「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

今日の富士山を見たいなら

2005年04月29日 22時43分12秒 | 日記
 研修に行って出先から携帯富士山の写真をつけて記事を書いたら結構需要があったみたいですね。
 静岡県人にとって富士が見えるのは半ば当たり前だけど、やはり僕は大きい富士を見ると見入ってしまう、だから他の県の人にとっては間近の富士は感激なんだろうなと思ったりする。

 以前新幹線で東京に行くとき車掌がアナウンスで「皆様左手をご覧下さい。今日は一段と綺麗な富士山です。私も長い間この区間を担当しておりますが、こんなに見事な富士は初めてです。」といった場面に出くわしたことがある。
 見るとやはり哀しくなるほどの青空に5合目付近まで、ちょうど良い具合に、まさしくおあつらえ向きに雪をかぶった富士が僕を見下ろしていた。


 富士は山越に見る静岡市、東名や東海道線を縁取りにして海を抱き込んだ形になる薩太峠からの眺めが著名だがこれが一番富士としは女性的な姿を現している。
 宝永山を中腹に抱き、南側に愛鷹連山を太刀持ちの小姓のように控えさせている姿が印象的である。

 沼津、三島、そして今は伊豆市になった戸田や、そのうち南伊豆になりそうな松崎からの眺めはうって変わって凄惨さをました富士になる。

 宝永山の火口付近のエグレを見せているからだが、凄惨さから言えば毛無山からの眺望
もすごい!山頂付近からの崩れは迫力を感じる程である。そしてこれは富士を真西から見た場合と考えて良い。


 御殿場や箱根から見る富士はまた違う顔を見せる。富士の裾野が決して緩やかではない角度で広がる。太陽が当たる時間が短い御殿場や裾野は静岡県では豪雪地帯になる。(他県からは笑われそうだが)
 富士の表情もどこか寂しげで西側斜面と比べると雪が深い。富士を貴婦人に例えるならウエディングドレスを着た時の顔正面が西側に向いて立っており、御殿場側はながくドレスの裾を引いた形を想像してもらえばよい。

 富士山は静岡のものか、山梨のものか、議論したことがあるとは聞いていないが、してもどちらも譲らぬだろうと思われる。

 以前、車で御坂峠に行ったことがある。

 太宰治の「富岳百景」は僕にとっても思い出の深い作品の一つだ。

 太宰はこの御坂峠にある「天下茶屋」に井伏鱒二とこもり、井伏が山を下りた後も滞在を続け秀作「富岳百景」を描き上げた。

 僕はそこで山梨名物「ほうとう」鍋を食べたが、えらくうまかったと記憶している。

 残念ながら太宰が三つ峠に上った時と同じように富士の姿は見えなかった。

 悔しくて雪辱を誓い、記念として「富士には月見草がよく似合う」という文字の入った額を一つ購入した。

 以後行っていない。

 だが都留には行った。

 途中富士吉田から見た富士が良かった。富士吉田の街は富士の裾野の北側斜面に広がる街である。細長い川の両側に細々と営まれている街である。

 「富岳百景」では太宰はこの街の描写をし、人見知りの激しい太宰には珍しくこの街の青年達と面会したことを書いている。

 この町から見る富士は僕らの知っている富士と比べると随分雄々しい。

 男性的なのである。

 「迫力ありますなあー」僕は車から降りて一人で唸っていたことを覚えている。


 などと画像なしで言っていても仕方がないので、もしあなたがこのブログを読んでいる今が昼間で富士山方面(静岡県中部)が晴れなら

  

 静岡県ライブカメラ

を覗いて見てください。

 良い富士が見られるかもしれません。

 静岡のライブカメラってほとんど富士山関連なのね。

川遊び

2005年04月29日 13時24分10秒 | 妄想
いろんな生き物がいます。

 場所は袋井市?合併前は遠州の小京都、森町にある「アクティ森」の脇を流れる川です。

 森町は川が街の西側を流れ、川幅や流れの感じが鴨川に似てます。街もバブルの影響もなく静かで振る錆びたたたずまいを見せています。

 森が好きな人は結構多いですよ。

 清水次郎長の子分の「森の石松」の出身地で有名で、大同院というお寺の石松の墓石は賭け事をする人のお守り代わりに、すぐに削られてしまいます。

四つ葉のクローバー

2005年04月29日 13時20分53秒 | 日記
 五つ見つけました。

 小学生の娘と一緒にかなり本気で探しました。カミさんが2つ僕が一つ娘が2つ見つけました。

 四つ葉のクローバーは娘のトレードマークだそうです。
 

 かみさんはクローバーの花に来たミツバチを指でさわって「毛がふわふわしてるよ」とか言って平気です。

さすが山の子! 

