「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

恋と小説とブログと悪巧みは夜作られる

2005年05月31日 22時57分18秒 | BLOG論
 最近寝不足で昼間使い物になりません。
 夜10時を過ぎると目が爛々とし出す。
 で、結局1時に寝て朝6時に起きて、危なく30キロを運転して職場に行く。
 
 でも不思議なものでこの間の日曜日なんか、昼間さんざん時間があって、それなりにPCの前に座っていたりなんかしたけど全然アイデアが浮かんでこない。
 でも明日に備える10時過ぎになってインスピレーションが浮かんだりする。

 難儀な性格ですな。

 夜書いた手紙は翌朝読み直してから投函することと誰かが言っていたけど、ホントにその通りで、夜は感情が高ぶり、とてつもないことを結構平気で書けたりするね。
 まあ、そういうのって嫌いじゃないけど。

 午前様が多い人のブログってどんなだろう?って思ってしまう。

 しかしながら、お仕事の関係で、昼夜逆転とか、3交代勤務でとか、昼も夜もないような生活をしてる人たちの感覚からすれば、甘っちょろい話かも知れません。

 ばかにしてる訳じゃありません。

 感情の抑制具合のお話をしています。悪しからず。

 テレビでやっていた実験で明るい照明の部屋に男女6人と、薄暗い部屋に男女6人をいれた場合とではカップルの出来具合がべらぼうに違うそうだ。

 もちろん薄暗い部屋の方が確立が高かったに決まっているけどね。

 暗さっていったい何なんだろうって考えませんか。

 闇は夜行性ではないヒトにとって恐怖以外では亡かったはずで、恐れおののいていたはずです。その恐怖から解き放ったのが「火」であったはずで、その取り扱いを注意しながら「火」に頼ってきたのが人類でしょ。

 ヒトは「火」を手に入れ、「闇」とのコントラストを余計に鮮明にしたはずで、闇を葬る方向で発展してきたんじゃないかって思ってます。

 ただ「薄暗さ」っていうのは自分の外見とか、「明」の世界で付けられていた虚飾を剥がし、人を素直にするようで、きっと母親の胎内にいる環境に近くなるんでしょうな。

 みな顔が緩んでくる。

 そして少しの恐怖が人を惹き付けあう働きを助勢するんでしょうな。

 だから恋人達が暗いほうへ暗い方へと向かうのも頷けたりするんです。尤も別の目論見があるのならば知ったこっちゃないけど。

 それは暗さのもつ、秘密性と大きく関係しているようで、時代劇でも越後屋と悪代官の悪巧みは夜の料亭と相場が決まっている。

 実際ははフスマ1枚隔てた向こう側で違う客がいるのにね、日本人てのは不思議な感覚の持ち主で、いない、見ない、聞かない、と決めるといないことになってしまう。人形浄瑠璃の「くろこ」なんかその典型ですね。(これは以前にも書きました)
 江戸の遊郭なんかでもそのようでしたな。遮音性なんかどこにもない。

 「見ざる聞かざる言わざる」は日本のお家芸なんです。

 で、そう言いながらも僕はブログを書かないと寝られないし、続き物が多いから、連想が記憶されてるウチに書かないと放り投げになってしまうので、しばらく改善しそうにないという話で、タイトルの思わせぶりさ加減と比較すると、どうにも内容に乏しいものになってしまいました。
 

 
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ブログ占い? №10-2 テンプレートの背景色 ディープパープルに敬意を込めて

2005年05月30日 23時17分10秒 | BLOG論
 ディープパープルを最初に聞いた時の衝撃は今も忘れられません。これは行くところまで行ってしまった音楽ではないのかと思ったりしました。
 1970年代はじめの頃というのは音楽の可能性を追求してた時代でして、色んな人が新しい音楽を求めて実験していた風がありましたね。
 ビートルズだって訳わかんない音楽とも言えないようなものをアルバムに入れてたりしましたからね。
 その意味でハードロックの8ビートで最初から最後まで高音域のボーカルが叫びまくるというのは形として非常に完成度が高かったんじゃないかと思うわけです。
 僕は音楽評論を得意としてませんから、この辺で止めときますけど、ギターもジミーペイジとかもちろんリッチーブラックモアとか伝説的な人たちがいて、その領域に少しでも近づこうと必死に練習したものでした。

