「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

勇敢なるコメンテーター   便乗企画2  こころのかたちって

2005年06月30日 23時38分50秒 | BLOG論
 僕のブログに、よくコメントをくださるのは、瀬川南さん(東京都出身、神奈川県在住)ドッペルさん(東京都在住)ドランクキャットくん(東京都在住)たつろくん(長野出身、静岡市在住)mamachariさん(神奈川県在住)かずさん(北関東出身、東京都在住)ひかるさん(東京都在住)の方々です。
 特徴的なのは、たつろくん以外の人は、出身はともかく現在は首都圏にお住まいの方々ばかりであるということです。

 これは一体何を意味しているのでしょうか。僕のブログが極めて都会風だと言うことでしょうか。

 違いますね。

 それとも、僕のブログの内容が、知的好奇心の旺盛な方々から好まれているからでしょうか?

 いい加減にしないと、蹴られますね。


 ひょっとすると、僕のブログだけでなく、他のブログでも首都圏の人が多く、コメントしてるのかも知れません。

 そうするとこれはgooの顧客分布地図かなんかを照らし合わせてみるしかなさそうですね。

 他のブログも調べようとすれば出来るのかも知れません。コメントのURLから跳んで、プロフィールを確かめればいいのですから…。

またもっと単純に考えれば、首都圏に圧倒的にブログ人口が多いからであって、統計学上別に不思議ではないのかも知れません。

 でも僕はそこまでの時間を持つことが出来ません。


 たつろくんのブログを覗かせて頂くと、コメントする人の多くは、同じ大学の仲間であったりするわけですが、ブログが日記および近況連絡、もしくは、交換日記的な要素を含んでいるようです。

 他にもブログをそういう風に使用している人はたくさんいて、顔見知りが手紙代わりにコメントを残していく的な、ものが多いのが特徴になっています。

 つまりある程度の個人情報を知り得た上で、お付き合いをしているわけですね。

 また、オフ会等で、顔見知りになり、やはり極めて顔の見えるお付き合いをした上で、尚かつブログ上で意見交換をするという、その方のブログが一種のサロンを形成し、ブロガーかコメンテーターといった人々が、そこに集まってワイワイやってるという風景を見かけます。

 そうなると記事内容ではなく、「今日のお題」といったものだけあれば、事足りて、後は勝手に周りが盛り上げるという、触媒のような役割を果たしています。


 その点、ここにコメントを残して下さる都会の方は、ブログ上では個として参加されておられる方ばかりである。ドッペルさんとカズさんの師弟関係は考慮にいれてありません。いきさつを知らないものですから。

 主旨が分からなくなってきたので修正します。

 僕は以前「沈黙の観衆」というタイトルで色々書いてきました。

 読んではくれるのだけれど、足跡を残さない人々。

 僕のいう人間に関心を持ちながら僕という人間と関わろうとしない人たち。

 一方通行のコミュニケーション。

 攻めているんじゃありません。

 どういう関わり方をしようと個人の自由ですからね。

 でも思うのです。世間の人全てが自分と同じ魂胆だとは思いませんが、僕はコメントの文章を書いて、「送信」ボタンを押すことが出来なかったことが何度もあります。

 中にはそういう人もいるのではないかと思うのです。

 だから、なに?って聞かれても困るんですけどね。

 コメントって短くなければだめという、無意識の縛りがありませんか?

 マナーといっても良いと思います。

 そうすると次に来るプレッシャーが、真意が伝わるかってことで、簡潔を良しとする、ブログコメントでどれだけの気持ちを詰め込めるかにかかっています。

 だから大変気を遣うものだと考えて良いでしょう。

 これはノーマルな精神の持ち主のことを言っています。 
 
 誹謗中傷を目的とする人には当てはまりません。

 

 まあ色々考えたんですけど、ドッペルさん、ドランクキャットくん、たつろくんはどこからか僕のブログを拾い上げてくれた人達です。それには大きな感謝を送ります。よくぞこの様な辺境においで下さいましたという言葉しかない。