富士山での2泊3日 人の生活について

2005年04月28日 23時10分05秒 | 日記
 とにかくこの研修所は不便です。
 わざとそうしてあります。
 そして山の中を歩かされます。

 一日の大半は食事の準備と後かたづけに費やされます。
 その間に出来る研修項目は一つだけです。

 一つ研修を終えるともう食事の準備になり、食べて片づけて(食器を洗って給食棟に返す)1時間半はゆうにかかります。
 
 なんだか一日の大半を食べることに費やしていてとても効率の悪い生き方をしている酔うに思えます。

 今の都会で働く(都会でなくても)サラリーマン達は朝食を会社の自分の席で食べるそうです。

 ってそういえばウチにもいました。自分の席でコンビニの握り飯や、パンを食べている人。

 平成不況を脱出するために、人員削減や作業の効率化が徹底的に行われ、今正社員とかいわれる人は不況前の2,3人分の働きをして生き残っているように思えます。

 そのしわ寄せが、食事時間の減少化を生み出しているように思えます。

 人間は本来動物で、その基本は食欲と性欲で生きています。

 種の保存を前提としているのですから当然そうなると思います。

 あらゆる動物たちは自分のDNAをよりよく生き残らせ、別種のDNAとのコラボレーションをしようとしています。

 人間は増えた個体のため、社会というシステムを作って、ルールと言うものを網だし、みんなに少しずつ我慢させる所を作ってよりたくさんのDNAを同時代に共存させることに成功しました。
 そして増えすぎました。
その手当をすればまた個体が増え、また新たな問題を生み出しています。


 完全ないたちごっこ。


 結果として人は人を追い詰めています。


 人がより多くの人の幸せを約束するために作り出したものが

 今や種の危機となって僕らの前に立ちふさがります。


 僕たちは、この危機を乗り越えることが出来るでしょうか。

 
 食べることを見直すことで、その危機を乗り越えるヒントを掴めたり出来ればいいなと思って書いてます。

 食事としては大したものではありません。

 しかし、時には自分たちではじめから作ったものや、食事は座るだけで食べられるものではないという感覚を取り戻す体験は、人間の原初の森で暮らしていた頃の、忘れていた記憶を呼び覚ましてくれるのではないかと思っています。

 人間という動物の生活サイクルも食べることを中心に組み立てられていたはずです。

 そのために働いた。


 働くために食べていたはずはない。


 いつの間にか主客が逆転している。


 削られた食事時間はサプリメントで補われるほどに、衰退している。

 それではいけない。
 食べるという行為を生命としての生きる源でなくてはならないと思ったりした研修でした。

 

明日から…

2005年04月25日 23時22分10秒 | 日記
 明日から2泊3日の出張です。
 国有林の杉だらけの中に出かけてますから、携帯からのアップができるとは思えません。

 次の更新は29日に出来たらいいと思っています。

 テレビも無い生活に入ります。

 でも気になることがあります。

 尼ヶ崎で大きな列車事故がありましたね。人災である疑いが強いですが、そうなると事故後も色々な人を不幸にしてゆきます。

 日本人は、というより東洋人全般の傾向かも知れませんが、責任者を追求し、悪者と確定するとよってたかって叩く、みんなでいじめ的傾向がありますが、今回もそうなったら不幸は倍増します。

 原因究明と事故再発防止に努めるのは当然でありますし、亡くなった方や怪我をなされた方の保障や賠償に誠意を尽くすのは当然であると考えています。

 そして何よりも突然の不幸に見舞われた方々のご冥福を祈る気持ちを強く持つのは人として当たり前のことと考えています。

 その上でこれ以上の不幸を生み出さないよう大衆の善意を信じたいと思うのですが過去の例はそれを許さないことが残念です。

 山から下りてきたとき、どんな状況になっているのか想像つきませんが、今以上に不幸な人が増えないように祈るばかりです。

ブログ占い?№3  テンプレートの背景色 白基調編

2005年04月25日 23時03分13秒 | BLOG論
 占いというよりも、その色を選んだときの心理について考えようとしているので、本気で占いを期待している人はがっかりすると思います。

 ブログのテンプレートにおいて白を基調としているブログがある。

 なるべく白い部分の多いものを選び、飾りとなるデザインもなるべく慎ましやかに抑えようとしている人が多い。

テンプレート集に気に入ったのがなくてやむなく無難なものを選んだといったケースもあるかも知れない。


 基本はキャンパスノートだろうか?

