「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

大井川堤の桜

2006年04月05日 23時45分43秒 | 漢字歳時記
 今日は二四節気のひとつ「清明」です。

 安倍晴明の「清明」と同じ字ですね。

 陰暦3月の節で、陽暦の4月4日か5日。「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」関東から 西の地方では桜が見ごろで、南の国からは、そろそろツバメの渡りの便りも届く。

 とあります。

 また

 中国で清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。

沖縄県では「しーみー」と発音して、中国の風習と同じく墓参りに行くが、墓の前で親類が揃って食事を楽しむ風習がある。清明祭ともいう。

 という解説をするところもありますね。

 とにかく春らしい春になったなあと感じる季節なのですが、現実のお天気は一向に安定せず、桜に菜の花ではなく雪が降るといった天候が続いています。

 
 写真は大井川から取水のために作られた水路の土手に咲く桜の花です。

 写真じゃ全然分かりませんが土手の道路を覆うように咲く桜は車でゆっくり通行すると結構ゴージャスな気分になります。

 ただし車のすれ違いは出来ませんのでご注意を要します。


 で、ここは大井川でも島田市の外れにあたり藤枝市、大井川町となっていくのですが、とても大きな工場が多い地域になります。

 島田市には独特の臭いとともに記憶される東海パルプの工場群があり、この辺りに来るとネッスルコーヒー(ネスレ日本)の工場があったりして香りにおいては対照的な感じがします。

 この後、藤枝市に入りますと、途端に中外製薬や持田製薬、科研製薬といった製薬会社が軒を連ねます。

 いずれも大井川の豊富な水を必要としているわけですが、この辺でだいたい河口から10キロぐらいの位置になり、大井川の周辺にも人家は見られなくなります。

 そしてこの工場群の道筋にいづれも桜が綺麗な姿を見せています。

 製薬会社と桜の取り合わせは、

 梶井基次郎「桜の樹の下には」
 坂口安吾「桜の森の満開の下」
 連城三紀彦「能師の妻」(『宵待草夜情』)
 荒俣宏『帝都物語』エピローグ
 コンセプトは”桜の樹の下には屍体が埋まっている”。

    ねがはくは花の下にて春死なん
        そのきさらぎのもち月の頃   西行

 といった事柄が頭をよぎり、随分ひねくれた想像をする自分を卑下したくなりますがかろうじて止まっていると言った状態です。

「桜」は元々「櫻」と書きました。

 しかも元々中国では「桜桃(ゆすらうめ)」のことを言っていたんですね。

 で、古い字の方に「貝」が二つあって、その下に「女」の人がいるでしょう。これって、とても細かく密な状態を言うのだそうです。
 冠を結ぶ組紐を「嬰」に糸偏をつけて「えい」と読ませます。その大きいのを「綬(じゅ)」と言いまして社会に貢献した人に送られる褒章(ほうしょう)に「藍綬褒章」とか「黄綬褒章」とかの「綬」でしてあれはメダルをぶる下げるための組紐の色なんですね。

 褒章の種類及び授与対象を見て頂ければ分かります。

 だから何が言いたいかというと「桜」って、こまかい花びらがひとつひとつ散って風にまるで一枚一枚が主役のように違った動きをしながら散るでしょう。

 それがザアって大きな流れになると背筋に電気が走るほど感動するじゃないですか。
 
 その細やかな、それでいて大胆で、豪快な桜の散り具合に僕達は魅せられているのだろうと、思います。その感じがこの漢字には出ていると思います。

 なんだかまとまらなくなってしまいました。

 

4月「卯」について考える

2006年04月02日 01時33分45秒 | 漢字歳時記
 今日はエイプリルフール。

 まったく気付いておりませんでした。


 で、小学校5年の娘に騙されました。

 あやうく泣きそうになった情けない父親です。


 どうも僕です。(休止中のたつろくんにかわり、オープニングです)

