「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

波紋からうねりへ、それとも返し波? 

2008年04月29日 13時40分56秒 | BLOG論
 RINRIN王国というところに駄文ニュースつながりで、紹介された影響が今日になって出てきまして、なんと訪問者数871人を数えました。その結果100万を超えたgooブログのランキングで199位という、このブログの歴史を塗り替える事態になってしまいましたね。午前9時台に閲覧者数124をマークしてその後も40~60の間を行き来していますね。
 他の記事にはほとんど目をくれず、「田舎に泊まろう!テレビを見る目の悪意」だけに集中しているのは気に入りませんが、チェジウさん画像でなく、記事でランクインしたのは曲がりなりにも評価してもいいかなと思うのです。
 しかし僕がブログを始めたときは3万人ぐらいしかブログ人口がいなくて訪問者数が100を超えるとランキングに載ったんです。それと比較すると、30倍になったにもかかわらず、340で1000位以内に入るってのは、相当な数の植物状態ブログがあるとしか思えませんね。

聖火リレーに関する一考察

2008年04月28日 00時31分44秒 | 人々
 日本で六人の逮捕者。韓国でも妨害活動が相次ぎましたね。今度は北朝鮮でリレーが計画されていますが、さすがに妨害活動はないだろうねえ。下世話な話だけけど、銃で撃たれちゃうようなきがするものなあ。北朝鮮にとって中国はいまだに「兄貴ぃ~、おれらちゃんとリレーしますから見ててくださいよぉ~」ってな感じの国でしょうからね。
 それはそれとして、聖火リレーってこれから、毎回政治色豊かな色彩に変化していくんでしょうな。なんてたって世界中に放映されてしまうんだからね。こんなに良い機会はないと思うよ。これからはそれぞれの国が抱えている民族問題やら人種問題が浮き彫りにされていくような気がしますねえ。そうすると「うちにはこないでくれ!」っていう地域も絶対出てくるね。そのうち過激派が自爆テロでリレー走者を狙う、なんてこともあるかも知れないね。

硫化水素と新幹線 迷惑を掛ける死に方について

2008年04月28日 00時17分02秒 | 妄想
娘が中学に行くようになりました。しかも電車通学なんです。で、火曜日と木曜日は学校帰りに塾に寄ってくる関係で、駅に着くのが9時半近くになってしまうんです。僕が駅まで車で迎えに行きます。別にそのことは良いんですが、始まってまだ一ヶ月も経たないんですが、3度ほど電車が遅れて予定していた時間を過ぎて車で待つことになりました。いずれも「人身事故による電車の遅れ」に起因するものでした。その一つは先日、新幹線の非常用のレバーを操作して扉を開けて、天竜川鉄橋上に飛び降りて無くなったケースなんです。あの日の影響は新幹線だけで4万人の足に影響を与えたと報道されていましたが、連絡の都合上在来線にも影響が出ていたんですね。
 JR東海では2時間以上の遅れに対しては乗車券の払い戻しに応じるらしいのですが、そうすると対象者は約3万人になり、その分の被害総額だけで、優に2億円近くになるだろうと推測されているそうですね。
 この被害額に車両の洗浄、保線工事等の料金が加算されて、当事者の遺族に請求がいく場合があるということです。
 ニュースでは、過去に請求した請求したケースがあるとだけ伝えていましたが、少し考えるとかなり気になる事を言ってますね。「請求したケースがある」とは一体どういう意味なんだろう。「請求しないケースもあるんだろうか」という疑問があるが、現実には「請求しても回収できない」ケースがほとんどなのではないかと思う。
 相手がオウム真理教等の宗教団体が起こした、半ば破壊活動であれば当然請求するだろうし、政治家が「ひかり」を無理矢理予定外の駅に止めたら請求して欲しいなと思う。
 ただ「自殺」で請求するのかなというのはどうだろうか。もしも当事者に「電車に恨み」等の感情が認められたら請求対象にするんだろうか。
 どっちにしても多くの人とJR職員にとってはトラウマものの迷惑なんだろうと思うのです。
 一瞬で死ねると思うのか、電車が迫って来るのと心のタイミングが合わせやすいのか知らないが、全身を引き裂かれて人間の尊厳なんてかけらも無いような苦痛を伴う死に方だと思うのです。
 で、もう一つの流行は、硫化水素を使って自殺する方法だね。今週だけで50人の人が、硫化水素を発生させて死んでいるんだね。苦痛もなく予告もなく死ねるのが魅力になっていて、巻き添えになる人も出るっていうんで流行っているらしい。自殺願望のある人は何処かに自分という存在を知られたい、できれば止めて欲しいという願望があるそうで、誰にも発見されないような死に方はしないらしい。「死刑になりたかった」と言って無差別殺人を起こす人も、その意味では共通点があると言えるんじゃないだろうか。

