「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

外圧と自浄作用 ホリエモンは織田信長か清河八郎か

2005年03月09日 15時21分48秒 | 妄想
 最近FM東京ではライブドアとフジテレビの争いに注目しているようで、アンケートを採ったり専門家を呼んだりと動きがあわただしい。
 パーソナリティの七尾藍佳さんの個人ブログでも、この問題は頻度高く扱われ個人としての関心も高いことが伺われる。
 
 そちらにもコメントとして少し書いた事だが、このブログにもコメントを寄せてくれる「たつろ」君が自身のブログでホリエモンは清河八郎と似ているという内容のブログを上げておられた。
 
 見方として非常に分かりやすく且つ面白いので、僕なりに考えてみようとした。

 堀江社長が自分を清河八郎になぞらえているとは思えない。あるなら織田信長あたりだろうと思われる。

どちらの人物も価値観の代わる時期の前半部分を担当した人物である。

 信長は戦国時代から近世に移る際に、清河八郎は明治維新の端緒にいる。

二人のスケールの違いは否めない。

 清河八郎を弁護するわけではないが彼は羽州の豪農に生まれ身分的家柄的背景を全く持たずに徒手空拳(個人の弁舌と人格的迫力)で天下に相対した。
 織田信長とはスタートの時点で違う。

 清河が見せた数々の手品的手腕のため「百才あって一誠なし」などど言われたが、彼が全国を回り草深い田舎の武士達を説いて周り啓蒙した功績は大きい。
  
鎌倉期以降「一所懸命」という言葉に代表される、土地に執着する精神は武士の精神の範囲を縮めた。自分に保証される土地のために主君に忠誠を誓うのが美徳とされた。
 
 清河はその精神を解き放った。自分の土地を捨て、主君を捨て脱藩し、天下国家をのために命を捧げ、非命に倒れた多くの志士たちを生み出すきっかけを作ったのである。

 あだ花として咲いた新撰組を生み出すきっかけを作ったのも清河である。



 信長と清河に共通点を見いだすのは難しい。

 しかしどちらの時代も外国が新奇な文物を持ち込んだ時期である。

信長は当時、新時代の息吹を危機感として感じ取った数少ない人間であると思っている。信長の政策を受け継いだと思われる秀吉が朝鮮征討を企てたが、この構想は信長が持っていたものと考えられる。

 大航海時代を迎えたEUの脅威に対して朝鮮・中国を巻き込んで対抗しようとするプランがあっても信長なら不思議ではない。

 明治維新は黒船という具体的な脅威を外人アレルギーというヒステリックな反応に変換して、それをエネルギーにして有能な若き指導者の現実的対処のもとに行われた革命であるといえる。
 
 このあたりの段が司馬遼太郎先生の受け売りであることは明白であるが、作者の失礼に寛容をもって読み進めて頂きたい。

 何せ机上には資料も何もなく自分のいい加減な記憶だけを頼りに書いている。


 さて、この稿はライブドアの堀江社長とフジテレビについて書こうとしている。

 日本人の民族的特性として「変化」よりも「深化」を望む傾向があるといえる。
 職人はその職域に関する技術を熟練から芸術にまで昇華させる。
 外来の文化もいつの間にか自国風にアレンジして光沢のでるまでに磨き上げる。
 諸制度も、その基本的精神を疑うことをせず運用面での調整を主とし円滑に進むことを 良しとしている。

 日本がその価値観を一変させるとき必要としたのは「外圧」である。感電した人の数の違いはあるけれど…。戦国時代も明治維新も、そのようにして行われた。
 そして今も繰り返されている。

 組織が不祥事を起こしたときの反応は、まず秘匿である。これは円滑を主眼とする動きである。
 そうすると次に世間・マスコミという「外圧」が来る。
 健全化はそこから始まる。

 フジテレビ・日本放送にとってライブドアは「外圧」である。しかも世間を巻き込んでいる。

 健全化の一歩を踏み出すきっかけになるといいなと思う。なるとは言い切れない。

 では今回の件は日本にとってどうなのか。

 七尾藍佳さんのブログでは「敗者は日本国民」と評したアメリカの新聞の論調を紹介した。

 外資の参入が不可欠な日本経済にとってライブドアの動きに嫌悪感を抱く日本人の感情は国際感覚に欠けるという意味らしい。

 堀江社長は早すぎた人なのかどうかは今後を見ないと分からない。ただホリエモンはメディアへの露出を好み、本来水面下で迅速に行うべき買収行為を半ば公開で行っている。その意図がいったいどこにあるのか分からない。しかし派手好きで目立つのが好きなのは信長、清河の両名とも共通している。


 織田信長も清河八郎も偉業半ばで非業に倒れている。


 ただ今の日本は国際感覚という「外圧」に晒されていることは確かであり、フジテレビが推進してきた「面白ければなんでもいい」的路線で公序良俗すれすれの気分で対岸の火事を愉しんでいるだけでは嘗ての比叡山のごとく焼き討ちに遇うことになりかねない。

 今後どうなるにせよ日本型経済組織の方向性を占う出来事になるのだと思う。

 それにしても堀江さんは、どこかに強いコンプレックスを持った人の話し方に思えるのはなぜだろう。

 此処まで読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-10-12 14:30:37
堀江さんは、父母から愛を受けられず、幼少期に不細工と言われた経験をいまだにコンプレックスに思っているそうです。
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