AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

古代中国人の脳と頭蓋の認識

2010-07-12 | 古典概念の現代的解釈
1.胴体は蒸籠、頭蓋は鼎
  古代中国医学において、胴体は三焦という名の蒸籠(せいろ)のような生命機械にたとえられることはすでに指摘した。今回は、頭蓋が鼎(かなえ)にたとえられることを説明する。

 鼎とは、古代中国の調理器具である。円筒形の容器の下に三本足のあるのが特徴で、この空間に火を入れ、肉を炒める時などに使われた。これを頭蓋にたとえれば、三本足とは、左右の胸鎖乳突筋と頸椎になる。正面からみると、顔のようで、取っ手は耳のように見える。「鼎の軽重をはかる」とのことわざがある。これは、相手の人物の器の大小を窺うといった意味で、鼎はしばしば擬人化され、権力や器量の象徴でもあった。



2.頭部における気と血の循環モデル
 頭蓋が胴体の上にあるように、蒸籠の上に鼎は据え付けられた。蒸籠上部の蒸気穴から出る熱い水蒸気が、鼎を底から温め、脳髄に気を供給する。

 脾が生成した血は、身体の血管中を循環するが、血管の一部は頭蓋に入り、脳髄に血を供給する。





3.脳髄の認識
1)運動機能の中枢
  「脳は髄の海」という言葉があるこれは、脳は髄の集合体といった意味である。骨髄と脳髄は、ともに骨に囲まれた中にあるという共通性がある。脊髄と骨髄の区別は考えな及ばなかった。したがって脳髄という場合、脳と脊髄の両方をさす。古人は、て腕や脚に力を入れると震えるという生理現象や、末梢神経麻痺の病態から、筋を動かす力は髄にあると推定したらしい。その髄が集まる脳は、脳卒中の半身不随やテンカン発作から類推して、運動機能の中枢と捉えたらしい。

※感情の起伏と心拍数は比例することから、精神作用は「心」の反応である。これを「心は神をつかさどる」と称した。神とは、情緒・感情などの精神作用をさす。意識・判断・思考なども心の作用と捉えるのが普通だが、そうであれば肝の作用と区別しにくくなるので、筆者はこの説を支持しない。情緒・感情とは現代生理学では、大脳辺縁系の作用(とくに大脳基底核の作用)とされている。筆者は肝は大脳新皮質の作用と考えている。他に心には、「心は血脈をつかさどる」とされ、これは現代医学と同じく、血液ポンプ作用とみなされる。

2)清竅のエネルギー源
 身体上部にある穴(耳・目・鼻・口)を、清竅という。脳髄から、これらの感覚器のは、細いパイプが通っていて、感覚器の生理機能を保持するためのエネルギー源として認識されてたらしい。テンカン発作の際、口から泡を吹いたり、脳疾患で盲や聾唖になるは、古代では清竅が塞がった結果だとされていた。

3)上述した1)と2)を総合すると、知覚(眼・耳・鼻・口)などの感覚神経→大脳→運動神経という伝導路をさす。  

4.頭痛の主な病態(東洋療法学校協会教科書「東洋医学臨床論」の分類に準拠した)
1)肝陽上亢
 蒸籠上部の蒸気穴から、乾いた熱い空気が出過ぎ、脳髄を襲う。
2)腎陽虚
 腎虚には、腎陰虚(腎水不足)と腎陽虚(火力低下により腎水が温まらない)の区別がある。腎陽虚では、水蒸気の発生量が減少し、
鼎に行く水蒸気量も減少するので、脳髄に気が十分至らない。
3)痰濁
 蒸籠や鼎の清掃不良で、垢や埃が内部に付着し、水蒸気の生成を妨げている。痰濁が清竅を塞げば、脳卒中発作になる。
4)オケツ
 頭部外傷などで、脳髄に入るべき血量が減少する。
5)気血両虚
 鼎に入る、蒸気量と血液量の両方の不足。
 気虚:清陽が頭に上がらない(≒低血圧)
 血虚:頭部を栄養できない(≒貧血)
 要するに、食べないので気力がでない。食べる気力もない。