 特に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の4小節のギターリフはみんなこぞってまねしたもので、あれが出来ただけでいっぱしのハードロッカーになったような気がしたものです。

 代表曲の一つに「紫の炎」(Burn)がありますがあれなんかレコードが擦り切れるほど聞きましたな。
 首振りながら。

 で、パープルという語の印象はディープパープル無しに語れないのですが、ブログを始めるときにディープパープルを意識して紫にした!なんて人はいないでしょうから、この辺で止めときます。
 

 もしもディープパープルを意識したんなら「ゴールド」にしたんじゃないかと思うわけです。

 次回は本格的に?「紫」について考えてみます。
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ブログ占い? №10ー1 テンプレートの背景色 ディープパープルに敬意を込めて

2005年05月29日 23時46分40秒 | BLOG論
 先日「な」さんからコメントを頂きまして、「な」さんが「クイーン」のことに触れてまして、それで思いついたことを書きます。
 おそらく「な」さんは、新宿コマ劇場のWE WILL ROCK YOUをご覧になったんじゃないかと思います。
 FMで七尾藍佳さんも行ったよと言うことですが、こういう話を聞くと東京っていいよなと思います。


 ん?

 まあいいか。


 今日は「パープル」、「紫」のお話なんですが、始めに断っておきますが、多分本題に入らないと思います。

 



 僕は昭和35年生まれで、この年っていうのは、歴史でも習うように60年安保があったり、池田勇人首相が所得倍増計画なるものを発表して、いわゆる高度経済成長の時代の幕開けになったりして、色々と派手な年なんですね。

 僕らは1960年代に子供期を過ごしているんです。

 で、ようやく物心ついて、自分の近所の世界からもう少し広い世界に目を向けようとすると、もう色んなものが終焉を迎えていたりします。

 小学校5年生のとき、10歳か11歳の時ですね。昼休みに音楽をかけるのですけれど、ある日突然ビートルズがかかったことがありました。

 後で聞くと音楽の先生が彼等の曲は歴史に残るから小学生に聞かせるべきだって他の先生を説得してまわったそうです。
 
 僕らはラジオでよく聞く曲だ、程度の認識で、そういう曲のことより仮面ライダースナックのカードの方に心が向いていましたから頓着なかったと思います。

 僕が「みのもんたのオールジャパンポップス20(ツウェンティ)」を聞き始めビートルズにかなり関心を持ち始めたころには彼等は解散していました。

 中学に入ったときに周りのみんながフォークギターを持っていて、かぐや姫とか井上陽水とか吉田拓郎、ちょっと気取った奴は六文銭とかブレッドアンドバターとか言って騒いでいました。
 僕も必死になって親に頼みギターを買ってもらい「かぐや姫」を弾こうと練習しました。
 で、中学二年の時にヤマハリゾート施設「つま恋」で拓郎とかぐや姫で12時間コンサートをやったんですね。かぐや姫が再結成だ!って言って大騒ぎでしたから、つまりかぐや姫は解散してたんですね。
 楽器屋さんでチケットを2500円で購入して、当日はどうやって行こうかとか誰の家に集合するかとかわくわくした日が続きました。

 で、ご存じの方はご存じなんでしょうけど、静岡県の教育委員会かなんかで問題になりまして、未成年がそんな場所へ参加するのはまかりならん。という風になってしまったのです。
 で、チケットを楽器やさんに払い戻しにいきました。

 それでも僕らはフォークギターにのめり込んでいました。


 高校生になると、フォーク派とハードロック派にきっちり分かれましてしまいました。

 フォーク派はギターを片手に一人の世界にはまっていましたし、ハードロック派はバンドを組もうとして人数を集め、楽器屋さんが運営するスタジオを時間借りして活動したりしてました。

