「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

BLOGシンドローム  財前教授の総回診です。

2005年02月28日 23時22分25秒 | BLOG論
 ブログを始めて4ヶ月目に突入しました。

 当初目論んでいた、極めて文学的なエッセイおよび小説の展開は何処へやら、禿になりたくないと悩んでいることや、中途半端なお店紹介やらを続けてまいりました。

 途中他のブログとの行き来やアクセスカウント上位のブログを訪問し、また新着記事から興味深いものに訪れたりしながら、ブログの多様性と可能性に強く興味を抱き「ブログ論」なるものを展開してきました。

 途中チェ・ジウさんのカレンダーを掲載したところ、自分の部屋のカレンダーを携帯で撮ったものにも係わらずアクセス数が跳ね上がり一気に3桁を記録するようになりました。
 その後チェ・ジウさんの韓国のサイトから1枚1枚紹介するようになりましたら日にアクセス600を超えるランキング300位に入るブログになってしまいました。
 チェ・ジウという本筋以外ででアクセスを稼いでどうするとの批判もありましょうが、期待され希望をされてここを訪れてくださる方を裏切るのこともなかろうと思い、500枚以上あるチェ・ジウさんの画像を少しずつアップしていこうかと思っています。
 なんでしたらhttp://211.239.151.47/~starjiwoo/new/subpage/main.htmに入っていただき上部の
ギャラリーの部分をクリックしていただけたら多くの画像を見ることが出来ます。
 公式のHPですから安全ですし、多少重めですが粘り強く落とせば出来ます。
 ハングル文字に引けを感じる方もここは大丈夫だと思います。ちなみに「ギャラリー」は英語で書かれています。

 ところであなたはブログに向かう時間って1日どのくらいですか。僕はだいたい9時半から12時までで2時間30分てところでしょうか。時には午前1時を回ることもあり次の日はあんまり仕事にならないこともあります。
 なんでこんなに時間が掛かるのでしょう。
 自分のブログ記事を書いているのはせいぜい1時間くらいですから後の1時間半は他のブログを見るのに費やされているのです。
 
 以前にも書きましたが新着記事のタイトルから、おもしろそうなものを選んで読むことがあります。でもその前にお気に入りとして登録しているブログを回っています。
 そのブログ数は約30。この数字は多いのでしょうか少ないのでしょうか。どこかに集計結果があればいいのですがどこにも見あたりません。
 そしてこの30というブログは何らかのコメントをしたことがあるブログなのです。
 
 異常ですよね。

 そしてこれらのブログは毎日回らないと気が済まないのです。
 記事がアップされているかどうかに関係なく。

 疲れていても眠たくても更新されてないことが予想できたにしても

 異常ですよね。

 回診しないと気持ちが収まらない。

 これも一種の中毒症状なのかなと思っています。

ブログ論 中締め 

2005年02月27日 23時52分44秒 | BLOG論
 僕のブログ論のほうにコメントくださる方が増えてきまして、とても有難いことだと思っています。
 当の本人は書きっぱなしの状態で「この続きは明日…。」などと終わっておきながら違うことを思いついて連続性がなくなっているようなものもあるという体たらくです。あいすみません。

だいたい先日の「独り言」に関する考察は以前書いた「コメントのしやすさ」の稿と内容がかぶっていました。いい加減さ極まりありません。

で、いったいいくつあるのだろうと思って数えてみたら30という数でした。

 清濁あわせて(←何処が清やねん)いますが文字数だけは大学の卒論以来だと自己満足に浸っています。
 
 まあこれもブログというステージならではで、日々不定期に思ったことをその日のうちに書きとめておけるメモ帳のような気軽があるからで、気づけばそれなりの資料となりうるのかなと思います。

 それとどう考えたってコメントが付くのは大きいわけで、そういった人たちに支えられているのは間違いないことなのだと感謝しています。

 ドッペルさんがご自身のブログでコメントがブロガーを成長させていくということを書かれていましたが、まさしくその通りで僕はそれを「ブログの二重螺旋構造」と名づけました。
 