 じゃあ女性陣はというと、みんな僕が彼女たちのブログにコメント残したところから始まった、いわゆるお礼コメントがきっかけになっているんですね。

 てことは、なんのことはない、コメントをくれる人に都会人が多いのは、僕が若い女性で都会に住んでる女性を引っ張って来たわけで、これはどうしようもなく中年のおじさん的指向性だと断言してもいいのではないかと思うのです。

 僕は街に住むのに憧れていて、若い女性が好きだっていうことですか。

 ふうう~。がっかりしちゃったなあ。僕自身気付いていなかった。

 これじゃ単なるスケベオヤジだ。

 で、心の形っていうのが今日の瀬川企画の第2弾。

 僕に言わせれば心はベクトルの形をしていて、常にどこかに向いていて、大きくなったり、安定感がなかったりする、オレンジ色の矢印ではないかと思うのです。

 あなたのベクトルは今どこを向いているのでしょうか?




 最後はこじつけ。


追記瀬川さんはずっと名古屋の人の印象で捉えてました。なぜかな?

 今回、武蔵野台地の人って分かって、随分印象が変わりました。

 この記事は個人を載せすぎだという感がありますが、どうかご容赦を…。

便乗企画 幸せってなに?

2005年06月29日 23時16分41秒 | 妄想
 瀬川南さんが仲間と始めた企画だそうで、3人で同じテーマを書くのだそうです。

 さあて、僕にとっての幸せって何なのかなと考えてみます。

 時たま若い人たちに、人生をやり直せるとしたら、どの辺りからやり直したいって聞いてみることがあります。

 そうするとたいていの人たちが、やり直せるとしたら…て考え込んだりします。

 「えー!やり直す必要なんてありませんよお~」とか反論する人はいません。そしてその時期は小学校だったり、中学校だったり、高校1年の夏だったり色々なんだけど、共通しているのは誰もが学生時代だってことなんですね。

 大人になってからというのは余り無いですね。

 もっと勉強しとけば良かった。という後悔かと思いきや、そういうのは少数派で、何か他人に言えない事情の人が多いようです。

 所詮は戯言ですから、それ以上突っ込むわけにもいかず、話はそれで止まってしまうのですが、できはしないのに結構真剣に考え込む人が多いのです。

 人には後悔などというものがつきまとい、そいつを尻尾のように引きずりながら生きているのだけれど、どうにも尻尾を切ってしまいたい衝動に駆られたりします。

 そいつがどうにも重くなると人はそれを不幸と感じるようです。

 しかしながら後悔のない人はこの世に余り存在せず。その意味では人は誰しも不幸になる資格はあるわけす。

 でも、人は元気なうちは、尻尾を重いと感じるわけでなく、振り返ったりしなければ、存在すら忘れていて前を向いて歩いています。

 じゃあおまえはどうなんだと言われると、これだけ年を経てくると、自分自身の人生を振り返り、どの時点でやり直しを考えてみても、決して、現在のようにはならず、今の娘にも、今のカミさんにも、今の仕事にも、今の仲間達にも会えるわけではなく、後ろを見れば、恐竜並みの尻尾はあるのですが、もう一度やり直すのは恥ずかしくて、今の自分を良しとするならば、どうやらそいつがまあ幸せってやつらしいのです。


 お粗末でした。  

 生命として最初に聞く音

2005年06月28日 22時08分03秒 | 妄想
 赤ちゃんはお腹の中で耳が聞こえるんだそうですね。随分昔の話ですが、ウチの娘(現在9才)がお腹にいるときに、僕は沢山の本を読み聞かせをしました。かみさんのお腹に向かって、買ってきたディズニーの絵本やら世界の名作などを読み聞かせていました。バカバカしいとお思いでしょうが、妊婦であるカミさんをリラックスさせてやれば胎児への負担も少なくなると思ったのです。

 で、娘が生まれました。
 
 僕は出産には立ち会わなかったのですが、看護婦さんに抱かれて、部屋から出てきた娘は「こんちは!パパだよ!」という僕の声を声を聞くと「ホー」という顔をして目をこっちに向けたような気がしました。看護婦さんが「あら!この子、お父さんのこと分かるのね。」と言いました。
 何だか信じられないような気持ちなったことを覚えています。