 ブログは記事(文字、画像)によって構成されるという意識が強いと思われ、見やすさ読みやすさを第1条件としているようにうかがえる。

 
 また、自己主張の強い人ではなく目立ちたいという注目願望より、共感者を得たいといったパートナーシップ願望の方をより強く感じる。


 霊感占いかよ!

 大丈夫です壺は売りつけません。

 自らの境界線をきちんと持っており、かつ自己の領域から出ることを好まず、当然のことながら争いを好まないですよね。


 誰に言っている?

 何より自分が傷つくことがないように防御戦を張り、白という一見どの色にも染まりやすそうな印象を与えながら、何もかも覆い隠す雪の強さを隠し持つ色ではないかと疑っている部分もあるのは確かである。

 白は黒と同様に本来は明るさである。

 つまり光である。

 多すぎる光は全ての色を吹き飛ばす。


 かつて細野不二彦のマンガ「ぐーぐーガンモ」(自分で書いていきながら懐かしくて仕方がない)で最強のジグソーパズルが登場したことがある。それは一つ一つのピースが全て白一色というものだった。

 絵のつなぎからパズルを組み立てることが出来ないというのが最大の強みだった。

 そんなものがあるのかと思っていたら、クラフトジグソーというのがあって自分の絵をパズルに出来るものであった。
 家にあったからやってみたら、わずかなピースであるのにえらく時間がかかった。

 白を基調とするブログにも時に難解さを感じるブログがある。


 白は空白域である。文学で言えば行間に当たる。

 その行間を読み取る力がこちらに備わっていなければ、本当のブロガーの理解には至らないし、それを成し遂げるためには、オートでないフォーカスを持ち合わせていなければならないような気がしている。 


 前の方でパートナーシップ願望って書いたじゃないか!

 矛盾してるぞって、その通りだと思います。

 しかし、矛盾を秘めた存在であることに間違いないと思います。

 白い洋服は、コーディネートを限定しないようでいて、本人のイメージは固定化しがちです。

 同じように白基調のブログは人を選んで無いようでいて、しっかり人を選んでいます。

 ですから白基調のブロガーはアクセス数よりもコメント数を期待すると睨んでいます。


 当たってのかな


 ご機嫌を損ねた方がいらっしゃいましたらご容赦を願います。



 戯言ですから…。

ブログ占い? №2 テンプレートの背景色   だったはず

2005年04月24日 23時01分04秒 | BLOG論
 前の稿でカズさんからトラックバックを頂きまして、ブログ占い
を紹介してもらいました。やってみたら結構バカバカしくて面白いので改めて紹介します。
ちなみに僕はHNでなく本名でやりました。

ドリコムブログでブログすんのがいいでしょうとの結論でした。

● ドリコムブログな方は、不幸としか言いようがありません。(なんで?)自分が納得するまできちんと考え、それから他のブログサービスへの乗り換え行動を起こすタイプです。(あんまり考えていないんですけど)沈着冷静で、なおかつひたむきに他のブログサービスへの乗り換えに取り組む姿勢は、周囲に大きな好感を与えます。(迷惑なでけでしょ)どちらかというと表舞台は苦手なあなたですが(そうなるとブログしてること自体が否定されますが)、他のブログサービスへの乗り換えには頑張って応えてみて。その経験は必ずあなたの糧になり、あなたの成長を助けていくはずです。(そりゃどうも)他のブログサービスへの乗り換え欲も旺盛なので、(だからあ)仕事は自分の知識を生かせるものがベター。研究職にも向いています。他のブログサービスへの乗り換え恋愛面は、これが意外と情熱家(真っ赤)。好きになると一直線なのですが、押すところと引くところを上手に使い分けると、さらに楽しい他のブログサービスへの乗り換えができそうです。 (乗り換え前提なのね)

てな具合でツッコミどころ満載です。

ぜひあなたも!

