「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

HONDACRVとザクレロって…似てません?

2006年10月24日 23時31分49秒 | 妄想
 いやちょっと思っただけなんですけどね。


 HONDAのCRVってさ、CMの時にさ、ライトの部分を映すでしょ。でね、何かに似てるって思ったのさ。なーにに似てるのかなって思ったけどさ思い浮かばなかったんだのさ。
 しばらく見てたら、ガンダムのモビルアーマーに似たようなのがあったような気がしてきてさ、放っておいたんだけどね。やっぱり気になってしまってね。調べたのさ。
 で、僕の抱いていたイメージって言うのがさ、



 こいつなわけですよ。ザクレロ」っていう奴で出てきて直ぐにやられちゃって計画段階でミスっちゃっているわけで、生産中止ってな具合になったらしい。可哀相なやつだよ。

 でもこんなにスマートだったかこいつ。


 
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「Doctors」  医師達の肖像 心臓専門医5 インフォームドコンセントの恐怖 

2006年10月17日 23時11分09秒 | 人々
 8月28日。僕は父の担当医に呼び出されていました。治療方針について話を聞いて欲しいとのことでした。僕は母親だけでは駄目な理由を勘ぐっていました。僕が同席して父がその場にいない風景を想像していました。

 義父さんの時は、義母さんと義理の弟が義父の癌が手遅れであることを告げられたのでした。

 最悪の場合を覚悟を胸に隠しながら、先生にしてされた時間の30分前に、僕は父の病室に入りました。

 父はすこぶる元気でした。

 食欲があります。

 血圧と血糖値も以前よりは落ち着いています。

 便秘は芳しくないようですが、「今朝すこし出た」と言って安心した顔を見せていました。
 そして「担任して良いって言うかな?」と言ったので僕は少し慌てました。僕は入院した当日に父に大方の治療方針を話してあったのです。ですから父は今日の話題がカテーテル検査の話になることは知っているはずなのです。ですから僕はつい「退院は早くてもカテーテル検査の後だから、あと3日はいることになるはずだよ。」というと少し寂しそうにしながら「そおかあ調子よかったから退院できるかと思った。」と言いました。

 僕は今の父の病状はクスリで抑えているだけなので、血管の状態がちっとも改善されていないことを知っていました。そのことを口に出そうとも思いましたがやめました。そのことを言っても父の気持ちを少しも改善しないであろうことは自明の理だからです。

 そうしているウチに病室に先生が入ってきました。そうして「それでは○○さんの治療について説明します。」というので僕は思わず「ここで、本人同席のままでいいですか?」と聞いてしまいました。先生は「皆さんに聞いて頂きたいのです。」と仰いました。考えてみれば僕の質問はずいぶんと酷いものです。先生が患者本人に聞かせたくないと思ったならば病室になんか入ってこないでしょうし、そこで「息子さんだけでお願いします。」なんていわれた日には僕の方としても対処の仕様が無いはずです。

 父と母と僕は父のベッドの食事用テーブルを挟んで先生と向き合って話を聞き始めました。

 お話は父の病状についてとカテーテル検査のことが主でした。

 とにかく血管の内部で起こっていることなのでどうにも外から観察がしにくいとのことでした。そこで大腿部に部分麻酔を打ってそこから血管にカテーテルという細くて柔らかい針金みたいなものを挿入して血管内部を心臓にさかのぼり、血管のどの部位がどれほど詰まっているのかを調べたいとのことでした。カテーテル検査というのは広く病院で行われている検査法、もしくは治療法でもあります。僕の心臓検査の時にも心電図の結果が悪ければ医大病院で受けるはずの検査でした。

 検査後の治療方針としては3つあるとのことでした。

 1.手遅れの場合。

   薬物で保つだけ頑張る。

 2.最も軽度の場合。

   薬物投与だけでの改善を目指す。

 3.フーセン治療

   閉塞を起こしている箇所にカテーテルで風船を運び、狭くなっている血管の   部位で膨らませ、血管を拡げる。
 
 4.フーセンプラス金網の治療

   フーセン治療で軌道を確保してもやがて形状記憶合金のように戻ってしまう   確率が多いので、その部位にネット上の金網で補強する。

 5.心臓バイパス手術

   この場合は手術が大きくなるため大きな手術の出来る病院に転院してもらっ   て治療を受ける。

 という4つの方法が示されました。

 そして心臓カテーテル検査におけるリスク説明を始められたのです。

 カテーテル自体は柔らかい針金みたいなものであること、そしてそれが血管の内壁にぶつかりながら行くことになること、そしてその結果健康な血管が傷付いてしまう可能性があること、などでした。血管が裂ける可能性にまで言及しました。父は顔をこわばらせています。それはそうでしょう。手術をしたけど直らないという状況で死ぬのではなく。手術の前段階で命が終わる危険性を示唆されたのですから気持ちの良いはずはありません。