 フォークについては「つま恋」でヤマハ主催のポピュラーソングコンテストが始まりましたし、地方ラジオ局でも盛り上げようとする動きがありました。

 ハードロック派は「ツェッペリン」や「ディープパープル」に心酔し、FM放送のチェックやアルバムの貸し借りを頻繁に行い、高校の昼の放送や文化祭のテーマ曲に自分たちのアピールの活路を求めようとしていました。

 とにかくフォークもハードロックも普通のロックも学校の先生を代表とする、世間の常識からは随分と外れたものだったので、まともなライブどころか「電気ギターは使用禁止での参加可能」という、とてつもないハードル課してきました。

 バンド参加者は、フォークギターにピックアップマイクを付けて対抗する手段に出ましたが、あんまり成果はなかったように記憶してます。

 それでも、「天国への階段」に通じる精神を伝えたとかで、それなりに満足げでした。

 そういう意味で僕らは余り無茶をしなかった世代かも知れません。

 僕の高校では「アスパック」といって高校生が学生運動して授業ボイコットや教員の吊し上げや、デモなんかした学校でしたが、僕らの入ったときは、国公立進学者120名突破とか言っていて、全くそんなことがあったとは思えない学校になっていました。

 70年安保で暴れた人たちも既に僕らの認識の中では、内ゲバを繰り返し、民間人を人質に取って立てこもったり、仲間を殺して山の中に埋めたりする悪い人たちということでしたから、父親の「頑張っていたんだけどな」というつぶやきはどうしても理解出来なかったことを覚えています。

 

 今回僕が言おうとしてるのは僕らの世代は常に前の時代の価値観が終わろうとしてる節目に立たされてきた世代なんじゃないかということで、ビートルズもかぐや姫も高度経済成長もバブル経済も全てが転換期に差し掛かったときに僕らはそれを受け止めなくてはいけない時期に遭遇してるわけで、僕らは明確な対象を見失いながら足掻いてきた世代と言えるのではないかと思うのです。

 僕らは3無主義とか5無主義とか言われました。
 無思想、無節操、無駄、無知、無感動といわれ、新しい物差しを見いだせないまま大人になって行きました。
 僕ら世代の後は、フラストレーションを爆発させ。校内暴力が盛んな世代になります。
 地元の国立大の教育学部に進んだ人たちがこぞって小学校教員に進む道を変更したのを覚えています。
 金八先生の第二シリーズの頃に僕らは大学生でしたから。

 あれはあれで僕も感動し、それなりに涙を流したわけですが中学校の先生が「あんなのはテレビだから成立するんだ!」と言って憤慨していたのを覚えてます。


 中島みゆきの唄が印象的で、中学生には中学生なりの正義があったように描かれていますが、校長が生徒に謝っちゃうってのは今でもあり得そうにありません。



 で、いつになったら「紫」になるのでしょう?


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御前崎灯台とサーファーと僕のストレス

2005年05月29日 18時23分41秒 | 日記
御前崎灯台からの眺めだそうです。

 今日、その写真に写っている道路を通ってきました。

 急に海が見たくなって…バキッ

 っておじさんだってそういう気持ちになるときがあるんだよおーだ!

 ここから西に浜岡原発までの道はちょっとした景観ですぞ。

 というのもまず御前崎灯台から西側には自衛隊のレーダー基地があって、海岸沿いの道に民家が全くない。
 だから西側の台地から海岸へと下る道路からの風景は右側に湾曲した海岸線の突端に灯台があり、その向こうに駿河湾、天気が良ければ富士山や伊豆半島の天城山を臨む絶景となっている。

 そしてもうずっと前の時期からここには、週末になると全国からサーファーが集まってきている。

 風がいいからウインドサーフィンの大会、「サムタイムカップ」が開かれたこともある。

 道沿いの元々遊泳禁止区域だから店もなにもない。

 名目上、投げ釣りをする人や、観光客のために設けた道沿いの駐車場に車を止め、バスタオルを巻いて着替える姿が見られる。
 のぞき趣味はないけれど、サーフィンの持つイメージと比べると妙に現実的で、微笑ましくなる。
 突堤には見物を決め込む恋人達や、彼氏を待つ彼女。女の子同士で軽乗用車に乗り込んでやってきてたナンパされ目的の子もいる。

