「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

gooの企画を蹴っ飛ばせ! 500記事達成、みんなで選ぶブログベスト? こっちは勝手に自己ベスト

2005年12月30日 01時09分31秒 | BLOG論
 てことで500記事達成なんですよ。

 カズさんにプレゼント企画けしかけといて、しかもプレゼントまでもらってるのに、なにも企画が思いつかない。

 カズさんに拳骨で殴られそうな気がしてきた。

で、それとは別にgooの「みんなで選ぶブログベスト」っていう企画がありましたね。先日ベストテンが発表されてました。

 農家の嫁の事件簿が1位になっていて、それは素直に凄いなと思うのですけど、他のは付随する社会的立場が違いすぎる世界なので、僕ら一般人には関係ない企画みたいですね。1万番ぐらいまでランキングをだしてくれれば良いのにと思うのですが技術的にできても、そう意味はないとの判断でしょうね。

 だから拗ねてる訳じゃなくて、自分の記事で勝手に自己ベストを考えちゃいましょうというものです。

 わがまま、横暴、自画自賛、ブログのブログたる所以、ここに窮まれりってとこですかね。

 なにせ自分で書いた記事を自分で1位を決めてしまうのですから、誰の意見も聞いてないし、参考にもしていない。ただ自分のお気に入りを自分で発表するだけなんですね。

 気分を害される方もいらっしゃるでしょうから今のうちに退出してください。

 で、本年僕のブログ500の中から選んだ自己ベストブログは


 BLOG表現の困難さ 鏡の中のアリス

 に決定しました。

 ブログ論を122稿も書いてきた僕ですが、まだその正体を明らかに出来ているとは思えません。でも一面的ではあるにしろ「鏡の国のアリス」は僕のブログ論の中心を為す考えになっていることは確かだからです。

 コミュニケーションツールとして、例え話ですが、ブログというものの性格を表せたものだと今でも思っています。

 明日、午前中でもう一つ記事をあげられたら書きますが、明日はカミさんの実家へ行きます。帰りは元旦です。

 それまでは、携帯からの更新ですので、上手く行かないと思います。

 それでは皆さん

 良いお年をお迎え下さい

 
 

東京紀行4 空を見上げる田舎者

2005年12月29日 20時33分07秒 | 紀行
 新宿高層ビル群ですね。

 小学校の頃、全国の県庁所在地を覚えさせられました(以前ブログにもあげましたね)。
 で、その時、東京は何て覚えましたか?当然のことながら「東京は東京」って覚えましたよね。
 今は何て覚えるんでしょう?
 新宿って答えるべきなんでしょうか、それともやはり東京でしょうか。もし新宿が正しいのだとしたら、以前は千代田区もしくは大手町?とでも覚えるのがせいかだったのでしょうか。

 不思議なところですな。
 他の政令指定都市は名古屋とか大阪って言いますでしょ。

 東京だけ新宿って言うのもおかしな話ですね。

 かといって東京っていっても東京と全部が東京ではなくて23区全部で東京市なんでしょ。

 ん?「市」でいいのかな?

 三多摩は神奈川から譲ってもらったって言うし、この際もう一度返しちゃって区だけで独立しちゃえば財政的にも楽になるんだそうですが、小笠原諸島とか他の県じゃ養えないってことで東京にしてもらっているらしいね。

 まあ南海の自然の宝庫、亜熱帯の楽園っていってもなかなか厳しいようです。

 田舎人は高層ビル群を見上げながら空想しています。

 どうしても上見ちゃうんだよな、東京来ると。


画像は西口チャンスセンター(宝くじ売り場)からホテルを撮ってます。
 こういう場所ででかめのデジタルカメラで写真撮ってるのは、イマドキアジア系観光客ぐらいなものでしょうね。

 日本人はまずしません。

 一眼レフのでかいレンズを構えているなら別ですよ。

 結構開き直りが肝心です。

 いっそのことと思いカメラを首からぶる下げたら根性が決まりました。

 高度経済成長時代の後半に「コードネームJAL」と怖れられ、ニューヨーカー達をびびらせた通称「ノーキョーダンタイ」さんの血を受け継いでるのは、僕だー!

