「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

圧力釜の女王1

2007年10月31日 22時59分23秒 | 人々
 東京家政学院大学の理学博士中村アツコ先生に会う機会がありました。先生は静岡の千頭出身なんですね。カミさんが千頭の両国出身ですよっていったら、すごく喜ばれていましたね。大学の話なんかそっちのけで地元の話で花が咲きました。先生は高校は島田高校だそうで、千頭から通っておられたみたいですね。朝6時の電車で行って夜は8時ごろ家に着くんだそうです。大変だと思うと同時にお金も掛かったんだろうなと想像できます。でも先生は中部電力の関係で大井川線にタダでのれるパスみたいなのを持っていたそうで、「それが無かったらなかったらとてもじゃありませんでした。」といっておられました。当時は、(ひょっとすると今でも)島田高校が限界線だそうです。新金谷で降りてバスに乗って橋を渡ればありますからね、高校が。で、それ以外の高校だと例えば、藤枝東だとか藤枝西とかだともう下宿しなくちゃならないんだそうですな。尤も藤枝西高校は今の位置じゃなくて藤枝東の隣にあった時代のことですし、当然女子高として憧れがあった時代のことです。淑女とか良妻賢母という大時代的なイメージがトラディショナルな雰囲気とともに残っていた時代ですね。今じゃどこの公立女子高も男女共学になってしまって面影も何もあったもんじゃありません。最後の砦だった浜松市立も男女共学になってセーラー3本ラインが見れないとなると世の中も御仕舞いのような気がします。
 で、先生は島田高校に通われたそうで、そういえば島田高校も元は女子高?だった気がしますが、どうなんでしょうね。僕の時代も女子の比率が以上に高かったような気がする。
 数学でかなり鍛えられた結果、御茶ノ水女子大に受かったそうですよ。すごいですね。故郷に錦を飾った雰囲気なんでしょうね。

 その後東京大学の大学院に通われて、今の大学に入り、教授になられたそうです。

1億総鬱憤晴らし時代2

2007年10月30日 23時07分45秒 | 人々
 要は日本人の反応が画一化してるんじゃないかって気がしてるんですね。今年、何年ぶりかに小学校で全国一斉学力テストってのをやりましたね。半年以上も経ってやっと最近、分析が終わって結果がでたんですけれど、それによると今の子供たちって結構基礎力があって、平行四辺形の面積の求め方なんて、ほぼパーフェクトでできているんだそうですな。でも逆に応用力が無くて、同じように平行四辺形の問題でも、縦と横以外の辺に数値が入っていたり、地図をかぶせて図形の周りに道路や家をおいちゃうと、途端に正解率が40パーセントを切ってしまうんだそうですよ。

 まあ、こわいですねえ。

 で、こういう結果をふまえて何処かの大学教授が「今の子供たちはロボットみたいだ。」と評したそうでしょ。たしかに知恵が回らないねえ、今の若い子は。

 で、戦後の教育の成果が結実しちゃったって言えばそれまでなんですけどね。これから厳しい状態に置かれる日本において、そういう子供たちを増やし続けていいもんなんだろうかって、思いますね。

 高く売れるからって、杉の木をどんどん植林して、山の植生を変えてしまって、外国産の材木に押されて、今は手つかずで、日本の森は鬱蒼として縄文期に戻ったと言われてますが、そんな風になっちゃだめなんだけどなあ。

1億総鬱憤晴らし時代

2007年10月30日 00時39分00秒 | 文化論
 いつからこうなってしまったのか知りませんが不二家にしても朝青龍にしても亀田一家にしても、これでもかっていうくらいに叩いてますね。先日テレビでやっていた「たけしの教育白書」では視聴率を上げるために、視聴率ってのは大衆の求めるものを提供して上がるものだから、マスメディアのせいにはできないという見解でしたね。亀田一家を持ち上げようが、こき下ろそうがどっちでも良いんだろうけど、要は「普通じゃない」「目立つ」っていうのが大切なわけで、それを美談に仕立て上げるか、ヒール(悪役)に持って行くかは、メディアの判断だろうね。でもね、この手の事っていわゆるワイドショーネタとしてずいぶん昔からやってたように記憶してるんだけどね、で、そのころはニュースでは一線を画して、そんなネタ絶対やらなかったでしょ。キャスターの人もニュースの時にしか見ない人だったと思うんです。今は違うでしょ。純粋なニュース番組ってのはほとんどなくなって、ニュースショーになってしまって、キャスターじゃなくてタレントで、もしくはお笑い芸人で構成しちゃうじゃないですか。解説者だって解説って言うより大衆の反応を代弁するコメンテーターになってるだけの話だと思うのですよ。

 まあ、とにかく、一度叩かれ出すとみんなで寄って集って殴りつけるようにやるでしょ。大衆も例外なくそれに乗っかって、まるで親の敵みたいな態度をとって、それを庇おうものなら、そいつも”やっちまえ”的に叩かれる。なにかね鬱憤晴らししてるような気さえするんです。
 明日に続く。
  

娘さんのいない夜 小学校の修学旅行は何処へ行きましたか?