 でも僕は違和感を保ちました。心臓カテーテル検査は毎年沢山の人が受ける検査です。ここでのミスを僕はニュース等で聞いた覚えがありませんでした。ぼくも受けるはずの検査でそんなにリスクの高いものなのか疑問に思いました。

 僕は先生に「先生があげてくださったリスクの数々は、どの程度の頻度で発生してますか?」と聞きました。

 そうすると「殆どありません!」との返事です。

「インフォームドコンセント」という言葉があります。



インフォームドコンセント【informed consent】


〔説明をうけた上での同意の意〕
医師が患者に診療の目的・内容を十分に説明して,患者の納得を得て治療すること。


 というものです。

 40年ぐらい前までは医者や教師は「様」と付けられてある意味無条件に信頼を受ける対象であったと聞いています。

 ですが高学歴化社会や数々の不祥事や医療ミス、恩恵からサービスと言った概念変化から、医師も患者を見下すだけでは済まなくなる時代になってきました。

 そこで患者と医師が共通理解の元に治療を進めて行こうという姿勢が求められます。

 インフォームドコンセントはそうしたものを、つまり医師側の責任問題をある程度回避する目的でも行われる場合があるのではないかという疑いを持っています。

 つまりリスクの事前説明による訴訟の回避といったニュアンスです。ですから事例として起こったすべての事故をもしくは「直らない」ケースを伝えておくことが優先されてる場合もあるのかと考えたくなりました。

 それが患者やその周囲の人にとって必要以上になったとしたら、それは最早、患者に恐怖感や治療に対する嫌悪感を助長するだけのものでしかないかと思ったりします。

 先生が病室を出た後、父はいつもより無口で、しかもそれまでになく不機嫌になったことだけは確かなのです。
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「Doctors」  医師達の肖像 心臓専門医4 縦割りのカロリーコントロール 

2006年10月09日 23時40分01秒 | 人々
 翌日、僕が病室に行くと名札の名前が変わっていて父はそこにはいませんでした。ちょっとドキッとしましたが極めて冷静を装い、同じ三階のナースセンター行き父の病室を聞くと「あ、はい。303ですからすぐ後ろです。」と言われて今度はホントにビックリしました。振り返ってドアの中を覗くと父の名前がありました。中にはいると更に驚かされました。個室だったのです。1日5000円かかる部屋です。
 父と母は昭和の戦前生まれの人ですから何事にも「始末」するライフスタイルを貫いている人です。「もったいない」と合わせて慎ましやかに暮らすのをモットーにしてました。その点で僕らのような高度経済成長期にそだった世代とは価値観が違い、嫁姑の諍いの要因になったりするのです。ですから父が個室にいるという予想は全くしておりませんでした。病室の父は元気でした。酸素マスクは外され鼻の穴にチューブが入っていましたが、それほど苦痛でもないらしく、点滴も一本だけになっていました。ただ尿道に差し込んだ管が煩わしいらしくそのことを話すときは顔をしかめていました。

 3日目にはその管もとれて食事も始まりました。ご飯がおかゆなのを除けば食事は結構おいしそうでした。僕はその1週間ほどの前に同じ病院で検査入院したのですが、こんなに出たかな?と思うくらいに種類の多いおかずがプレートに載っていました。札を見ると「心臓食」と書いてありました。僕はその名前の付け方におかしさを感じていただけで、さほど注意していませんでした。「おいしそうだね」というと「こんなに食べきれるかなあ。」と父がつぶやきました。「でも栄養士さんがちゃんと考えて作ったんだから、食べた方が良いんだろうね。」と言いました。僕がそういった意味の中には、既に情報として病院側に父の既往症である糖尿病の件やインシュリン注射で血糖をコントロールしていることは連絡済みですので、当然カロリーも考慮に入っていると思ったのです。