 そんな風景がもうここ20年近く続いている。

 でも今日、その場所を通ってみて風景として少し違ってきたことがあるような気がする。

 それは、サーフィンを家族で楽しむ姿が散見できたことだ。

 若い人たちの特権的なスポーツであった(湘南等の地域は除外して)印象はなく、不良の代名詞的なイメージもなく、かつてほどのおしゃれなイメージもなく(そういえば陸サーファーなる言葉も私語ですね)純粋にマリンスポーツとして市民権を得た(おじさん的言い方)といえるのではないでしょうか。
 20年というのは「流行」が「新しものアレルギー」の大人達の非難の洗礼をくぐり抜け価値を認められて次代に根付くのに必要な時間なのかと思ったりした。

 まあ、ともかくボードを脇に抱える少年が海を見つめる姿は掛け値なしでかっこよかったことは確かだった。

 あっ!それからサーファーの人たちのマナーも悪くないですよ。

 え?僕はなにしてたかって?

 今日は海の色がイマイチで通り過ぎただけで帰ってきました。
 
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夏の準備にいそいそと ダイエットじゃありません。

2005年05月28日 23時07分34秒 | 日記
 エアコンのお掃除をしました。僕の家には5台のエアコンがあります。先週カミさんが寝室のエアコンの掃除をしようとして、カバーのプラスチックの部分を壊してしまいました。

 その後かなり自分に腹が立ったご様子で、僕も娘も「さわらぬ神に祟りなし」とばかりに遠巻きに様子をうかがう始末。
 そういうわけで今日は僕が残りのエアコンの掃除をしました。

 でもエアコンの掃除ってフィルターの掃除が主で他にはあまりすることがない。ホントはもっと本格的にはずしてホースでジャージャー洗いたい衝動に駆られるし、接続されている配管もパイプマンあたりで綺麗に殺菌したいけど出来ない。

 エアコンの掃除はプロに頼むと1台1万円くらいが相場だそうで、5台もあると結構きついと思われ躊躇してしまう。

 年ごとに今年は東の部屋、次の年は2階の2台とかやっていけば良いのだけれど、僕ら家族はそんなに計画的に生きてはいない。

 ずぼらなんだね、結局。

 そういえば僕の家は築6年目に入った家なんだけど、そのときに隠蔽配管といって、壁の中にエアコンの配管を通してある。
 見た目にみっともなくないという利点があると勧められたのでそうしたのだけれど家電屋さんに聞いてみるとエアコンを買い換えるときには前の配管は使えませんよと言われた。
 結構ショックだった。
 だいたいエアコン自体が大型化して、配管のサイズが合わないらしい。

 なんか踏んだり蹴ったりな状態だ。

 とにかくこれでいつでもエアコンにスイッチが入れられる。

 今週は鮮やかな雲が浮かび、気持ちのよい風が吹いていたけど、来週はそろそろ湿り気が迫ってきそうな気配です。
 カエルの鳴き声が盛んになって車のフロントガラスにアマガエル君がくっつくようになったら除湿のスイッチと入れることになりそうだ。



 でもその前にこの花粉症はなんとかならないものか。

 杉は確実に終わっているはず、

 でもなんか、先週の小学校の奉仕作業以来、違う奴が発症してきて未だに目がかゆいし鼻がむず痒い。

 う~ん、これじゃ1年中マスクマンだ。
 
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元日本兵と母の戦争

2005年05月28日 00時08分44秒 | 日記
 比の元日本兵、生存情報は4人 東播出身者の可能性

フィリピン南部ミンダナオ島に元日本兵二人が生存しているとの情報を確認するため、マニラの日本大使館員が二十七日、同島ジェネラルサントス市内のホテルで二人と面会する。今回の情報に関連し、厚生労働省は同日、元日本兵とみられる男性らが帰国を希望しているとの情報が、昨年十月に現地の民間人からフィリピン戦友会を通じて同省に入ったことを明らかにした。この時は、帰国を希望しているのは四人との情報だったという。