 ですから娘はボヤーっとした声ながら、僕の声を認識していたことになります。もちろんカミさんも自分のお腹に向かって声を掛けているのですから、当然のごとく分かっていたと思います。

 それから僕らは育児に悪戦苦闘するのですが、とにかく娘はよく泣きました。それはカミさんをノイローゼに追い込むくらいの凄まじさでした。
 お乳が出ない、ミルクがうまく飲ませられない、ゲップがうまく出せない。どうして泣いているのか分からない、泣いたら泣きやまない。部分的に僕の方がうまくできたこともあって、ズタズタの状態でした。カミさんはすっかり自信をなくしてしまい。やせ細って泣いてばかりいました。そして「このこは私のせいで死んじゃうかもしれない」と叫んでいました。

 仕方がないので、とにかく睡眠をとらせようと、カミさんは別の部屋に寝かせ僕はあぐらをかいてそのあぐらの上に娘を寝かせ、一晩座っていたこともあります。
 そういうカッコだと安心して寝るみたいでしたから、どうやら極端なスキンシップ希望だったようです。
 
 で、毎日そうするわけにもいきませんでしたから、色々とグッズも揃えました。CDも色々買いました。「泣きやまない赤ちゃんのためのクラシック」とか、お母さんのお腹の中の音を再現するものとかです。

 効果ですか?

 そうですね。あんまり効き目がなかったような気がします。それよりもお母さんがゆったりした気持ちになって、余裕でダッコしてあげた方がずっと効果があります。「どうしたの?なにがあったの?」ではなくて「ママがいるからね、ほーら大丈夫」って本気で言える方が良いみたいです。

 お母さんのお腹の音って聞いたことがありますか、僕らが生命として最初に聞く音です。

 ぐおんん、ぐおんん、って心臓が収縮する連続音がかなりせわしく聞こえているそうです。そのCDではそういう風に説明していました。そういう音も確かにあるでしょうが僕はもっと違う音が混じっている可能性もあるんじゃないかと思うのです。

 それは血管の中を血液が流れる音というやつ。

 どんな音かって?

 では両耳を人差し指でふさいでみて下さい。

 どんな音がしますか?

 ボ、ボ、ボ、ボ、って音がしませんか、それが指先の血管にヘモグロビンが移動する音です。赤ちゃんの部屋には縦横無尽に血管が張り巡らされているはずですから、こういう音も聞いていると考えても良いんじゃないでしょうか。

 そしてこの音は、僕らがそのときどんな気持ちでいようと、例え死のうと考えていても変わらないんですね。つまり人って生きるのが本能なんだなと改めて思ったりするわけです。


 ミュージックバトンで色んな人の音楽性が語られていますが、意外と母親の胎内で聞く音にすこしく影響を受けているかも知れないなと思うこのごろだったりします。
 

 

ブログ占い? №12-4 テンプレートの背景色 テディベアーと熊

2005年06月27日 23時48分20秒 | BLOG論
 テディベアーは今も昔も人気があります。何年か前に、箱根のテディベアー博物館に行きました。全館テディベアーだらけでしたが、子供とファンにとっては素敵な場所だったのではないでしょうか。
 僕は駐車場から一面芝生に覆われた緩やかな坂道を登って行くときの、風景が気に入りました。
 でももう閉館してしまいましたね。展示、販売だけでは、無理があったのでしょう。伊豆高原や那須高原といった場所にもあったはずですが、今どうなっているのか分かりません。
 
 たまにデパートなんかで展示即売会をしたりしますが、スタイフ社のベアーはとても高くて、ん十万円とするのがあるそうですが、女の子ならそういうのを代々受け継ぐつもりで、一つ良いのを買った方が良いなど言って、カミさんが誰かに洗脳されそうになって、また義母がそれならと勢い込み、娘も娘で二十数万円の品を指さし、「あれが良い!」などと口走るモンだから危うく購入する寸前の所まで行ったことがある。
 ウチは伝統的なヨーロッパの貴族の家ではないということを説明して、その日はなんとか踏みとどまったが、その後得体の知れないテディベアーが家に鎮座ましましている。
 その値段が一体いくらなのか、皆固く口を閉ざしたままだ…。

