「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

天空に懸かる虹

2005年07月31日 22時51分56秒 | 地震関連
 山梨でマグニチュード4、震度も4の地震がありましたね。関東周辺の人は気が気じゃないと思います。

 今日の静岡は曇っていて、時々雨がぱらついたり、晴れ間が出たりで落ち着かない天気でした。

 僕の運動タイムにもなっている娘との夕方バトミントンで、空を見上げたら写真のような虹が架かっていました。端っこは僕の家の屋根です。

 空には余程の水蒸気があるようです。

 こういうちょっと変わった天気になると、またぞろやれ地震の前兆現象だと騒ぐ人がいますが、これは最近よく見かける現象ですので、ご心配なく。

 それにしても静岡のみが静かなのが気になりはしますが。

地震の時、持って逃げるものは 静岡ですから…。

2005年07月31日 10時27分44秒 | 地震関連
太知 手回し充電たまご 手回しラジオ MG-119S

太知ホールディングス

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 何せ静岡ですから、東海地震がいつ来てもおかしくないって言うのを30年間も聞かされ続けてますから、色々考えている人も多いんじゃないでしょうか、それに阪神大震災以降、大都市っていうのも意外と脆いものだと分かりましたし、スマトラでは自然の力の、もの凄さも腹が苦しくなるような想いで感じ取りましたから、かなり準備してます。

 物置にはブルーシート2枚、ビニールひも、カセットコンロ。車のトランクにはアークスリーという3日間分の食料、水とブランケットが入って、A4サイズになっているものが入っている。

 その上でベッド下には必ずスリッパ(外に出るとき怪我しないように)を置きm枕元には上の写真の手回し発電ラジオ兼携帯充電器と小型懐中電灯とカサ、通帳、現金の入ったウエストバックを置いている。

 地震のときに掴んで逃げるのはこれくらいかな。

 これだけあれば災害支援活動が始まる3日間ぐらいまでは、自力で生き延びることが出来る。

 避難所に行けばこれらのもは手にはいるかとも思えるけど、集団生活のストレスや父や母の持病のことを考えると、土地だけはある自宅内で過ごすことの出来るように準備しておくことが必要じゃないかと考えています。


 

七尾藍佳さんと細木数子さんと「ホメコトバ」2

2005年07月31日 00時17分06秒 | 書評
 七尾藍佳さんと細木数子氏はマスメディアに対する姿勢として対極にいろ人だと思う。
 細木さんは、「ずばり言うわよ!」をモットーにしながら、テレビでは実にベイシックな考えを述べている。
 人生の処方としては、実に正論を述べていると見ていい。そうすると一見つまらなそうな気がしてくるが、実際は根強い人気を保っている。

 細木さんの魅力は、本質の断定にある。占いの部分ではない。
 家族とは、夫とは妻とは、結婚とは、老いるとはどういうことかを、極めてはっきりと定義付けることに特長がある。
 それは一見当たり前の内容で、言われてみればその通りだが、いざ説明してみなさいと言われるとなかなか難しい事柄をズバリと定義づけ、それをベースに人生の処方を述べる点にある。

 彼女の説得力の基本は其処にある。
 相談者本人は、基本となる部分に気付いていながら、それにまとわりつく周辺部分に理由付けして、迷っている場合が多い。

 それに対し、細木さんは、あくまで最初に確認しあった前提を盾に攻めてくるから本人もその気にならざるをえない状況に陥るのである。
 そこに「占い」という「否」を受け付けない世界の「物的証拠」を加えるのだから最強の指針となるわけである。

 ただし、結論のみを見ると、ごく常識的な正統な努力をすることになり、本人もそれに従わざるを得ないことになるのではないかと思っている。

 本来「占い」とは「予言」ではなく、社会的環境の内側にいる人間に話せないことを、その社会的枠外にいて、尚かつ自分の話を聞いてくれる人に話すことで、カウンセリング効果を狙うものであると考えている。