ブログ占い?  №1 テンプレートの背景色について ブラック

2005年04月23日 23時51分11秒 | BLOG論
 これだけブログが増えてくると、そのうちブログによる性格判断とか、ブログ占いとか出てくるのではないかと思ったりする。
 そういう発想をして面白がっていたが考えてみたら何を根拠に占いに持ち込んだらいいか分からないことに気付いた。

 一般的な占いでは誕生日とか、血液型とか、星座とか、数限りない人々を4等分とか、12等分とかにカテゴリー分けしないと占いは始まらない。
 
 よく考えてみればそれぞれ生きている人全てに別の運勢があっていいはずなのに、そこの所は誰もツッコミを入れずに、類別化されたその他大勢の人と同じ運命予想を読んでは一喜一憂している自分を見つけることがある。

 心の糧なんだろうなと妙な落としどころで納得するのは大人の悪いところであるが、どうにも日本人は占い好きである。

 ただしこの稿は、自分を含めた日本人の文化的傾向を微笑ましく思いこそすれ、占いを攻撃することを目的としていないのであしからず。

 占いの信憑性はどうであろうと、趣味の傾向はある種の性格傾向に沿っていると判断しても構わないだろうと思う。

 それは霊的な存在や気の流れを根拠としておらず統計学的な、データに裏打ちされたものであるからだ。

 要するに「占い」ではなく、「性格判断」もしくは「性格的傾向」ならば問題はあるまいかと思われる。

 僕が注目しているのはブログの背景色、つまりテンプレートの下地の色だ。

 通常の紙の日記では、基本色は白であろうと思われる。

 これは至極当然の話で、筆記用具として使用されるのが、鉛筆、ボールペン、万年筆(ブログのフォントに万年筆があったら絶対使う!)の三種であり色は黒又は紺となっているからだ。

 もちろん、罫が入っていても良いし、薄い下地として色やイラストが入っているものもある。しかし、カーボン、墨、インクの黒が拒絶反応を示す色のついた紙は考えられない。(あくまで基本です。緑や青で書いてもいいんです。

 
 ところが、ブログではそういう制約がない。フォントの色なぞ何種類でもあるし、テンプレートとの組み合わせなどは無限大に広がる。

 

黒(ブラック)を背景に選ぶ人がいる。

 意図としてはそのブログの記事の性格を表す場合が多いかと思われる。

 つまり、怖い雰囲気や、いわゆるSM系において、イメージに準じた、もしくは増幅させるためのものとして使われているのではないかと思われる。

 演出効果の一環として使ってるんですな。

 また、黒のもう一つの意味として考えられるのは、これは僕の勝手な推察だが、背景を暗幕として用いているケースがあるのでは無いだろうか。
 画像を主とするブログに於いて多いことが推察の根拠である。

 写真家が写真展を開く場合、黒を基調とした壁に写真を展示している場合が多い。写真を作品として鑑賞してもらうのに背景は余分どころか邪魔にしかならない。

 では上記いずれにも当てはまらない場合をどのように説明したら良いのであろうか。

 好みである!

 というのは簡単である。

 この稿を書く前に、検索で「色の占い」だの、「色による性格判断」だので調べてみたが、色よいものがなかった。



お願い!退かないで!



で、あるにはあったけども紹介に耐えうるものではないし閉鎖されてるものも多い。


「色」はむしろ「風水」と結びつき好みの色で判定する個人の性格や傾向といったよりも、色によって精神に影響を与える方に関心が向かっているといって良い。


 だがここで退くわけにはいかない。


 ブログという自分のステージを黒で塗り固めるには、それなりの理由があっていいはずだ。

 そういえば僕のいた大学の演劇部のテントも黒だった。

 演劇って黒のイメージだよね。アングラであればあるほど…。


ていうことは黒には重さがあると言うことにもなる。

 ブログに重みをつけたいという心理が働くのか?

 さらにこれは怪しいが、黒のイメージの一つに黒子(くろこ)の効果を求めているというと言い過ぎだろうか。

 目立ちたくない、知られたくないという気持ちと表現者であるブロガー心理の葛藤を表現しているというのは言い過ぎだろうなあ。

 背景を黒にすると文字は反転させて白、もしくは黄色という具合になる。

 コントラストははっきりする。

 ただ他の色は使いにくい。

 敢えて性格判断をすればコントラストを好む、領域意識の強い性格の現れだろうか。

 もしくは黒を下地に使うことによって、何事かをその下に埋め込んで、または本当の地の色を見せまいとする心理の表れではなかろうかとも推察出来る。


 勝手に妄想しています。お気を悪くなさらずに。


 「黒」は本来、色ではなく明暗である。

 人間の目は赤、青、黄色の3原色しか感知出来る能力を持ち合わせていない。後はそれの組み合わせと明暗だけである。

 つまり「黒」は「暗」の最たるものであり色ではない。

 だから「黒」に光があたると隠されていた色が浮かび上がってくるはずである。

 「黒」を背景とするブログを読むときに「黒」に溶けた色を見つけ出すのも、また一興かと思われる。