東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

新年度生徒募集の状況が変わってきています

2015-04-29 10:39:31 | そろばんに関する中身
 新年度のスタートにあたり、新入生に全然訪ねていただけないというブログを書きました。1~3月は瓢箪山教場開設以来一番少ない新入生でした。石切教場は、逆に定員になりました。

 が、4月後半の2週間でお問い合わせを9件、体験予約を7件いただき、内3件はすでに体験をしていただきご入学いただきました。というわけで、急ではありますが、4年生以上は4月末日を持って締め切りとなってしまいました。また、3年生につきましても、残席が2という状況です。

 さらに1年生および小学校未就学児のクラスは5名前後(最大6名まで)としておりますので、こちらも、現在体験予約をいただいている方がご入学いただきますと、残り1名程度となってしまいます。

 4月当初はいつでもご入学を承りますという状況でしたが、ほんの2週間で状況が激変してしまいました。まだまだ余裕があるとゆっくり入学をご検討いただいている方には、お早めのお問い合わせをお勧めいたします。

 5月1日現在の瓢箪山教場の募集人数です

 月・水・金コース:1年生以下は5名程度(内4名は体験予約を承っています)、2年生3名程度、3年生若干名
  火・木コース :2年生3名程度、3年生若干名

 現在石切教場は3名の方にご入学をお待ちいただいております。「目の届く指導」を心掛けておりますので、席数そのものに余裕がありましても、入学をお待ちいただく場合があります。

 というわけで、特に3年生はもう間もなく定員となりますので、特にご検討中の方がおられましたら、お早目のご連絡をお待ちしています。
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頭のいい人には先生になってほしくない

2015-04-19 09:51:30 | 学習・塾に関する中身
 と私は思っています。私が塾講師のバイトを始めたのが今から17年前。その時は1クラス6名までの少人数指導をウリにしていた学習塾にお世話になりました。隣の教室で淡々と授業をする先輩講師がいました。京大に在学中のその先輩講師は、よく言えば「効率よく」悪く言えば「ドライに」指導されていました。そのときに聞こえてきたのが「こんなことも分からんの」という言葉でした。
 私だって、教育大学で修士免許を取り、1年とはいえ学校現場で教えた経験のある教師のはしくれでした。心の中では「それは言っちゃあいかんやろ!」と思いながらも、直接は口に出さずにもやもやした気持ちになりました。

 私が教師を目指すにあたって、大恩人に4人出会いました。まず、そろばんの師匠です。今も現役で指導されています。この先生に出会っていなければ、今の私はありません。
 次に中学2年生の担任の先生です。いじめにあって心折れそうなわたしを救ってくれました。毎日声をかけ、お話を聞いてくれて…。今は某高校の校長先生をされています。
 最後に大学の指導教官です。この先生には「文を論理的に書くこと」を徹底的に仕込まれました。

 そして、この3人の先生以外にも、人生の節目節目にたくさんの恩師に出会いました。そして私が「恩師」と感じる先生は皆、勉強以外の部分をとても大事にした方々でした。ただ「学ばせる」だけではなく、その裏にあることを見越した指導をされ、そして「学びたくなる」ように持って行ってくださったように思います。
 「わからない」ときは「わかるまで教える」のではなく「分かるまで学びたいと思わせ」たり、「この先生に聞けば分かるまで教えてくれるだろうと思わせ」たりしてくださった気がします。

 さて、大恩人の4人目は高校時代数学を教えていただいた先生です。今までで一番印象に残っている授業が、式の展開の授業で「先生なんで3行目の式から4行目の式になるのかが分かりません」と聞いたところ、5秒ほど考えた後で、「なるほど!」と大きな声でひとり呟いた後、すべての式を一度消して、式の展開を書き直しました。「森本、これで分かるか?」。「はい、わかりました」。普通のやりとりですが、この後の一言が私を決定的に教師へと向かわせました。
 「いままで、この公式の正解率が良くないと思ってたんや。なんでわからないのかが、今の質問のおかげでわかった。ありがとう!」。教育実習で自分の母校に帰ったとき、数学の先生はまだその高校におられたので、上記の授業を覚えているかお聞きしました。その返事は「覚えてるよ。っていうか、森本君のおかげで、授業がやりやすくなったんや。どう説明したらみんな分かるかなとずっとおもってたんやけど、数学の先生からしたら当たり前のことでも、生徒にとっては当たり前ではないということ。このことにもう一度気づかせてもらったんや。森本君も教師になるなら『なんでこんなんわからんねん』と生徒に対して思ったらいかんぞ。『どう説明したら分かるやろ?』と思うことを忘れたらいかんぞ」というものでした。

