「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

花に嵐のたとえはあれど

2006年03月29日 13時08分21秒 | 日記
今日当たりはどこも一斉に桜が満開に近づこうとする時期かなとおもうのだけれど、この風の強さと寒さにはかないそうもなく、屋内で縮こまっているわけですが、少し勇気を出して外を走ったりすると、日頃は意識してなかった場所で桜が出迎えてくれたりするので、思わず顔がほころんでしまいます。

 上の写真もそういった場所の一つで、高くもない山を一つ越えた隣町にあるお寺なのです。日頃から良い感じの寺院と思ってはいたのですが、桜が加わると一段とあでやかで、名所といわれる人だかりの多い場所に行かなくても、結構近所で楽しめるのだなと思うのです。
 

 僕は僕自身の好みとして桜並木や桜トンネル山丸ごと桜といった、桜の樹下で舞い落ちる桜の花びらを楽しむよりも、風景として人間の作った建造物と桜が寄り添うようにしてお互いを引き立てあっているものに惹かれる傾向にあるようで、特に歴史的建造物と桜のコンビネーションに弱いようです。
 無論、富士山やそのほかの雄大な自然にあわせるのも良いのですが。
 県立川根高等学校は、その校門の両脇を桜で彩っており、この時期春休みで学校がないのが実に惜しいと卒業生であるカミさんはいいます。

 また、いま僕の住む菊川の公園は常葉菊川高校の敷地でもあるのだけれど、市内では桜の名所として誰か彼かがお花見や宴会を催す場所でもあるのです。

 桜は人に色彩感覚豊かな季節感と、過ぎゆく時の虚しさを無意識に感じ取らせてくれます。そして全てが生まれ変わりスタートをきる4月を迎える心構えをさせてくれるようです。