2007年10月24日 22時25分12秒 | 人々
 今日は小学校の修学旅行です。うちの娘さんは東京に行ってます。えーといつもなら絶好調で勉強したりテレビを見たりしてる時間なんですが、予定で行くともう10時を回っていますから、消灯時間のはずですね。絶対眠れてないと思うのですが、明日は判別研修で浅草だの上野だのに行くそうですから、早めに寝てほしいものです。僕のころの修学旅行は日帰りでした。一泊なんて贅沢だ!しかもバスでしたよ。今は新幹線の掛川駅まで親が朝6時半までに送っていって、帰りも掛川駅まで迎えに行かなくちゃいけないみたいです。過保護なのかそれとも物騒な時代なのか分かりませんがずいぶんと違うものです。過保護といえば都内で班別研修ってのはまた随分大胆な気もするんですけどね。池袋だとか上野とかに先生がポイントとして立っているそうですがそんなんでコントロールできるのかなあ。東京で迷ったら寂しいものなあ(経験者談)
 てなわけで今日はカミサンと二人です。静かで穏やかな夜ですねえ。カミサンものんびりテレビを見ています。ぼくも早い時間からブログを打ってます。

はやくかえってこないかな。

まぐろの博士

2007年10月23日 01時13分26秒 | 人々


 先日、福山大学教授の伏見浩先生とお話しする機会を得た。先生は広島県福山市の郊外にある、福山大学に在籍しておられる。といっても研究所は同じ広島県の因島大浜町にある内海生物資源研究所にいらっしゃって海洋生物育成研究室におられる。これでも省略したんだけれど、難しいね。でもまあ何となく漢字の意味から拾うと、「育成」とか「生物資源」とかから連想して、「魚の養殖に関係するお仕事ですか」と聞くと、「そうです、先ほどお渡しした名刺を良いですか」といってつい先ほど渡されたばかりの名刺を取り返されてしまった。

 その名刺の右上の部分を指さし、「これハゼの稚魚です。ここに(ハゼの右下9に線が引いてあるでしょ。これが1ミリなんです。」といわれる。

 画像じゃわかりにくいけど、どう見たって3ミリはありますよね。と口まで出かかってやっと分かりました。「これが1ミリということは、本物はもっとイラストより小さいんですね。」というと察しの悪い聞き手に優しい笑顔を向けてくれました。

 裏面がまた変わっていて、骨格標本になっているんですね。

 


 まあどんだけ~っていうくらいに魚のことが好きなんでしょうね。先生の主なお仕事は、沖の金網の中で育った魚が安全に食卓に上るようにすることなんだそうです。養殖すするときは沖合いで四角いざるみたいなところでするんですが、何が原因か詳しくは聞かせてもらえませんでしたが、僕は前にテレビで見たことがあって、養殖の網ってのはやわい網だと流れてしまう、でも強い金属は塩水に強くなくて、すぐに腐食が始まります。そうならないために網に薬品を塗り付けておきますから薬剤は結構海中に残っているんじゃないかと思います。そいつが魚に影響を与えるんじゃないかってのをNHKでやってましたね。

 で、そういうイメージがありましたし、最近のミートホープや白い恋人、赤福とかそういうのが連続してましたから、思わず「食の安全に関するお仕事ともいえますね、」とか言ってしまったんですね。先生は「まあそういった部分もあります。」と微妙なお返事でした。魚が大好きな人に対する言葉じゃありませんでしたね。僕は違和感を抱きながらもさらに失礼な言葉を続けて、「奇形でもお弁当にしちゃえば分からないって先週の週刊誌に書いてありましたね。」とか言っちゃいました。
 後で考えれば怒鳴られものなんですが、先生は紳士でしたから、「それは無いです。そんなことしたら日本じゃ信用を失ってしまいます。」と穏やかだけどしっかりと否定なさいました。
 で、先生は色んな魚の中でも今はマグロのプロジェクトに係わっているみたいですね。奄美大島を拠点に企業と組んで活動されてるみたいです。

 そのうち新聞発表もあるかと思いますがなにをしてんでしょうか。詳しくは教えていただけませんでしたが、楽しみですね。卵からの孵化なら近畿大学がすでに成功してますからね。きっとそれ以上のことなんだとおもいます。

