「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

人の「手」について考える3 赤ちゃんの手の記憶

2006年05月25日 23時25分57秒 | 文化論
人類の発生の地は、アフリカの東部と言う説が有力です。
 赤道沿いに位置するアフリカ大陸は、古代から気候に恵まれていたため、多くの植物が繁茂し、それにつれ動物も多く繁殖していました。
今から1500万年まえには、下等なサル族から類人猿までの霊長類が住む森、森林がアフリカ大陸の東西に大きく広がっていました。まあジャングルみたいなものですね。
 が、その後の数百万年の間、大規模な地殻変動が持続的に起こり、紅海から現在のエチオピア、ケニア、タンザニア、モザンビークを結ぶ地下で地殻が分裂してゆきました。

ここを、大地溝帯といいます、大きな断層で、深い谷と川、湖が繋がっています。
また、一方、エチオピア、ケニアでは大規模な地殻隆起が生じ、形成された山地のため、西から東へ流れている気流が、山地の西側で雨を降らしてしまい、東側では、雨が少なくなり森林が疎となってきました。



大地溝帯の周囲には、壮大な山地や樹木の茂る涼しい高原、急峻な傾斜地、そして熱く乾燥した低地などが、新たに生じたのです。その結果、これまでの湿度の高い森林地だけでなく、多様な生息地が生まれ、そのことが生物の進化を強く促したのです。そこに適応する集団と消滅する集団とに分かれてきます。
さらに、人類の発生に、大地溝帯は、もう一つの重大な役割を果たしました。すなわち、共通の祖先からの子孫たちは、この大地溝帯によって、東西に分断されたのです。
大地溝帯の西側の子孫たちは、以後も湿度の高い森林地での生活を続け、類人猿として、とどまったのに対し、東側の子孫たちは、樹木の少ない新環境の中で適応する生活をするうちに新しい能力、すなわち、二足歩行をした最初の類人猿、人類の祖先となってゆきました。

 木から降りざるを得なかったサルが人類の祖先であったようです。

 では逆に木に登った動物がサルになったわけで、その動物はきっと前足が異常に発達して木につかまったのではないかと思うのです。

 動物は4本足でありまして、走るには後ろ足が力強く蹴ることが出来ればいいわけですね。いわゆるFR車だったんですね。

 で、肉食獣は獲物を捕まえなくちゃいけませんから、牙とかと一緒に前足も器用になってえいや!って掴んじゃうのが良かったんじゃないでしょうか。
 で、やたらに器用なのが、安全だし獲物も捕りやすい木の上にすんでしまおうかって考えたんでしょうね。

 人間の赤ちゃんを棒につかまらせるといとも簡単に自分の体重を支えてしまいますね。(よい子のお父さんは真似しないでね)

 それって樹上生活してたときの体の記憶なんでしょ。違うのかな。

 で、そうすると移動は木から木へって具合になりますから、どうしても微妙な握り方が必要になってくる。

 そういう連中が木からおりたら、危険がいっぱいじゃんかって、深い草に身を潜めながら、時々伸びをして周りを警戒してたら、2本足で立ってたほうが都合が良いってんで、立って暮らすようになったのかもしれませんね。

 そしたら枝を掴んでいた繊細な前足が、空いてるから棒でも掴んでいようかっておもって、振り回していたら何かの拍子に、他のサルに当たって、そいつがのびてしまったんじゃないでしょうか。

 あらら!これはすごくないかい?っていうんで他の動物にも応用して、道具(武器)手に入れたんじゃないでしょうか。

 そうすると同じ棒を握っていても、殺意を持って臨む狩りの場合と、殺意を伴わないものとか、色んな場面での使い分けが、更に繊細さを生み出したのではないかと勝手に想像して悦に入っている、そーです、僕が変なおじさんです。