「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

今年一年を漢字一字で表すとしたら何ですか?トラックバック練習版ではありません。

2006年12月30日 00時13分15秒 | 妄想
 去年に引き続いてやってしまいましょう。

 でも今年はちょいと難しいんですね。

 仕事はそれなりに順調にきてますが、我が家の重大ニュースとして

 僕が突然死の怖れありで検査入院して、ちょっと家族に緊張が走ったでしょ。

 検査の結果は“白”だったからホッと一息いれたらその一週間後に今度はボクの父が心臓付近の血栓で心筋梗塞から心不全になって肺水腫になって、それこそ「死」の寸前までいって一ヶ月半の入院生活、心臓バイパス手術を受けるという一大事が起こりました。その間にもボクの母が突然の呼吸困難で緊急外来にかかっているし、カミさんのお母さんはウチに泊まりに来てお酒と精神安定剤を併用して、危うくトイレの中で凍えるところだったという経験をしてしまったんですね。
 そのときにボクのカミさんは何も出来なくて、娘に八つ当たりするくらいしかできない自分を随分と責めているようで、これから始まるであろうそれぞれの両親の介護に自信が持てなくなっているようですね。

 ボクの生きている周りではボクを含めて何だかこれから先の人生に「死」とか「老」とか「衰」といったものに漠然とした不安を感じた一年だったんじゃないかと思うのですね。
 でもこれって長く生きてる人だったら誰もが通らなくちゃいけない道の関所であって、きっと何らかの形で自分を納得させてきているんだろうなと思うのです。
 だから何かが近づいている予感みたいなものを腹にしまい込まざるを得なくなった一年だったかなと思うのです。
 
 そういうふうに見ていくとボクの仕事の調子も、そんなところがあって「腹」の一物を抱え込んで仕事してるから、例年よりも腹が重たい感覚で仕事をしていたような気がしてきた。

 で、そういう意味を全部引っくるめて今年の漢字は

 「含」

に決定しますが後で気が変わるかもしれません。

 


 

東京紀行2 年の瀬の準備 湯島天神

2006年12月29日 00時38分24秒 | 紀行

 湯島天神は学問の神様である菅原道真公を祀っておりますね。菅原道真公は政権争いに巻き込まれる形で太宰府に左遷された人なんですね。
 で、ついに京都に戻ることなしに太宰府で亡くなってしまう。随分と恨んだでしょうね。という考え方が京都の人達の察する心情でした。だって京都以外の土地って太宰府なんぞネバーランドぐらいに想像の地でしかなかったでしょうからね。
 で、道真公が亡くなったその年は結構異常気象が続いたんで、これは道真公が祟っているんじゃないかってな話になってしまうんですね。
 そういうのって日本人というのはとても苦手なんですね。闇を極端に嫌う傾向がある。森の中とか避ける傾向がありますよね。光と闇のコントラストが錯綜する自然を持っているせいでしょうかね。
 まあとにかくそうすると日本人はどうしちゃうかっていると、道真公を神様にしてみんなでお祀りしますから大人しくしてくださいってなだめようとしちゃうんですね。
 日本人の神様感覚は西洋の神様の思いとは全然違っていますよね。西洋だと唯一絶対神が一人いて、その神様が何でもしちゃって、信徒は神様に近づけるように知恵と勇気を与えるかわりに、服従を強いるでしょ。
 日本の場合は神様が八百万(やおろず)の神と言って何にでも神様がいるわけでしょ。
 そうすると木にも水にもテレビにもいるわけだから、これは神様というより精霊に近い存在なのかもしれませんね。
 だから人間が神様になっても全然構わないわけで、このあたりは他の宗教とは全く違って寛容性がとてつもない広さを持っているわけです。
 だから人間を神様にしても全く気にする必要がない。。
 
 で、恐くて強い人には神性を感じてしまうんですね。それがたとえ国家という社会では悪者でもね。

 で道真公はぜんぜん悪くないですし、しかも学問の家柄だったものだから学問の神様にされてしまったんでしょうね。
 まあそれで名を千年に残したんだから大したものだと思いますよ。
 湯島の門をくぐるとテキ屋さんというか屋台の人達が準備してますね。本殿もまわりも工事の人達が入って、初詣に備えていますね。
 

