「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

小学校の卒業式 演出と誠実の境界線について考える

2006年03月18日 15時13分55秒 | 人々
 今日は小学校の卒業式でした。僕は昨日同様、大勢の来賓の一人として参列しました。
 場所は体育館じゃなくて音楽室です。いわゆるアスベストの問題で体育館は使用不能の状態です。しかも半年以上経つのに一向に目途がたたないようなので可哀相です。ただこの小学校は全校児童が160人しかいないので体育館ですると椅子と椅子の間隔がむやみに大きくなるそうで、しかも声も響きにくいのですが、今日は歌に迫力がありました。ミュージシャンでいえば武道館コンサートの良さでなく、ライブハウスの臨場感であるようで、160人が一斉に校歌を思いっきり歌う場面では声の迫力で涙が出そうになりました。

 卒業生は30名ぐらいでしたが、みんないい顔をしてました。学年に一クラスしかない場合、一人一人のキャラクターがそのクラスの雰囲気に大きく左右するとおもいますし、しかも6年間ほとんど移動がないので、なかば固定化した環境で育つわけですから学年色というものが色濃く出ます。
 そういう意味では良い学年だそうですよ。

 卒業生による「卒業の言葉」ってのが圧巻でしたね。卒業生がみんなで壇上に上り、入学時から今までの色々な経験を述べてゆくですね。それを一人一人のセリフで繋いで行くんですね。途中で1~3年生の歌が入ったり、4,5年生の歌がはいったりするんですが、余程練習したんでしょうと思われます。途中で男の子が自分のセリフの場面で感極まって泣きながら言うんですね。そうするともうダメで、保護者も生徒も校長も来賓も涙ぐんでしまうんですね。中でも運動をやっていた女の子が苦しかったときお母さんが励ましてくれたことを涙ながらにいったときなんか僕まで泣きましたから、歳くって涙腺が弱くなったというよりも、それだけの想いを経験したからという方が正確だと思うのですがどうでしょう。
 で、式が一通り終わると今度は保護者が謝辞を言うんですが、驚いたのはこれも保護者が一人一人のセリフで繋いでいくんですな。後で娘に聞いたんですがこれは今年初めてのことらしく去年は一人で喋ってたよ、とのことです。
 でーもいかがなモンでしょう。僕は危うくこぼれそうな涙がしっかり乾きました。
 もちろん感動してた父兄もいらっしゃいましたが、子どもたちと違って、保護者の声の温度差が気になりました。
 自分の娘のときもそんな風にするのかなと心配してしまいました。

 昨日は中学校で今日は小学校でしょ。甲乙を付けるべきものじゃありませんが、その場所なりの卒業式があるんだなという感想は持ちました。
 儀式として、一種の通過儀礼ですよね卒業式って、心の込め方ってのも色々あるかと思いますが、ただその場にいるという心の込め方しかできなかった僕がいうべきじゃありませんが、演出における過剰とサプライズの境界線はかなり人によって違うのだろうなと感じました。現在の小学校教育の丁寧さと手間のかけ方は僕らの小学校時代とは全くレベルが違うのは明らかで、それなりのノウハウと実績をふまえてのことなのでしょうが、何らかのラインを越えてしまうとあざとくなってしまうのは恐いことです。

卒業式の後、何処へいきましたか?  開放感について考える

2006年03月18日 00時33分54秒 | 人々
卒業
尾崎豊, 西本明
ソニーミュージックエンタテインメント

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 こおおの支配からのお!  そつぎょお

 

 中学校の卒業式に来賓で行きました。といっても、ただ座っているいるだけの存在で、紹介も「~の皆さんです。」で終わるから楽でいいけどね。でも座ってるだけで疲れました。良い式でしたけどね、卒業生達は途中から感極まって泣いてたし、ご父兄も涙を拭う姿が見られたし、豊富なプログラムで2時間ぴったりで終わりました。
 で、11頃には終わったので、来賓はそそくさと帰りました。午後は自分の時間です。ホントは今日、僕はリフレッシュしなくてはいけないらしい。職場から45歳になったので今年度中に3日連続で休みを取れといわれていて、全然実行したなかったのです。だって忙しくて休めたものじゃありませんでしたもの。
 で、いよいよ期限が迫ってきたし、案内状はもらってしまうし、しょうがないなあと休んだのです。
 午後は車で出かけました。

 すると、近所のファミレスの前に先ほどの中学生の姿がありました。入り口付近にあつまっているのですが、みんな学生服のボタンをはずし、シャツをズボンから全部出していました。毛糸の帽子の子もいたなあ。

 まあ、さっきの厳粛な感じの卒業式の後でしたので、いかがなものかと思いましたが、彼等にすれば、もう卒業しちゃったモンねえ~とでも言っちゃう場面でしょうか。問題の本質はそこではないのですが、この稿の主旨ではありませんのでやめときます。

 で、じゃあなんだ?というと、彼等は3年間の拘束から解放された午後を楽しんでいるわけで、その開放感の持って行き場がファミレスだとすると、まだ随分可愛いものだなと思わざるを得ないのですね。

 そういうおまえは中学校卒業したときに何処で何してたんだと言われると甚だ定かではありません。

 たぶん何処にも寄らずに帰ってきたと思いますよ。ファミレスはもちろんカラオケボックスもゲーセンもデパートもなかった時代でしたから、僕らみたいな中途半端な年代層に遊べる場所はありませんでした。
 だから無理して背伸びして大人になるか、少年のままで遊ぶかを迫られました。背伸びした連中は不良と呼ばれ、ギターを持ち、喫茶店に入り、パチンコ屋に出入りし、たばこを吸っていました。
 そうでない子は勉強してましたね。
 もしくは部活に命をかけてるか、どっちかだったような気がします。

 だから何処に行ったか正直なところ覚えてないのです。

 皆さんは何処に行ったのでしょうか?

じゃなくて、この種の開放感って疎外感と結びついてそうな気がしてしょうがないんですけど、どうもよく分からないんです。

 どこにも所属していないっていう自覚を持つことって、僕からすれば結構あり得ないことなんだけどね、世間にはそうでない人も沢山いるのかなと思ってしまうわけです。
 だから開放感を味わえる人って、かなり精神的に強いんじゃないかと思ったりするのです。

 え?

おまえが弱すぎる?

 実にその通りだと思いますよ。

でも僕は折れませんから!風が止めば必ず戻ります、肝っ玉は小さいけどガシガシ鍛えているからその辺の肝っ玉と訳が違うのさ。

 う~ん、まとまらない。