「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

カブトムシが歩き回るについて考える

2006年07月30日 22時09分26秒 | 人々


 僕の家には娘しかいない。

 でも僕の家の玄関には御覧の通り所謂虫かごって奴が3連ちゃんでコンボイを組んでいる。

 中にはつがいが一組づつ。

 だから僕の家にはカブトムシが雄雌会わせて六匹いることになる。


 いっておきますが僕の趣味じゃありません。


 今年小学校5年生の娘が男勝りで、虫でも何でもOKという人ではありません。むしろ最近はドンドン女の子らしくなって合唱の練習とかしています。


 ですからこの趣味はウチのカミさんなんです。


 買ってきたの?

 いいえ違います。

 カミさんはそこまでのめり込んではいません。


 このカブトムシはカミさんの職場からもらってきたものです。


 カミさんの職場は森に囲まれています。

 そこで色々な雑務をしているおじさんと仲良しなので、クワガタだのカブトムシだのを捕まえるとくれるそうです。

 最初は幼かった娘さんのためにということだったのですけど、そのうちカミさんだけのためにもらってくるようになりました。

 カミさんの実家は大井川の奥にあります。

 大井川線の終点よりもさらに奥です。

 ですから当然山の子です。

 (元本川根の小学校では「山の子」という唄が伝わっているらしい。)

 で、こっちは本気で男勝りだったのだそうで、弟と二人で一生懸命虫で遊んだそうです。

 で、その血が娘が虫をもらったのを契機に甦ったようで、ここ数年一夏に10匹ぐらいのカブトムシを世話するようになった。

 でも不思議なことにこういうタイプによくありがちなそれぞれ名前を付けて可愛がるというのめり込み方はしていないようである。

 そのかわり雄のカブトムシのことを「ほんちゃん」といい、雌のカブトムシを「ぶーちゃん」と呼んでいる。

 これはとても地域的な言葉で、以前僕が調べたところ、同じ大井川流域でも川根町や旧中川根町ではこのような呼称がみられず、旧本川根町の小学校、中学校でしか通用しない言葉となっている。

 ちなみに「ほんちゃん」と「ぶーちゃん」の呼称の違いはそのスタイルから来る価値の差が生み出した言葉であろうことは容易に推測がつくのであるが。真相は分からない。

 まあとにかく、カミさんとしてはマメに世話してるので文句は言わないが、養殖の元気のない奴と違って、食欲も性欲も脱出欲もすこぶる旺盛で、みると盛んに重なっているし、ゼリーはすぐに平らげ、虫かごのプラスチックの蓋を軽々と持ち上げてしまうので、何か重しをのせとかなくてはいけない。

 で、基本的に夜間徘徊の傾向が強い不良少年少女の一群なので一度や二度の失敗などでめげるはずはなく、夜中になると「ぶーん、ぶーん」という飛行訓練かつ脱出へのトライを繰り返している。

 一昨年などは、脱出したカブトムシに気がつかず、捜索の甲斐無くカミさんが踏みつけてしまったという痛ましい事故もあった程である。


 まあとにかく自分で楽しんでやってるので何も文句は言わないけれど、そんなに飼わなく立って良いのではないかと思う。

夜の空の銀座にて

2006年07月28日 22時53分44秒 | 妄想
 僕は夜お風呂に入る前に肩こり対策として、少年野球用のバットで素振りをしている。雨の日はやらないから、空は星が出ていることが多い。

 僕は野球選手じゃないし、何処かのチームに所属しているわけではない。だから素振りと言ってもいい加減なものだ。

 第一打てるようになることを目的としていない。

 僕が気を付けているのは力を溜めて思いっきりなるべく大きな音が出るように振ること。それだけを意識して振っているから、肩に力が入っているかもしれず。またアッパースイングになっているかもしれない。