 

 巫女さん達も忙しそうにお神籤を補充してました。



 絵馬には沢山の人達の願い事が書いてるんですが、正月を前に撤去されて絵馬掛けはすっきりしてしまいます。 

 裏に回ってみるとそれなりに工事していて邪魔しちゃう感じなんで早々に引き上げたんですが、この界隈はあいかわずラブホテルの多い地域で拝んで少し目線をあげると

 

 こういう景色が目に入ってしまう。

 他の国じゃまず考えられないことでしょうね。都市の景観美という点に置いては。

 

東京紀行2 聖橋から

2006年12月27日 23時58分38秒 | 紀行
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 この東京紀行を書くのも2度目になりますね。昨日5時30分に東京スターホテルのロビーで待ち合わせをして、直ぐ近くの居酒屋さんで大学時代の友人達と呑んでましたよ。この時期の恒例行事なんです。今年はなんだかんだで夏に福島、秋に京都、冬にLAと移動が多かったせいもあってカミさんと娘さんにやっかまれてますね。パパはお出かけばっかししてるって言われます。

 でもこれは年中行事の一つですからご勘弁を。


 しっかし凄い雨でしたね。ジーパンもスニーカーもジュコジュコいってましたよ。
 呑んでる最中にニューズZEROが始まりまして、七尾藍佳さんが新宿駅の東口にいるって分かったときは少し興奮しましたね。

 でもまあ呑んでましたけど。

 で、今朝は全くの自由行動。といっても僕はいつも同じ行動をしてます。それはお茶の水で降りて湯島天神に行き、嬬恋神社によって神田明神に参拝するコース。これを毎年欠かさずしてるんですね。
だから紀行って言ってもちっとも変わり映えしませんからそこのところを割り引いて読んでください。

 で、昨日の雨の余韻があって朝からスニーカーにドライヤーをあてて乾かしていました。

 9時近かったかな、いやあ普通はもっと早い時間なんですけどホテルを出て御茶ノ水駅まで向かいますよ。


 御茶ノ水駅には「聖橋」があります。

 僕はこの橋の上からの東京が結構好きです。

 東京って都市景観からすれば程度低いじゃないですか。ヨーロッパでもそうですし、この前、空見たロサンジェルスの景観でさえも日本よりは格段に秩序だっていると思うのですよ。高層ビルがあるのはダウンタウンの地域だけで、他はなるべく平屋で建てるようにしている、そういう意図が都市の秩序美として成立してるのがヨーロッパの街並みだと思うし、その点では日本は及びもつかない。
 だから住むところじゃなくなってしまっている。

 大学教授や知的職業で成功した人達が最後に家を求めるのは「鎌倉」でしょ。あそこは変わらないもの。変化がなくてある厳然とした秩序を保っている町の一つだと思うのです。変わらないってのは秩序には欠かせない要素であって、言い換えれば街が停頓しなくちゃいけなくて、それは便利さを犠牲にする場合もあったかともう。

 この改札を抜けて左手に折れれば直ぐに渡ることが出来ます。そうすると新宿から来た僕にとって何より嬉しいのは、空が広くなるってことですね。



今日はここまで

そろばんずく?のメリークリスマス サンタさんはいつまで信じていましたか?

2006年12月25日 23時32分06秒 | 人々
 えーウチの娘さんは今年で今月11歳になったんですが未だにサンタさんが来ると思っているらしいのです。友達の間ではもうだいぶ現実味をました話をしていて、“サンタなんかいるわけがない!”とか”あれはお母さんが夜、プレゼントを置いてくれるんだぁ”とかいう話も出るんだそうですが、ウチの娘さんは頑として受け付けないんですね。
 で、仕方がないのでパパとママからのプレゼントは別口であげなくちゃいけないはめに陥っているわけですよ。しかもですよ、その要求品たるやなんだと思います?
 図書券と文具券を1万円づつ欲しいなあっていってるんですよ。

 そこんところだけ何でこうまで現実的なのにサンタさんだけは信じているんだ?というわけですよ。当然親としては不景気ですし、クリスマスだけで2万円はないだろうと思いまして説得にかかるわけです。
 で、娘が言うにはパパとママの分は苦しいのが分かるから5千円で良いよって言いました。でもサンタさんはそんなことないからそのままもらうって主張するんですね。

 こいつひょっとしたらそろばんずくで言ってんのかなって思っちゃいますよ。

 近所の実加ちゃんはwiiをサンタさんにねだるそうですよ。

 ちょいと凄すぎませんか?

