「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

ハルシオン  ある鬱病患者のブログについて考える

2006年03月04日 01時06分25秒 | BLOG論
 このブログを始めた頃に僕はある女性と拘わり持っていました。その女性はリストカット(手首をカッター、ハサミ等で傷つけること)をする女性でした。僕はその人とどうやって付き合って行けばいいのか検討がつかないので、困っていました。それでリストカットについてネットで色々検索していましたが、あんまりヒットしませんでした。
 ここでいうヒットというのは学術的な解説で良いのがなかったと言うのではありません。
 僕が探していたのはリスカをする人、鬱病の症状のある人、そして投薬を受けている人の生な意見や心理告白を虚言でも良いから採取すれば、彼女とのコミュニケーションにおいて何かしらの手がかりになるのではないかと思ったのです。

 そこで、ブログで検索をかけてみると、結構沢山の鬱病状態の人がいることが分かりました。中には自殺願望をプロフィールに掲載しているケースもあります。

ハルシオンは睡眠導入剤です。精神が落ち着かなくて眠れないときに使用しますから色々な特に鬱に使うクスリではありません。でも僕の知っているその人が使っていましたのでハルシオンで検索をかけると結構引っ掛かりました。

 注 瀬川南さんのブログもハルシオンの名が付いていますが、彼女の精神は全くもって健康です。

 基本的にブログの倫理規定は自分のみですから、何を載せても良いわけですが、鬱病患者の中には自分の顔を載せていたりする人がいます。

 僕があしかけ3年間見続けたブログの主もそうでした。血だらけの腕の画像を載せて、「切ってしまった…。」の言葉だけでしたのでかなりショックでした。

 この人これからどうなって行くのだろうと思いましたが、どうすることも出来ずにいました。

 ただ僕にできることは彼女のブログを毎日見て、まだ大丈夫だなと思うことでした。

 例えばコメントをしても僕の頭に浮かぶコメントは全て上っ面で、底が浅く、到底考えをひっくり返す気概はありませんでした。

 だから祈ることにしました。

 何をするわけでもなく、ただ祈るようにブログの更新をする、そういう日々が続きました。

 途中ブログ名がハルシオンから別のものに変えましたがそのまま見続けました。

 そういう彼女のブログに2回だけ僕はコメントしました。

 小学校5年から引きこもりでラグナロクオンとかいうネット上のゲームに夢中になり家族関係も死ぬか殺すかというギリギリの状態でありながら、彼女はホラバイトにチャレンジしました。
 ホラバイトは北海道とかの牧場に住み込みで働く方式のもので、高い給料を求めるものでなく、どちらかというと都会の人間の渦から離れるためにするタイプのバイトのようです。

 そしてそのホラバイト先からの更新で労働のつらさや、コミュニケートの難しさにくじけそうになったとき「ここが正念場だよ」とコメントしました。

 結局、その時は立ち直ったものの、その後彼女は1週間ほどで夜逃げ同様に自宅に帰ってしまいました。

 そして繰り返される自分を傷つける日々がありました。出口の見えない彼女はしかし自殺願望はないのが幸いでした。

 リストカットをする女性は余程の衝動がない限り自殺はしないと聞いていたので。その点は妙に安心していました。

 2回目のコメントは昨年の12月の22日です。
 その前日に好きになってはいけない人を好きになったかもしれないとの記事がありました。
 そしてその当日、彼に告白したようです。そしてその人も彼女が好きだとつげたようです。

 僕はカウンセラーではありませんが、彼女が立ち直るのに必要なのは彼女を愛してあげられる男性の存在だと思っていました。
 それは僕の現実で悩む女性を支えていたのも彼女が好意を持つ異性だったからです。(僕ではありません)

 だから「よかったね」という意味のコメントを載せました。

 彼女のブログはそれきり更新されませんでした。そして先日そのブログ自体がきえました。
 僕のコメントがブログ上に掲載されることはありませんでした。

 以前彼女に対し、実に正統な論理で彼女を立ち直らせようとした人がいました。彼女はそれに耐えきれず、それ以後コメントを選んで掲載するようになりました。
 
 そしてここからは僕の問題です。彼女のブログが何故閉鎖されたのか、その理由を僕は確かめようがありません。
 想像するだけです。

 どう想像するかは僕の心に突きつけられた鏡のように日々変わります。
 そしてそれは永久に終わることがないのだと思います。

 ブログは人々に後悔する日記です。日記は自分の意志で始め自分の意志で終わることができます。

 ただし、読まれる人が0でない限り、それが例えコメントすらしない、沈黙の読者であっても、検索語句でたまたま引っ掛かった人でも、一度は繋がった人間であることに違いはないかと思います。

 一期一会、この言葉は世間で常套句のように使用されていますが、ブログに於いても大切にしなければいけない精神であることを思い知らされました。