
 岡山って何があるんだろうって思ったんですね。

 桃と吉備団子と…。

 もちろん僕の不見識のせいなんでしょうけど、なんか岡山って輪郭がはっきりしない感じなんですね。

 そのことを口に出したら後輩に”倉敷いったらいいじゃないですか”て言われました。
 そうか倉敷って岡山なんだって思いましたね。

 そうすると日本三大名園の後楽園も浮かんでくるんですが、岡山県人という輪郭がはっきりするわけじゃ無いんですね。

 じゃあ自分たち静岡県人はどうなんだって言われますと困るんですが、他県人からすると岡山とそう変わらなかったりするかもしれません。

 だってお茶とみかんっていうイメージは強いと思いますよ。
 それ以外はないって言えばいえるのかもしれません。静岡県民の輪郭ってどんなモンだろうって思いますね。
 富士山があるから気分が雄大でのんびりしているっていうイメージがあるって聞いたことがありますが、どうかなって思いますね。

 逆にはっきりしてる県どんなところだろうって考えてみますと、歴史上の偉人が出てるところはその偉人の持ってるイメージが県民性に反映してるって気がしますね。名古屋の織田信長、豊臣秀吉。三河の徳川家康、甲州の武田信玄、新潟や米沢の上杉謙信。高知の坂本龍馬、鹿児島の西郷隆盛、山口の木戸孝允、吉田松陰等がそんな感じでしょうか。
 それから有名なお祭りと結びついてるイメージもあるのかなって思います。博多どんたく、阿波踊り、青森のねぶた、秋田の竿灯、仙台の七夕、とかが代表的なものじゃないでしょうか。

 静岡はその点中途半端なのかもしれません。

 大道芸ワールドカップは全国版になりつつありますが、県民を代表するお祭りになんるんでしょうか。

 たつろくんの地元の長野はどうなんでしょう。長野って言うのは昨今「信濃の国」という唄を県民のほぼ全員が歌えるというのでインパクトが強いのですで。で、教育県というイメージはありますが、具体的な輪郭にはなってないですね。むしろ諏訪は諏訪大社、諏訪湖、御ばしらのイメージが強烈ですから、長野でも別物の扱いなんだろうなと想像してしまいます。

 だらだらとまとまらないですが、もう少し続きます。

岡山へ 建部氏について

2007年11月06日 23時43分49秒 | 人々
 金曜日にお仕事で岡山市に行ってまいります。なぜか高知だの広島の福山に行く機会はあったのですが岡山はいつも素通りでしたのでチャンスだと思ってます。

 とはいっても岡山の山中のお仕事なので大して楽しめないのですが、僕の行き先の近くに「建部」(たけべ)という地名があります。ぼくの仕事場には「竹」の方の苗字の人がいます。その人は北九州の炭坑の町の出身なんですね。で、その家のいわれとして先祖は浅野家の家老だった家柄なんだっていうのがあるそうなんです。あの赤穂浪士の浅野家ですね。
 ほんとかいなって思って調べてみると、映画なんかじゃ欠かせない役柄として建部氏が出てくるんです。播州赤穂藩の江戸家老の一人だったようです。浅野内匠頭は吉良上野介に虐められて江戸城松の廊下で意趣返しをするんですが、その遠因になったのが家老の不手際って言うのがあったみたいですね。つまり浅野家は儀礼式典に通じた吉良さんに助けてもらうしか道は無かったのですが、そういう場合は頭を下げるだけじゃなくて誠意を形に表すのが常識だった時代に、浅野家はひたすらお願いしちゃったみたいなんですね。当主は良いですよ、それで。でも実務面を担う家老はそれじゃいけないでしょ、みたいないきさつがあって吉良がへそ曲げちゃったみたいなんですね。建部氏さんもう少し空気読まなきゃってなところでしょうか。でもまあ仕方なかったんでしょうがね。
 で、討ち入りの時にはいないんですよ、建部さん。どうしちゃったんでしょうね。これも改易になった家臣の9割は仇討ちに参加してないっていう事実をみれば当然かもしれませんね。でも仇討ちに参加しなかった人たちって、その後ずいぶん肩身の狭い思いをしたそうです。
 浪人して再就職運動しても「赤穂浪人」とかいうと「あら生きてたのかい、普通死ぬでしょ。」ぐらいのことは言われたんだろうと思います。建部が竹部になったのもそういう事情があったからかもしれませんね。