 そんなことはお構いなしにとにかう一振り一振りを集中して行うように心懸けている。

 そんな僕だから、一振り終わると自然に空を見上げることが多くなる。

 そうすると我が家の上空には必ずと言っていいほどジェット機が飛んでいる。

 僕の素振りの時間はぜいぜい10分程度のものだと思う。

 僕はその間に西から東へ向かう飛行機を2機、東から西へ向かう飛行機を1機みた。

 考えてみれば僕が空をみ上がるとき、いつも上空には飛行機が飛んでいる。高度はまちまちだが飛行経路は僕の家を中心として南北に数キロの範囲で飛んでいそうである。

 すれ違う飛行機も多いように感じる。もちろん安全な車間距離?みたいなものを守っているのだから大丈夫なんだけど、この多さは尋常な数ではないと思うときがある。
 かく言う僕もハワイから名古屋空港へ帰るときには房総半島沖から左に旋回して富士山を右下に見ながら夕方の自分の家の上空を通りながら空港に向かったことが3度ほどある。

 こんど行く機会があったら捜してみようかな、自分の家を。

 と密かに思っている。

掛川西の正念場

2006年07月27日 23時06分09秒 | 人々
 静岡高校が負けちゃいましたね。静岡商業が出てまいりました。相手にとって不足なしの伝統校同士の戦いになりそうですな。

 不気味なのは飛龍高校ですよ。

 試合の後半で得点を入れることが出来る学校というのは試合を作ることが出来る、つまり投手が強くてもそれを攻略することが出来るということを意味しています。

 まあ浜名もタフなチームですけどね。

 

ガソリンの値上げについて考える

2006年07月26日 22時36分29秒 | 人々
 僕は18年間菊川と藤枝の間を往復し続けている。8時までに入れば良いのに8時に着くために7時に家を出ると大井川の橋の手前で渋滞につかまってしまい1時間かかっても着かない場合がある。

 余裕を持って6時半に出ると7時10分前に自分の席に着くことになる。

 そんなのを18年間繰り返している。

 時間を外して牧ノ原の道をひたすら走ってくるので燃費は良い。僕は今2300ccの車を利用しているがリッター10キロを切ったことがない。CRVのデュアルタイム4WDのときも10キロリッター10キロを超えていた。買うときにはリッター8ぐらいを覚悟して下さいといわれたので嬉しかった。

 一日往復60キロの運転で満タンにガソリンを入れてほぼ10日ごとに給油というのが相場になる。

 そうするとガソリン価格の変動は結構深刻に僕の財布に影響することになる。

 藤枝市の大洲街道には4つのガソリンスタンドが価格競争を繰り広げている。2軒は給油のみのサービスで、もう1軒はセルフで、そして僕の行っているスタンドは昔ながらのスタンドである。

 僕はセルフが嫌いなわけでも苦手でもない。(カミさんは明らかに苦手でいつも僕にやらせる)

 そして価格はどの見せも一緒だ。

 ちなみに我が町菊川と藤枝ではこの3月までリッターあたり5円の開きがあった。これは驚異的で静岡市内でも東名の取り付け道路沿いのスタンドよりも安かった。

 で僕が給油しているスタンドはおじいさんが二人とおばあさんが一人と娘さんと秋田犬でやっている店だ。

 娘さんといっても僕からみたら娘さんだから歳は分からない。だがとても上品にお話をする人だと思ってくれて良い。

 敢えて言えばコンコルド婦人みたいな人である。

 で、そこは洗車機なんぞ、とうの昔に使われなくなって給油しかできない。

 狭くて車2台しか入らなくて設備がボロで仕方ない感じなんだけれど、そこで入れている。

 会話もパターン化していて

 「はい、もうちょっと前ねえ」

 「現金でいいですか」

 「レギュラー満タン入ります」

 「はいざらいいですかあ?」ぐらいしかなくて

 おつりをもらう寸前に

 「今日は暑いですね。」とか、

 「梅雨は明けますかねえ」といって当たり障りのない会話しかない。

 給油中にしてくれるサービスも窓ふきだけだけど二人がかりでちゃんと吹いてくれている。

 だから何が良いのかというと、そういう人達や敷地内に繋がれてペットボトルで遊んでいる秋田犬を見るのが良いのだろうと思う。

 バイトか正社員か分からない勢いのある兄ちゃんちの言葉遣いだけがマニュアル化して姿勢が追いついていないスタンドマンでも構わないのだけれど、どうにも人っぽくなくていけない。