 
 卯月になりました。

 卯月とは、陰暦の四月のこと。
卯月は、卯の花(ウツギの花)が咲く季節なので、「卯の花月」の略とする説が有力とされる。
 その他の説では、卯月の「う」は「初」「産」を意味する「う」で、一年の循環の最初を意味したとする説。
 稲を植える月で「植月」が転じたとする説。
 十二支の四番目が「卯」であることから、干支を月に当てはめ、卯月になったとする説がある。
 ただし、「植月」の説は皐月の語源と似ているため、似た意味から付けられたとは考え難く、干支の説は他の月に例がないため不自然と思われる。 

 卯月の「卯」は祭祀(祭り)供える生贄の肉を二つに裂く形で、さくの意味になるのが原義。

 そこから、貿易の「貿」という字が生まれたりした。貝のお金で二つに分けたものを交換すれば互いに幸せになれるというのが商売の原則だから、大事な字なんです。

 卯って卵のことじゃないの?

ていってる人もいるけれど、ホントはそうじゃなくて、卵は樹上に生んだカエルの卵のようかであるから、玉子を向かい合わせにしてやったのである。


「金」にまつわる出来事について考える

2006年03月05日 23時36分32秒 | 漢字歳時記
 荒川静香さんが大変ですなあ。まだトリノでの演技が終わって一息もついていない感じがしますね。このまま窒息しちゃうんじゃないかと思うくらい毎日テレビに出てますねえ。
 「金」の実感よりもこの騒ぎがいつまで続くのだろうって思っていらっしゃるようなきがします。
 この「金」という言葉の持つ力に翻弄されているのが今の日本であって、荒川さんが出演している「金芽米」なるものが跳ぶように売れているそうです。CM自体は昨年の9月に撮影されて一旦放映されなくなっていたんですが、彼女が金メダルをとってから再映されるようになったそうです。「金」が加わると商品名自体にインパクトはありますから、これは売れますよ。会社としては金メダルと掛け合わせるつもりは毛頭なく、彼女が金メダルをとる、もしくはオリンピックに出ること自体予測不可能でしたから、今回の騒ぎは青天の霹靂だったといってましたね。

 この「金」という字は元々「黄金」を意味するものではなく、中国では金属全般を指し示す言葉でした。さらにさかのぼれば「金」は「青銅」を意味して痛そうです。いわゆる「黄金」を指すようになったのは、中国の戦国時代(紀元前四世紀~前三世紀)になってからといいます。

 

 漢字の成り立ちは鋳型に金属を流し込む様子が描かれていて、レールを流れている液体状の金属と横にできあがった金属の塊が二つほど描かれています。

 ゴールドメダルがいつから優勝選手に渡されるようになったのか分からないんです。近代オリンピックの開かれたATHENS 1896 Olympic Games、ΑΘΗΝΑ 1896)は、1896年4月6日から4月15日まで、ギリシャのアテネで行われた夏季オリンピックである。(ギリシャでは当時ユリウス暦を使用していた。ユリウス暦では3月25日~4月3日に開催)されています。ところがこのオリンピックには金メダルがなかったんですね。財政上の理由で優勝者には銀メダルだったそうです。男子しか出てなかったのにね、今では信じられない話です。
 ちなみに金メダルは、純度92.5%以上の銀製メダルの表面に6g以上の金メッキしたものとオリンピック憲章(規則70 付属細則2-2)に定められています。これは、開催国によって経済的な不利が無いようにとの配慮ですね。アマチュア精神旺盛な頃の規定でしょうね。今の商業主義旺盛な時代には必要ない配慮かもしれません。それからメダルには競技の名前を入れる事になっており、授与される者の名前は入っていません。なくすと誰の課わからなくなってしまう…そんなわけないか。
 デザインは大会によって異なりますが、今回のトリノの意匠はどう思いますか。あのドーナツ型の金メダルです。僕は結構良いなあと思っているんですが、皆さんはどうでしょう?ミスタードーナツが一枚噛んでいるんじゃないかって…それはないでしょお。