 てな感じで威張っておりました。



 写真真ん中の茶色いホテルが「スターホテル新宿」です。僕らの集合場所ですね。ていうか僕の定宿だったんですけど、みんな便利だって言うんで集合場所になってしまいました。
 新宿駅に一番近い、歌舞伎町にも一番近い、健全なビジネスホテルです。

 
 ホテルのロビーに入る直前です。

 ビジネスホテルですから極めてクリスマス意識しておりません。

 してないよね。花瓶の花がクリスマスローズだなんて言わないでくださいよ。

 

 お部屋です。

 考えてみればダブルの部屋なんて初めてじゃないかな。

 贅沢だね。

 でも僕は高校時代から結婚するまでずーっとダブルベッドで寝てたんですね。

 僕がわがまま言って買ってもらった訳じゃありません。

 父親と母親が営業セールスに引っ掛かって買っちゃったんです。

 腰に良いとか何か言われて買ったんでしょうけど、実際に寝てみるとどちらかが動くとベッド全体が動くのでまともに眠れないということが、体験して分かったみたいです。で、もう一つシングルでも買えばいいのですが、そういうスペースがある訳じゃないんですね。

 無理矢理部屋に入れると今度は押入だのタンスだのが開かなくなってしまうんですね。

 なにせ6畳の畳の部屋に入れてましたから、
 そういうのを一通りシュミレーションして僕の2階の6畳間に来たんですね。

 どうやってあげたのかは謎です。

 部屋なんですが狭いですよ。ダブルだから広く感じますが。

 それからトイレはシャワートイレに改装してますね、3年ぐらい前かな。

 エアコン入れると、えらく乾燥して次の日、喉をやられるのが嫌だったんですが、それも改善されてますね。

 えー、写真ではダブルかどうかちっとも分かりませんね。



 失礼しました。


 

東京紀行3 アナウンス

2005年12月28日 23時54分58秒 | 紀行
 写真は東京駅です。

 ここで不思議に思う方はかなりのツッコミ上手か常連さんでしょうね。
 なにせ私今日の目的地は新宿ですから、品川で降りて山手線で上がっていけばいくらか安いだろうにと思っていらっしゃる?

 その通りなんですね。僕がそれに気が付いたのは多摩川越えてからでして、人々が動き出して、なぜだ?なぜ東京駅で降りるのにそんなに早く動き出す?と思った瞬間に品川停車のアナウンスがありました。

 あっ!

 そういうことね。

 乗車券買うときに品川の文字がちゃんとあったのに全然眼中にありませんでした。

 これだから中途半端な田舎者は困る。

 自分の知ってる東京とは違うのだよ。ってことを強く認識しました。

 あれまあやってもうたわと思いましたが品川で降りもせず、そのまま東京駅まで行きました。

 品川も東京ですけど、窓に顔を付けるようにして、一瞬の風景である芝増上寺と東京タワーが直線で見えるビューポイントや、モノレールと平行して走る瞬間や、ゴジラが壊した銀座マリオンを見ないと東京に来たという旅愁に不足を感じてしまうのです。

 んなことは言い訳に過ぎないのですが、とにかく東京駅に着きました。

 で、新宿へ向かうべく中央線のホームに向かいます。一番橋の方なんだよね。しかもえらく長いエスカレーターに乗るんでしょ。
 エスカレーターは右端に乗って左側は急ぐ人のために空けておくのが礼儀なんですか?
 恋人同士も一列かと思いきや、何のことはない、しっかりくっついていらっしゃる。
 その手があったかあ!って、その手は並みのカップルでは使えないと見た!

 みんなが急ぐようですがこっちは急ぐ旅ではありませんので、じーっと機械任せであります。

 ホームに上がるとちょうど前の電車が出たばかりのようですが、反対側のホームには次の電車が既に待機してますよ。

 さっきの人達は何をそんなに急ぐ理由があるのでしょうか。

 まあそれでも座れたからいいか。

 で、目のやり場に困るから本でも読もうかと思っていると、車内アナウンスが響きますよ。

 次は か、ん、だ 神田 で、ございます。お降りの際には足下に気を付けて下さい。

 何それ?

 いまのアナウンスってそういう風に言うの?