 で、そこのおじさんにこの間僕の方から

 「ガソリンはまだ上がりますか?」といつにない質問をぶつけたら

 「150円までは上がりそうだよ。」といっていた。

 「でもスタンド自体はそんなに困らないんでしょ。」というと

 「そんなことはないよ。ウチみたいな小さいところではとても痛いのさ」

 というので

 「なぜなんですか?」と聞くと

 「そんなに現金が用意できないんだよ。」といわれる。意味が分からないのでよく聞いてみると

 ガソリンは提携石油会社から無尽蔵に提供されるのではなくて、スタンドにガソリンが無くなってきたら、連絡して提供を受けるのだそうだけど、その単位はトラック一台分なのだそうだ。

 トラック一台分のガソリンが一体いくらなのか知らないが、スタンドはそれをその時の時価でしかも現金で買わなくてはいけないそうだ。

  おじさんが用意できないと言ったのは買い取る際の現金のことで原油価格が上がると売れればその分入ってくる収入を先に石油会社に払わなければならないから前のガソリンを打って得た収益を次回分のガソリン購入費に充てなくてはいけないので、困るのだそうだ。だってそんなにスタンドの収益って無いみたいなんだ。

 店が大きくてガソリンの回転が速ければ値段も即応できるのだけれど、価格競争してると周りに足並み揃えないといけないらしく苦しいらしい。

 ちいさな回転の遅いスタンドでは大手が安くし始めたら、高いガソリン在庫があっても値下げせざるを得ないらしい。

 まあとにかく150円は覚悟しといた方が良いらしいのは事実のようだ。

 どこもかしこも大変だねえ。

掛川西の道は開けるのか!について考える。

2006年07月24日 23時07分24秒 | 人々
 第1シードから第4シードまで負けてしまいましたねえ。

 島田商業、静岡学園、浜商も静岡市立高校もいませんなあ。

 残っているところでは東海大翔洋が有力か?

 わが掛川西高はベスト4までが保障されたと言っていい組み合わせだね。

 楽しめますが、静岡高校ぐらいと決勝戦であたると嬉しいのだが残念ながら準決勝であたることになりそうだ。

 しかし夏の大会は恐いねえ。菊川常葉を破った浜商が次に小笠高校に負けてその小笠高校が今日は東海大翔洋に10対1でコールドで負けているんだよ。

 菊川常葉も浜商も立場がないっていうことだね。

 さあ我が掛西は何処まで行けるのやら、甲子園に届くのか分からないけどいつものように準々決勝あたりでピッチャーを温存して試合を壊して負けちゃうなんてパターンにだけはなって欲しくないな。


 といったところで700記事である。

いやあ藤川球児はすごかった! 世代交代について考える

2006年07月23日 22時58分30秒 | 人々
 オールスターゲームの華はかたや新庄、かたや藤川球児できまりでしょ。藤川という投手の旬の時代に遭遇できてうれしかったねえ。

 清原がインタビューで「火の玉ボール」と名付けた伸びが信条のストレートで真っ向勝負。

 ぜんぶ良い球でしたね。でも古田の構えているところとは違いましたね。

 清原がバッターで古田が構えて藤川が投げて華の場面を作っている。藤川がインタビューで「子どもの頃から憧れていた選手に真っ向から対決できることが出来て感激している」と語っていましたね。