 で、みんなでかわいい、かわいいなどと言っている。しかもテディベアーじゃなくても、クマさんとくれば、みんな「かわいい」になってしまい、キャラクターとして結構間違いのない、尚かつ息の長い部類に入るのではないかと思うのである。

 なんでだ?どうしてそこまで人気があるのだろうかと、疑問に思ってしまうのは僕だけなのであろうか?
 だって実際の現実の熊はかわいいかい?
 それはパンダならカワイイよ。近頃はやりのレッサーパンダもカワイイよ。僕の勝手なランキングでは日本平動物園でベスト5に入る動物である。前からそこは時間をかけて見ていた。
 だからどうなの?て言われるとそれまでですが…。

 ここでの主旨は熊は基本的に接触系の動物ではないということで、ライオンや虎ももちろんそうだけど、これだけぬいぐるみとして愛されていながら現実には猛獣扱いされている動物もないんじゃないか。偶像と現実の差がこれほど激しい愛玩動物もないのではないかと思うわけです。

 そうすると、これはもう例えば焙煎してドリップしていれるコーヒーと缶コーヒーは別の飲み物として愉しんでいるように「熊」と「クマのぬいぐるみ」は全く別の種類と考えて良いのではないかと思います。

 テディベアーを抱きしめながら現実の熊を思い浮かべる人はいないってことですね。

 ブログの背景として、クマのぬいぐるみをイラストとして入れている人が現実にいる。茶色と言うより、そっちの方で考えた方が良いかとも思う。

 背景にテディベアーを置く人はズバリ甘えんぼでしょう!
 
 またクマを傍らに置く人は自分の生き方を可愛く見せようとする人です。

 クマは遠目に安全な所で見ている場合にはやはりとても人間くさい仕草を見せるときがあります。パンダを見ていれば分かりますが、クマってのは遊びますね。

 他の動物たちも遊びますが、それは狩りの練習だったり、兄弟間または一族間での位置づけが底辺にあったりしますが、クマの場合は純粋に遊びますね。それから背中まるめて、背を向けて何かしている姿は、妙に人間くさい部分があります。

 愛玩という言葉があります。愛して玩(もてあそ)ぶのが原義です。これをする人は、どこかで満たされない部分を持っているといったら言い過ぎでしょうか。

 そして、それを手に入れるために自分の注目が集まるように、無意識のうちに目立とうとします。実現のキーワードは「可愛らしくなること」です。

 コスプレ系のブログ(数は当たっていませんが)にこの手の傾向が見られます。ブログに顔のあるものを載せたり、自分の画像をアップする人はこの傾向があると言えるのではないでしょうか。

 そしてそこでも現実の自分と偶像上の自分をきっちり区別して、偶像上だけの世界を作り出す作用が働いているとみていいかと思います。





 まてよ!№12てことは12色の絵の具が全部揃ったってこと?

 12色のクレヨンと比べてみると黄緑と橙がまだですね。

 ってもういいかなって感じもしますが、気が向いたら又やります。
 

 

ブログ占い?№12-3 テンプレートの背景色  茶色 ウッディーアンドテディベアー

2005年06月26日 23時08分49秒 | BLOG論
 この茶色シリーズでは、この色をブログの背景色に使う人が何をイメージしてるのかを考えています。
 前回の稿では葡萄茶色について触れましたが、あの袴をイメージしているとは想像しにくいものがあります。
 じゃあ実際に茶色のものを連想したり、テンプレートを見たりすると、二つのものがあったりします。
 一つは「木」そしてもう一つは「クマ」です。

 ウッディーというのは、ナチュラリストの証明みたいなもので、ログハウスなどで家の中に「木」が沢山あるととてもリラックスしますね。
 太い柱と梁と窓枠が木製ならば言うことはありませんねえ。僕が生まれた家は父親が結婚したと同時に建築が開始されたそうですが、木材は全て父親の実家の山から切り出されたものです。
 おじさんが毎日ように、リアカーで4キロの道のりを運んでくれて建てたそうです。

 ですから木は贅沢でした。柱、梁、天井材、建具の一部も、全て良い木を選んで使ったそうです。
 天井はむき出しの木材でした。僕は小さい頃、よく熱を出す子でした。高熱になると天井の木目模様がお化けに見えたりして随分怖い思いをしました。

 でも来るお客さん、誰しもが天井を見上げて褒めていきましたから良い家だったのだと思います。

 太い柱によじ登ったり、磨かれた廊下にほっぺたをつけて寝そべるのが好きでした。強い雨の日には木の窓枠の隙間から強い風に煽られて雨が吹き込んできましたし、雨戸は湿気で膨らんで閉めにくくなること請け合いの家でしたが、好きでした。

 みなさんは生家って残ってますか?

