「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

どうでもいいことなんですけど I'm lov'in it! について考える

2006年02月28日 23時37分36秒 | 日記
 オリンピックも終わったというのに今更何をと思うかもしれませんが、マクドナルドのキャラクタードナルドが冬季オリンピックに挑戦してるCMがありますよね。

 それってここのCMギャラリーで見ることが出来ます。

 エアリアルが凄くて、この間失敗して大けがした人の映像が流れて以来、どうも見るのが辛くていかんのです。トラウマになってしまったかもしれない。

 9.11のテロの映像も当日は一睡も出来ないほどの衝撃を受けて、それはそれでトラウマになっているのではないかと思ったりする。

 たつろくんのブログにもコメントしたけど、その意味でも、あの朝日新聞のCMは嫌いだ。



 

 いつから朝日はあんなにあざとい新聞社になったのだろうと思う。

 しかしそれは今日の主旨ではない。

 マクドナルドはCMの最後に必ず文字と音声で「アイ ラビン イッツ!」とかいいますよね。

 このオリンピックの期間中、多分まだあると思うけど、ドリンクを頼むとパッケイジデザインはトリノ版になっていて周りにトリノ五輪のシンボルマークが描いている。

 それはいい。で、I'm lov'in it!とか書いてあって、周りにはトリノオリンピックらしく白、赤、青は配置よくデザインされている。

 そのこともいい。

 カップの周りには世界各国の言葉でI'm lov'in it!が書かれている。ハングル、アラビア、漢字、フランス、ロシア等、国際色を豊かにせんと工夫がされていて良いと思うのだけれど、日本語が何処にもない。
 そもそもI'm lov'in it!って何なんだ?

 誰か説明してくれたか?

 誰もしてませんよ、誰も。

 敢えて翻訳すれば、「私、これ好物なんだあ」となるのが一番近いかと思う。しかしながら昨今の女子高生が「好物」などどいう死語に近い言葉を受け入れるかが問題だったのだが、一番良い選択肢だったと思う。

 で、他の国はでてるのに何故日本語で書かれていないのだろね。


 上の写真を見て頂けると分かりますが、これはhappyセットの部分写真です。何がへんなのか分かりましたか?

 今やってるのは冬季オリンピックなのに吊り輪の選手が描いてあるでしょ。あれはいつのオリンピックの時に用意されたものだろか?って思いませんか。

 さらについでも言えば、今ハッピイセットのおもちゃはナルニア国物語なんですけど、次に「ドラゴンボールゼット」シリーズに入るそうですよ。

 悟空なんぞどうでもいいので、ピッコロが欲しいと思うのは僕だけでしょうか。

 

 ちょっと期待したり何かしてますね、僕。

  

村主章枝さんが現役続行だそうです

2006年02月26日 22時32分15秒 | 人々
 フィギュアの村主選手帰国 4位入賞に「複雑な心境」
 2006年2月26日(日) 19時10分 共同通信

 トリノ五輪フィギュアスケート女子で4位入賞した村主章枝選手(25)が26日夕、ミラノからの日航機で成田空港に帰国した。
 到着ロビーに居合わせた人たちから拍手がわき、村主選手は笑顔で応じたが「複雑な心境。悔しい気持ちもあるし、やることをやった結果という気もする」と語った。
 村主選手は「調整がスムーズにでき、普段と同じように試合に臨めたという点では、とてもいい大会だったと思う」としながらも「ジャンプのレベルを上げていく。このまま終わりたくないし、次(の五輪)まで必ず続けなさいという結果だと考えたい」と4年後に向けた決意を語った。

 だそうです。根性あるなあ村主さんて、長野五輪の時はとてもそんなには長くやれるような人ではないって感じの華奢さだったのに芯の強い人なんですね。

 というより女性が女性としての人生を全うするのに道は色々あるっていうことをトップアスリート達が実践し始めているわけで、荒川さんも、ゴルフの藍ちゃんも、卓球の愛ちゃんも今までの女性のイメージとは違った感覚をもっているように感じる。そしてそれはそれで共感を得る部分もあるわけで、自分の心を世間という枠にはめない姿勢もこれからどんどん出てくるのだろうなと思います。