 感無量なのはこっちだよ。清原、古田がそういう風にいわれると、彼等は僕よりずっとしたですから、そういう選手がそういわれる歳になるってのは何だかズシンときちゃうね。

 自分と同じ年のアスリートが引退するのを見るのは哀しいことで、おいもうそんな歳かよ!って思うものなのです。

 サッカー選手の場合は選手生命が短かったりしますのでそれほどじゃないんですけどね。野球の場合は結構重いですね。

 でもまあ藤川はすごかったし、今度は先発して9連続奪三振とかやってくれないかなあと思うのでした。

掛川西高の初戦が掛川球場でなかったことについて考える

2006年07月22日 20時47分41秒 | 妄想
 最初に断っておきますが、この記事は推測のみで書かれていて書いてあることはなんの根拠もないデマです。

 その点を考慮に入れてたわいのない話を楽しめたらいいと思います。

 今日僕は高校野球の県予選、掛川西高の初戦を見てきました。勝ちましたね。7回コールドゲームでした。序盤こそ打てませんでしたが中盤に一挙に5点とって試合の流れをものにしましたね。あいてのピッチャーもよく抑えていましたが持ちませんでした。

 土曜日で浜松球場なので結構観客が入っていて良さそうなのですが、応援団も少なかったしOB軍団のミドリのメガホンも見られなかったですね。

 まあ勝ち試合ですから盛り上がりましたよ。

 で、掛川西はシード校ですから2回戦から登場で今回が初戦なのですけど、どうして球場が掛川球場じゃないんでしょうね。
 上がってくる学校は明誠高校と冨士高校の勝者だったわけですから、どちらが上がってくるにしても東から来るわけだから掛川で良かったんじゃないのかなと思うのです。だれも文句いわないし、現実には次の試合は掛川球場なのね。

 でね、結果としてコールドゲームだったから何とも言えないのだけれど、次の試合より今回の試合の方がどちらかというと嫌な感じだったのよ。

 そういうときこそ掛川球場で地元の利をって思うでしょ。ところが掛西、島商、浜商、静商、静高といった伝統校の野球部にとっては初戦から地元の大応援団の中でやるっていうのは逆にもの凄いプレッシャーになるらしいのね。実業団が突然甲子園の5万の観衆の中で野球やるみたいなもので、一球一球ごとに反応されちゃやってられないと思うわけだ。

 それに去年初戦で負けて監督更迭があったり、次の監督のなり手がいないとかいう問題があったでしょ。(噂)

 まあなんにしても少なくとも3回戦ぐらいまでは負けられない学校の一つだからいろいろご配慮を願っているんだろうなという妄想なのです。

 悪しからず。
 

宮脇書店の挑戦!

2006年07月22日 20時14分21秒 | 日記
 6月の下旬に掛川の宮脇書店に行ったら店内改装のためしばらく休みますとのこと。書店が改装?紳士服のおみせはよく改装セールをするけど、書店の改装は珍しいの少し驚いていた。どんな風に改装するのだろうと思って行ってみたけど、本の配置が少し変わっただけで別段の改装はない。なんだよお、たいしたこと無いなあと思って店内を見回すと異様に客の数が増えている。

 なんでだ?と思っていると分かりました。コミックのビニールカバーが全部はずされていました。これが理由だったのか。

 僕はマンガ喫茶なるものに行ったのは8年ぐらい前に一回行ったきりなので今のマンガ喫茶(通称漫喫)というらしい。打つのはこっちの方がめんどくさい。

 だから知らないんだけどこれだけ全国にチェーン店化されているっていうのは相当に快適な空間なんだからだろうなっていうのは理解できる。

 だから本のある空間の、人が集まる本の空間の王者を取り戻そうとして、まあ単純に言えばお客さんを呼び戻そうとして、本の傷みと回転率の悪さというリスクを承知でやったのではないだろうかと推察できる。

 さあて僕は旧浜岡町と榛原町にあった書店「ZEN」を知っている。そこもコミックにビニールカバーがなくていつも若い人がいたけど結局持たなかったよ。
 宮脇書店は全国で320店舗あるから会社自体がどうなることはなくても掛川店はそういう意味では冒険をしている。