 この大恩人であり、大恩師でもある数学の先生の言葉が浮かんできたんですね。塾講師の時に。自分の目の前の生徒には、途中の式をきちんと書いたり、手元や顔をみながら不安そうな顔をしているときは、もう一度説明しなおしたりしていました。
 そして、その後、隣の講師の授業を受けていた女生徒からこんな依頼が塾に来たそうです。「森本先生、隣で授業している女子生徒が、あなたに個別授業をしてほしいと依頼があったんやけど、受けてもらえますか?」と。私は「とりあえずお会いしてお話聞きます」とお返事しました。
 さて数日後、面談した結果女子生徒の希望がわかりました。「いつも隣の教室からは笑い声が聞こえる」「質問がすごくしやすそう」「隣の後輩が、勉強が面白くなってきたと言っている」「私は布施高校に行きたいけど、今の成績では絶対に届かない」
 その当時私が受け持っていたのは中2、その女子生徒は中3しかも10月頃のことでした。特に数学がひどく、夏休みの模擬試験の偏差値は41.これは厳しいと思いましたが、親御さんにも正直に伝えました。
「勉強を苦痛に感じないように教えるのは希望の進路を考えると厳しい。しかし、勉強を苦行にしないで指導する自信はある。そして頑張ってついてきてもらっても、布施高校の受験レベルに届くように指導する自信はないが、いまよりも成績を上げる自信は間違いなくある」と。
 その女子生徒は私の目を見て「お願いします」と言いました。それからは根競べです。中1の中身まで戻って徹底的にやり直しました。宿題の量も半端ではありませんでしたが、彼女は黙々とこなしました。冬休みは毎日10時間以上勉強してくれたんです。
 おかげで、学年末試験は5教科で400点オーバー(私に変わる直前の定期考査は確か300点なかったと思います)。そして冬休みの模擬試験の数学の偏差値は51まであがりました。
 内申が若干不足していましたが、彼女は布施高校を受けました。頑なに曲げないので「なぜ?」と聞くと「大好きな先輩がいるから!」なるほど!。恋の力はすごいですね。結果はみごとに合格!。合格報告に気てくれたときは一緒に泣きました。

 さらに5月頃、教室を訪ねてきてくれたときには、横に男子生徒がいます。「告白してOKもらいました!」。ですと。そして少しお話したんですが、「先生に授業してもらってよかったと思います。今でもわからないままにすることは気持ち悪いです。わかるまで教えてもらったり、質問したりすることは悪いことではないとわかって良かったと思います。」

 私がそろばんでも塾指導でも、いつも心においていること。それは「そんなこともわからんのか!と言った時は先生を辞める時」ということです。頭のよすぎる人にはこの気持ちわからないと思います。だからこそ、そこそこ頭が悪くて、人生のどこかで一念発起して勉強した人。こういう人にこそ教師になってほしいと思います。
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勉強ってなんのため?

2015-04-18 10:12:38 | 学習・塾に関する中身
 先日、中学3年生の数学の授業で「式の展開」を教えていた時のことです。この単元はただ展開できればいいのではありません。「2乗」と「2倍」の違いをきちんと混同しないように、徹底的に理解することが必要です。因数分解・弐次方程式・三平方の定理とまさに中学数学の花形単元へとつながっていく本当に大事な単元です。
 だから私は「ただ展開できる」だけではだめだと思って指導しています。にもかかわらず「そんなん公式覚えんでも、展開出来たらええんちゃうの?」という疑問が生徒側から出ました。この疑問に対する私の演説(笑)はこうです。(長いですよ)