 僕の知り合いの女性(12歳ぐらい年下)は、今昔物語にはまり奈良女子大学を出て、その研究のため医療秘書の傍ら、奈良市内のお寺にこもり凡字で書かれた文献を読みあさっている人がいる。世間一般の価値観からは大きくずれているけれど彼女は目一杯幸せであると思える。
 彼女の研究は社会に何ら貢献しないかもしれない。塾講師か大学の助教授をすればそれなりに貢献するだろうけど、それでも眩しいほどの人生だと思っている。

 先日、有森裕子さんの講演を聴く機会があった。

 40歳になろうとしてるのにまだ現役を続け、今年の9月に照準を合わせて自分の自己ベスト2時間24分かな、の記録を更新して引退するそうだ。

 頭が下がる想いだ。

 何処にも衰えがない。

 全く自分を甘やかしていない。

 そういう人だからこそ、オリンピックに出てメダルを取れたんだと思う。

 そう思ったら村主さんもメダルを取れるかもしれないと思う。

 村主さんにそのことを伝えたくて彼女の公式HPに行こうとしたけど、全くつながらない、荒川さんのHPも同様である。

 やっと繋がったと思ったら、いくら書き込んでも彼女には伝わらないんだそうだ。
 がっかりだけどいつか伝えることもあるかと思っている。

 

東横イン的発想について考える4

2006年02月26日 00時46分02秒 | 文化論
 古来より日本人の大半は農家でした。というより農業従事者で占められていました。
 鎌倉幕府はそういった農業従事者の中で成功を収め、ある程度以上の地主となった人々が自分の土地から生み出される経済力や軍事力を背景に、源頼朝という貴種を部族間の接着剤として利用して自分たちの土地所有や租税徴収権を公認させようとした動きから生まれた革命です。

 で、そういった人々は「武士」と呼ばれたわけですね。

 江戸時代は武士の時代です。でも人口は日本の人口の1割もいませんでした。しかも持っている権利は農民を奴隷として使役する権利はなく、持っているのは租税徴収権が主たるもので無闇に命を奪ったりすることは許されませんでした。

 そのかわり武士達は領民のライフスタイルが改善されるような努力はほとんどしませんでした。
 つまり武士は公の意識で土地支配を行っていたのではなく、既得権益を確保するために汲々としていたことになります。

 明治維新は欧米諸国が先進技術を持って、中国やインドのように日本を植民地化するのではないかという教養人の、身に迫るような恐怖感から遂行されたクーデターです。珍しいのは、後に、勝利したはずの下級ではあるが武士という身分の人間が自らのステイタスをぶち壊してしまったことですが、それよりも面白いのは、この革命が武士という同じ身分の中で生じたことであるのです。

 「革命」とは天の声が改まることで、百姓(ひゃくせい)が、それを痛感してこそ可能な政権交代であると言えます。

 で、僕らの革命に百姓が出てこないんですね。


 自分たちにも人間としての権利を与えよ!

 王様なんていらない。

 僕らが僕らのために政治をしよう。

 国という意識を持とう。

 そういう風に起こったのがフランス革命でしょ。

 そういう風になると

 自分に切実な責任感が生じるようになるんですね。

 そうやって出来るのが「市民」なのだと思います。

 でも僕らにはそんな経験はない。

 一揆はしましたよ。どんなに切実でも何もしてくれないってのが分かるからだと思います。

 国全体が流民になって放浪したり、それをまとめて喰わせるだけの器量をもった人間もでませんでした。

 僕ら農民は農民のまま過ごしてきました。

 貴族にしても武士にしても自分の「家」が守られればそれで良かったのです。安定した収入があればそれでよかった。

 つまり日本国の大半を占める農民のために政治を行った国家規模の政治家は誰もいなかった。

 だから農民は自主防衛するしかないわけですね。

 年貢を納めなくても良いように収支報告を偽造する。

 開発した田は申告しない。

 戦に備えて備蓄する

 政治にしても税金にしても僕らが嫌悪感を抱くのは
 

かに鍋をたべちゃいました  札幌かに本家静岡駅前店

2006年02月25日 23時35分59秒 | 日記
 今日は義母さんのおごりで札幌かに本家に連れて行ってもらいました。札幌かに本家も静岡では随分長いことやってるお店の一つなんじゃないかな。調べてみたら1987年にオープンしたっていうから20年になろうというお店なんですね。
 静岡で「かに」一本で続けてられるんですから相当なものだと思います。
 静岡県人って結構「かに」に憧れみたいな感情が働くような気がするんですけど僕だけでしょうかね。
 