 「新宿の母」をはじめ、多くの人気占い師の特長が、中る、中らないよりも、どれだけ話を聞いてもらえるかにかかっているようであるのも、その証拠であるといえよう。
 そして多くの人気占い師は、聞き上手であり、引き出し上手であり、話を聞いた後、同じ話を確認と称して繰り返しているはずである。
 そうすることで相談者は自分のやっていることや考えていることを外側から眺めることになる、つまり自己の客観視である。
 このことで、感情的な判断材料は自己の中で、バランスを取り戻そうと、重心が移動するはずである。その上で「占い」特有の、外部的判断材料(星、血液型、方位等)を原理として、最も社会的常識に近い線に落ち着かせようとするはずである。

 それに対し、七尾さんは、全くといって良いほど定義をしない。

 七尾さんの価値観というものがまだよく分かっていない部分で、この話をするのは危険だが、七尾さんは自分と全く違う価値観に対しては、拒絶よりも好奇心を優先させてしまうようなので、そういう場合は「おもしろい!」となってしまうのである。
 一つの物事、事件にたいしてどれだけ多方面からの視点をもてるか、どれだけ多面的な意見を集めることができれば、事件の本質が見えてくるのかに興味を持っていると思えるときがある。

 じゃあ七尾さんは自分の意見を持たないのかと言われると、それは全く違う。但し意見の立脚点は色々変わる。
 「この街に人にとっては良い迷惑ですね。」とか「アメリカがこんなことしていいんでしょうか?」とかいうコメントが多い。

 評論家やニュースキャスターやよく口走る言葉で、さんざん誰かを非難した上で最後に「この問題については、日本人全てが、今後とも考えていかなければいけない問題だと思います。」といって締めくくるけど、あれが僕は大嫌いで、それを聞くと気分が悪くなる。

 その後、何か考えて何かしたことあるのかよ!ってツッコミを入れたくなる。

 この点、七尾藍佳さんは絶対にそんな無責任なことは言わない。ゲストを招いた場合、その人に合わせはするが、その人が扱った出来事について、よく分かっていない人だと、自分の方で論旨を作り上げてしまう人ですからね。

 ただし相手を傷つけることは絶対しない。それが転校を重ねた人の人生の処方なのかは知らない。
 
 「情けは人のためならず。」という言葉がある。情けをかけてあげると、結局は自分に返ってきて、窮地の自分を助けることになるよという意味。困ったときはお互い様」と同じ精神があると見ていい。

 その意味で「ホメコトバ」も「人のためならず」であるはずである。

 自分の言葉を聞いてもらいたければ、その3倍は聞く姿勢をもつべきだし、相手と良い人間関係を築くためには、良い仕事をしてもらうためには、褒め10に対し叱り2で充分だと思っている。
 後は自分で考えなさいである。

 これも細木さんと同じ、自己の修正能力を信じてあげることが必要かと思われる。


 七尾さんのような能力を持たない多くの一般人は、自己の行動原理を求める傾向が強い。

 七尾さんのタイプは、インスピレーションを大事にし、行動原理に理由を必要としない。

 欲しいものは欲しいのであり、嫌なものはやらないのである。

僕らが必要とす仕事や社会が持っている物差しを持たない。というよりインスピレーションこそが物差しになっていると考えられる。

 それが何処まで通用するか知らないが、このまま育っていって欲しいのである。


 そしてそのインスピレーションは様々な視点の獲得に裏打ちされているので、それほどブレがない。

 細木さんが、大きな柱をもって世間に臨んでいるとすれば、七尾さんは大きな振り子をさんざん揺らして、落ち着いた所を自分の主張としている感じである。

 アプローチの違いとはそういうことではないかと考えているのである。


 全然関係ないけど、七尾さんって今ショートにしてるんですね。

 行けなかった出版記念のイベントの模様で知りました。出版日記:七尾藍佳さんに出てます。

七尾藍佳さんと細木数子さんと「ホメコトバ」

2005年07月29日 23時14分50秒 | 書評
ホメコトバ

ゴマブックス

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 FM東京の朝の3時間枠を一人で担当している「七尾藍佳」さんが本を出しました。
 よく出版に漕ぎ着けたなあ。というのが正直な感想だった。こういうスタイルの本を何と言って良いか分からないけど、いわゆるタレント本とはカテゴリーを別にしたい。確かに彼女自身の生い立ちというか、七尾藍佳の人格形成にかかわる自分史的な内容が多いのだけれど、すこしニュアンスが違っているような気がしてならない。
 外交官を父に持ち、5つの国の学校に行き、4カ国語を話す人だから、客観的には非情にドラマチックな人生を期待する。