 以前だと んんだあんだあ、けいひんとおほくせんのりかえのかたは、3番線3番ホームにお移り下さい。っていう風に流れるように言ってたでしょ。

 情報伝達と言うよりも、名調子と言った方がよい独善的なアナウンスだったのにいつからそうなったのかな。

 在日外国人が増えてきたから、そういう配慮をしたのかな。

 理由は判然としないけどおそらくそういうことでしょうね。

 しかし、次はよ・つ・やでございますって言われると、人をバカにしてんのか!って憤る人も一人や二人じゃないと思うけどどうなんでしょう。

 

東京紀行2 車窓から見る富士

2005年12月28日 00時08分11秒 | 紀行
 新幹線富士川橋付近からの富士山です。僕の出発した掛川駅からも富士山を見ることは出来ますが、やはり意識するとなると港町焼津の東に構える高草山の下をくぐって用宗にでたあたりか、安倍川の橋を越えたところでしょうか。
 面白いのはこの区間だけが上り新幹線の進行方向の右側車窓から富士山が望めることで、今回は見て思いついてカメラを構えたんですが間に合いませんでした。
 この次は撮ります。ほんの数十秒の出来事です。

 この日の富士山には雪が少ししか残っていません。まだまだ富士山は本物になっていないなという感じですが。これは富士山南東側に住むものの勝手な意見で、同じ静岡県でも東麓の御殿場や、山梨県側の人にとって見ればとんでもない話で、随分と積もっているのだろうとお察しします。

 日照時間の違いってこんなにも富士山の表情を変えるのかって思うほど違う顔になってます。

 残念ながら新幹線はその裏の表情をみることは小田原近辺でしか見れないかと思います。

 

 この写真は富士の裾野がうまく出てるんですが、電線が邪魔ですね。

 この富士山も綺麗なんですが、五合目くらいまで雪化粧をしてくれるともっと綺麗になります。
 僕らは写真や絵で見慣れてるように思いこんでいますが、実際はそうでもなくて、雪が積もっていて、空が雲一つない真っ青な空だという光景はまず見られることがなく、20年以上前に新幹線で東京に行く途中、富士川橋辺りで突然車掌さんからアナウンスが入り、『みなさ左手をご覧下さい。今日の富士山は滅多に見られることのない富士山です。私も長きにわたり車掌を務めていましたが、こういう富士山には数えるほどしかありませんでした。しかも今日の富士山は最高です、是非ご覧になって下さい、失礼しました。』と言いまくった。

 僕も東京と静岡の実家を行って帰る日が6年続きましたが、その時の富士山はパーティ会場に集まった人々を圧倒する迫力をもって静かに歩く貴婦人のような姿でした。

 2枚目の写真には煙が一杯写ってます。

 これは富士の伏流水を利用した製紙工場が幾つも操業しているからです。そしてこのパルプ工場から吐き出される臭いが街の臭いとして強い印象を植えつけます。

 でも本来は木なんです。木の臭いを変だという人はありません。でもそれに薬品を添加させると恐ろしく臭います。

 何とかしてください。って言ってもここは菊川の片田舎ですから何とかなるでしょうと気楽に構えています。

東京紀行1 新幹線掛川駅

2005年12月27日 01時23分02秒 | 紀行
 新幹線掛川駅です。米原付近の積雪で3分ほど遅れて到着です。
 新幹線の開業が昭和39年であることは皆さんよくご存じだと思います。その時この掛川に駅はありませんでした。
 新幹線掛川駅が出来たのはもうすぐ平成になろうという 昭和63年でした。1988年のことです。

 僕が掛川駅の構想を聞いたのは高校1年生の時だったと思いますから昭和51年頃だったと思います。
 当時授業で先生が新幹線の駅はやがて増える。静岡の駅は現在熱海・三島・静岡・浜松だが静岡と浜松の間が異常に距離がある。そこでだ!(教壇を叩いて)その中間地点の掛川に駅が必要になるってえわけさ。