 カニの専門店は初めてじゃないんですよ。藤枝の「蟹や徳兵衛」とかは行ったことがあるんです。



正直な話、蟹料理の店としては印象が余り良いものではありませんでした。味の問題ではなくて、ボリューム感の不足と品が良すぎる感覚がありました。本気で満足するのならもっとお金をださなくちゃいけないのかなっていう感じです。
 自腹だったせいもるかもしれません(笑)

 北海道ならいいだろうということで札幌駅前のビルの高いところにある蟹料理の店にいったこともあります。

 そこも上品なお店でしたが、おいしい蟹を食べたときの濃厚な記憶と札幌という期待が邪魔をして、さほどの印象を残すことが出来ませんでした。

 おいしい蟹の記憶は静岡市内にあった老舗「十の字」でたべた「焼きタラバガニ」にあります。

 十の字は今はビルの名前にのみ残っていますが往事は静岡の花柳界を牽引するほどの勢いを持ったことのあるお店で、静岡に来た著名人も必ず寄ったという店でもありました。
 武者小路実篤が何か書いていたような気がします。

 僕はそのお店の人と縁あってお呼ばれしたことがありますした。カミさんとの縁もそのお店のおかみさんが決定づけてくれたようなものですから、感謝ひとしおなんですけれどもね。

 蟹は当代の板さんが焼いてくれたものでしたが、一級品を炭火で焼いて出してくれました。それをこれまた一級品の磯自慢純米大吟醸で頂いたものですからたまりません。

 

 酒がすすんでたまらない状態になってしまいました。

 それが蟹を焼いてたべた最初ですから、幸運というか不幸というかどんな蟹料理を食べても僕の舌の記憶を覆すまでには至りませんでした。

 それ以前でしたら札幌かに本家の蟹寿司でも充分過ぎるほどおいしいと感じていたんですが…。

 その十の字も随分前になくなりました。社用族が減ったことや板さんの放蕩があったりと色々原因があれこれ言われましたが、ただ残念な限りなのです。

 
 で、僕が今日行った札幌かに本家はもちろんチェーン店で全国にいくつもの支店があるようなのですが、おいしかったですよ。

 今日は「鍋」だったんです。

 しかもカニ看板考案45周年記念で、クーポン券持参で半額になっていました。
でなきゃ義母さんも行くとはいえないでしょう。

 何と言ってもだし汁が旨い!

 この基本を押さえているから白菜だけ食べてもおいしいとしか言いようがない。これにカニが入ってくるのだからたまりません。

 うちの娘は日頃しゃべりに喋る黒柳徹子なのですが、このときばかりは周囲の会話に全く耳を貸さず、黙々とカニ殻からジュウシィなカニ肉を引っ張り出す作業に専念しており、時々ため息をついておりました。

 数少ない会話の中では、「何で蟹食べに来て鍋に餅いれてたべなきゃなんないのよ!私はカニしか要らないから」といってました。
 末恐ろしい子供に育つかもしれないと思いました。

 

勝利の女神がキスをした! ビューティフル 荒川静香オーレ! 

2006年02月24日 23時13分51秒 | 人々
 いやあ久々に心の底から「美しい」を感じている時間を持つことが出来ました。有り難いことです。
 美しい人は静かで強くて透明なものだと感じました。

 で、AP通信が「成熟した美しさ」って表現してたけど、ホントにそうだなって思いました。技術の追求は選手の早熟を生み出し、体の柔らかさや軽さのあるうちに完成させようと無理をさせてきた。

