最近寝不足で昼間使い物になりません。
夜10時を過ぎると目が爛々とし出す。
で、結局1時に寝て朝6時に起きて、危なく30キロを運転して職場に行く。
でも不思議なものでこの間の日曜日なんか、昼間さんざん時間があって、それなりにPCの前に座っていたりなんかしたけど全然アイデアが浮かんでこない。
でも明日に備える10時過ぎになってインスピレーションが浮かんだりする。
難儀な性格ですな。
夜書いた手紙は翌朝読み直してから投函することと誰かが言っていたけど、ホントにその通りで、夜は感情が高ぶり、とてつもないことを結構平気で書けたりするね。
まあ、そういうのって嫌いじゃないけど。
午前様が多い人のブログってどんなだろう?って思ってしまう。
しかしながら、お仕事の関係で、昼夜逆転とか、3交代勤務でとか、昼も夜もないような生活をしてる人たちの感覚からすれば、甘っちょろい話かも知れません。
ばかにしてる訳じゃありません。
感情の抑制具合のお話をしています。悪しからず。
テレビでやっていた実験で明るい照明の部屋に男女6人と、薄暗い部屋に男女6人をいれた場合とではカップルの出来具合がべらぼうに違うそうだ。
もちろん薄暗い部屋の方が確立が高かったに決まっているけどね。
暗さっていったい何なんだろうって考えませんか。
闇は夜行性ではないヒトにとって恐怖以外では亡かったはずで、恐れおののいていたはずです。その恐怖から解き放ったのが「火」であったはずで、その取り扱いを注意しながら「火」に頼ってきたのが人類でしょ。
ヒトは「火」を手に入れ、「闇」とのコントラストを余計に鮮明にしたはずで、闇を葬る方向で発展してきたんじゃないかって思ってます。
ただ「薄暗さ」っていうのは自分の外見とか、「明」の世界で付けられていた虚飾を剥がし、人を素直にするようで、きっと母親の胎内にいる環境に近くなるんでしょうな。
みな顔が緩んでくる。
そして少しの恐怖が人を惹き付けあう働きを助勢するんでしょうな。
だから恋人達が暗いほうへ暗い方へと向かうのも頷けたりするんです。尤も別の目論見があるのならば知ったこっちゃないけど。
それは暗さのもつ、秘密性と大きく関係しているようで、時代劇でも越後屋と悪代官の悪巧みは夜の料亭と相場が決まっている。
実際ははフスマ1枚隔てた向こう側で違う客がいるのにね、日本人てのは不思議な感覚の持ち主で、いない、見ない、聞かない、と決めるといないことになってしまう。人形浄瑠璃の「くろこ」なんかその典型ですね。(これは以前にも書きました)
江戸の遊郭なんかでもそのようでしたな。遮音性なんかどこにもない。
「見ざる聞かざる言わざる」は日本のお家芸なんです。
で、そう言いながらも僕はブログを書かないと寝られないし、続き物が多いから、連想が記憶されてるウチに書かないと放り投げになってしまうので、しばらく改善しそうにないという話で、タイトルの思わせぶりさ加減と比較すると、どうにも内容に乏しいものになってしまいました。
夜10時を過ぎると目が爛々とし出す。
で、結局1時に寝て朝6時に起きて、危なく30キロを運転して職場に行く。
でも不思議なものでこの間の日曜日なんか、昼間さんざん時間があって、それなりにPCの前に座っていたりなんかしたけど全然アイデアが浮かんでこない。
でも明日に備える10時過ぎになってインスピレーションが浮かんだりする。
難儀な性格ですな。
夜書いた手紙は翌朝読み直してから投函することと誰かが言っていたけど、ホントにその通りで、夜は感情が高ぶり、とてつもないことを結構平気で書けたりするね。
まあ、そういうのって嫌いじゃないけど。
午前様が多い人のブログってどんなだろう?って思ってしまう。
しかしながら、お仕事の関係で、昼夜逆転とか、3交代勤務でとか、昼も夜もないような生活をしてる人たちの感覚からすれば、甘っちょろい話かも知れません。
ばかにしてる訳じゃありません。
感情の抑制具合のお話をしています。悪しからず。
テレビでやっていた実験で明るい照明の部屋に男女6人と、薄暗い部屋に男女6人をいれた場合とではカップルの出来具合がべらぼうに違うそうだ。
もちろん薄暗い部屋の方が確立が高かったに決まっているけどね。
暗さっていったい何なんだろうって考えませんか。
闇は夜行性ではないヒトにとって恐怖以外では亡かったはずで、恐れおののいていたはずです。その恐怖から解き放ったのが「火」であったはずで、その取り扱いを注意しながら「火」に頼ってきたのが人類でしょ。
ヒトは「火」を手に入れ、「闇」とのコントラストを余計に鮮明にしたはずで、闇を葬る方向で発展してきたんじゃないかって思ってます。
ただ「薄暗さ」っていうのは自分の外見とか、「明」の世界で付けられていた虚飾を剥がし、人を素直にするようで、きっと母親の胎内にいる環境に近くなるんでしょうな。
みな顔が緩んでくる。
そして少しの恐怖が人を惹き付けあう働きを助勢するんでしょうな。
だから恋人達が暗いほうへ暗い方へと向かうのも頷けたりするんです。尤も別の目論見があるのならば知ったこっちゃないけど。
それは暗さのもつ、秘密性と大きく関係しているようで、時代劇でも越後屋と悪代官の悪巧みは夜の料亭と相場が決まっている。
実際ははフスマ1枚隔てた向こう側で違う客がいるのにね、日本人てのは不思議な感覚の持ち主で、いない、見ない、聞かない、と決めるといないことになってしまう。人形浄瑠璃の「くろこ」なんかその典型ですね。(これは以前にも書きました)
江戸の遊郭なんかでもそのようでしたな。遮音性なんかどこにもない。
「見ざる聞かざる言わざる」は日本のお家芸なんです。
で、そう言いながらも僕はブログを書かないと寝られないし、続き物が多いから、連想が記憶されてるウチに書かないと放り投げになってしまうので、しばらく改善しそうにないという話で、タイトルの思わせぶりさ加減と比較すると、どうにも内容に乏しいものになってしまいました。