「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

明日は浜松祭りに行きます。

2006年05月04日 00時16分55秒 | 人々
 えーと、明日はカミさん達は浜松の御殿屋台を見に行きます。僕はお留守番ですな、多分。

 義理の母が浜松出身で、中心街に実家があるんですね。

 その義理の母のお兄さんが、もう、祭りバリバリの人で70歳を越えてるのに一年中祭りのことを考えてるような人で、僕も祭りは嫌いじゃないからおじさんと話をするときはいつも祭りの話になってしまう。
で、けっこう話が合うので随分可愛がってくれている。

 ウチの娘も祭りを見るとじっとしてられない人で、どうにも血が騒ぐらしい。
 当然、おじさんとの呼吸もぴったりな訳なんだけど、向こうから言わせれば僕の地元の田舎祭りと浜松祭りは規模も格式もいわゆる「張り」ってやつも全然違うわけで、僕とか娘の話にあわせてくれている部分が随分あるのだと思う。

 だけど何処をどうしたのかウチの娘さんは明日はそのおじさんの孫ってことで、御殿屋台に近づけるらしい。

 ご配慮は大変嬉しいのだが、ウチの娘さんはかなりビビっておられる。

 小学生ながら祭りの「格」ってやつが分かるらしく、それなりに出しゃばりは控えるつもりであるようだが、現場でどうなるかは分からない。

 まあ楽しんでくれればいいと思う。

静岡の帽子屋さん 頭蓋骨が松井並みの人のために ついでに母の日の想い出

2006年05月04日 00時00分15秒 | 人々
 唐突な話だけど、僕は頭が大きい。

 例えば僕はその辺のデパートとかスポーツ用品店で売っている帽子は滅多に買わない。
 なぜなら入らないからだ。

 断っておきますが野球帽のことですよ。

 今時の野球帽(CAPと言った方が正確かも知れないけど)はだいたいサイズフリーになっていて、帽子の後ろの部分で調整できるようになっている。
 
 だから入らないはずがないというのは素人の考えなのです。

 フリーサイズで入ったとしてもしっくりこない人もいるのです。

 だって基本的にMサイズで作っているでしょ、ああいうのって。

 それでじばらくコンプレックスを感じていたのです。

 で、まだ僕ら夫婦が静岡市内に住んでいた頃、母の日に何をプレゼントしようかってことになって、母が随分よれた帽子を被っていたので新しいのを買おうってことになりました。
 で、母のオーダーを聞いてみると鍔が広くて、紐が通せてあごの下で結べるもので可愛いのってことでした。

 そのころ母は自分で買ってきた帽子に穴を開けて紐を通していました。

 さあ、そんな帽子があるのかとデパートを探し回ったのですがありません。

 いわゆる農家のお母さんが外で作業する時に被るようなものは、「赤のれん」とか「しまむらショッピングセンター」にあるのですが、お洒落ようじゃないのです。

 困っていたらカミさんが思い出して、「あそこならあるかもしれない!」って言ってみたのが「呉服町通りをずっと歩いていって、伊勢丹に着く手前にある「帽子の鳥居」さんでした。
 
 ずっと前から前を通るたびに、帽子の専門店が生き残ってるという意味で、気にしていたのですが、入ることになるとは思いませんでした。

 で、見事にありました。

 黄色で素敵なリボンがついていて、あごで結ぶことも出来るようになっているものでした。
 値段は1万円くらいしたと思います。
 でもまあいいやって買いました。

 今でも母の宝物です。

 そしてそこで僕のコンプレックスも解消されたのです。

 帽子にはLサイズやLLサイズもあるのです。

 そしてその帽子は僕なんかが被っても実に自然に頭を包んでくれます。

 載せてるんじゃなくて被ってる感じがする。

 そのお店のお兄さんは
 「頭の大きい人は結構いるはずなんですが自分にあった帽子を被っている人は意外といないんです。」といってくれて救われたような気がしました。

 僕の帽子コレクションの一部は鳥居さんで揃えたものです。(後はハワイが多い)

 で、そのことが頭にあって娘が小学校の社会勉強で呉服町の商店を調べようってときに、当然のことながら「帽子の鳥居」も候補に挙げさせました。

 で、後で聞いてみると

 娘が「このお店はいつから始まったんですか?」の問いにお店のおじいさんが「さあねえ、いつから始まったのかねえ。」と答えたそうだ。

 娘は憤慨してましたが僕はクスクス笑ってしまいました、なんでだろう?

 
 そんな話をたまご酒さんのブログを読んでいて思い出した。

 ちなみに僕の頭はヤンキースの松井ほどにはでかくありません。