 あったらそれは幸せなことだと思います。

 別に有名人になって「○○の生家」っていう案内板が立たなくても、生家があった方が良いと思います。
 ルーツがあるってのは、前に進むしかない人生でも大切だと思います。


 僕の生家は今はもうありません。

 町の都市整備計画により、道路になってしまいました。

 その前に今の地へ移ったのですが、整備計画は遅れ、僕の生家は誰かの家になったり、短大の下宿になったりしていました。

 木は人に安心感を与えます。金属的な冷たさを嫌い、肌に温もりを持ちたいと考えている人が選ぶ色かも知れませんね。

 次は「クマ」の茶色について考えますが、時間が来ましたので今日はここまでにします。
 
 
 

みゅうじっくばとん

2005年06月25日 23時33分59秒 | 日記
The Best of Gilbert O`Sullivan [Rhino]
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 ドッペルさんと瀬川さんからご指名を頂いたので、ありがたく3番テーブルに付かせて頂きます。
 しっかし結構まわってますね。色んな所でみかけるものなあ。

 斜陽の音楽産業が次にリバイバルで出す曲の市場調査ではないかと読む人もおりますが、目的はどうあれドッペルさんが書いていて楽しいとおっしゃるし、瀬川さんも楽しそうなので、やりだしっぺの真の目的はどうあれ、好奇心は働きますのでやってみようと思います。


 能書きはいいからさっさとやれ?

 はい、それでは…。

 MUSIC BATONのはじまりはじまり


 ■コンピュータに入ってる音楽の容量は?

 これを乗り切るために結構時間を使いました。1.24ギガだそうです、多分。どうやって調べたらいいのか分かんなくて、色々使っているモンだからあわせるともう少し行くかも知れません。

 ■今聞いている音楽は?

 DEPAPEPEの「START」っていう曲です。3週間ぐらい前の「ミュージックステーション」でやってたのを聞いて欲しくなって買いました。
 ストリートライブから売れ出したアコースティックギターを駆使する二人の男の子です。
 インスツルメンタルでは最も売れている人でしょう。

 若い「ゴンチチ」というか陽気な「マリオネット」という表現をするとギター曲好きには分かると思います。
 

 ■最後に買ったCDは?

 厳しい質問になったなあ。これは近所のホームセンターのセールワゴンの中にあった「イーグルス」のベスト版です。
 見てたらなんだか急に「ホテル・カルフォルニア」が聞きたくなって衝動買いしました。

 ■よく聞く、もしくは思い入れのある5曲

 長くなりそうだし、余分なことを言いそうだから抑え気味でいこうっと。

 ① ギルバート・オ・サリバン 「アロンアゲイン」

 いつでもここに立ち返る覚悟で生きて行くという意味で、自分のテーマ曲です。

 ② アルパートハモンド「落ち葉のコンチェルト」

 秋に聞く曲の中では1番の名曲だと思ってます。そのうち絶対、携帯電話のCMに使われると信じて疑わない1曲。
 地下鉄の出口から街路に出ると、やや上向きの視線に視界一杯の銀杏の並木道が出迎えてくれたときに流れる曲。秋が綺麗な空気で満たされていたことを思い出させてくれると思います。

 ③ 日吉真澄「Dear」の中から「放課後」

 ほとんどの人が知らないだろうと思われるアルバム、静岡の音楽関係を一手に扱う販売店「すみや」が一時一押しにしていた、静岡県出身のピアニスト、作曲家。
 頭はそれほど使わなくてもいいが、そのかわり時間がかかる仕事の時に聴いているアルバムです。中でも「放課後」はピアノでチャイムを奏でるところから始まり半分以上仕事が終わっている精神状態にしてくれるという意味で貴重なヒーリングになっているのです。
 日吉真澄公式HPに出てますから興味のある方はどうぞ。