 で、先生は最初から大学で研究されていたわけではないんだそうです。東京水産大学(現東京海洋大学)を卒業されて水産試験場におられたらしいんです。静岡では浜名湖、伊豆の白浜、それから焼津の小川にもおられたそうで、静岡には縁が深いそうです。で、それから農水省にもどられてお仕事を続けていたそうですが、或る日突然上司に呼ばれて「福山大学でこれこれこういう学部ができてこういう研究所もあるから、君行ってくれんか。君が断るとすべて白紙に戻して文部科学省への申請からやり直しになるんだ。」っていわれたそうです。これって相当な強制力持った脅しぎりぎりなんじゃないかと思うんですが、先生もそれで断ることができずに福山まで出かけたそうです。まあ人を教えるってのは別に嫌いじゃなかったそうなので、そう抵抗は無かったらしいんですが。自分の年齢が若すぎるのが気になったそうで、自分ではそういうことをするのは定年後でいいやと考えていたらしいんですね。それでそういう意識があったせいかどうか分かりませんけれど、最初はずいぶん苦労されたらしいんですね。
 研究職とはいっても学生に教えなくちゃいけないし、僕みたいな素人とも話をしなくちゃいけないのは試験場職員時代から比べるとずいぶん違っただろうなと思いますね。

 まあ、今日も昨日も眠くて起きてられないくらいなので、さっきこの記事を見たらメタメタの文になってました。読んだ方済みませんでした。

 ようするに、こういう風に何かに夢中になってキラキラしてる人と話をしたり話を引き出したりするのって、僕にとってもとても充実感を味わえることなので、こういうときは仕事そっちのけで話をしちゃったりするのが常なのですね。失礼しました。

 

やはりおまえか! シャア専用携帯

2007年10月22日 22時37分18秒 | 文化論
 以前パソコンショップに行ったときにザク色をしたデジカメを売ってた。シャア専用の色の方が沢山売れていたのをみて、すごいもんだなと感嘆せずにはいられなかった。500万画素が主流の時に200万画素でハンディビデオタイプのものだったから、そんなには高くないんじゃないかと思って覗いてみると、値引きされて1万円だったのでびっくりした覚えがある。200万画素って言ったら当時の携帯の機能と一緒だからね。

 でもまあぼちぼち売れていましたね。

 携帯についてはNTTがガンダムっぽい色を出したり、鉄道系マニアに受けそうな形があったりしたが、ここまで明確に打ち出したケースは初めてでしょうね。最新機器というのはいつでも出始めは機能先行でデザイン二の次で売り出しますね。その後はマニアックに傾倒して黒一色で渋く決める時期があって、その後は家電系の白にいくか、女性向けのパステル調に行くか、はたまた子供向けを狙うかに分かれますね。

 オーディオ機器がそうでしたし、ビデオもそうでした。パソコンも一部そうなっていますし、携帯もそうかと思うのですが、子供が子供の感覚のまま、自由になる金を持つ時代ですから、趣味の世界に入り込むのを狙うのも戦略として成り立つんでしょうね。

神主さん

2007年10月21日 23時46分02秒 | 人々
 昨日、2500字も書いたのにアップする直前で吹っ飛んだしまったので、以後やる気をなくしてました。

 今日は先週の地域の祭りに続き、地の神様のお祭りでした。

地の神様ってのは何だろうって思いますね。一応(なんて言ったら怒られますが)天神社ってことで菅原道真をお祭りしています。

 ホントのところは同じ地域に耕作地を持つ、というより同じ水路から水を引く、苗字の違う人たちが、集まって合議するときに誰かの土地じゃ有利不利が生まれるから、ひとつ神聖な場所つくって、日頃から掃き清めておいて、いざその場に臨んだら、そこで決められたことには従おうじゃないかってことになったんだと思いますね。そういう場所での一番のお願い事は、稲作する人にとっては天候のことでしょうし、そうなると人間じゃどうしようもないから天にお願いしようじゃないかってことになったんだとも思います。
 そうすると誰が天と会話するんだと言うことになって、神様とお話しできそうなちょっと普通じゃない人が選ばれたんでしょうね。
 そういうのが職業化すると巫女とか神主とかいう精神的にトランス状態になりやすい人が代々世襲してたんでしょうね。

 霊的なと言えばそうなりますけど、ひらったくいえば議事堂みたいなもので、地の神様に集まるいろんな苗字の人、百姓(ひゃくせい)が村の自治について話し合う場所なんで、一番小さな国家ともいえると思います。