 このニュースを僕の母はどんな風に聞くのだろうか。

 僕は昭和35年に生まれているから、戦争を実体験として語ることは出来ない。
 
 僕は戦争を次代にどのように伝えたらいいか分からない。

 でも「戦争をしてはいけない」だけをお題目のように唱えることは意味がない。

 僕の知っている戦争は弾が飛び交ったり、戦車や戦艦やゼロ戦は出てこない。

 

 僕の母方の祖父は昭和19年に27歳で亡くなっている、場所はジャワのガダルカナル島だ。
 静岡230連隊の投入された場所だ。

 とにかく祖父は応召から戦死までわずか半年ぐらいしか時間がなかった。あわただしく連れ去られろくな訓練もなく、敗戦に向かう戦局の中でほとんど焼け石に水のような状態で殺されていった。
 人柄が大変愛されていたらしい。
 胸を撃たれて歩行困難となり、部隊から遅れ、手榴弾と共に残らなければならなくなったときに、僚友に遺品として血染めのお金を託したらしい。
 その方はそれを大事に持って帰り、家族に渡してくれた。

 現在お墓にはそれらの遺品が収められているだけで遺骨はない。

 そのとき母とおばさんにあたる妹が祖母と共に残された。

 何にせよ生きるのが精一杯の時代である。

 夫との死別は実家に戻ることとはつながらない。

 また、女手一つで二人の幼い子供を育てられる時代でもない。

 当時、多くの女性が選んだ道だそうだが、祖母は祖父の弟と結婚した。

 僕が今、おじいさんと呼んでいる人である。

 

 僕は祖母にかわいがられた。

 でも僕は余り懐かなかったようである。

 とにかくいつも怖い顔をしていた。

 しかめ面だった記憶がある。

 前の夫の孫。

 祖母が僕にお小遣いをくれるのはいつも誰もいない時だった。

 七五三のお祝いで母の実家に行ったとき、帰り際に祖母はニコリともせず僕に1万円を握らせた。
 
 公務員の初任給が5万円かそこらの昭和42年当時の話である。

 僕は祖母がおかしくなったと思い、震えながら母に報告した。

 

 その祖母が亡くなったのは僕が中学校2年の冬だった。

 ある日突然小学生の従兄弟から電話がかかってきた。

 「お婆ちゃんがおかしい」

 聞けば家族全員が風邪を引き、寝込んでいたそうだ。

 若い夫婦はなんとか病院へ行ったが祖母だけは行かず寝ていたそうだ。

 その祖母の急変に従兄弟が気付き、どうしようもなくて僕の母に電話をしてきた。

 祖母は脳溢血を起こしていた。

 すぐに救急車が呼ばれたが祖母はその日の内に亡くなった。

 朝、僕たち兄弟が2階から下に降りてゆくと、目を真っ赤にした母が台所で「お婆ちゃんがね、死んじゃったよ。頭痛い、頭が痛いって、ずうっと言っていて、死んじゃったよ」と言っていた。

 享年55歳である。

 その年、僕達家族は新しい家を建てていた。

 祖母は其の完成を楽しみにしていて、気の早いお祝いを用意していたそうである。

 葬儀の際、おばさんは棺から離れようとせず、おじいさんは、「長い間、よく仕えてくれた。おれには過ぎた女房だった」とつぶやいて泣いた。

 後から知ったことだが、祖母がいつもしかめ面してたのは頭痛もちだったこともあるそうである。

 だけどそれだけだろうか。頭痛を誘発させるのはそれなりのストレスがあったに違いないけど僕はそれを確かめる術もなければ、分かってどうすることも出来ない。




 母は昭和47年の横井庄一さんが発見されたときも小野田寛雄さんが発見された時にも「アンタのホントのおじいさんもまだどこかで生きているからね。」と言っていた。

 そんな母ももう67になる。

 とうに自分の母の年齢を超えている。


 考えてみれば祖父だっておじいさんと呼ぶには若すぎる年齢である。

 孫の僕だって40を遙かに超えているのだ。

 生きていれば…。

 87歳か88歳になる祖父はどんな思いでいるのだろう。

 そして母は今日のこのニュースに接し、また同じセリフを繰り返すのだろうか。

 戦後60年。

 戦争は60年もの間、母の心を乱し続けているのである。


 それだけでも戦争は罪なのである。

 