「妖艶」 キモカワイイとエロ格好いいについて 倖田夾未は浜崎あゆみを駆逐するのか

2006年02月04日 23時39分22秒 | 漢字歳時記
 「艶」と言う字は(アデやか)と読んだり(ツヤやか)と読んだりします。(ナマめかしい)と読むこともありますね。どのみち色っぽい感じには違いがないようで、主に女性を表現する言葉となっています。
 でもこの漢字、実は常用漢字ではありません。「あでやか」という字を他の漢字で書くと「妖艶」の「妖」という字を使います。

 この「」という字は巫女(ふじょ・神に仕える女)が頭を傾け、身をくねらせて舞う姿を夭(よう)といってあでやかであることを表現しています。



 で今ノリにノッているアーチストとして倖田夾未さんが出てくるわけなんですね。
 若くて随分とイロっぽい人が出てきたモンだと感心していたら「うたばん」で”父親が45歳だと言ってました。

 親父と自分同級じゃん!

 で一気に萎えましたが、まあそれは良いとして彼女「エロ格好いい」が魅力なそうで何処のコピーライターが考えたか知らないけれど上手いことつけましたな。

 その前にアンガールスの「キモカワイイ」がありましたから、こういうのが出てきてもしょうがないかなって思います。

 言葉の持っているマイナスイメージとプラスイメージを掛け合わせて一種の好奇心を刺激し続ける存在だと言う意味なんでしょうね。

 矛盾する二つの評価に込められた得体の知れない魅力を醸し出すことに成功しているわけで、この手のものは本人達の生活が向上しちゃうとダメになるかもしれませんね。

 倖田夾未さんの場合は最初に「エロ」と付いてますから、これは「下品」という拒否反応ですね。ところが本音としては、そういうものに全く関心を示さず生きてゆくことはできないのですから、多少とも惹かれてしまうわけです。その拒絶反応を麻痺させてくれる程の「格好良さ」があれば、受け入れられるという訳なんでしょうね。

 で、浜崎あゆみさんなんですが、今どういう状態なんでしょうか。最近は以前ほどお見かけしてません。

 なんか存在感とかステイタスとかが倖田夾未と被っているんじゃないかと思ってしまうのですが、勘違いなのでしょうか。

 歌とかはまだまだ浜崎さんのほうが「歌姫」とか呼ばれるだけあって、一日の長があるように思えるわけですが、今現在のカリスマ性とか勢いは倖田夾未のほうがあると思えますね。


 ただどちらの方の歌も後10年したらカラオケで歌ってもらえる作品になっているかというとどうもそうは思えない。(キューティハニーは別で)
 だからどうということは無いのですけれど、倖田夾未さんが十二週連続でシングルリリースするそうですが、

 そんなことして一体何を目論んでいるのかが分からないのです。

「恵方巻き」と日本的消化能力について

2006年02月03日 23時34分36秒 | 漢字歳時記
恵方巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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恵方巻、恵方巻き(えほうまき)とは、節分に食べる太巻きの事。商売繁盛、無病息災、願い事が叶う、その年必ず幸運が訪れる、厄落とし等の意味を持つ。「恵方寿司」とも呼ばれる。

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概要
節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかぶり(関西方言で「まるかじり」の意)するのが習わしとされる。食べている間は、無言でなければならない。

七福神に因んで、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、伊達巻、うなぎ、でんぶ等七種類の具を入れて、福を食べるという意味合いもあるらしい。「福を巻き込む」という説明もある。

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発祥
現在の恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれる。当時使われていた旧暦では、立春の前日である節分の日は大晦日にあたり、前年の災いを払うための厄落とし、年越しの行事として行われた。また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある。その他にも恵方巻の発祥地の候補には、和歌山(紀州)、滋賀(近江)等がある。1960年代から行われていたという説もある。

恵方巻の習慣は明治時代に一旦廃れたが、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事で復活することとなった。