 疎外されている、自分は社会からはみ出していて、自分という存在を誰も必要としていないのではないか。自分は誰からも愛されていない。と、感じているんでしょうね。頑張ってアピールするわけでもないのにね。すべてを許してくれて、尚かつ無償の愛に包まれようとする人が増えているね。こちらから近づいてあげて、尚かつ、わがままを聞いてあげて、その上で、此方の努力の100分の1にも満たないような信頼しか得られない。
 母親不足!というより、じいじばあばが孫を見るような愛情だけが、現代人を支えているような気がしてならない。

ブログの波紋  駄文にゅうすというお墨付き

2008年04月20日 00時31分41秒 | BLOG論
 駄文にゅうすに2回連続で取り上げられた影響はやっとのこと少なくなってきたと思いました。閲覧数も訪問者数も減少傾向にあります。と、思っていたのですが訪問者数は昨日になってまた増加傾向にあります。アクセス解析で見てみると、「駄文にゅうす」からではなく「あにゅーる」というブログ?から来てくださる方が多い。ここも「駄文にゅうす」で僕のブログを知ったようで、僕の、今度は今年の元旦の記事にリンクされているようです。しかも紹介は「駄文にゅうす」とだけしています。
 駄文ファンが去った後、綱一本の繋がりで、今度は「あにゅ~る」の世界の人が沢山やってくるっていう現象を正直に面白いと思いました。僕が投じた小さな石ころが波紋となって拡がっていくような感覚を持っています。ただ別の感情の部分で、僕の作ったプラモデルを友人に見せびらかしていたら、思わぬ時に全く知らない人の机の上にあって、しかもまるっきり知らない人たちの手で触られている感触に似た感じもあるのです。

 しかし不思議なもので、僕や僕のブログ自体は、表面上、日常性から全く脱却することなく、つつがなくして頂いている。gooのブログは不幸中の幸いで、リアルタイムでの訪問者数や閲覧者数を知らせない。次の日にならないと分からないから、すべて終わった後の祭りを見直すのみである。
 

メディアの構造 翻弄される好奇心について

2008年04月18日 00時35分27秒 | 妄想
 「駄文にゅうす」に掲載されて以来、アクセス数が上がったままになってます。それでもコメントは一向に増えていないというお話をしました。

「です」さんは昨日くださったコメントの中で自分の当時のコメントを謙遜しておられました。

 それから、複数のHPとかブログにリンクが貼られているというお話もしました。

 何を言いたいんだ、こいつは!って言われそうなんですが、コメントが付かないのは、僕のブログに限定されたことで、僕の記事を紹介してくださっている他のHPには一口ずつコメントがあるんですね。

 あるページでは、「怖いですね」でした。他のページには「難しいですね」って書いてありました。

 ブロガーとしては、「なんだい!それだけかよ。」って突っ込みを入れたくなりますが、それはちょっと違うなとも思うのです。

 その一口感想っていうのは、僕や「です」さんを引っくるめた一般大衆がニュースを聞いたときの反応と似ているのではないかということなんですね。
 
 ニュースを聞いて反射的に出る「へええ~!」とか「ほおお~!」とか「かわいそうだねえ」とかいうのとほとんど変わらない。

 「です」さんのコメントは、本人は卑下してますが、ブログ上のコミュニケーションマナーという暗黙の了解みたいなものに則っているわけで、「怖いですね」とか「難しいですね」というコメントとは性格を異にしているんだろうなと想像できます。ブログでわざわざ「怖いですね」と一言だけコメントを付ける人もいないだろうなと思うのです。