 
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新茶とアキバ系と結婚できないオヤジ達 ちゃちゃちゃの部で三位

2005年05月26日 22時09分49秒 | 日記
 僕は毎日お茶どころの牧ノ原台地を車で縦断し、ついでに横断して通勤している。45分の通勤時間のウチ35分が茶畑の中を走っている。
 毎日茶畑を見ながら17年間も通い続けている。
 そうすると嫌でも茶畑の表情が分かるようになってくる。

 そのことにつては又後日述べるとする。(勝手ですね)

 僕は仕事からの帰りの帰りによくコンビニに寄る。
 寄る日はたいてい月曜日と木曜日だ。
 
 なぜってそれは月曜日は「ビックコミックスピリッツ」の発売日で「日露戦争物語」を立ち読みする日だし、木曜日は「モーニング」の発売日で「バガボンド」と「島耕作」と「蒼天航路」を立ち読みしなくちゃいけないからだ。

 別にしなくちゃいけないわけではないが自分の中では大切な問題なのだ。

 45歳でマンガを立ち読みしてる方が問題か?

 しかし、今の40代前半を皮切りに、その下の世代では結婚しない、できない。または普通の恋愛ができない、プチおじさん達がアキバ系といわれるマニア好みの少女マンガから抜け出したような衣装を着た若い子をアイドルのように追っかけ回しているそうだ。

 この間ニュースでやってました。

 ブログの世界でも彼女たちアキバ系アイドル達は当然のごとく進出し、っていうより元々こっちの方が本流か分からないけれど、ブログを共同経営したり、個人のブログを持っていたりする。

 でもまあそんなの当然か!

 もともとPC(パソコン)のコンピューターグラフィックの世界だもんな。彼女たちの実現しようとしてる世界は。

 コスプレとか言うジャンルがあるけど、アキバ系アイドルはそれとは少し違ってメルヘン系コスプレに限定されている。

 つまりコスプレの中でも見てるこっちを癒してくれなきゃ本物ではないという感覚が働いているようで、メイド服とか猫とかのペット系の衣装などがもてはやされている。
 
 こういう非現実の中に自分を埋没させて、限られた時間をストレス解消法の一つとして考慮するのは全然構わないと思うけど、問題なのはその非現実を主として現実の自分をかりそめとしてしまっていることで、現実的生活の部分で社会的な生物としては全く成長を止めてしまうことにある。

 ネット自殺で見られるように、自分のごく一部分であったものがネット上で拡大増幅され、誘因力をもって現実離れしたまま実行力を持ってしまう。

 哀しい出来事がネットを持つことによって誘発されていく。

 ブログでも2chでもPC上に展開されるのは其の人間の一部分が増幅されたものでしかないのに、まさしく窓を開けて外の世界に飛び出していけるがごとき錯覚を抱く人が多い。
 

 万引きをして見つからなかったら、それは罪ではないかというと、それは厳然たる罪である。
 例えその行為がうまくいっても自分の心に刻み込まれた罪の意識はその人の精神をむしばんで必ず災いをなすことになるでしょう。

 

 えー。コンビニの話から随分逸れました。


 コンビニで買うのは家まで堪えることの出来そうにないお腹をなだめるちょっとしたお菓子とペットボトルのお茶。
 
 お茶は色々買ってます。

 画像は「伊右衛門新茶」(季節限定)

 もちろん全国で売ってるはずだけど、どうなんだろう?