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全国的普及
現在では程度の差こそあれ商業的にはほぼ全国展開されている。こうした恵方巻の全国販売はセブンイレブンが先駆けであり、1989年に広島県の加盟店オーナーの発案により販売を開始したところヒット。中国、関西、九州地方での販売を経て、1998年にコンビニ初の恵方巻全国販売を開始した。このヒットを受けてローソンが2001年より、ファミリーマートが2003年より全国販売を開始し、03~04年を境にして主要コンビニで全国販売が行われることとなった。

1990年代以降、毎年1月初頭から節分期間まで、全国展開するコンビニエンスストアがテレビCMを放映したり、スーパーマーケットが販促活動を行うなどPRをおこなっている。 ミツカンが行った調査では、恵方巻の認知度は全国平均88%であり、「実際に食べた」と答えた人の全国平均は62%と、全国に広まってきている。

近年の恵方巻の広まり方は、バレンタインデー・ホワイトデーの菓子贈答と同じく、海苔業界やコンビニ業界など、関係業界の主導のもと販売促進を目的に「全国に定着した行事」であることが人為的に喧伝されているものという面もある。こうした観点から、前述の起源を全くの作り話であると断じ、あるいは本来の意図を持たない海鮮巻きなどの登場でその意義が全く理解されていないと主張する者もいる。

 と出ていました。

 クリスマスにしろバレンタインデーにしろ日本人は宗教的な儀式に関連して何かしら食べることが好きらしい。

 しかもその本来の宗教性はほとんど骨抜きにされて、厳粛さはメルヘンに変換されて大衆に息づくという図式を持っているような気がする。

 バレンタインデーはチョコレートメーカーが仕掛けたものだが、二番煎じを狙ったホワイトデーはチョコレートだったりキャンディーだったりと今ひとつ定着しないまま宣伝のあざとさだけが先行して、よく分からない状態に陥っている。

 その点ではこの「恵方巻き」は豆を撒くだけという、食生活的には貧弱な国民的行事に逆転の発想で多少なりとも豪華さを付け加えた点で評価できる。

 セブンイレブンの店長が言い出したことではあるが、この日は「恵方巻き」を購入すれば、夕飯の献立を考慮しなくて良いわけであり、しかも縁起物であるから堂々と食卓に並べられ、しかも値段的にそう張る代物でもないわけだから、主婦層が飛びついたのも頷ける。しかも、本来の由来は関係なく、食べ方の異様性と御利益だけが先行しているため、見た目が太巻きであれば、「恵方巻き」であるので、食品としても自由度が高い。

 これが果たして今後日本の伝統的な行事としてバレンタインデー並みに定着するか、もつ鍋や讃岐うどんのようにピークを迎えたあと、それなりに落ち着いていくのかは今後を見ないとわからない。

 ただ、この恵方巻きの素性はその知名度と共にしれてきており、南南東にむかって一気にたべるというような特異な食べ方は次第にすたれ、ただこの日は太巻きを食べる日というようなところに向かっていくように思われるのである。

 今までも、そして恐らくこれからもこのようにして日本人は特異なものを程良く無毒化して大衆に定着させる能力を発揮してゆくのではないだろうか。

 猿まねが上手く、創作が不得意な日本人であるが、アレンジャーとしては世界に誇って良い民族だと僕は考えている。


 ところでこの「」という字ですが、




 を見て頂ければ分かりますが、元々は上部を括った嚢(ふくろ)のかたちなんですね。今使っている(めぐむ)という意味ではなかったんです。
 むしろ「つつましむ、いましむ」という緊張した心の状態をいう使用例が多いそうです。後にそのように気を張って気配りすることから「めぐむ、いつくしむ(かわいがる」に意味となったものだということです。