 コメントやトラックバック、リンクやプロフィールを通じて人と人の神経細胞がネットワーク化して行く。コメントやブログの行き来から多くのヒントや発想を頂いて、お互いに自分の現実の生活では得られない視点を持てるようになる。

 基本的に僕達の交流はブログ上でしか成り立っていません。(そうじゃない世界の人もいますが)それは一見とても脆弱な人間関係に見えます。

 現実の世界では、たとえすぐ隣に座っていても、まるっきり気づくことのない方々が大勢います。
 そして多くの沈黙の観衆の方々。

 しかし、読む読まれるの関係はその人を知ろうとする、もっと言えば人間理解の端緒なのではないかと考えています。

 ブログはその端緒を、その人が持っている極めて純粋な部分でつなごうとする働きかけなのではないでしょうか。

 でも僕はこの世界が好きです。
 
 人が一人で向き合う世界ですから、ブロガーの方々は優しさを持っています。そして相手を気遣いながら話しかけてくれる世界だと思っています。自分もそうしてもらいたいから。

 だからブログを持っている人が好きです。

 心無いコメントをする方がいます。自分は攻められることがない、傷付けられることのない立場で発言をされる方だと思います。

 ブログがマスコミに取り上げられ興味本位で覗かれるようになったら危険さが増します。
 
 メジャーな人たち、プライベートが情報としてお金になる方が真っ先に標的になるでしょう。

 僕は慎ましやかに自然体でこのブログを続けていけたらと思います。もっともどう考えたってメジャーにはなりませんが(笑)

 ブログ論はまだ続けます。予定も何もありませんが、僕という人間を探す、理解する手立ての一つだと思ってますから、人として「覚悟」を得るまで続くと思います。

 つまり終わりはないということです。
 
 これからもよろしくお願いします。
 

  

お雛様だしました。

2005年02月27日 22時34分14秒 | 日記
 日記なのですから、たまには季節感のあるものも書かなければ、というわけではありませんが、今日1時間ほどかけて出したお雛様です。娘と二人で出しました。
 3段飾りなのでたいしたことないんですが、この周りには藤娘だの市松人形だの羽子板だのつるし雛など色々置いてあります。この辺りは旧暦で行うのが慣例なのですが、ウチは構うこっちゃないとばかりに並べて4月の中旬まで出しっぱなしにしてます。嫁に行き遅れること120㌫だと笑っていますがホントにそうなったら困るなあと思っておる父親です。

BLOG上の人格 「独り言」の系譜

2005年02月26日 23時51分40秒 | BLOG論
 まだ書くには早い感じもしますが(思考が練れていないという点で)、ことによると「つれづれ」より多いかもしれない「独り言」というブログ名。この前と同じように検索してみると「ひとりごと」で49075件「ひとり言」で7787件、「独り言」でなんと63285件もの記事がある。今日だけでも750件の記事。「つれづれ」より多いねこれは。単純に言えないのは記事内容に入ってしまうと件数に数えられる点、まあ正確な数字を挙げてどうこうしようと言うわけではないので「多さの感覚」だけ受け取っていただければいいと思います。
 この稿は、このブログ名をつける人の心理の真相ってなんだろう?って考えてます。
 ブログですから文体として「独り言」になる傾向があっても仕方ないと思います。で、「独り言」って基本は自分自身に対する語りかけですから、聴衆を意識していないってことになります。さっきから検索された「独り言」を片っ端から見て回っていたんですが確かにそういう種類のものもあります。
 でもそうでないものもあります。
 自己完結型のブログ、フラストレーションの排出口として使っていらっしゃる。でもこれに文句をつける気はありません。
 僕ら観衆の入り込む余地のないブログ、中にはコメント拒否のものもありますからね。
 

 だけど公開はしている。
 ちょっと不思議な感じがします。

 見るのはいい。しかし口は出すな!というわけですかな?

 一方通行のパフォーマンス。
 自分は認められなくてもいい。しかし自分の存在を知れ!


 いかにも現代的ですなあ。(ブル!)