 前に他県の人から、「中学生だ、高校生が新茶だ!新茶だ!と騒いでいるのは静岡県人ぐらいなもんだよ。」と言われて大変なショックを受けた。

 そういえば他県の人に「新茶です」などと言われたことがない。

 それに旅行に行って何がつまらないと言えば旅館のお茶がうまかった試しがない。

 そういえば東名高速道路の牧ノ原サービスエリアの下り線に寄ることがあったら是非食堂でお食事を採って頂きたいと思う。

 大きな富士山を遠景に手前の富士川を近景に展開する富士川サービスや浜名湖に架かる橋を視界に入れながら食事を楽しめる浜名湖サービスエリアと比べるとロケーションの点では劣るがお茶は絶対お勧めできる。

 近所の農家で摘んだものをそのまま提供しているから茶所で育った僕も唸るおいしさだ。

 ただし期間限定だからお急ぎあれ。


 で、コンビニでも画像のように新茶系のペットボトルが出そろった。僕はこれらのお茶と本物のお茶を比べようとは思わない。
 
 本物のお茶とはお茶の葉にお湯をかけて抽出しただけのものを言う。

 缶コーヒーやインスタントコーヒーが豆から煎って入れたコーヒーと一線を画しながら、それぞれのジャンルを確立しているように、これもまた、別ジャンルと考えて良いのではないかと思う。それほど違うと僕は思うけど皆さんはいかが?

 少し前、牧ノ原大地をペットボトル茶メーカーの車が走り回っていた。内容は当然茶葉の買い付けである。

  国内産茶葉は品質に優れている、それを何とか自分のところの茶葉として確保したい。中国産もいいけども、外交事情が不安定さを増しているのでどうなるか分からない点もあろう。

 そして何よりもコンビニで売れているからである。

 そういえば牧ノ原台地に立つ、家はやたらと豪勢だ。

 空港建設に関わって土地を提供したためとも思われるが、それだけでなくこういった茶葉を安定ある程度安定的価格に引き取ってくれるところがあると農家としてもうれしい。

 他にも「若武者」とか「一」とか色々あるけど「おーいお茶」「生茶」「伊右衛門」「葉の茶」辺りがメジャー級かと思う。

 
 うーん、雑感にもなっていないような今日この頃。

 ちなみにチャチャチャの部で三位というのは僕の大学の社交ダンス部が体育会の部活の戦績発表の時述べたセリフで、いやに感動してので載せた。

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毎日見られるブログ

2005年05月25日 22時53分03秒 | 日記
 アクセス解析の「ページごとのアクセス」を見ていて気付いたことがあった。
 僕のブログの総記事数は、この記事を入れて267件ある。自分でもよく書いたなと思うけど不思議なことに毎日アクセスのある記事がある「BLOGの性差 王朝女流日記と自虐性(わたしドMですから)について」ってのがそれで、これが妙に息の長い人気のある記事のようである。(笑)
 検索解析を見てもその手の語句は登場しないのに不思議である。

 えー僕のブログは「アサヒ芸能」や「フラッシュ」を賑わせている。「エログ」ではございませんので宜しくお願いします。

 しっかし、gooのブログ総数は22万件だそうだ!

 僕はブログ始めて半年になるけど何倍になったんだ?

 今じゃ1日に実数で140人の人に見てもらわないとランキングにも入らないみたいだ。

 とてもそんなれべるじゃありません。

 このことについてはまた後日書きます。

 では、また。

 
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夕焼け! 赤焼け?

2005年05月24日 22時56分11秒 | 地震関連
 今日の空は久しぶりに凄かった。赤焼けと言って夕日が沈んでも空に赤さが残る現象を言うんだけども、今日は東の空まで真っ赤だった。

 趣味で地震予知している人たちの間では前兆現象の一つとしてあげているものです。

 地震予知サイトでは20日±5日の間ででか目の地震が来ると言っているけどこれも其の現象かと疑心暗鬼になりつつある自分が嫌だ。

 そう思って見ていて、変な竜巻状の雲(阪神大震災や中越の地震のときに確認された)があるぞ!と思っていたら、本物の火事だった。ビックリした。
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ブログ占い? №9 テンプレートの背景 グリーン

2005年05月24日 21時56分58秒 | BLOG論
 牧之原大茶園の茶の緑です。撮影者が下手なので緑が映えません。といってももう一番茶はすでに刈り取られた後なので、茶の木自体の緑も5月初旬の精彩はありません。

 分かるかどうか、茶園の奥の方に小さく山みたいのが映ってますが、それが静岡空港建設予定地です。土地収用法が適用されるかどうか、知事選も迫っていますし、今静岡県政は微妙なニュアンスを含みながら進んでいます。

 今日の背景色は「グリーン」です。

 緑は青と黄色を混ぜると出来ます。

 小さいときから好きな色でした。

さっさと本題に入れ?