 ですから「恵」は本来、人に恵んであげるのが筋でして、その態度は慎ましやかで、精神的張りをもって人に臨むべきだと「恵」という漢字は主張するのであろうと思います。

 ただコンビニの宣伝に載せられて訳も分からず、太巻きを食べてるようじゃ、御利益は望めないんじゃないでしょうか。

 とにかくオセロでもやっているみたいに、「みんなが知っている」に乗り遅れまいとする狂騒曲は、みていて妙な違和感を覚えるときがある。

 明日の日の出は6:39です。日の入りは17:11分です。

 朝も夕も少しずつ伸びてますね。

節分と恵方巻きとセブンイレブンについて

2006年02月02日 23時18分21秒 | 漢字歳時記
 明日は節分ですね。二十四節気の一つである。「立春」の前日ですな。中国でも日本でもずっと太陰暦を使っていたでしょ。だからこの二月の初旬ぐらいにちょうどお正月になるわけなんですね。で、その前日、つまり大晦日に当たる日が節分になるんですね。
 この日に豆をまくのは「追儺(ついな)」といって「鬼を追い払う」ことを目的として行われる行事で日本では文武天皇の706年に宮中で行われた記録があるっていいますから随分古い習わしですね。奈良時代ですからね。

 ところで「二十四節気」って一体何なんでしょう。ニュースなどでいいますがアナウンサーも当然のごとく使ってますが意味分かっているんでしょうかね。

 これってトリビアになりませんか?

 って違うって…。

 二十四節気っていうのは一年を二十四等分したものなんですね。二十四節気の説明

 を見ると確かに24ありますね。

 僕らは今、1年を365等分して使っているわけですが、なぜそれだけじゃダメなんでしょう。
 
 24節気というのは太陰暦を元にして作られています。太陰暦というのはお月様の満ち欠けを基準にして太陽の運行で補正した暦でしょ。

 中国ではずっと太陰暦でしょ。これは農業をするためにはとても良い暦なんですね。太陽暦は一年で地球が太陽の周りを一周するところから考えて行くわけで、それを365等分するところから始まっていくんですが、素晴らしく天文学的な見地からの暦なんです。でも感じとして捉えにくい。つまりカレンダーがないとやっていけない。でも太陰暦ならお月様の満ち欠けは見れば分かるわけで、実感できる訳ですね。大地と空を相手にする人々にとっては都合が良いわけです。
 で、後は1年単位で何時どういう作業をしたらいいかっていう季節ごとの節目が必要になってくるんですね。
 そのために作られたのが二十四節気なのではないかと思うのです。
 正月を立春の頃に持ってきたのも、さあもうすぐ春だから畑や田んぼの土に手を入れる時期が迫っているよ。今日当たりから農機具の手入れをしなくちゃな。っていう感じが分かるじゃないですか。

 そうやって二十四節気を改めて見てみると、それなりの季節感だけじゃない意味合いが見えてくるようで面白いと思うのです。

 じゃあなんで太陽暦にしちゃったのでしょう。これも僕の勝手な推測に過ぎないのですが、お金を扱い出すと太陰暦だとまずいんだと思います。

 お金って何にでも変わることができるでしょ。時間もお金に換算できるじゃないですか。新幹線を思って頂ければ良いかと思います。

 そうすると一ヶ月が30日で何年かに一度、閏月(うるうづき)が入ってくる暦は使いづらい。今年は6月が2回あるぞとか、12月が2回あるぞっていうのは、お給料を支払う立場としたら誠にまずいわけですね。でも調整しないと季節にずれが生じてしまいますから、閏しないわけにはいかない。閏月のある年は1年が13ヶ月になるわけですからボーナスにも退職金にも響いてくるわけです。

 12月が2回あったらボーナスも2回出る?

 んなわけないじゃん!

 太陰暦では二十四節気をさらに細かく分けて七十二候というのもありますからご覧になって下さい。人々がいかに自然と向き合ってきたか分かるような気がします。

 で、恵方巻きなんですが、このことについてはまた明日!

「如月」は年度替わりの祈りの月 阪神今年は日本一だぜ!