 自己完結型の文体でもコメントを欲しがっている人がいて、コメントには丁寧に返事を書いているいわゆる普通のブログ管理人もいる。
 

 話が跳ぶ。以前僕は東京で3年間ほど仕事をしてたことがあって京成線の高砂から巣鴨へ通ったことがる。そこで僕は電車内で騒いでいたジョシコーセイに注意したことがあった。
 そのジョシコーセイはいったん引き下がった後、僕から離れたところで「うっせーえんだよ!おやじが」とか「くせえんだよ」とか言っていた。これは「独り言」のようで実は「聞こえよがし」という技であり、これに反応するとおそらく「やらしーんだよ。きいてんじゃねえよ」とか言われたんだろうと思う。(推測)
 例えがとてつもなく悪いが「独り言」と称する言葉の中には多分に相手に聞かせたい意識が混じっているように感じられる場合がありはしないかと思うのです。
 僕の同僚に人の顔を見るたびに「疲れた~」「もう仕事やめて帰ろ!」とかいってる奴がいますが、これは明らかに僕に同意を求めていると判断できます。
 「独り言」をブログ名につける人多くは「聞こえよがし」の声を受け取ってもらいたいシャイな人たちではないだろうかと思うことがある。

 ブログを始めたころは、自分のブログの上を大勢の人たちのコミュニケーションが飛び交っているように感じた。あんな高いところに行けるんだろうか、自分だけは門外漢で底のほうにうずくまったまま誰にも見向きもされないで書き続けていかなくてはならないのだろうかと思いませんでしたか。

だから、そうなっても自分の傷つき方は最小限にとどめて置くように予防線を張ろうとする意識が働くのではないかと思います。

 独り言ですから…。勝手にやってますから…。こういう自分の表現ですけど、こんな自分のブログですけど(だれか声をかけてくださったらとっても嬉しいのです)という引っ込み思案で傷つきやすく、かわいらしい性格が見え隠れはしませんか?

 文体が自己完結型だとコメントしづらいのは確かなようで共感者(同じ状況を持つ人)がコメントを残すくらいになりますね。でも提案型だったり感情露出型だったりエピソード系だったりすると、賛同だけでないコメントが広がって行きます。

 ちなみに僕のブログ論シリーズは典型的な手前味噌系自己完結型の記事構成を採っており(←どんな典型やねん?)、精神的耐久力と文章補填能力に長けた読者の方々に支持を頂いて成り立っている。

この場をお借りして改めて感謝申し上げたい。
 
 繰り返すようですがこの稿ではブロガーの心理を考えてみるのが目的であり、特定の志向をもった人たちを非難するのが目的ではありません。
 言葉足らずで不快な思いをなさった方がいましたら謝ります。
  

和服の着方

2005年02月25日 23時26分49秒 | 人々
 僕はフォーマルな衣装の方が似合うといわれる。逆にラフな格好は似合わない。スーツや制服のほうがいいといわれる。以前白衣を着たら「絶対こういう医者いる!」「やーよねえ~」とか言われた。その「や~よね~」は何なんだ!
 軍服は日本軍が抜群に似合うといわれ僕の好きなUSアーミーやドイツssは手に持った瞬間から首を振られた。悔!
 そんなことはどうでもいいけど、和服は似合うと言われるのは結構嬉しい。一昨年忘年会の司会をしたとき奇をてらって和服を着てきた。ペア司会を務めた女性も合わせてくれて着物を着てきた。二人の写真をみた彼女の母親は僕の着こなしが素晴らしいと褒めてくれたらしい。ただの人に褒められたわけではない。彼女の母親は着付けの先生なのだ。もっとも僕の着ていたのはセットで3万9千円の奴だったんだけど、昔親父が同じようなのを着ていて、とても懐かしくなって購入した一品である。
 で、女性にとって着付けは至難の業で彼女の着付けには僕も力を貸している。
 教室に行くのはめんどくさいという方に

「勝木友香 なでしこ姫」を紹介します。金スマなんかにも出てる人なので敢えて紹介するまでもないのだが(ちなみに小学校4年生の女子の間では金スマを見ないと話題についていけないらしい)
http://www.tfm.co.jp/6sense/index.htmlから入って写真・動画アルバムのカレンダーをクリックすると和服着付けのビデオが見れます。