 で、お父さんとしてはサンタさんの肩を持つしかないんです。

 一人1万円分けちゃうと、日本だけで国家予算的にお金がかかっちゃうと思うんだ。だから少しまけてあげたらっていったら、小さい子にはそんなに高額でなくても良いのだそうです。むしろ小さい子に高額品を上げるのは宜しくないそうです。

 だから教育問題にまで一言言える君がなぜサンタを信じるのか分からないんだよ。

 ホントに信じてるの?

 でもクリスマスが終わった日にすかさず大量の絵とともに何枚もの手紙を書いているから信じてはいるんだろうけどね。

 

亜米利加ナ日々4

2006年12月16日 23時25分56秒 | 人々
 アメリカから帰ってきて家で寝たのが今日の午前2時。
 時差ボケの関係なのか目覚ましもなしで7時に目が覚めてしまった。7時30分に伸びた髪の毛をきりに隣町の1800円の床屋さんに営業開始1号の客となるべく出かけてました。
 そんなに急ぐこともなかろうにお思いでしょうが、僕は今日、午後3時開始のある祝賀パーティの司会をすべく準備を整えていたのです。来賓やら座席表やらを送ってきたのは僕がアメリカから日本に帰る一日前の午前中でした。向こうでも仕事がありますからね。そうも暇じゃないんですね。

 それに午後は外回りをするからね。パソコンを持っていく意味がないんだよなあ。

でもまあ今日はもう寝ます。今ココまでくるのに、五回ぐらい気を失いそうになってます。

で、少し復活して書き続けます。

 今回のパーティは市長さんとか次の参院選を狙う県会議員とか、とにかく名前だけでも呼んでくれって言う市会議員さんとかが大勢お見えになる会なので、そうそう手抜きをするわけにいかないのですね。

 特に名前を読み間違えたりすると大変なことになってしまうのです。

 でも今回はそれを他人に委ねてぶっつけ本番で臨むことになりまして、で、いきないとちってましたね。
 来賓でも上位の人でした。
 
 あらまあやっちまったっていう感じです。

 でもこのくらいのことでは全然動揺しませんよ。

 今回のアメリカ行きで、ある人から勉強しましたからね。

 何かしらアクシデントは起こる。うろたえてもだめ、人のせいにしてもダメ。泣き叫んでもダメ。要するに感情は全く必要ない。必要なのはその後どうするかであって、アクシデントが起こったらどれだけ頭を働かせて、迅速且つ的確な事態の改善に臨むべきで、それがアクシデントの被害者の救済になるんだということなんですね。
 
 たとえそれが自分のせいではなくても、その原因を作った人を責めてはいけない。そうするとその人は自分の敵になってしまうから、それよりもその人を味方に付けて動かした方が、自分の将来に繋がるのではないかと考えています。