 父は「母さんが作るのよりおいしいな。」と憎まれ口を叩いています。母はやや悔しそうですが、まあそれだけ元気になったのだから良しとしているようです。しかし、それから2日すると父はこの食事に疑問を抱き始めました。メニューのカロリーが素人目に見ても多い。特に果物の多さに閉口していました。そしてコントロールできるはずの血糖値が、(通常150以下に抑えられていた)この日を境に200から300といった数値を出すようになったのです。

 しかし看護師はその血糖値を見ても「高いですね」と言うだけで、何もしてくれません。判断に関することは自らは何もしないのが看護師の基本で、判断はあくまでも医師の資格を持った人に委ねるという姿勢ができあがってきているように思えます。この「心臓食」というラベルはカロリーにおいては制限がしていないことを意味していました。主治医が呼ばれ、栄養士に連絡を取って食事を等女病患者用になるまでにまる1日かかりました。そしてこのことが父にとって不安を増幅させる大きな要因となっていくのです。
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「Doctors」  医師達の肖像 心臓専門医3 総合医療 医師の学歴

2006年10月08日 00時58分31秒 | 人々
 翌日、僕が仕事を終わって病室を訪ねると、父は北側の個室にはいませんでした。
 
 こういう瞬間を僕は嫌っています。僕は義父を一昨年亡くしました。その時も僕の知らない間に病室が移っていて慌てた経験があります。

 そして義父の場合、その病室の移動は義父にとって決して良いモノではなかったのです。

 ナースセンターで聞いてみるとすぐに親切に教えてくれました。今度はナースセンターを挟んで南側の個室でした。

 僕は病室に入るなり、母に向かって「なんだよ、随分傲ったなあ。ずいぶん良い部屋じゃないか。。よくとれたねえ。」と言いました。

 父には相変わらず色んなチューブがでてますが、酸素吸入器は昨日よりも随分小さくなったようでした。しかし体の自由は利かないようで小便は管を通して排出されていました。大便はおむつを使うとのことなので、カミさんと大人用のおむつを買いに行きました。モニターは相変わらずついています。でも僕がいる間警戒音が鳴ることはありませんでした。

 担当してくれている医師が来ました。

 医師からは今後の治療計画についての説明がありました。父の状態を見てカテーテル検査をすることを告げられました。それから今回の危機のベースとなっているはずの糖尿病をどうコントロールしていくかについて方針を決めたいとのことでした。そして今後、長生きするためには糖尿病付と上手に付き合って行かなくてはいけません。それには今まで以上に血糖値のコントロールするのに加えて、血圧の管理も厳しくしなくてはいけないということになりました。父は前にも述べましたように隣町の市立病院に通っていました。家から車で20分ほどの距離です。ですが74歳になった父にとってそこまで自家用車で通うことにストレスを感じるようになってきました。しかも一ヶ月に一度づつ診察を受けていたにも拘わらず、今回のような心臓についての検査はもとより問診さえも無かったことに多少の不満があったのでしょう。また、今回担当してくださった先生が一番向上心が旺盛そうでよく勉強しており、父の状態をよく分かっているという先生ではないのかと言うことで、診療をこちらの病院に移したい旨を伝えました。

 先生は快諾してくれました。

 頼りになるお医者さんに診てもらうことになってよかったね、と家族みんなでほっとしました。

 ただ、今回の彼が特別な存在で、もの凄い才能があるわけではありません。

 僕の街の病院の医師は殆どの場合、県内の医科大学を卒業してやってきます。地元が地元のために造った病院ですから、さぞかし優秀な人材がそだっていると言って良いでしょう。塾系の模試の総合偏差値が75以上であった人達です。その年の高校生の10%に満たない数の優秀な頭脳をもった人達でです。

 少なくとも記憶力とそれを場面に応じて正確に思い出し、応用して使う能力については秀でていると言えるでしょう。しかも本人に強い志望がないと成し遂げられません。

 もちろんこの話は国公立大学に限ったことで言わせてもらってます。

 私立大学で言えば色々な大学がありますし、例えば数学を受験教科から外した医学部もあります。どんな医師ができあがるか、国家試験を通過できるのか疑問でした。

 殊に歯学系の私立大学では成績のことは余り触れず、寄付金の額が合否に影響するのではないかと思われる大学もあります。

 またある薬科大学の理事長先生は幹部を引き連れて全国の進学校を行脚し、挨拶とともに栄養ドリンクをしこたま置いていく方がいらっしゃいますが、あのお金も結局は学生の親から出ているんでしょうね。