 ④ アニメージュ・コンプリート・コレクション(宮崎アニメサントラベスト版)

 結果的によく聞いてしまっています。いつも車に載せているのですが、これかけとくと間違いないもんですからね。子供から大人まで楽しめます。

 まだ宮崎映画が今みたいな化け物映画になる一歩手前の作品「紅の豚」までのサントラ盤をおさめています。特に「天空の城ラピュタ」は前奏に空賊ドーラ一家の戦闘飛行艇バラクーダ号がシータとパズーを乗せて空に舞い上がる時に使われたBGMが入っているので、とても良いのです。
って自分もやっぱり好きでした。

 ⑤ 大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
 
 えー今でもたまにカラオケで歌うんですけども、32才以下の人たちにとっては知らない曲なんですね。困ったモンだと思います。

 ほかにも少年隊の「参ったネ今夜は」とかも知らないし「NSP」も知らない。僕らがこれは残るででしょうと勝手に思っている曲の中にも既に消えたものが沢山あることを思い知らされる最近のカラオケ現場です。
 ナックの「マイシャローナ」も知らないのかよ!って当たり前じゃ!

 ⑥ 反則の6つ目。山下達郎「オン・ザ・ストリートコーナー2」全曲。

 「私、お父さんの決めた人と結婚しなきゃいけないの、でもあなたは大切な人なの」って言われて農林水産省の人と結婚しちゃった彼女とデートしてたときにいつも聞いてたアルバム。

 カミさんには内緒で時たま聞いている。


 以上。

 さて次に回す人のことです。このブログにコメントくれる人はほとんど記事としてあげていらっしゃるし、僕のキャラではないと判断して、バトンは此処に置いておきます。

 受け取ってくれる方がいらっしゃればその人が受け継いでください。

  



 楽しかったけど結構時間かかるねこれ。

ブログ占い?№12-2 テンプレートの背景色 海老茶色

2005年06月25日 01時49分00秒 | BLOG論
はいからさんが通る

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海老茶色って知ってますか?
赤みがかった茶色のことを言うんです。茶色にも色々あるんですね。

パソコンに「えびちゃいろ」って入れて変換を押すと「海老茶色」と「葡萄茶色」の2つが出てきます。
 葡萄(ぶどう)の色なんですね。
 あれも茶色だったんです。僕は知りませんでした。

 葡萄色と言えば、ワインカラーが浮かびますからどっちかというと、おしゃれな感じがしますからね。茶色っていう語感にそぐわない気がします。

 ベレー帽でもよく見かける色ですね。ベレー帽って奴はなかなか被るのに勇気のいる帽子でして、僕みたいのが被ると随分やらしくなるのだろうなと、父の若い頃の写真を見て思いました。
被ってたんです、若い頃、トレンチコートと一緒に…。

 大正時代には女子学生の制服の袴の色として定番だったようです。袴は後のセーラー服にとってかわられるまで王道の制服だったようですな。

 で、画像のとおり、袴は葡萄茶色をしています。僕が大学を卒業する頃から、矢絣(やがすり)にえび茶の袴という出で立ちがありましたが今はどうなんでしょう?

 もっとも、振り袖にしろ矢絣にしろ、袴を付けるってのは、それ相当に知性と品性を求められるわけで、カワイイもの大好き!路線まっしぐらの女性達が多い中で、果敢にチャレンジしてくれる女性がどれほどいるのか疑問である。

でもまあ、矢絣に袴、編み上げブーツに、頭には大きなリボンを付けたらそれはそれでかなりコスプレチックになる代物ではないかと思うわけです。


 画像は1987年公開の南野陽子主演の映画です。主演の南野陽子は別にして「しょおいい~」の伊集院少尉を阿部寛がやっているぞ。
 牛五郎には柳沢慎吾という配役は、いかがなものかと思うのである。