 「そうだね。もちろん、あなたたちの将来選ぶ進路によっては、今やっていることは全く必要ないでしょうね。例えば、お寿司屋さんは電磁石の仕組みを知らなくてもできるし、プロスポーツ選手が因数分解を知らなきゃいけないとは思いません。ではなぜ今勉強しているのか?。それは『あなたたちが、何が得意で何が苦手かを知るために』なんですよ。やる前から『嫌い・できそうにない』と取り組まないのでは、本当にできないのかはわかりません。
 目の前に与えられたことを一つずつこなしなさい。そして本当にいくら頑張ってもできないのか、自分で勝手にそう思い込んでいただけかをきちんと自分で取り組んでから判断しなさい。そうして自分自身の能力や限界を把握していくんです。自分に向いた道を自分で切り開いていくんです。大人の敷いたレールを走ることは楽かもしれないけれど、自分自身に気づいたときに必ず後悔すると思うよ。
 もしかしたら、今頑張っていることが、将来のあなたたちには直接必要ないかもしれない。でも今しているお勉強は『既知の知識を組み合わせて、未知の事柄の解決方法を模索する』という、社会に出たときに必要とされることを、勉強を通して練習しているともいえるんです。だから、直接的に必要ではない場合もあるかもしれないけれど、この勉強を通して練習をした経験は、必ず社会人になった時に大なり小なり必要ななるはずだし、今の頑張りが無駄になることはないと断言できます。
 そして、お勉強の結果進んだ高校・大学である程度人間が判断されるのは『少なくともその高校・大学に進むために必要な努力をした』ということが卒業した高校・大学によって証明されるから』です。ただし、進学後何もしなければ『その高校・大学に進んだなら、これくらいはできるだろうと社会が求めること』ができないわけですから、化けの皮がはがれます。今頑張る勉強は、将来自分が必要とする知識や技術を得るために進む道を選び、その道であらなる努力を積み重ねるために必要な知識や経験を得るために必要な基礎力をつけるためにしているんです。先は長いよ。こんなくらいでへこたれてたらあかんぞ!。分からんかったらわかるまで教えるから、分かるまで喰らいついてこい!」

 って感じでお話しました。そして「こういうお話って、学校の先生がテスト明けの授業とかでしない?。先生が中学生の時はこんなお話してくれた先生が何人かいたよ」と聞いてみたところ
 「こんなお話すんの先生ぐらいやで」と返ってきました。

 え~と、ウザいと思われてもこの話、これからの生徒にもし続けねばならないようです。頑張ります。
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学ぶこと

2015-04-15 08:42:11 | 学習・塾に関する中身
 学ぶということはどういうことでしょうか? 勉強ができるようになることはもちろんそうですが、そろばんをはじめとした習い事が上達すること、スポーツの技術があがること、他人との接し方、料理の腕前…。すべて学ぶということは「目標とする人(師匠・名人)の腕前・技術をすごいと思い、そのレベルに少しでも近づこうとすること」と言い換えることができると思うのです。

 「学ぶ」と言う言葉の語源は、諸説ありますが「真似ぶ(まねぶ)」だとする考えがあります。先人の智慧や技術を真似(模倣)し、よりよいものにしていくことであるともいえるでしょう。

 つまり「学ぶ」ためには、学ぶ側に「指導を聞き入れる」姿勢が必要だともいえます。そろばんを考えても、指導法はたくさんあります。そろばん教室の数だけ指導法があるといっても過言ではないと思います。もちろん保護者の皆様が子供の頃に習ったやり方と指導法が違う場合もたくさんあるでしょう。しかしながら、われわれは指導のプロです。1級合格その先の段位取得までを見越しての指導を行っています。
 ご家庭でお子様の理解状況を見ていただくのは構いませんが、指導に口出しすることは、お子様の混乱の原因になりますからされないほうがいいと思います。もし指導法に疑問をお感じになれば、指導者に直接質問されるべきです。少なくとも私どもの教室は、指導の意味をきちんとご説明できます。もし、保護者の皆様が習われたやり方と違いがあっても、その意味をきちんとご説明します。そして私どもの指導法が間違っているとお考えの場合は、残念ですが、保護者の皆様が「正しい」と信じられる教室に「指導者を信じて」預けなおしていただくべきだと思います。


 さらに私どもの教室では、そろばん指導だけにとどまらず、様々な学習チャレンジを行っています。これはすべてそろばん学習を生かし、そろばん学習で培った能力をさらに伸ばしていくための中身になっています。これらについても、その意義と効能はいつでもご説明できます。

 特に現在行っています、4年生対象の「都道府県チャレンジ」は、最初の見た目の壁はとても高いものですが、ほとんどの生徒が紆余曲折がありながらも合格を勝ち取ります。終わってみた後の感想はそのほとんどが「やってみる前は絶対無理と思ったけど、頑張ってやってみたらそうでもなかった」というものです。これをクリアした時に子供たちは小さな自信を身に付けるのです。