 で、僕はそこで玉串奉奠(ほうてん)をしてきたわけです。

 で、毎年、近くの神主さんに依頼して祝詞をあげてもらうんですね。僕が一家を代表して祭礼に参加するようになって10年以上経ちますが、ずっと同じ人なんです。当時は恰幅の良いどちらかというと布袋様に近い感じの方だったんですけどさすがにお年を召されて去年あたりからは息子さんが介添え役を務めていらっしゃるんです。息子さんと言っても今日のお話じゃ昭和24年生まれですから、もう団塊の世代ど真ん中で、それなりのお年でいらっしゃいます。

 で、最後に宮司挨拶ってのがあるんですが、これが結構長い。

 でも今日のお話はしっかり聞くとすごいお話で、宮司さんは先の大戦でインパール作戦に参加していたらしい。
 僕の母方の祖父も静岡34連隊に所属し、招集半年で実践にでて、インパール作戦に参加、その後ガダルカナルで戦死してるんですね。おじいさんと呼ぶのは申し訳ないほどの年で27歳だったと墓碑に書いてあります。

 宮司さんも静岡34連隊だったんだろうか思ったんですが口挟むわけにはいけませんから黙って聞いていました。

 どうも宮司さんは祖父とは少し違うようで、インパール作戦でも鉄道の橋を架けるお仕事をなさっていたらしい。

 そうすると祖父とは兵隊の種類が違うのかなと思ったりしてましたが、どうなんでしょう。

 敵の攻撃以上に蛇、トカゲ、蜘蛛などの毒を持つ動物や、マラリア等の病気、何より食糧不足にさいなまれながら、現地で終戦を迎えられたそうです。

 で、僕みたいな戦争を知らない人から見れば、よく生き残ったね、で終わりなんですけど、宮司さんはそれから2年近く本土に帰れなかったそうです。

 戦犯として服役してたんだそうです。

 今の東海道線でいえば東京ー関ヶ原間をつなぐような工事だったそうで、当然人が足らず、現地の人や捕虜を徴用したそうで、それが戦後問題になって宮司さんも戦犯として服役したんだそうです。

 僕の目の前に座ってさっきまで紙に祝詞をあげていた人が、戦犯ですよ。

 戦争ってのはそれだけで異常な事態だったんだなと思いました。

 

 

まだまだ日本は平和だ。メイド下半身型パソコンケース

2007年10月17日 00時10分04秒 | 人々


 究極の秋葉原ってな感じですねえ。


 う~。


 今後とも誰ともコミュニケーション取るつもりがないならこれもアリかもしれないけど、誰かに見られる可能性があるってことだよね。個人ユーザーでいるかい?これが欲しい人が。

 これが売れてる限り日本は平和であることは間違いないと思う。

UNIQLOCKは結構良いよ

2007年10月16日 00時08分28秒 | 妄想
 まあね、おじさん好みの女の子、おそらくクラシックバレエを習っていると思われる子が4人出てきて時計表示画面と交互に展開しながら永遠にダンスを続けています。着てるのはもちろんユニクロ商品ですし、バレエダンサーなので基本的に無表情なので、色っぽくはないです。でも僕10分以上見つめてました。時たま見えるおへそが目的じゃありません。なんだかこういう時って最後まで見ないと気持ち悪いタイプなのです。途中から見たサスペンスものでも最後まで見ちゃうのかよといった感じです。

 あれ?12時すぎたらみんなおねむのバージョンに変わったぞ。本を読んだり、手紙をかいたり、あやとりしながらそのうちそこでそのまま寝ちゃうよと言った感じでございます。

一言言わせていただければ…

そんなところで寝ちゃうとヘルニアになっちゃうぞ

でございまして、とりあえずリンクを貼っておきます。


 ゆにくろっく

へるにああしたははれるかなきそう

2007年10月15日 23時26分58秒 | 病気
 春に、足が少し痺れるなあって言うんで整形外科に行ってきたらね。

 ”こりゃヘルニアだね”

 って軽く言われました。
 
 ”湿布と痛み止め出しときますね。”

 ってそれだけなの。


 ブログをやるようになって、パソコンつけたまま椅子に沈むような格好で何度も寝てしまったのが原因だと一人固く信じてますが、医者様にはいえねえだよ。

 とにかく日常生活には何ら問題はなかったのですが、お祭りという、重たい山車を引いて、土曜、日曜をかけて10キロ以上の道のりを、わら草履を履いて歩き回るという極めて非日常的なことをすると、今日あたりはちょっと屈んだだけで、「びし!!」っと痛みが走って、女王様にムチでしばかれたみたいに鋭敏に反応してしまう自分の姿は、昔映画やドラマで見た「年寄りの冷や水」というセリフをださんがために、大げさに「いたたたたあ!」とか言っているおじいちゃん役の役者さながらのリアクションじゃないかと思うこのごろでした。

 しごとやすもおっと