実践的かどうかは御自分でご判断を…。
 ただそれだけです。

「ナナオの動く司会」 七尾藍佳さん動画

2005年02月25日 23時04分03秒 | 人々
 ホントはもっと早く気づくべきだった。七尾さんがトークショーの司会をしてる動画が配信されていました。6SENSEのトップページhttp://www.tfm.co.jp/6sense/index.htmlから入って片山右京トークショー「運命を分けたザイル」と書いてあるところをクリックしましょう。ファイルのダウンロード画面が出ますが安心してクリックしてください。メディアプレーヤーが起動し七尾さんが黒い衣装を着て登場します。知的なトークがかわいらしい感じの髪型に妙に合うのが不思議です。

綺麗なお姉さんは好きですか アミューズメントエキスポ

2005年02月24日 23時18分47秒 | 人々
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/game/etc/amusementexpo2005/photo/index2.htmlに綺麗なお姉さんがいっぱい載ってます。「アミューズメントエキスポ2005」のコンパニオンの方々。
 毎日新聞の大サービスで写真集を2ページにわたって公開してる。
 しかし何だな、デジタル技術って奴はアナログ時代には充分アップに耐えられた女性達を追い詰めているとしか思えない。

 デジタル先端技術は画素の数だけ女性の笑顔をこわばらせているし、かつて薄暗がりで発揮した日本女性の艶っぽさは明るい鮮明画像の前にひれ伏すしかないのかと思われる写真集である。

BLOG上の人格 思い出のフリーマーケット

2005年02月24日 22時27分24秒 | BLOG論
 なんだか知らないけどブログというかブロガーってフリーマーケットをしてる人に似てません?
なぜそう感じるのか自分でも良く分かっていない。フリーマーケットって自分の持ってたもの作ったものを売るんでしょ。だから店頭に並ぶ商品は一度は価値を認めたものっていうのが基本になるんだと思う。つまりそこには多かれ少なかれ思い出があるわけで店の前に人が立ち止まるととてもドキドキする訳ですよね。
 値段交渉の末、とてつもなく安く売ってしまうのも自分の付けた値段の価値よりも、買い手の「欲しい」という熱意というか注がれるであろう愛情が嬉しくて安くしちゃうのではないかと思うのです。だから基本的に「営利目的ではない」というより、営利目的ではなくなってしまうのがフリーマーケットではないかと思うのです。
 ブログも自分で価値がある、書き残しておくべきことだとだと思うから記事にするわけで、思い出という商品をブログという店頭に並べてみる。
 お客さんは来ても殆どが素通り、立ち止まってみて行く人はカウンターでしか知りえない沈黙の観衆。コメントを残す人は貴重なお客様。「この記事一件お買い上げ」となるわけです。