 結果オリンピックから消えた練り上げた人を惹きつける美しさを取り戻してくれたような気がします。

 荒川さんは日本の救世主として、世界で一番美しいスポーツ選手としての称号を得たのですから、これから寝させてもらえない日々が続くのだろうと思います。

 だってフィギア初で、今大会初で、今大会唯一の金メダルでしょ。マスコミというマスコミは全てが彼女に乗っかるのではないかと思うのです。

 政府もこういうのは見逃しませんから、総理大臣栄誉賞とか何かしら与えて、小泉さん得意の一言でパフォーマンスするんでしょうね。

 村主さんは頑張ったと思います。僕は彼女が15歳の頃から見てまして、危なっかしいけど魅力のある人が出た来たなって思ってました、その人が10年間自分のスタイルを磨き上げることで結果として4位でしたけど、自分に与えられた、親からもらった能力の全てを使い切って演技したんだと思います。きっと彼女は今、幸せなのではないかと思います。

 安藤美姫さんは、4回転に挑戦しましたね、皆さんそこだけ評価してましたけど、全編を通してみると見てるのが可哀相なくらいボロボロでした。

 何度も転び、フェンスに手をつき、スピードがなくなり、足が上がりませんでした。
 初めて県大会にでた高校1年生みたいでした。

 でも考えてみたら彼女は高校生でした。今日、安藤さんを初めて年齢と等身大の高校生として見ることが出来たような気がします。

 彼女の心はちっとも「超」ではなかったことが彼女の将来を有望なものとしてくれるでしょう。

東横イン的発想について考える3

2006年02月23日 23時58分04秒 | 文化論
司馬遼太郎全集〈66〉この国のかたち(1)

文藝春秋

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 この稿は司馬さんの「この国のかたち」を参考にして書いてます。

 税金を納めたり、全ての法律に則って生活するという意識が低いのはなぜなんでしょうか、政治に無関心であったり、選挙で不正が止まないのは何故なんでしょうか。

 それは僕達が「市民」になっていないからなのではないでしょうか。ここでいう「市民」とは自分たちが、自分たちの国の構成員であって主役と考えて、行動できる人達のことをいいます。
 日本人にはそういう意識が希薄ですね。

 明治以前、それ以後にも日本人は「家」とか「藩」とか「武士道」とかいうものに物差しを任せて生きてきました。

 藩のために、お家のために自分がどうであるべきかを考えてきたのです。ところが、そういうのはしなくて良いんだよ、という時代がきました。
 自分の思ったとおりに生きて良いんだという時代になってきました。そうすると自分がどう生きるかは自分で決めなくてはいけません。

 ですから自分の心の真ん中に、自分はこういう人間だ、というでっかい要石のようなものが必要になってきます。

 アイデンティティとか、自我とかいわれるやつですね。ところが自我を持ち慣れていなかった日本人はそれをまことに甘く理解してしまったのです。

 「自由」という言葉があります。この言葉は「FREE」という風に表現されますが、これは非常に厳しい側面をもっていまして、管理されない状態をいいますから、リスクは自分で背負い込まなければなりません。

 FREEに慣れてる人は、自分のリスクマネージメントがちゃんと出来るんですね。ところが日本人の場合には、いつも何処かしらの集団に属してますから、その集団の長でない限りは、そこで行われる行動はすべてその集団で責任をとってくれるのです。
 日本人はそういう風に自分に降りかかるリスクを意識して行動するのに慣れていなかった。
 だからいきなり、しかも自分で勝ち取った形でなく、自由を手に入れた日本人は
駅付近で配られるティッシュペーパーのごとく軽く判断し、「FREE」を「自由」(みずからをよしとする)、つまり自分の思ったとおりにわがままに生きて良いと受け取りました。

 続きはまた明日。

東横イン的発想について考える2

2006年02月22日 23時21分42秒 | 文化論
 画像は昨日の画像のままです。上のへたくそな絵は、僕の地方でよく見る家のスタイルです。

 何となくすっきりしない感じの輪郭をもっています。地元の工務店に頼むとこういう家を建てることが出来ます。

 何が言いたいのかといいますと、屋根の色が変わっている部分のことになります。ここは設計図上では部屋になっていません。しかし窓はついています。で、二階に上がってみると屋根の色の違う部分に至る前に壁があります。
 そうして一応完成しておいて役場の方に建築確認をしてもらって、設計図通りであることや総床面積から税金が決まるわけです。

 お役所の方は忙しくて二度と現場には来ませんから、(来ないことになっているから)建築確認が終わると、また大工さんがやってきて今度は壁を取り壊し始めるようです。
 そうするとあら不思議!
 二階の廊下の左右から新しい部屋が出てきましたよ、となるわけです。