 分かりました。


 この中間色の特徴は性差がないと言うことでしょうか。

 つまり男性も女性も分け隔てなく使えるものといえます。

 その意味では人をも選びません。

 バランス感覚に優れた色と言えましょうか。

 逆にそれぞれの性別の特徴を隠す、または強く打ち出したくない人が好む色とも言えます。


 当然この色を背景色に選ぶ人は、バランス感覚に優れているでしょうし、周りの人から細かな気遣いをする人だと見られている人が多いでしょう。

 ただそれは表面的な部分に止まり、バランス感覚に優れている分、自分のわがままを通すことが出来にくい、または時々突然わがままになって人を傷つけ、そのことで後悔した経験を持つ人かも知れません。

 あなたが憧れる人は、自由気ままに好きなことを言って、好きなことをして生きていて、尚かつ人に愛される人であり、時にそういう人を憎悪したりします。

 そういう自分を理解してくれる人が傍に現れて、一言「僕の前ではもっとわがままにして良いんだよ。」とか言われるとコロッといってしまって結婚詐欺などに遭いやすいタイプかも知れません。

 今回は馬鹿に意地悪だなあ~。


グリーンは人の目に優しい色です。

 それはかつて原初の人間が森で樹上生活を営んでいたことに起因するかも知れません。

 樹上生活をしていた頃の記憶って結構残っているんじゃないかって思うのが他にもあります。

 人は蛇を嫌います。本能的に嫌います。

 聖書ではアダムとイブを陥れた罪として嫌われるようになったと説明されてますが、僕は有情生活の時代に、人間がもっと小さかった時代の天敵として蛇がいたのではないかと思うのです。

 僕らは木の上で暮らしていました。

 高さに対する恐怖の感覚って、平均でどれくらいなんでしょうね?

 もちろん個人差はあると思いますが、僕はビルの4階くらいかと思います。

 それは、ジャングルに生えている木の高さとほぼ同じくらいなんじゃないか。

 そう思ってます。

 経験として備わっていない高さ、人間の体として、下が草に覆われた柔らかい土であっても落ちると死に至る高さかと思います。

 それ以上の高さで人間が生活するはずがない。

 

 話を本題に戻します。

 人類が最初に身につけたものがグリーンの葉っぱだった訳ですが、洋服としてグリーンを着こなすのはなかなか大変なんじゃないでしょうか。

 20歳のころ渋谷の109でグリーンの綺麗なドレスが飾ってあってしばらく見とれてまして、こんなんが似合う女性ってどんな人なんだろうか?思いましたが、未だにそんな人見たことありません。

 ゴルフウェアーならありますけどね。


 ところで「緑の黒髪」っていう言い方がありますがあれはいったいなんでしょうね。

 緑と黒とどっちやねん!はっきりせんかい!と蹴りツッコミがきそうですが、色としては「黒」なんですね。

 「緑」のほうは「新緑」のイメージ近くて、若々しい生命力を感じるものに使われる表現です。

 赤ちゃんのことを「嬰児(みどりご)」というのもその流れなんですね。

 その意味から言えば、緑が好きな人は、精神的に老いる感覚を少なく持っていると言えるかも知れません。

 活動的で、洋服もデコラティブなものを好まず白いシャツとジーパンで一向に構う様子がなく、おしゃれをする場合でも最新のものよりトラッドなものを選ぶ人でしょう。  

 なんかとっちらかってますが、続きがあれば後日に揚げます。
   
 
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