 コミックにビニールがあろうと無かろうと僕は品揃えの点で戸田ブックスより好きなんだけれどな。

掛川のおそば屋さん 蕎葉 まさ吉

2006年07月19日 23時12分56秒 | お店の紹介
 

 かみさんと娘さんが掛川の生涯学習センターに行こうとして曲がるところを間違えて見つけたおそば屋さんです。

 実はその2時間前に僕も同じ場所で迷って「おっ!こんなところにそば屋がある。」と思っていたのでした。

 その後、夜何処かでご飯を食べようということになったときに、娘さんが「この前行ったそば屋が良い。」ということになり行ったのですが、玄関には「蕎麦売り切れにつき閉店」といった主旨の言葉がありました。

 これは凄いことになってきたと思って引き返しました。

 娘さんはそれが余程悔しかったのか、帰り道にはムスッとしておりました。


 で、今週の日曜日に再びチャレンジしました。前回は7時近かったので、今回は5時半にお店に入りました。

 見事に1番目の客になりましたが、その後次々にお客が入ってきます。

 しかも皆さん、お蕎麦の前にお酒を召し上がるなんザアかなり本格的でございますよ。


 メニューを見させて頂くと温かいお蕎麦のメニューはありませんでした。付け汁が温かい鴨南そばが唯一の温かい系でしょうか。

 カミさんは「どうして暖かいのは無いのですか?」と平気で聞きますよ。

 答えは簡単明瞭で「夏だからでございます。」とのこと。

 さすがのカミさんも二の句が継げません。

 ここのご主人は蕎麦に関してはかなりのポリシーと創作意欲の旺盛な方とお見受け致しました。

 鴨南蕎麦を付け汁にして食べるのはカミさんでございましたが、かなり濃厚な付け汁だったとか、直接飲むには少し濃すぎるので、後から出てくる蕎麦汁を入れて飲むのが宜しいかと思います。

 ウチの娘さんはこういう場面になると急に冒険心を出すようで、湯葉の入った冷たいお蕎麦を頼みましたよ。

 僕はオーソドックスに、大根おろしのトッピングが眩しい、ぶっかけ蕎麦にしましたが、その湯葉ののった蕎麦が出てくるや顔をゆがめましたよ。

 それはそうです、湯葉がでかいし汁も湯葉汁と混ざって乳白色をしています。

 娘さんが顔をゆがめたのは汁が醤油カツオだし汁系の色をしてなかったからに違いありません。

 で、少し湯葉をかじっただけで「パパ、交換して!」とわがままなことを言っています。

 
 結局僕が湯葉蕎麦を食べることになりました。

 娘よ!君の冒険心はいつもパパという尊い犠牲の上に成り立っていることを自覚しなければならない。


 でもこの辺りでは一番とも言える品の良いお蕎麦ではないかと思ったのですが堂でしょう。

 店内の装飾も少しもあざとさを感じさせず、しか小綺麗な印象を常に与えてくれそうなつくりになっています。

 駐車場は5台が限度かな。

 蕎麦だからお客の回転数は良いはずなんだけど、昔ながらのスタイルである酒の肴をだしてもらって酒をちびちびやりながら、蕎麦が茹で上がるのを待ちながら世間話に耳を傾けるはずだから、前の道路からガラスから中をのぞき見る方がよい。

 とにかくしっかりとした信念をもって「俺の店の蕎麦を食ってみよ。」という挑戦状は何度でも受け取りたいと思うのです。
 

あ!荒川静香さんですか?

2006年07月18日 22時58分42秒 | 人々
荒川静香がファッションモデルに挑戦




荒川静香さんが東京プリンスホテルパークタワーで行われたファッションショーのモデルに初挑戦。彼女のファンであるパリ・コレクションのデザイナー、エイメリック・フランソワ氏の希望で実現した(18日)(時事通信社)21時58分更新


 お顔に荒川静香さんの面影はありませんね。ウチの娘は「あ!叶姉妹のお姉さんの方だ!」って叫んでましたよ。

 いわゆるファッションモデル風にメイクされてしまうと個性はある程度消されてしまうようですね。

 残っているのは姿勢の良さとスタイルってことかな。

 まあ彼女のチャレンジは女子フュギア金メダリストとしての先鞭になるのでしょうからその辺りはバンバン行って欲しいものだと思うのです。