 しかし、彼女はそれらの出来事を実に抑えたトーンで語ってくれる。

 気が付いたらそういう環境にいたと言うことで、彼女自身は、その環境を手に入れるについて何らの努力はしていない。
 むしろ父の仕事の犠牲者として、悲鳴を上げても宜しかろうと見る人がいても良さそうな感じである。

 ラジオの七尾さんは実に自由奔放に振る舞っているようにみえる、ただしこうして言葉に置き換えていくときの彼女は実に繊細なバランス感覚を発揮していろ。

 言質という言葉がある。言葉を人質にとる、つまり「あのときああいったじゃないか!」ということで相手をやっつけるアイテムにしようとするのが「言質」である。
 ラジオは放送である。電波となって人の耳に入った途端に消える運命にある。


 でもブログや書は違う。充分証拠能力が存在するアイテムである。

 だからというわけではない。

 より広い世界に挑戦しようと思うとき、人は普遍化していかないと、周りに受け入れる枠が存在しなくなる。


 続きはまた明日…。 
 
 

デジカメの功罪2 ファジーな目 見逃す優しさ

2005年07月28日 23時26分47秒 | 日記
ドラゴン桜 8 (8)

講談社

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 タイトルと内容が会わないんじゃないか?
 というのはいつものことですから、どうかご容赦をお願いします。

 デジカメの鮮明画像は見えすぎるきらいがあると言うことを前回書きました。

 何で見えすぎることに違和感を抱くのだろうと考えて見ました。

 画像は、最近ドラマ化されて話題の「ドラゴン桜」第8巻なのですが、その9巻に、脳の機能について触れている部分があります。

 簡潔にいえば、脳は間違いを無意識に修正してしまう機能があるそうで、そこに出ていたのは「様予がちょっと変だ。」って書いてあっても、「予」を「子」に勝手に修正してしまって、間違いに気が付かないというものだった。

 ホントかな?

 と思うけど、これも大作「弐十手物語」(週刊ポスト連載)の中に出てきた言葉で「口」→「日」→「白」→「百」と書いて、その上に「ソ」を乗せるとたいていの人が「首」って答える話が出てきて、そういうのを「思案投げ首」というんだ、と締めくくるのであるが(ホントかどうか知らない)、これも同じようなものだと思う。


 僕のブログも誤字脱字が多く、皆さんが勝手に修正してくれてるのではと、後で冷や汗をかくこともある。

 僕らはテレビで綺麗だなあと思って見ているのは、テレビ映像であって、近くに寄ってみると、三色の光の点であって、実物ではない。

 いや、その実物だって、コンサートなら少なくとも5メートルくらいは離れていることになる。

 つまり、僕らが「綺麗だな」と思うのは僕らの脳が情報処理する際に、勝手に良い方に修正しながら、画像を描いているわけで、それは芸能人だの、レースクイーンだのという、先行イメージがあってこそのことだと思ったりしている。

 デジカメはその辺りの事情を非情にも、全く汲むつもりはなく、修正無しのまま、僕らの目の前に実物大で、現実を突きつけるのである。
 いやむしろ、先行するイメージを壊す分だけ、罪深いのかもしれない。

 ちなみに、「ドラゴン桜」は現代社会の仕組みと、世に言う「東大ブランド」に対し、真っ向から勝負する体裁をとりながら、実は東大という存在を否定的に捉えている一面も見え隠れするマンガです。

 麻布か開成出身の人達がチームを組んで、東大対策をより現実的な方法で、合格させる話を作っているらしい。

 ある一面では信憑性があるが、主人公は素材として才能を持った人が、環境を勉強するのにベストの環境を与えることを前提としており、誰もが入ることのプログラムではないこと考えなければならないと思う。