 父がお世話になっている病院は僕の住む街の市立病院です。少し前まで町立病院でした。父が30数年間、隣町に通い続けたのはこの病院に対する漠然とした不安でした。「田舎だから大した医師が来ない。」「若い医師の修行の場になっていてここで頑張ると良いところへいける。」「別の病院で問題を起こした医師がここへくる。」等の全く根拠が無く、しかし実にありそうな噂がこの病院の評価を創り出していました。ですから同じトラブルでもマイナスイメージはより増幅されて伝わるものと思っていました。

 田舎であることと都市であることで、病院の運営に差はない!こう思いたかったのですが実際に転院してみるとその差の大きさを痛感することになります。
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「Doctors」  医師達の肖像 心臓専門医2 帰宅許可 

2006年10月04日 00時16分26秒 | 人々
 警報は断続的になりました。モニターをよーく観察していると左下に大きく表示してある数字が80を下回ると警報がなるようです。
 先ほどの医師が「血液中の酸素濃度を示しています。あの数字が80を超えてくるようでしたら、病室に移ることになります。そうしたらとりあえずはご家族の方は家に帰って頂いて結構ですから。」と言われました。
 「一緒に付いていなくても良いんですか?」と聞き返してしまいました。それはそうでしょう、だってつい先ほどまで「いつ亡くなってもおかしくありません!」といわれた身です。それが今日はもう大丈夫ですといわれても俄に信じられないのも当然ではないでしょうか。
 「父は助かるのですか?」と聞いてしまいました。

 すると

 「検査をしてみないと分かりませんが、カテーテル検査の結果次第では2週間ぐらいで退院できるでしょう。」とのことでした。

 なんだか理解が頭についていかない感じでした。

 数値が安定してきました。

 父は大きな酸素マスクをしていますが呼吸も穏やかで手を握ると体温を感じるようになりました。

 「ありがとう、もう大丈夫だよ。」と酸素マスクでくぐもった声を父が掛けてきました。

 「今はだれも付き添わなくて良いんだね。お父さん大丈夫かい?」というと

 「かあさんも疲れているから、帰ってくれて良いよ。ありがとう。」

 「父さん、少し入院することになるらしいけど頑張ろうよ。」

 「まあそうなるだろうな。」

 そういって父は3階の個室に運ばれていきました。

 集中治療室のない病院ですから内科のナースセンターのすぐ北側が個室になっていて常に患者さんをモニターできるようになっています。

 僕と母はそこで父に別れを告げて家路につきました。

 午前2時でした。

 様子がおかしくなったのが午後10時ですから4時間ほど処置室にいたことになります。

 僕も母もその時になって酷く疲れている実感を持ちました。

 まあでも父は死の淵から帰還したのだと思いました。

 でもネガティブドリーマーの僕は自分の中に巣くう悪い予感を拭い去ることは出来ませんでした。

 父は死にはしない。

 でも父の瀕死の状態を傍らで経験したことは、父が当たり前のことながらやがて「死」というものを受け入れなければならない存在であることを僕に父の手の冷たさとともに認識させ、それが存外遠い未来ではないことを、叩きつけられるように実感させてくれました。

 僕はそう考えたとき、父のいない僕ら家族のことを余りにも考えていないことを痛感させられました。

 そして考えなければならないと思いました。

 しかし父にはまだ運があるとも思いました。

 あのとき隣町のかかりつけの市民病院まで行っていたら間に合わなかったかもしれません。

 その選択で僕らは間違わなかったのです。

 当直医には迷いと疲れがありました。しかし父の診断に充分の時間が割けるだけの時間的ゆとりがありました。
 入院した父によるとその日は全く救急車が着かなかったそうです。

 僕の父の前に緊急性の高い治療が入っていたら僕の父は危なかったかもしれません。

 そして同じ症状の患者さんが運び込まれたことで、当直医スタッフは自宅待機の専門医を呼び出す決意をしました。

 もし父が一人きりだったら、どういう判断だったかは想像の域を出ませんが、休日の医師を呼び出すことは、お互いが医師であるからこそ体を休めることの大事さは充分に分かっているはずですから、それ相当の遠慮があって良いはずです。