2006年02月01日 23時01分36秒 | 漢字歳時記
2月の別名は如月(きさらぎ)です。
中国最古の辞典である「爾雅(じが)」の中の「釈天」に「二月を如となす」とあり、
漢字はそこからそこからきたようです。しかし中国では「きさらぎ」とは読みません。
ですから読み自体は日本で作られたものでしょう。
その由来にはこれまた複数あります。
2月は、ぽかぽか陽気になって薄着になったかと思えば、
寒さがぶりかえし、一度脱いだ着物をさらに着なおすので
「衣」を「更」に重ね「着」するから「衣更着(きさらぎ)」になったという説。

「生更ぎ」からきており、寒い冬から春に向かって草木が生き返り、
新しい芽を吹くことを意味する言葉という説もあります。

立春を過ぎれば、暦の上では春になるといってもまだまだ寒い日が続きます。
そんな中でも、草や木は着実に春に向けての準備を始めている月なんですね。

その他には、梅月、梅見月、雪消月、初花月、木芽月など、
次の季節、春を待ち望む気持ちが伝わってくる言葉が 多いですね。



 で、このという文字ですが、女という字と口を組み合わせていますね。

 「女」は神に仕える巫女(みこ)を表します。口はボールのような器に神への祈りの文である祝詞を入れてある様子を描いたものです。

 

 つまり祝詞(のりと)を唱えている巫女の姿で、祈って神意を問う巫女に神託(神のお告げ)があり、その神意に合うようにするのが「ごとし」というのですね。
 また神意に近づこうとすることを「しく」(程度の同じものに追いついて、肩を並べる、対等になる)という意味があったかと思います。

 中国の人達は2月にお祈りしたんでしょうか、先週は中国における春節といいまして、いわゆる旧暦のお正月でした。この行事はとても大事にしているらしく、日本にいた中国の人達も余程帰ったのではないかと思います。

 でもそれはいくら旧暦と言っても正月の行事ですから、2月を如月と呼ぶことに関連があるわけではなさそうです。
 
 でもいえることはとりあえずこの時期は農業の民にとって農閑期であることは確かなようで、祭事的なものはこの時期にしてしまおうと思っていることは確かなようです。
 さあこれから春になって土が柔らかくなって農作業をしようかと意気込む前に神様に五穀豊穣を祈ってみる。

 プロ野球球団がキャンプインする前に神社に必勝祈願するのを考えればいいのかと思います。

ちなみに阪神の必勝祈願は毎年廣田神社で行うそうです。



 さあて今年の阪神の活躍を祈りつつ、梅昆布茶でも飲んで寝ますかぁ。

「春風駘蕩」龍馬のごとく

2006年01月31日 23時10分31秒 | 漢字歳時記
「漢字歳時記」とかやってる以上参加しないわけにはいかないでしょう。というわけで春風駘蕩をあげましょう。(しゅんぷうたいとう)と読んで意味は春風がのどかに吹くさま。転じて、性格・態度がのんびりしてるさま。となっています。(広辞苑)こいつは非常に微妙な評価でして、かなり自己満足に陥りやすい状態で、人から見れば「昼行灯(ひるあんどん・ぼんやりしている人や役に立たない人をあざけっていう語)」となります。大きな出来事があった場合の対処の仕方で違ってくるのかなとか、色々考えたんですが結論に行き着きまして、それは「風」ではないかということです。
 熟語の中に「風」が入っている。行灯に「風」禁物でしょ。そこが違うんではないかと気が付いたんですね。
 つまり、人物でも、その人に何か「風」を感じれば「昼行灯」にはならないわけで、「行灯」の周りの空気って対流しにくそうじゃありませんか。まあ実際には対流があるから絵が動いたりする回り灯籠みたいなやつがあるんですけどね。

 高知県の桂浜に建っている「坂本龍馬の像」を見ると「風」を感じませんか?僕なんか龍馬が懐手して何かに寄りかかっている有名な写真でも「風」を感じてしまうものな。
 是非、僕もそっち側の人間でいたいなと思うわけです。