 君らは知ってるか在来線の駅と新幹線が平行してる場所なんて他にないぞ。

 島田も袋井も菊川も金谷もてんで離れてるから話にならないんだ。

 だからいいかあ。君らが大人になる頃は掛川に新幹線の駅が出来て掛川の街は静岡、浜松に次ぐ第3の都会になっているかもしれないぞお。

 といい調子で話していた。

 その話は半ば現実になり半ば法螺になった。

 その後随分時間がかかったが、僕が社会人として静岡に戻ってきたときには新幹線の駅が出来ていた。

 東京に行くに至極便利になったのは確かである。

 ただ掛川は一向に県内第3の都市になる感じはない。

 むしろ駅前は活気と人通りを失い、借金を増やした。先代の市長が城下町構想をぶちあげ、補助金を出して街並みを江戸城下町風のなまこ壁の家にした。

 が、大河ドラマとタイアップしてやったことではないので、当てがはずれ一向に活性化できないでいる。

 来年の大河ドラマ功名が辻の仲間由紀恵さんの視聴率だよりになっている感がある。

 上手くいってくれるといいね。

 地元の商工会の人々は頑張っているんだよ。

 掛川おかみさん会なんて凄い努力していて「頑張れ~」って応援したくなってしまう。

 まあそれは良いとして、とにかく僕は新幹線に乗りました。中は余裕で座れます。さい先良いスタートとなりました。 

明日は東京だい!

2005年12月25日 00時17分42秒 | 日記
 久しぶりに、ほぼ1年半ぶりに東京に行きます。前回行ったのは去年の夏に研修で行ったときだったからそれ以来になります。

 大学の友人達に会いに行きます。

 毎年この時期に行ってるんだよ。

 もう20年以上になります。

 以前は大学時代にお世話になっていたお店(千歳船橋)に行ってたんだけど、マスター(店主を僕らはそう呼んでいる)が不況でお店を閉めてしまったので、集まる場所を新宿にして集まるようにしてるのです。

 だけどマスターも来るし、例の田中先生が参加されることもある。

 要は例の悪い仲間達ですね。

 新宿に集まるようになって3年目になるけど、以前のように洒落たお店なんかもういいやっていうかんじになってきて、くつろげる空間があってゆっくり酒が飲めればいいやっていう感じで、泊まるホテルの1階に「牛角」があるからそこでいいやと言うことになっている。

 年だねえと笑っているけど、この指向性は仕方がないね。

 で、次の日は午後から仕事だって…。ホントは有給取ったはずなんだけど、事務方が間違えて、出勤にしていて、それを上の連中が見つけて君はこの日出勤するんだろ、だったらこの仕事頼むよだって。
 
 何かの間違いだろうそりゃって喉まで言葉が出てきて、そいつを飲み込んで受けてしまうリーマンの悲哀を満喫して

 事務方には、テメー!貸しだからなと一発抑えておいて

 後は段取りの問題。

 東京にいられる時間は少ないけど、デジカメ持って旅ブログにしてみようかと思ったりする。

メリイクリスマス 感謝を込めて

2005年12月24日 23時51分58秒 | クリスマス
 去年のクリスマスと比べての違いはやっぱりブログでコミュニケーションしてる人が増えたこと。

 U-1さん

 瀬川さん

 tubrabells(ドッペルさん)

 Drunkcatくん

 SETUさん

 mamachariさん

 かずさん

 たつろくん

 みつるさん
 
 4pocketさん

 えっけんさん

 timtonさん

 なさん

 super_xさん

 ヒカルさん

 みやびさん

 godaiさん

 レッジーナさん

 1世紀スタジオBB綺麗なお姉さん管理人さん

 るりさん

 moon septemberさん

 happy marrigeさん

 シホさん
 
 りんごさん
 
 葵区のあおい君さん

 景野禎夫さん

 ぼんちんぼーさん

 沙也歌さん

 冬川さん

 沙羅さん

 ですさん

 senchanさん

 実に30人以上の方が不特定の個人でありながら僕のブログのドアをノックして下さった。ブログをしている人間にとって、これらの方々の一言一言が筆を進める際のエネルギーになっていることは間違いなく、感謝の意味を込めて心から


 Merry Christmas!


 

ぼうねんかいの黒幕

2005年12月23日 23時37分10秒 | 日記
 昨日は忘年会でした。JTBさんがウチでやらしてくれというので、任せたらしいが本命の宴会場は取れなかったそうで会場が2転3転して結婚式場になってしまった。
 まあお料理は悪くなかった。
 で、宴会芸だというので彼等は一人はゴリエのコスチューム、もう一人は途中で脱ぎだしてレイザーラモンHGのコスプレでウケを狙った

 ウケはイマイチだった。というより「哀」の空気が流れてしまった。
 魔邪とかレギュラーとか一応今年のウケどころを総動員にして頑張ってそれなりに潔く壊れてはいたんだけどダメだった。

 それでもこっちも一生懸命乗ってあげたんだけど、全体の空気をかえるまでには至らなかった。

 残念!