 すこしでも税金を納めたくないという、三者結託の税金逃れをしているわけです。
 ただ税金と言っても個人のものですから、そう大したものでもないのですがね。

 またこんな融通の利かせ方をしないと、地元の工務店はメーカーに押されて潰れるしかないような現状もあります。

 ”持ちつ持たれつだよ”と地元の人達はいいます。

 そして必ずこう続けます。”みんなやってることなんだから”と。

 ホントにそうなんでしょうか。

 そしてこの例に限らず、他にも田舎独特の価値観で動いているものもあります。

 次はそんなところから話します。

 

東横イン的発想について考える1

2006年02月21日 22時50分17秒 | 文化論
 この度、ホテル東横インの建物の増改築、駐車場、付帯設備などについて、各地で数多くの違反が指摘されており、皆様方に多大なご迷惑をおかけし、ご不快の念を抱かせましたことは、誠に申し訳なく、深く、深くお詫び申しあげます。
 さらに本件にかかわる記者会見の場で、公共的役割を担うホテルの運営企業の責任者として、極めて不適切な発言や態度を行ったこと、未熟・粗雑な点がありましたことを、深く反省しております。私の不徳に対し、多くの方々からご叱責をいただきました。高齢者の方、お体の不自由な方はもとより、多くの方々がお気持ちを害されたことと存じます。皆様にご迷惑をおかけしたことについて、深くお詫び申しあげます。
 申すまでもなく、ホテルは、本来きわめて公共的な建物です。しかし、私どもは、ビジネスホテルとしての利便性に目を奪われ、すべての人が積極的に参加できる豊かな社会を築いてゆきたい、という社会の強い意志により制定されたハートビル法、ならびに関係法令の精神を顧みる姿勢に著しく欠けておりました。私どもは、このたびのご叱責を深く心に刻むとともに、いまいちど私どもに課せられた使命につき、思いをめぐらせているところでございます。
 ただいまは、行政当局の綿密なご指導を受けながら是正措置をとり、すべて適法な状態に戻すべく最大限の努力を傾けております。

 今後は高齢者の方や、お体の不自由な方にご無理をおかけせず、円滑にご利用いただける、そして、私どものホテルにお越しくださるすべてのお客様に対し、あたたかく、やさしいビジネスホテル作りのために、たゆまぬ努力を重ねてまいります。
具体的には
1. 高齢者および身体障害者の自立と社会的活動への参加の促進を目的とした「ハートビル法遵守委員会」を社内に設置します。
2. お体の不自由な方の雇用、社会進出への支援を積極的に促進します。
3. 社外の有識者を中心とした「施設法令監視委員会」を新設します。

 何卒よろしくご指導のほどをお願い申しあげます。
 誠に申し訳ございませんでした。心よりお詫び申しあげます。
平成18年2月6日

株式会社 東横イン
代表取締役 西田憲正

(東横インのHPより)

てことで、当初えらく強気でいた西田社長も涙の謝罪会見の末、各地の東横インは改装に次ぐ改装を行っており行政側も大威張りで検査に向かったりしてるわけです。
 この法律に関する意識の低さって一体何なんでしょうねと思うわけです。でも、これは西田社長に限ったことでなく日本人のほとんどが持っている感覚とも言って良いと考えてます。

 モラルの低下なんていうことが叫ばれているわけですが、低下してなかった時って一体いつのことをいっているのでしょうか。どこを基準としていっているのかが疑問に残ります。

 大抵の場合、犯罪発生件数かなんかの数字でいっているのだと思います。

 ただ、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」的な発想は以前からあるわけでして、子供の言い訳めいた「やっているのは僕だけじゃない」的発想で物事が進んでいくのが現実だったりします。
 で~もこんな発想で動いていくのが世界標準だと思ったら大間違いで、僕らの遵法精神はかなり危ういものだと考えなければいけません。
 
続きます。

今日は雨水です。 「春一番」について考える。

2006年02月19日 22時31分03秒 | 日記
二十四節気の一つで、温かさに雪や氷が解けて雨水として降り注ぐ日。

天文学的には、太陽が天球上の黄経330度の点を通過する時。

昔から、農耕の準備を始めるのは雨水が目安とされて来た。また、この日に雛人形を飾附けると良縁に恵まれるとされている。
暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。