 「龍馬が行く」を書いた司馬遼太郎さんは菜の花が好きだったでしょ。

 菜の花も司馬さんも「風」がよくお似合いだと思うのですよ。それも「春一番」のような強い風ではなく、髪をすこし揺らすような強さの風じゃないかなと思うのです。

 「春」
という字は「3人の日」と書きます、なんて歌詞が昔ありましたが、元々の意味は違います。




という字がありまして(しゅん)と読みます。

 (とん)は糸偏をつけると分かると思いますが「」となって(もっぱら)の意味があります。の字は編み糸の縁の糸を結び止めた房飾りの形で

 
というよく分からない字からきてます。

 ちなみに編み糸の末端を結び止めた形は「」となります。

 
何となく分かりますね。最終的に図の一番下の字には氷をあらわす字を入れて現在のになっているんですね。

 で、結び目を=閉じこめられている と解釈して、それを打ち破って草の芽が外に出てくるのが「春」ですから、上に「くさかんむり」を付けたんですね。それが時間をかけて字形変化したものだといわれてます。

 どちらでも良いことなんですがね。

 僕は世の奥様方に「にまた枚責任が積み重なる」だと思って励ましてあげてくださいな。

 そうすると昼行灯が一躍目覚めて泰然自若(たいぜんじじゃく)ゆったりと落ち着いて平常とかわらないさま、にみえてきませんか。

 う~ん、今日は何がいいたいのか分からないようになってしまった。はんせいします。


 明日の日の出は6:41 日没は17:09

 月は8:30にでます。

 明日から二月です。僕のもっとも苦手とする(運気が下がる)時期ですが頑張っていきます。

「疑」   堀江社長逮捕

2006年01月23日 22時39分18秒 | 漢字歳時記
 ライブドア(東京都港区)グループによる証券取引法違反事件で、東京地検特捜部は23日、同社社長、堀江貴文容疑者(33)らを同法違反容疑で逮捕した。特捜部は同日、堀江容疑者を初聴取。関連会社の株価をつり上げる目的で、会社買収などの際に虚偽の事実を公表した偽計や風説の流布の疑いについて、指示・関与や違法性の認識について説明を求め、立件は可能と判断したとみられる。今後、ライブドアの粉飾決算疑惑についても追及する。IT(情報技術)時代の寵児(ちょうじ)による事件は、重大な局面を迎えた。

                         (毎日新聞) - 1月23日

 堀江社長が逮捕されましたね。他の3人の役員も一緒のようです。

 逮捕容疑は▽04年10月、LDM(当時はバリュークリックジャパン)が、情報誌出版会社「マネーライフ社」を株式交換で買収すると発表した際、実際には、既にライブドアが実質支配する「VLMA2号投資事業組合」が買収済みだったのに、これを隠して虚偽事実を公表した(偽計)▽同年11月、LDMの第3四半期の決算短信で、架空売り上げを計上して、本来は赤字だったのに黒字と虚偽公表した(風説の流布)疑い。

 だそうですね。

 漢字のはもともと

なんですが

これは杖を立てた人が後ろを向き、進むか退くかを決めかねて立ち止まっている形なんですね。



つまり心が迷っている様子を示しているんですね。

 これに足の形(膝の関節から下の足の形)



を加えて進退に迷うの意味を示したのがなんですね。

 進もうかどうしようか自分で疑い迷うという自分の問題であったものが、拡大して全てを疑う、つまり他人をも「疑う」という意味になったようです。

 ただし堀江社長も他の容疑者も自分たちのしてきたことについては全く疑いを持ってなかったようで、進退については「進」ことしかしてませんでしたね。また彼等には「進」しかなくて「退」どころか「停」とか「定」なども許されなかった会社の経営状態ではなかったかと思われるのです。

 僕らは堀江社長に「夢」みたいなものを抱いていたと思えてなりません。バブル経済の破綻後、日本には景気の良い話は余り聞かれませんでした。そこに突然自信満々で乗り込んできたのが堀江社長だったのです。つぶれかけで引き取り手のないプロ野球球団を再生させるってどうやるんだろうって思いませんでしたか。わずか30歳そこそこで手に入れたいものは全て手に入れ、威張りくさっている古株に一泡も二泡も吹かせる姿は痛快ですらあったはずです。

 希望のない日本の先行きに通気性の良い風穴を空けてくれそうな人だったのですが、彼等のしていたことは法律の隙間を縫って人の期待値を金に換えていただけなのかもしれません。
 社会貢献を伴わない仕事はいつか破綻するという証明なのでしょうか。