 また、勉強方法については新機軸を打ち出しているような体裁をとっているが、これらのことは、既に進学TOP校では実践されているところでもあり、全てが目を見張ることでもないと考えられる。

 まあでも、とにかく自分でも東大に行ける気がしてくるってだけでも功績は大きいかもしれませんね。


 

国文科の憂鬱 田中先生のこと 本編1 少子化

2005年07月27日 22時34分29秒 | 日記
 というわけで、(なにがやねん!)国文科の田中先生には随分お世話になったのです。
 僕は提出期限ギリギリの国文学演習のレポートを受け取ってもらい、教授にお口添えをしてもらってやっとのこと卒業しました。
 ついでに最初の職場まで用意してくれました。僕はそれまで東京都の警察官になる予定だったのですが、田中先生の一言で覆ってしまったのです。
 でもまたそれは、後日詳しくします。


 そんなこんなで、田中先生とはもう20年間も懇意にしてもらってます。

 当時国文科の助手だった先生も、そのご、助教授から教授へと順調に研究を進められ、文学部でも大学からの生え抜きの教授として、活躍されています。

 そんな先生が、今、国文科が危機的状況にあるとお話になるのです。

 といっても18才人口の減少に代表される少子化の傾向は何も大学の国文科に限らず、どんな学校でも、どんな職種でも同様に、いやことによるとそれ以上に深刻な問題となっています。

 で、国文学科を目指す学生が減少しているというお話。

 特に男子学生の現象が著しいようです。

 これも何処の大学でも同じ傾向にあるようです。

 尤も、僕らが学生時代から、国文科の学生の半分は女性でした。

 「うらやましいなあ。」

 と他学部の学生から言われたことがありますが、女子の数が多いってのと、僕がもてるというのは別問題であって、現実的には同じ学科同士で付き合うケースってあんまりなかった気がする。

 わたしだけ?

まあいいや、とにかくそういう状況を充分知っている先生が言われるのだから、これは相当なものである。

 しかも国文科に入って、何を研究したらいいのか分からないまま、言い換えれば文学に対する問題意識を全く持たないまま、大学に入ってくる学生が多すぎると嘆いているのです。

 その辺りは僕としては首が縮む思いでありまして、僕も研究テーマも何も無しで何となくいただけの人でした。

 ただ、梶井基次郎をやろうということだけ決まっていた。

 田中先生は嘆きは嘆きとしてもっておられるようですが、別の問題もちゃんと認識しておられて、国文科は黙っていても、文学少女や文学青年が受験してくれる時代ではなくなっているということが最大の問題であるようです。

 つまりそれは不況下における、就職事情が絡んでくるのですが、それはま次の機会に…。
  

綺麗なお姉さんは好きですか。  デジカメの功罪

2005年07月26日 21時22分31秒 | 妄想
 【1世紀スタジオ】BB綺麗なお姉さんを知ってますか?

 管理人ご自身のオリジナルの写真のみで構成されているブログです。
 レースクイーンとか、モデルの人達をイベント会場にこまめに出かけて行かれるようで、ほぼ毎日のペースで更新されています。

 「凄いなあ」、と管理人さんの努力に拍手を送りたくなるブログであると当時に、デジカメの威力って凄いなとも思うのです。

 デジカメの魅力って、画素数に伴うキメの細かさにあると思うのですよ。

 細部まで鮮明に描き出すことが出来る。

 しかも必ずイベント会場での撮影だから、お化粧していても、照明調整も意図的な背景もない状態での撮影だから、

 う~ん、なんて言ったらいいか分からないけど、かなり生(なま)で、リアルに映し出されている感じがする。

 モデルさん達は精一杯、ポーズをつけたり、笑顔を振りまいたりしてるんだけども、アラの部分も見えてしまって、微妙だなあと思う写真もあったりして、複雑である。

 こういう人達は、僕から見れば、とてつもない高嶺の花なんだろうけども、この人達の上に更にトップモデルがいたり、トップアイドルがいたりするわけで、芸能界って凄いんだなあと、今更ながらベタな感想をもらしてしまう僕なのでした。