春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。

で、この春一番は毎年気象庁が発表しますね。立春から春分の間に、初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強風のことで条件としては風速8m以上であることが必要だそうです。元々は九州地方の漁師の間で使われていた。春先、日本海を進む低気圧に向かって南側の高気圧から風が吹き込むことで、この現象が発生します。そのため、主に太平洋側で観測されるわけです。

 この辺りまでの知識はあったのですが、必ずしも毎年発生するわけではなく、発生しない年も、複数回発生する年もあるっていうのはしりませんでした。それに複数回発生する場合には、春二番、春三番と呼ぶんだそうです。

 ご存じでしたか。

 
 静岡はすでに日中の温度が10度をこえて、観光客が動き出しています。今日、隣町の掛川中央図書館




に行きました。広くて城下町を意識して木造建築ですからとっても気持ちが良いところです。目的は娘の宿題で今日30分以上の読書をしなさいと言われていたのと、この間借りた本を返しに行くことだったのですが、この図書館は掛川城のすぐ東側にあります。



 日頃は土曜日だろうと日曜日だろうとあんまり人は見ないんですが、今日久しぶりに横を通ったら凄かったですねえ。

 人が道に溢れていました。

 大型観光バスが何台も停まってました。

 掛川城はNHKで現在放映中の大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊が城主だったことがあるので、一躍観光スポットになったのです。

 現在は千代と一豊・掛川館



が開催中ですので、その効果もあるんでしょうね。久しぶりに活気というものを目の当たりにしました。
 でーも実際のところ山内一豊も千代も現地の掛川に赴任せず、専ら京都にいましたから、掛川になじみがあるかと言えば微妙なのですが、後に土佐一国を拝領したときには、掛川城下の使えそうな人は武士に限らずあらかた連れて行ったと言いますから、その土佐についていった人は殿様に会ったかもしれません。

 春一番は吹きませんでしたが、掛川の街の人達には一足早い春が来ているようです。

ヘルシング 初回限定版

2006年02月19日 18時07分16秒 | 日記
HELLSING 1〈初回限定版〉

ジェネオン エンタテインメント

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<初回限定版特典>
●平野耕太描きおろしデジパック仕様 ●浅井真紀製作のレリーフ(アーカード)高さ約12センチ パネルスタンド付 ●12P ライナーノーツ封入 ●ピクチャーディスク


平野耕太描きおろしデジパックに加え、浅井真紀製作の入魂のレリーフがセットされたファン納得の豪華仕様 月刊「ヤングキングアワーズ」に好評連載中の平野耕太原作、超人気コミック「HELLSING」。英国国教を脅かすフリークスどもを倒すために設立された特務機関、通称ヘルシング部隊。その最強の化け物ハンターはアーカードと呼ばれる本物の吸血鬼だった。

 だそうですが、原作を忠実に再現しようとして発売が2ヶ月以上遅れることになってしまいました。
 見た人の話によるとディープなファンにとっては、やや線の細さが気になるということらしいが…、このマンガが好きだと自称し、DVDを買おうという輩は何処かしらディープなファンであることに違いなく、そういう人にとっては、どんな作品でもいちゃもんを付けるものだろうと思うのです。

 初回限定版は¥7,875 (税込)であって限定版じゃない奴は¥4,788 (税込)と値段が格段に違う。本当は限定版じゃないのが5985円の定価なんだけど早くも値引きされているわけですね。
 限定版の特典は色々あるけど中でも微妙なのは主人公の吸血鬼アーカード(ドラキュラの綴りを逆に読むとこうなる。)の姿を模したレリーフが微妙だそうです。

 将来的に値が上がるとはとても思えず。自分の入れ込み具合で買えばよく、無理するものでもあるまいとの結論に達した。
 ちなみに前回のビデオ化のとき、先行発売された数量限定の予告編だの制作発表会の模様を収め、Tシャツ、ピンバッチ等のおまけの付いたのを発売したが、その3年後に知った僕がネットの電気屋さんで半額で手に入れた。

 さあ、それじゃあレンタル屋に借りに行きますかな。