 で、何とか最後でまとめることが出来て、よかったなあと思うのです。

 46歳だけど、

 もういい加減にできあがってなくちゃいけないのかも知れないけど、僕はもっともっと色んな人から勉強しなくちゃいけないなあと思いました。 

亜米利加ナ日々2

2006年12月13日 09時38分21秒 | 文化論
 海外に行った人なら誰でも知っていることなんだけど、外国のホテルの廊下は一般の道と同じである。したがって日本の観光旅館のように浴衣やパジャマで歩いていたりするととんでもない目にあったりする。もちろんセキュリティはいる。そして始終歩き回ってガードしている。でもそれは客室のマナーを守らない人に対するものであったりして、察するに自分のプライベートは自分で守らないといけないという考え方があるように思われる。
 日本では、ある責任領域に入ってしまえば、自分の身の安全でさえも責任者という他人に委ねて奔放に振舞う傾向がある。それはその旅館なりホテルに宿泊する理由が「公」であったり「社会人」であることから解放させ公共施設でありながら家庭にいるがごとく「私」のモードに変換しないと精神的ストレスから開放されないという日本人的特質持っているからである。
 これは今までにも何度か触れてきたように日本人が明治以前に240年の長きに亘って「個」の価値観を認めず、「家」とか「主家」もしくは「藩」という「公」に存在意義を委ねさせられてきた所産と考えている。明治以降の国家戦争においても日本の政治家は、国民の従順さや"政(まつりごと)はお上のよろしきように”という操作のしやすさにつけ込み無謀(こっちにいると実感)とも思える戦争を国を挙げて叩き込んだ。

 本稿の趣旨からは外れているので元に戻します。

 文体も堅苦しいし。

 てなわけで日本人てのは「公」ってのにすごく弱いんですね。会社ぐるみで不正をしたり、昨今じゃ県ぐるみで、もしくは日本中の学校が不正をしたりするのは「個」が「個」としてちゃんとしてないからなんですね。
 自分を包んでいる「公」が内向きの公共性で守りに入っちゃった結果の「不正」でしょ。
 「内向きの公共性」ってのは書いていてわかりにくい表現だと思うけど、これも歴史性が絡んでいていると思ってます。
 日本には天皇がいて、でも実際の支配権は摂政関白だったり征夷大将軍だったりしてるでしょ。
 そうすると形式上えらいのは天皇なのに実際は違うってことで、日本は1000年ぐらいやってきてるんですね。
 そうすると直属の実権を有している人に従う習慣ができているんじゃないかっていう気がしてるんですね。
 もしくは直接に対峙する人に弱いっていう言い方もできると思います。クレームって直接には言いにくくありませんか。
 でも電話だと言えちゃう。
 インターネットの掲示板だと自分の醜い部分を最大限に膨らませて攻撃に移ることができますね。
 時間ってのもありますが、ものすごく怒っている人でもクレームつけられる側で舞台設定を大げさにして会っちゃうと“わかってくれればいいんだ”なんて何も解決してないのに帰ってしまうことがありますね。

 そういうのを「内向きの公共性」って呼んでみました。

 だから直接会わない消費者よりも直接怒られる取引会社の営業の無理を聞いてしまう。談合もそうですよね。
 
 悪いことであるのは分かっているんですね。

 でもうまく行かせるにはしょうがない。

 でも「うまく」ってのは直接顔をあわせる範囲でしかない。
 
 こいつは苦しいと思いますよ。

 だって今の日本人ってのは戦後教育の育んだ正義ってのがありますからね。戦争はしてはいけない。世界の恒久的な平和を目指そう。国連に従うなんてね。「誰々のために」てのは使えないから、そうするしかない。
 でも心理的姿勢は顔の見える範囲での正義でしかない。

 こういう自己矛盾を抱えながら日本人は社会人をしてるって考えると、ストレスも当たり前だと思うのです。

 
 繰り返して申し訳ないが僕は今アメリカにいます。もちろん日本式で仕事をしてるわけですからストレスはありますよ。
 でも非常に単純化されたストレスですから結構楽だったりします。

 もう少し書きたいのですが今日はこの辺で。
 

亜米利加ナ日々

2006年12月12日 02時51分27秒 | 文化論


 お仕事は後半戦に突入しました。疲れというか寝不足が重なって、朝聞いた話を午後に覚えていられなくなりました。
 お仕事自体はとってもスムーズに流れているんですけど、なにせ自宅に帰ってオフという時間がまったくないので蓄積した疲労が僕から人間的な表情を奪い取っていきます。
 周りから“疲れてるねえ”とか“蝋人形のような顔になっている”とか言われます。
 アメリカは自由で豊かで大雑把でいい加減な国だけど、とっても責任感が強い国だから僕みたいな人間でも居場所がある。
 