 株のことはよく分からないのですが、単に自分の儲けだけの感覚で株ってするのでしょうか、この会社は面白い…、この会社の発想は…、今度の新製品は…って考えているときってその会社に対する愛情に似た期待値ってないんですかね。

 丸山弁護士がコメントしてたことなんですが、「規則にはそれが成立した事情が必ずある、そしてそれには多くの人の血と涙があってはじめて成立したものだからそれを規則に触れないから何やってもいいんだと捉えないで欲しかった。」といってました。
 
 「」(ギ)と同じ音の漢字には
」(いつわる)「」(あざむく)という漢字があります。
 でも逆に「」(ただしい)や「」(よろしい)があります。

 同じ「ギ」でも人間の行為としては正反対になります。

 彼等にとって必要だったのは「」(どのように行動するかを思いはかり、行動に移ろうとする前段階なので似せることで、だれがどのように「」になるか考えることなのではないでしょうか。


 明日の日の出は今日と同じ6:47です。日没が今日より1分遅くて17:00ちょうどです。
 月が木星の近くを通ります。

「雪」

2006年01月22日 17時27分19秒 | 漢字歳時記
 今年は大雪のニュースで幕を開けました。昨日も東京に雪が降りましたね。全国の受験生は大変だったと思いますが今年始まったリスニングテストの機械が故障したというニュースが大きく採り上げられて、雪による遅れ等の報道は無かったようですが大丈夫だったのでしょうか。
 不思議なことに、このセンター試験の日は雪が降りますね。雪の特異日になってるといっても良いのではないでしょうか。
 きっと国立入試センターに雪男か雪女がいると思うのです。

 今日も厳しい寒さだったようですが、無事終了してくれることを願うのみです。

 ところで今日から新しいカテゴリーとして「漢字歳時記」というものを追加しました。季節や時の流れで感じたものを漢字を通じて表現できたらと思います。

 他のカテゴリー同様中途半端になりそうなことの可能性大ですが、のんびり行こうと思います。

 今日の漢字は

 

です。

 この漢字は

 象形文字(物事の様子から出来た漢字のことです)で、空から雪片(せっぺん)が舞い落ちる形を表現しています。
 

 

 他の甲骨文字(亀の甲羅などに刻んであった文字)では、その雪片が羽のような形にもみえ、小枝に積もっているようにも見えます。


 僕は単純に上の部分が「雨」で下の部分が「E」の逆向きだから、「空から降るもので、重なっていくもの」という意味だと勝手に解釈してました。

 違うんですね。

 話は変わりますが

 雪辱

という漢字があります。

 
と言う漢字は辱められるという意味ですね。恥をかくことです。

 これに
ってなんでしょう。

 これはこの漢字が「セツ」っていう音になっていることに由来します。

 
(サツ)はらう、ぬぐう

 (ショク)ぬぐう
と音が近くて、同じ音だから形が違っても通じるだろう(結構アバウトな考え方ですが割とあるようです。)ということでできた熟語なんですね。
 漢字は輸入品ですから当時の日本人は素直に、「そーですかあ」てな具合で素直に覚えてしまったんでしょうね。
 かといってこれは間違いって訳じゃなくて、騙されたわけでもないですからよろしくお願いします。


 「雪」って降ったばかりは清潔感があるじゃないですか、でも溶けてドロとかと一緒になると正反対のイメージですね。
 都会の雪のイメージは決して良くないですね、雪のせいじゃないのに。

 でも雪は「銀世界」とか「一面真っ白」とかいうように、どんなものも覆い尽くしてしまう力があるような気がします。そして全てをフラットの状態にしてくれる。
 降り積もる雪を眺めていると心が静かになるのもそのせいでしょうか。

 雪による災害に遭われた方にお見舞いを申し上げるとともに、これ以上の雪害が起こらないことを祈りつつこの稿を閉じます。

 明日の日の出は6:48分です。