 で、「ですさん」のコメントは長さからいうと、テレビのニュースに差し挟まれる「街角の声」の長さに近いかなと思うのです。
 しかし「街角の声」として取り上げて貰えるかというと、とても無理だなと思うのです。馬鹿にしてるんじゃなくて、街の声とするにはかなり個性的すぎるという意味です。そう考えると、あの「街の声」って、かなり意図的に拾われた、大衆を代表する無個性な「声」を集めているんだなと気が付きます。現実に街頭インタビューしたら、コメンテーターも解説者も舌を巻くような、「街の声」があったって良いわけだし、キャスターや解説者が、「今のインタビューに出てきた人の意見は僕も考えつかなかった素晴らしい意見ですね。」という展開があったって良さそうなのに、そういうのは絶対にあってはならない作り方なんでしょうね。
 大衆の浅くて、反射的な「街の声」だけを拾い集めて、それを見ている人をやや優越感に浸らせて、少しだけ深く、かといって難しくないレベルで、解説者が掘り下げると、視聴者は「ほら!俺の思っていたとおりだ」という満足感が拡がり、視聴率を稼ぐ事ができる。

 最後が少し嫌らしい表現になっていまいましたが、少し考えたら、そういうことなんだろうなって、思えてきました。でも僕も「ですさん」も街の人ですからね。僕らにマイク向けたら大変なんだから…、て言えるかどうか分からないけれども。

 更にいえば解説者やコメンテーターの言葉じゃ満足できない人たち、それなりに知的好奇心の高い人だとは思いますが、可燃性の高い人は「たけしのTVタックル」とか「朝まで生テレビ」とかを見てくれっていうことになるんでしょうね。

 ニュースっていっても、構造自体が既に、恣意的なものなんだなって事に気づくとかなり怖いものに感じます。

な?! ブログの精密検査?に思うこと

2008年04月17日 23時16分40秒 | 妄想
 今朝、アクセス解析のページを開いたら、アクセスIP数は280と相変わらずの多さだったんだけど、ビックリしたのは閲覧数が異常で、昨日一日で3209もあったんです。
 で、ですね、時間ごとの閲覧数を調べてみると、午前3時台に2866あるんですね。しかもその1時間の訪問者はたったの二人なんです。

 僕のブログは今年で足かけ5年になります。記事数はそれでも860ぐらいなんですね。その3時台のお二人は、二人で僕のブログ記事のすべてを3回通り見たって事なんですかね。

 う~む!

 そうなるとその目的が気になりますね。

 多分駄文にゅうす経由で来た人でしょうから

 飼って妄想を繰り広げてみると、

 1.コラム記事に感動して、ブログ本にしようかと検討していた。

 2.コラム記事に感動した新聞社関係の人がコラムの連載が可能かどうか検討した。

 ハイ!

 分かってます。かなり思い上がった妄想になってますね。

 ただし1も書き方を変えて

 1’.「あなたの文章が本屋に並びます。」と言って出資金をだまし取るつもりでいる。

 と、こう書くと、かなり現実味が出てきますね。

 さらに証拠を元に考えれば、

 
「です」さんが、自分が過去に書いたコメントを探しまくった。

 という可能性がありますが、もしもこれが正解ならちゃんとリンクしておかなかった僕の罪はかなり重いと言わざるを得ません。

 さらに、僕は一応、匿名でこのブログを運営していて、一時期更新が滞ったのは、周囲にこのブログの事がかなり知れて、ブログの自由度をかなり損なった事が一因としてあるんです。
 そういう意味では、この現象も…ないなあこのケースは。