 それを敢えて呼び出したのは、患者が同じ症状で同じように死の危険があったからだと思います。

 僕は医師のヒューマニティについて多くを語るだけの資料を持ち合わせていません。ですから絶賛することも避難することも出来ないのですが、ですが警察官、弁護士、教師等の社会的に高い道徳律を持っていると見なされている、これらの職業も実は制度上から見れば、能力の資質に対して国家が認定しているだけで。本人の持っているヒューマニティについては、国家も医師会も大学の教授も誰も保障してくれてないのです。

 僕らは心臓に関して信頼を寄せることの出来る医師に出会うことが出来ました。
 これらは隣町の病院ではまず無かっただろうことです。

 後で聞いたのですが父の主治医は欠勤でした。

 そしてかなりベテランの看護師さんが世話をしてくれたことです。やることに何もかもがそつなく動いてくれてます。これも父の心の安定に役立っていたと思います。

 父と僕たちは、この日の出来事以後、父の糖尿病ではなく心臓言う新しい注目点を持たざるを得ませんでした。

 
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「Doctors」  医師達の肖像 心臓専門医1  休日出勤

2006年10月01日 00時08分35秒 | 人々
 休日出勤というのは誰にとっても嫌なものです。週休二日制が一般になっていますから土曜日に出勤している僕にとっては土曜に道がガラガラに空いているのがしゃくでたまりません。
 ですからごくたまに休日に出勤しなくちゃならないときなどは随分酷い顔をして仕事をしてるんだろうと思います。

 その医師のシフトを確かめた訳ではありませんから何とも言えないのですが、もしも夜勤明けの休日を僕の父親ともう一人の患者さんのために呼び出されたとしたら僕らは疫病神のごとくに思えたかもしれません。

 しかし僕たち家族にとっては、まさに救いの神だったのです。

 彼が入ってくると処置室の空気が変わった気がしたくらいです。すぐにエコーが運ばれ父の胸部に当てながら、周りの医師も含んで説明し始めました。

 映像には父の心臓が映っていました。

 そして彼の「ほらっ。ここんところの動きが鈍いでしょ。」と指でその部分を指さします。

 そうやって言われるとまさしくそういう風に見えてきます。僕はすこし体を硬くしました。

 彼は看護師にいくつかの指示を出した後、「長男の方ですね。」といって僕をレントゲン写真の前のところまで誘導しました。

 そしてA4サイズのメモ用紙に絵を描いて説明し始めました。それまでの医師と違っていましたので少し違和感を覚えました。
 
 そしてそれが彼自身の癖や流儀ではなく、ある病院勤務の経験がそうさせてると言うことにもう少し後になって気付くのです。

 僕の父が呼吸困難に陥った主たる原因は動脈硬化でした。もちろん長年患ってきた糖尿病が関係していることは間違いないと思われました。
 動脈硬化というのは血管内部に細かな傷が出来てそこに付着物が着いて血管を狭めてしまう状態を言うそうで、触診でも硬くなっているのが分かるそうです。

 父の場合、それが心臓付近で起こっているそうで、しかもそれが何カ所かで発生してること。そのために血管が詰まる「血栓」が起こっていること、その血栓のために心臓の筋肉が必要としている栄養素が届かないため、心臓の筋肉が働かない「心筋梗塞」を引き起こしていること、そして心臓が充分に働かない状態である「心不全」の状態が、肺での酸素取り入れに影響し、肺の酸素が水分になって肺自体に影響を与える「肺水腫」を引き起こしているという説明を受けました。

 僕は思いきって「父はダメなのですか?」と気候とタイミングを狙っていました。

 しかしその医師は次のように話を続けました。

 「一番問題なのは血液中の酸素濃度が低いことです。これさえ回復すれば安定した状態になると思います。モニターの一番下の数字がでてますでしょ。あの数字が80を超えてくるようでしたら大丈夫だと思います。」

 僕はこの場所に来て「大丈夫」という言葉を何度もはっした覚えがあります。でもこの「大丈夫」には何の根拠もありません。ただむなしく父の頭上を通り過ぎていくだけでした。そして医師からこの言葉を聞いたのはこのときが初めてでした。

 でもモニターは警告音を発し続けていました。 
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