 周りの人が良い大学出て、良い会社に就職したのに、余所の宴会の余興で酒も飲まずに、ゴリエの恰好をしたり、HGの恰好しなきゃならないんでしょ、大変だなあって言ってました。

 そりゃああなたね、民間企業を嘗めてますぜ(うちらも民間だけど)。

 その程度で社会人を値踏みしてもらったら困ります。ウケは二の次、同情だろうと罵声だろうと次の仕事を受けさせてくれるかどうかが問題であって、演技の善し悪しではありません。
 あなたのように同情してしまったらそれだけでもう向こうの作戦は半ば成功なんだから。

 しかし、このノリの悪さの本当の理由は他にあって彼等が悪い訳じゃない。静岡はご存じのように今シーズンの初雪で来れなくなった、もしくは帰れなくなるのを怖れてドタキャンが相次いだ。
 それと数年前の強硬なリストラ以来、心ある人達はかなり冷え切ってしまい、集団としての一体感は持ちにくい状況にあって意識的に欠席をする人が増えている。
 あんな奴ら(上司)と呑んでられっか!
 と言うノリなのである。

 で、別の日に有志で集まって大騒ぎになる。

 僕はそちらの宴会にも呼ばれている。

 宴会には法人トップの理事長(社長)も当然のことながら来ている。

 僕とこの理事長はまだわかく42歳になったばかり、先代が急死して38歳で今の職を継いだ。小さいとはいえ、300人ほどの職員の生活を保障しなければならない。

 我が身に置き換えてみれば、とてもじゃないが出来ないなと思う。

 理事長は僕より2つほど下だ。

 で、まだ先代の時代に一緒に仕事をしたことがあるし、遊んだこともある。だからと言うわけではないが、平でありながら宴会の席では気軽に話に行く。話の内容は、僕の勝手な企画であったり、理事長の次代への狙いだったりすることもあるが大抵はたわいもないことである。

 ところが理事長にむかってそういう話をする人は他にいないらしい。真面目な話や、挨拶だと間が持たないし、議論をふっかけるタイプだと彼もそれなりに慎重になる。

 で、自然と僕と話しているときは顔が違ってくる。

 別にいいかなと思っていた。

 ところがこれが意外な展開を見せ、数日後、職場で僕はスパイだと噂がなれていると教えてくれる人がいた。
 
 それほど勤勉じゃねえよ、と「紅の豚」のセリフで返しておいた。

 出所はすぐに分かった。

 でも何もしなかった。

 で、僕はスパイと言われる、また見られることを楽しんだ。

 何も出てくることはないし、何の影響も与えてないことが分かると、自然に消えていった。

 それから何度か同じようなことがあった。

 僕が理事長と直に話したのは3年ぶりである。

 僕はそれなりに楽しかった。

 仕事現場ではいつも戦術しか告げられないのが僕らである。一兵士ならそれで充分動くことが出来る。しかし僕らは兵士でなく、数値目標をクリアする目的だけで動く仕事でもない。

 しかもかなり上の管理職まで戦略を問うと答えが返ってこないことが多い。
誰も分からずに動いているのか。

 上に昇ったらどんな風景を見られるのか、知りたいと誰も思わないのかと思うことがしばしばあって、たまらず直接聞きに行くような具合になっている。

 で、聞いてくると仕事に迷いがなくなる。

 でもまあ、他の人には聞きにくいだろうな。たぶんそれができるのは後2,3人の人かと思う。

 それは良いとして職場に入って間もない人達にとっては、かなり奇異な光景に見えるらしい。

 で、3年ぶりにスパイ説が再浮上して(前回の情報源になった人はもういない)
僕の立場はどうなるのか、若手跳ねっ返り組の宴会での僕の位置はどうなるのか。
 今度はコウモリと呼ばれるのか。
 
 悪いけどわくわくしてくるほどになっている。

 