とにかくえび茶色は結構女の子に人気の色なのである。そういえば女性向けの自動車の色も赤っていうよりえび茶系を狙って少し品の良い大人っぽさを狙う人も多いモンな。

とにかく言えることはえび茶を意識してブログ書いてる人はいないって言うことですが、「研修医ななこ」さんのブログでは以前ななこさんの姿が袴姿であったような、そうでなかったような結局覚えてないがそんな例外を除いて見たことはないってことです。


 
 

300

2005年06月23日 22時58分18秒 | 日記
 昨晩、眠り損ねて、色々考え事をしているうちに突然気付いて、ブログ編集画面にすると、300記事だった。


 300って数をどう捉えたらいいのか分かんないけど、一人の素人が書いた文章としては、多い方で、単なる日記だとすれば半年余りに過ぎず、ネタ数とすれば大したもので、一人の人間を表現し尽くしたかと言われれば、まだまだこんなモンじゃありませんよと強がってみるといったところかな。
 


 まあ、生きてる限り、ネタはあるでしょうから、後は観察力の勝負でしょ。

 自分がスルメ的人間なのか、チューインガム的人間なのか、いざ尋常に勝負!勝負!

 ジャンガ、ジャンガ、ジャンガ、ジャンガ、ジャン!
 

ブログ占い? №12 テンプレートの背景色    茶色の小瓶

2005年06月22日 23時25分14秒 | BLOG論
 最後かな?

 茶色です。

 で茶色ってなぜ「茶」が付くんでしょう。

 「茶」って緑でしょ、日本では。という素朴な疑問を持ったことがありませんか。

 小学校1年生のとき、文の書き方を教わって、「僕は」とか「私は」って書きなさいって言われて、なぜ「僕わ」とか「私わ」と言う風に発音通りに書いちゃいけないのか、疑問に思いませんでしたか?そういう質問を飲み込んで分かったつもりになっていませんでしたか。

 でも最近は分からないことがあったら、すぐにネットで調べられますからね。良い時代になったものです。

 でもまあ余分なこと言ってないで次に進みます。

 まず、いわゆるお茶が「緑色」になったのは江戸時代も中頃になってからだそうです。

 僕は静岡県の茶所に住んでますから、周りは茶畑ばかりですし、小さい頃は御茶摘みの頃になると茶畑で従兄弟達の面倒を見るのが僕の役目でした。親戚総出で御茶摘みをやっていましたから、ゴールデンウイークなんぞあってなきがごとしだったのです。小学校には「農休み」と言って農業の手伝いをさせるために、田植えの時期に休みがありました。

 で、親戚の家では製茶のための蒸し器やら、茶もみの機械やらが、大きな鉄の輪っかに太いゴムのベルトをはめて、ぐおん、ぐおんと大きな音をたてていたことを新茶の良い香りと共に鮮明に覚えています。

 「煎茶」は生茶を蒸してから焙炉の上で揉んでゆっくり乾燥させて作ります。そうすると綺麗な「緑色」になります。

 その方法が発明される前、お茶はいわゆる番茶として、葉を鍋で直接炒って、天日で干して作ってようです。そうするとできあがりが全然違い、色は黒に近い色になるそうです。

 そしてお湯を足してお茶を入れると、赤色に近いものになります。ですから「茶色」ってのはそういう色を言ったのではないかと思います。

 煎茶が出来る前のイメージだったんですね。

 で、テンプレートにそういう「茶色」なんぞ使う人がいるのかって言うと視点を変えるとけっくいるんですねこれが。

 と言うわけで今回は茶色をイメージして書いてみます。

 ですからそういう手法が

国文科の憂鬱 田中先生登場

2005年06月21日 23時40分50秒 | 回想?
 大学も4年生の1月になると、みんなそれぞれに人生経験を積んできているようで、就職先はすでに決定し、卒論はすでに提出して身軽になって、学生という身分も残り僅かであることが身を引き締めたりします。
 僕らは誰も彼もが、このキャンパスを巣立とうとしている時期になって、一体自分は何をしてきたのか、自問自答の答えが出せずに、何か実感に近い、自分の存在を掴もうと、毎日のように誰かと会っていたような気がしています。