 価値観の共有。知的好奇心の共有。

ブログも時間を積み重ねると次第にそんな人たちが集まってくるようになりますね。 

BLOG上の人格 徒然草に願いを込めて

2005年02月23日 22時47分35秒 | BLOG論
 ブログのタイトルに「徒然草」を絡める人は多い。正確な数は調べようがないが、参考までに検索で調べてみると「徒然草」で9165件、「徒然」で47062件、平仮名にして「つれづれ」で183400件「つれづれぐさ」で229件、「つれづれ草」で454件の記事が上がっている。今日だけの集計でも500件近くの記事に「徒然草」関連のブログ名が付けられていることになる。
 おそらくブログ名で使用されている言葉の筆頭に上がるのではないかと推測できる。
 この稿では、この人たちに「徒然草」は日記でなく随筆ですよというツッコミを入れるのを目的としていない。
 なぜこうも多くの人が自分のブログタイトルに「徒然」を入れるのか考えてみたい。
 「徒然草」に触れるのは学校の授業においてであろう。そして習った教材は序段。「つれづれなるままに ひぐらしすずりにむかひて こころにうつるよしなしごとを そこはかとなくかきつくれば あやしうこそものぐるおしけれ」という段と考えて間違いないだろう。
 実際の授業では他の部分も取り上げたに違いないが印象に残っている部分は「序段」のみという人も多いのではないか。
 それほどにこの序段は印象に残る。実際、名文として先生に暗記を強要されたケースも多いのではないかと思う。
 ブログ名を考えたとき、この名が真っ先に浮かぶのも不思議ではない。しかし、この作品は日記ではない。「土佐日記」「更科日記」「蜻蛉日記」「紫式部日記」「和泉式部日記」「アンネの日記」(バキッ)等を抑えて堂々とブログ名の上位に食い込むのはナゼか。
 それは紛れもなく序段に示されているモノ書きの姿勢ではあるまいかと思う。
 文章表現に絶対の自信を持っている人ならともかく、ごく普通の人がネット上に文章表現を公開しようとするのがブログである。目的は文章を誉めてもらうためではない。
 自分という人間の存在を誰かに知ってもらいたい。そしてそれを確認したい。人間に対する愛情一端を人とのつながりを感じる経験を通じて感じ取りたいとする行為なのではあるまいか。人が一日一日生活して得られるつながりはごくわずかなものでしかないのが普通の人々。でもネット上の世界は無限の広さを持っているように感じる、その世界でつながる人の輪は自分が人類から愛されているがごとく暖かく優しいと感じる。
 横道に反れた。
 人がブログに求めるものが何であるにせよ。文章表現に自信のある人は少ないとみていい。どのブロガーも最初はおっかなびっくり始めるものである。
 で、そんなブロガーが基本としたくなる姿勢として「徒然草」が存在するのではないか。
 「つれづれなるままに」は暇に任せて書くので義務感はありせんよという意思の表明であり、「こころにうつるよしなしごとを」は何を書くかはその時の気分しだいですから、だし、「そこはかとなくかきつくれば」はなんとなく書いてますから上手じゃありませんよという書いた内容についての責任がもてないことを示しているのと考えられる。つまり書くことに不安を持つ心理をすべて言い尽くしている段だと言えるのである。
 実際の内容はドナルドキーン氏が指摘するように仏教真理に基づく伝統を重んずる審美意識であるがコトこの段だけはブロガーの不安と期待が入り混じった精神を優しくフォローしてくれる拠り所的作品となっているのではないか。この精神は他のどんな日記、随筆にも見られず、これがブログ名に「徒然草」が絡む大きな理由の一部になっているといっても何処にも迷惑はかかるまいと思われるのである。

 読み直していてまだ伝えていない部分がありそうな気がして書き足します。
 
 「徒然草」に係わる名前をブログに付けている人は沢山いる。でもありきたりだという批判をしようとするのが目的ではない。むしろその逆で「つれづれぐさ」を名前に盛り込む人はブログに対して実にウブでピュアな心を持っている人であり、悪い人はいない。
 ちなみに僕は当初ブログ名を「更級夜日記」としたひねくれ者であり、世の麗しき貴族女性ファンの期待を大いに裏切ったという詐欺まがいのアクセス稼ぎをした前科ものである。(ただし意図的ではない)
 

七尾藍佳さんを静観?

2005年02月22日 23時16分41秒 | 人々
 七尾藍佳さんのブログから「修士論文不合格」の記事が消えましたね。どうしたのでしょう。何か七尾さん側に動きがあったのでしょうか。それとも別の方面からの動きでしょうか。ややきな臭い感じはしますが、でも彼女のことですから事態を後退させるようなことはしないと信じております。また、この件が一段落付いたら必ず報告がされるとお思いますので、それまで吉報をお祈りしましょう。
 一ついえるのは彼女は七尾藍佳というオフィシャルとnanao.aikaプライベートを区別してました。サイトにくる殆どの人は七尾さんのプライベート(素顔)を知りたくて来てるのでセッティングに間違いはないのですが、七尾さんの発言自体は時にオフィシャルに影響を及ぼしかねないところがあるので、慎重さをようするところだと思います。今回の件でメディア人のあり方の難しさを傍目で見ていながら実感しました。
 会社員である女子アナもスキャンダルやゴシップの題材になるわけですし、FMといえど全国放送での活躍ですから、日本で一番知性美の横溢するトークができる人として今後活躍が期待できる資質を持ち合わせていることは誰もが認める七尾さんの発言はプライベートのボーダーを越えたのかもしれません。
 でも我々は七尾さんの報告を待つしかないのです。

 また、