ハゲてたまるか! 番外編 大島椿油含浸ブラッシングブラシ

2005年12月22日 00時02分26秒 | VSハゲ
 いやあ久しぶりです。ハゲてたまるかシリーズの時には日に訪問者が10数人の時代でした。

 カミさんが薬局(ドラッグストアーなんて呼んであげない)で買ってきたと言って自慢げに見せたのがこれでした。

 櫛なんかどれでも同じでしょ。と言ってやったら、良いから使いなさいよとうるさい。

 僕は豚毛が好きではない。

 小さな頃に住んでいた場所には近くに豚小屋があってとても臭っていた。

 そして汚れた体でブヒブヒ言っていたイメージがあるからどうもよくない。豚毛などをありがたがって髪の毛ならまだしも歯ブラシとしてあまつさえ口に入れるなんてあり得なかった。

 それでもカミさんに強く薦められたので仕方がなくて少しだけ髪の毛を梳かしてすぐに返してしまった。

 使い心地は悪くなかったがどうにも気持ちが拒否していた。

 驚いたのは次の日の朝だった。

 いつも僕は起床から玄関ダッシュまで30分ですませている。

 難敵は髭と髪の毛だったのだが、その日いつもなら奔放な方向に向いている僕の天然パーマは妙な落ち着きを見せていた。

 恐る恐る自分の櫛でとかしてみると、滑り心地の良い櫛の通りだった。僕は思わず洗面所で声を挙げてしまった。

 なんじゃあこりゃあ?

である、品の良い油だよ、これは。とすぐに思った。

 スタート前、ゲージに入った競走馬のごとく、髪の毛が生命力を持って治まっている。

 その後これが大島椿の威力だと知った。

 僕はお相撲さんの鬢付け油ぐらいにしか知らなかったが、髪の毛を保全する意味ではとても効果が高いらしい。

 で、何ヶ月持つか知らないけど、この櫛は効果が絶対あることは証明できるし、梳かしていて気持ちが良いので血行も良くなっているはずで、その感触の虜の僕は毎日ブラッシングするようになったのだった。


 意味無し!

 池本刷子工業 椿油含浸 ブラッシングブラシを見れば買えるけど、近所の薬屋さんにも置いてあるはずで、その場合もっと安く手に入るので頑張って広告を探しましょう。

生協の白石さん   人との距離感について2 

2005年12月20日 23時39分53秒 | BLOG論
 昨日、コメントがあると緊張するという内容を書いて、後で読み直して見るとどうも自分の気持ちにしっくり来ない。
 どこかにマイナス要因が入り込んでいる感じに受け取られたくないので。むしろ大事にしたいという気持ちが慎重にさせると言い直した方が近いのではないかと思う。 

 この辺が僕の修行の足りないところかと思うし、文章表現ってやはり芸術の一つで自分の才能を信じて磨いたは良いけども何も出てこなかったなんてことになりかねない。
 尤も僕はこの道で食べていく人ではないので、自分の感傷程度の傷つき方であるから、そう凹むものでもないけどね。

 生協の白石さんは東京農工大学の学生協の売店を訪れ、一言カードにメッセージを残す学生達に実に丁寧に応答し、掲示板に貼りだしている。

 この行為は学生協同組合が取り組んでいる活動の一つで、生活協同組合が組合で、学生からの出資金をその活動なり運用に充てていることに端を発している。
 つまり出資者のニーズに応えるのが生協の役目であり、その要望は必要な限り、応えなくてはならない。つまり東京農工大学以外でも行われていることなのである かといって応える必要のない質問も沢山ある。
 それにも白石さんは、絶妙の距離感をとりながら、生協職員と学生(出資者)との境界線を踏み越えないようにコメントし続けている。

 今回これが書籍化され大ヒットになったわけだが、これも発端はある一人の学生のブログからだという、ホントにブログってアイデアの発信地になってるねという感想を持たざるを得ない。
 しかもブログの開始は今年1月だから僕よりも後発のブログなのである。
はがねの剣100本
というカードに対しても

 ご購入希望ということで宜しいでしょうか。申し訳ございません。100本はおろか、一本たりともお取り寄せできません。銃刀法違反等になる怖れもありますので、断念された方が宜しいかと思われます
と返す。

 また単位が欲しいですに対しては
 そうですか、単位が欲しいですか。私は、単車が欲しいです。お互い頑張りましょう
と励ます。

 まだまだ色んなパターンがあるが、学生の質問にも愛嬌が感じられるし、とてもほのぼのとした気分になるのは間違いなさそうである。

 でもすごいでしょ。僕もこういうコメントが書けるようになりたいなと思ってます。そしてそれには文章修行よりも人間修行のほうがより優先されるのではないかと考えています。