 「学ぶ」ということは、指導者の考え方までも身に付けることになります。私どもの指導内容は絶対に子供たちにプラスになるという自負があります。後ずさりする生徒には徹底的に対話します。私どもの想いを精いっぱい伝えます。逃げない・ぶれないことが指導においては一番大事なことです。
 
 こんな厳しい指導をしていれば、子供たちには嫌われる瞬間があります。「辞めたい」と言い出すときもあります。お月謝をいただく。その観点から言えばこんなめんどくさく嫌われるリスクの高いイベントはしない方が楽です。それでも私どもには子供たちに伝えねばいけないことがあります。
 努力をすることが当たり前であること。「泥臭い努力をすること」がかっこ悪いのではなく、「泥臭い努力を恰好悪いと思うこと自体がいちばんかっこ悪いのだ」ということ。だから、「努力をすることが当たり前の感覚になる」こと。
 これが伝わった生徒たちは、今年も高校入試に成功し、大学入試に成功し、就職の報告に来てくれました。私の想いが少なくとも間違いではないことは、自慢の卒業生が証明しています。

 「学ぶ」ことは「指導者を信用する」ことにもつながります。どうか、指導内容を疑問に感じたときはご連絡ください。きちんとご説明いたします。「そんなに嫌やったら辞めたらええよ」とは、絶対にお子様には言わないでください。しんどいことを学ぶことに、学ぶことの真意があるのですから。
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実績もまた大切ですね

2015-04-14 09:38:04 | 日記
 昨日、そろばん学習者の進学先を、今春報告者分を追加して再掲載したところ、ブログ閲覧数が約3倍になりました。

 やはりみなさんは実績も気にされているんだということがよくわかりました。普段こちらでえらそうなことを書いています。それを言うだけの指導はできているのか?。ということですね。

 改めて私の考え方は、勉強だけ・そろばんだけができても仕方がないということです。だから、学歴至上主義の方とは残念ながら指導方針は合わないと思います。「○年生までに○級に合格させたいんですけど」というお問い合わせには、「そのご希望を受け入れていただけるお教室を探してください」とお答えさせていただいています。

 いままでの生徒の中には、2年生で3級、3年生で2級、4年生で1級を取得した生徒がそれぞれ複数います。私どもの教室は、そろばんのみならず、パソコンを用いた計算訓練・筆算式計算の指導、週3日コースでは漢字の読み書き指導もレギュラーメニューとして指導しています。先の生徒も、このカリキュラムを普通にこなしたうえでの各級取得です。

 子供たちは十人十色、百人百色といえます。個性の塊です。その個性をできる限り把握し、一人一人の個に応じた指導を心掛けること。これを一番大事に指導しています。中学以降もお付き合いが続けば、夢や希望を聞き出して、その道に少しでも近づく方法を一緒に考えます。

 足が遅いことや、絵が下手、音痴と同じように、どうしても勉強が下手な子供もいます。でもそこで「この子は勉強でけへんから」と投げ出すのではなく、「この子に一番向いた将来は何か?」と考え共に歩むことが、私の考える一番大事な指導です。でもどんな仕事に就くにしても「読み・書き・そろばん」、これができないことには話になりません。だから、物事の根幹にかかわるこの基礎基本の部分だけは絶対に妥協しません。

 ここまでの指導にきちんとついてきてくれた生徒たちは、きちんと自分の進路に向き合い、結果を出してくれています。その結果が「そろばん学習者の進学先」です。私が塾指導した生徒の高校入試結果はすべて記載しています。お預かり当初は5教科合計で100点前後の生徒もいましたし、最初から400点オーバーもいました。それでも全員に目の届く人数しかお預かりしませんので、それぞれの個に応じた指導を心掛けました。その結果を示しています。全員が自慢の教え子です。

 5年先・10年先・さらにその先を見据えてそろばんを教えています。懇談もしています。学歴至上主義は嫌なんですが、それを言うためには「一定の結果をだしていること」が必要なこともわかっています。
 ここにあげた結果ではえらそうに言うな!、とお考えの方とは、一生分かり合えそうにありません。私は子供たちが自分の将来をしっかりと見据えるためのサポートを、そろばんとお勉強の指導を通して粛々と続けるだけです。

 だから進学先の公表は「これだけの指導ができる」と言う意味ではなくて「こういう進路に進みたいと思った生徒と、生徒のために共に歩むことができる」という意味を込めています。
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