直撃かと思ったら…

2005年07月26日 20時24分41秒 | 日記
 台風は僅かに逸れて、今、千葉県鴨川市に上陸しましたな。夕方5時頃から、僕の家の周りだけは雲が切れて、娘と一緒にバトミントンしましたよ。ということは風もなかったと言うことです。
 仕事も早めに切り上げることができたし、暴風雨警報で休校になって暇を持て余していた娘の相手も出来たし、めでたし、めでたしでした。

 

ホームライナー

2005年07月25日 21時48分19秒 | 日記
 今日は突然の飲み会。一次会の後、上司の誘いを振り切り電車に乗った。この電車はホームライナーと言って特別料金の快速電車です。誰かが呑んだ缶チューハイの空き缶が酔っ払いの気分を上乗せしてくれる。
 車掌が回ってきて、310円をはらうと券をくれる。

 いつも男の人なのに、今日は2度回ってきて、メールを打っていたら、女の人が声を掛けてきたので、ビックリして顔を上げたら女性の車掌さんでした。
 「券はもう買いました。」と言ったら「すみません」と言って慌てて去っていきました。男の人が僕の車両で引き返していましたから、最前列の車両と最後尾の車両から、やってきたんだろうね。
 お互いに連絡取らないのかな?

 それにしてもカワイイ声の持ち主だった。顔は見てませんから。帽子で隠してましたから。なんで?

 関係ないけど僕は勘違いされて女性に声を掛けられることが多くて、ホテルのロビーで家族や仲間を待っていると、たいがい宴会に来ていたコンパニオンにお姉さんに声を掛けられる。それも決まって「飲み過ぎたたの?元気出して!明日仕事でしょ!がんばんなきゃ!」というタイプの言葉である。

 僕の顔が、ごく一般ピープル的で、何処にでもいそうな顔であることよりも、複数の女性からみても疲れた顔を日常的にしていることの方が問題だ。

 今日も宴会の帰りにみんなでワイワイ騒ぎながら駅まで来たのに、僕だけ若いお姉さんから「もう少し遊びませんか?」と声をかけられた。

 これは疲れじゃなくて、嫌らしい系の顔が原因なのだろうか。

 でも旅先で、カメラのシャッター押すのも僕が一番多いからナア。


 なんなんだろう?

浜松

2005年07月24日 23時45分01秒 | 日記
 久しぶりに街へ出た。職場と家の往復は、抜け道だらけの、信号も最小限に抑えているから、ほとんど混むことがない。
 今日は久しぶりに「市街地(浜松)」ってやつを走って、それだけで緊張した。いつもと違う車間での車線変更や交差点ダッシュは、自分がどんなにか田舎であることを実感させてくれる。
 首都高速は何度か走ったことがあるけれど、あれもナビなしじゃ自信がない。
 ましてや都内の一般道なんて、走りきる自信がない。自慢じゃないが、246号から渋谷に行こうとして、曲がるところを一つ間違えて、そのまま新宿まで行って引き返して、渋谷東急デパート本店の前にたどり着いたことがある。

 当時付き合っていた彼女と一緒だったから、あくまで強がって、人に道を尋ねることが出来なかった僕でした。

 大阪、京都は道はともかく、ドライバーが全てケンカを売っているのかと思うくらい過激だった。

 僕のドライブ最長不倒距離は静岡から、宮城県気仙沼までの、600キロを一日で走破したときなんだけど、他の人はもっと凄いんだろうな。

 ドライブって、すごく付かれる人と全然苦にならないタイプがいるようだけど、どうしてなのかなと思う。

 僕は胸が薄くて、平べったいから、走行に伴うG(圧力)を人より負担に感じているのではないだろうかと、下らないことを考えたりしています。

 皆さんはドライブへっちゃらですか?

 僕は知らない土地に行くと、慌ててしまって、どうも自分の運転ができません。