まあね。

 原因がどれだとしても、というよりこの中に原因があるとは思えませんが、僕には対策のたてようがない(ブログ抹消という手はありますが)ので、というより何にも起こらない可能性の方がありありで、全くブログも長くやっていると色んな事が起こるものだと言うことでお茶を濁します。


 
 
 

駄文にゅうすのレッテル 

2008年04月15日 23時54分42秒 | BLOG論
 「駄文にゅうす」の4月12日版にピックアップされて以来、それが土曜日で日曜日が休刊日で更新されないことも相まって、3日間で800位のアクセスがあったんですね、さすがに今日あたりからは静まるだろうと思っているんですが、どうにも不思議なことに閲覧数が1600を超えてるってのに、コメントが全く付かないってのがあるんですね。いまだに当時「ですです」さんがくれたコメントと僕の返事がセピア色をして、表現としてはうまくないんですが、転がっている感じなんですね。
 なぜだろうって考えましてね。どうもあの記事は僕のブログの記事では無くなっているらしいとうのが結論なんです。だから、このブログの主催者であるanikiという存在はまるっきり認識されていない。記事はあくまで「駄文にゅうす」記事の一項目でしかないとい感じに行き着きましたな。ニュースにコメントするってのは新聞に投書する位の勢いなはずだから、コメントみたいに気軽にはできないのではないかと思うのです。「駄文にゅうす」の主宰者は、いわゆる新聞の編集長みたいなもので、僕らはまるっきりその意識が無いにもかかわらず、フリーの記者にされてしまっているようで、持ち込んだ(掲載を頼んだ覚えはないけど)記事を採用して貰ったという具合になっている。
 一昨日はそうではなかったけれど、昨日辺りからは、駄文ニュースからのアクセスだけではなくて、駄文ニュースを経由せずに直接僕の「この国のかたち的こころ」にリンクを貼る人が出てきたりしてます。しかし、紹介の仕方はあくまで「駄文ニュースより」なんですね。
 駄文ニュースに取り上げられるのは2度目なんですが、メディアに関する新しい視点を提示したものが取り上げられてますね、僕の場合。
 じゃあおまえはどうするんだって聞かれてもどうにもする気はないので、このまま続けていくつもりですが、でも自分の書いた文章が勝手に一人歩きし出すのって作家的には嬉しい反応なんですが、ブロガーとしては微妙な感じで、しかも今回の場合は2年前くらいのもので、脇腹をくすぐられているような、妙な感じがします。
 なんかですです君に諒解いただいてコメントを削除してしまおうかとも考えましたが、僕にとってはあのコメントもひっくるめて一つの記事ですから、削除するの止めました。僕らは2年前からこの件については盛り上がっていたんだぜという、証拠でもありますしね。

わがブログが炎上中!

2008年04月13日 17時16分47秒 | 文化論
 昨日のアクセス数がいきなり288になりました。日頃が40~50ぐらいなのにね。閲覧数は600を超えました。もしや!と思ってアクセス元をみると、やはりだった。駄文ニュース4月12日付けのコラム欄に僕の記事が紹介されていた。まあすごい影響力のあるサイトなんだねと思うと同時に、なんだか不思議な感じがした。紹介されたニュースは2006年の9月に書いたものだ。随分古い記事に目をつけたものだなと思うと同時に、ニュース性という点でどうなかと思ったのです。これだけ余裕でいられるのは、こういう経験は今度で2度目だからで、しかもこの騒ぎもきっと3日も持たずに収束するんだろうなと半ば高をくくっているからなんですね。
 これだけのアクセスってチェジウさんの画像を韓国のサイトから取り寄せていた頃以来のもので、要するに僕のサイトも駄文ニュースも自分で探す手間を省いてあげるとか、面白さとか、安全性の保障をしてあげているだけで、結構アクセス数を稼げるんだという証明みたいなものなんだろうなと思うのです。

 それだけ自分に自信が無い日本ってどうよ?

 って言いすぎ?