 僕らは玉川酒盛り会は、熱心な宗教活動に走ってしまったTと袂を分かったRが合流し、3年次ぐらいから毎週火曜日の1時限目に出るべく、月曜日の夜にSの下宿に集合し、パンツ一丁で女子校の近くの酒屋に酒を調達に行き、当然夜中まで飲んで、安い酒に酔い、吐き、当然のごとく、次の日の1時限目には間に合わないという反省のない日々を送っていました。

 クラブ(部活)と付き合っている女と酒と、文学の話題だけでずーと酒が飲めたのが不思議でした。尤も文学の話はかなり少ない割合でしたが…、とにかく全く生産性のない人たちでした。
 
 ただ、それぞれのクラブでは、それなりの役目をこなしている人達でしたから、世慣れた部分はあったのです。
 バイトも国文科にしては職歴が豊かでしたから、って勉強してない証拠です。

 そういうわけで僕たちは国文科の中でも、とりわけ不真面目な人たちでした。

 でも最後のコンパの話が持ち上がったとき、誰が幹事をするのかっていう話があがると、すぐに僕らの名前が出てきました。

 出席率は格段によかったように覚えています。みんな寂しかったんですね。男も女もそれぞれが優しい大人になっていました。それぞれにそれなりに恋をして、傷ついて傷つけて、慰めたり、それを求めたり、理屈や正義や道徳で割り切れない思いをいっぱいして、そういう東京から離れて行かなくてはならない。それぞれの地元にどんな生活が待っているか分からないけど、確実に言えることはもう此処に戻ることはないってことで、それは取りも直さず東京は僕らの場所じゃないって認めなくちゃ行けないことでした。

 で、3次会までみんなで行って、12時を過ぎて誰もいなくなった渋谷のセンター街をみんなで校歌を歌いながら、歩きました。

 渋谷はまだそんな街だったんです。

 渋谷から桜新町まで行って、(歩いて!?)僕の汚い4畳半の下宿に6人が雑魚寝して、僕は一緒に幹事をした女の子の隣に寝転がりました。

 朝方彼女が突然泣き出し、ぼくは何も言わずに彼女の肩を抱いていました。むくっと起きた奴が一人いたけど僕らの方を見るとあわてて寝たふりをしていました。

 今思うと、おやおやと思うくらい純だった。今の人たちが聞いたら笑っちゃうだろうなと思う。

 でもそれなりにそのときは精一杯であった訳ですから恥ずかしいも何もなかったようです




 で、僕は2月の中頃になってやっと卒業を決定し、一安心してSの下宿に戻って来たんです。そこへRが血相変えて飛び込んできました。

 「おい!俺らで謝恩会することになったからな。」といきなり言いました。

 Rは侠気のある男ですが、やたらと説教好きな面もありまして、そういう部分が活きたのでしょうか、教育実習で教員を自分の天職と感じ、採用試験を受けましたが、到底受からずくさっておりました。

 ただ、卒論担当教授が実習を見に来た際、とても良い授業ができたそうで、えらく見込まれ、色々と世話を焼いてもらっているようです。

 
 そこへ近所の女子校の非常勤講師の話が持ち込まれました。

 そう僕らがパンツ一丁で校門前をうろちょろしていたあの学校です。

 でもゼミ生でもないRに非常勤講師の口をタダで紹介するわけがありません。そこで先のお話になります。

 つまり内実はこうです。

 毎年、卒業式の後、国文科では教授陣を招いて謝恩会なるものを催すらしいのです。開催の主体となるのは各教授のもっているゼミの長が寄り合って段取りをするそうですが、その年に限り、ゼミ長がほとんど帰郷していまい、教授陣が怒り心頭に達しているそうです。

 で、Rにおまえの就職先を斡旋する代わりに謝恩会を段取りせよ、人選は任せるという話になったのです。

 ですからRは僕と福島に帰郷することになっていたSと修士に進むゼミ所属のAとゼミ連会長のMとなぜか茨城に帰らないNを仲間に引きこみ、自分の就職のためという実に個人的な理由から、あと10日に迫った謝恩会を成功させるべく、詳しい事情を聞きに246号線沿い、用賀のロイヤルホストに向かったのです。
 そこで司会担当として参加した僕の前に立っていたのが、田中先生(当時助手)だったのです。


 僕は目が合った途端逃げようと思いました。