 考えてみれば、これだけいろんな国の人がいて、どうしてみんな「U,S,A!」なんて国民意識をもてるんだろうって疑問だったんですね。
 司馬遼太郎さんが、アメリカは合衆国憲法に従う気になるかならないかが、アメリカ人であることの証明なんだと言っていた。
 とても僕なんかには持てない意識だなと思っていたけれど、実際に来てみると僕でも参加できそうな感じがしてくるから不思議だ。

 困っている人がいたら助ける。エレベーターで一緒になったら声をかける。ショップの店員さんに声をかけられても無視せずに何かしらの返事をする。
 憲法じゃないけど、そうすることで相手が敵じゃないこと、合衆国国民であることをお互いに確認しあって生活をしている。


 シーポートビレッジというところでソフトクリーム食べていたら、遠くのほうから「エクスキューズミー!」と声をかけてきたおじさんがいて、何かとても早口で話しかけてきた。とても大きなおじさんで、僕は何のことかわからずにやっと「あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ!」とやろうとしたら、奥さんがツカツカと近づいてきて、whrere、aicecreamと言ってくれたので、僕はやっと意味がわかってアイスクリームショップの方向を指差してあげた。彼らは「サンキュウ!」といってそっちのほうに曲がっていったんだ。

 僕が食べていたソフトクリームがおいしそうだったとして、僕が逆の場面だったら僕は明らかに外人さんである人に声を掛けるのだろうかと思い、なおかつそいつが言葉のつたないやつだったにもかかわらず、関わった人間である以上最後まで付き合っちゃうよ的ナニュアンスを感じたんですね。
 だからこれがまあアメリカなんだと思ったりするわけですね。

「アメリカ」ってつけると

2006年12月08日 02時11分28秒 | 妄想
 何でなのか知らないけど、急にトラックバックが8つもついてしまった。ある言葉でブログ検索かけて、引っかかった語句にTBつけてるのか知らないけど急な展開だなあと思います。
 そうすると「アメリカ」がよくなかったのかな。ニューヨークとかロサンジェルスとか、シカゴとかビバリーヒルズとかもよくないのかな?
 それともアメリカから送っていること自体に問題があるとしたらかなりやばい状態なのかもしれない。この手の発信地ってアメリカが多そうな気がしますしね。

乾燥大陸アメリカ

2006年12月07日 03時52分54秒 | 紀行

 アメリカはとにかく乾燥している。飛行機の席が窓際だったので、ロスアンゼルス空港に着陸する少し前から陸地の上を飛んでいた。これがアメリカなんだとえらく感動した。とにかく放っておくしかないような圧倒的な乾燥大陸なのが西海岸なのだと思った。草木のまったく生えない。もしくは土ぼこりまるけの潅木が生えるだけの山。日本の国土の25倍もありながら人口は日本の3倍もない。
 土地に価値を見出す日本的感覚は生まれないんだろうなと思う。少なくとも山林地主みたいなものはありえないとしか言いようがない。
 山襞を縫うようにして水のない川が流れている。そういったところに思い出したように町や農地が見える。
 この国では土地が農地であるかなしは大きな問題なのだろうと思う。戦争映画で、老兵や戦争に倦んだ兵士が、「この戦争が終わったら農業をやろうと思う。カルフォルニヤに畑が50エーカーほどあるんだ。」などいうせりふを聞くことがある、そういう兵士は退役直前で死んでしまうのが映画のの中のドラマだったりするんだけど。
 土地があるだけじゃ意味がなくて、そこにちゃんと灌漑施設があって恒常的に水が確保できて初めて土地としての価値が生まれるんだという感覚は僕ら日本人にはなかなか捉えにくい感覚なのではないかと思う。
 サンディエゴ郊外のオーシャンサイドというヨットハーバーに行ったときに僕はホテルの少なさを疑問に思い聞いたところ、現地コーディネーターがいうのは、「この辺りは、このての海岸が果てしなく続くので、どこをを拠点にしたらいいのかわからないんだろうと思います。」とのことでした。

 恐れ入りました。