東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

さて、実行します

2018-05-30 10:34:14 | 日記
 え~と、詳しく書くことはできませんが、まあ直前にいろいろとありまして…。

 もうね、やりたいことができなくなるんじゃないか? という寸前まで追い込まれましたが、本日無事に解決しました。

 というわけでね、決意の中身ですがね。それは

 瓢箪山の教室を増設して、学習塾専用のスペースを作る! というものですね。


 今まではあくまで「そろばん指導のおまけ」というスタンスでいたのですが、大阪府公立高校入試ルールの度重なる変更。公立の学校での著しい指導力の低下(これについては思うところが多々ありますので、また書きたいと思います。ただし、学校の現場には私なんか足元にも及ばなくらい努力されている先生方もまたたくさんおられます。ただ、生徒たちの害悪にしかならない教師もまた相当数いますから、難しいんですよね)。子供たちが育っていく環境の変化(スマホやタブレットに始まるインターネット環境。ゲーム機器の発達などですね)。などなど…

 「あくまでそろばんのおまけ」というスタンスを貫くには少々世界が変化しすぎています。私の教え子たちが「社会の変化に取り残される」という自体は避けねばなりません。だからこその決意と言うわけです。

 え~と、結構な投資です。経営的にいえば回収に10年以上かかる投資を齢40中盤の(!)私が行うのはリスクしかありません。それでも学習指導については外部の生徒は原則的には募集しません。あくまで「そろばんを頑張った教え子たちのさらなる頑張りに応える」ための増設であり、改革であるわけです。

 今までの学習環境でも、教え子たちはきちんと結果を出してきました。教え子たちの頑張りは私の自慢であり誇りなんですが、どうしても「もっともっと頑張れる環境を提供していれば…」という忸怩たる気持ちがあったんですね。そして今まではそれを自分自身の闘志で補ってきました。
 でもね、歳を重ねるにつれ本当になんといいますか、踏ん張りが聞かなくなる瞬間があるわけですよ。そんな自分自身の衰えた部分を、今回の決意で補おうという考えです。
 だから、「進化」ですよね。というわけで、夏休み前にはなんとか形になって始動できるように進めています。卒業生で現在高校生の皆さんも、何かあれば対応することがしやすくなりました。
 さあ、現在中学生の皆さんは夏休み意向、頑張れる環境を整えますから、今以上に時間を上手に使って、少しでもできることを増やしてくださいね。先生も君たちの頑張りにもっともっと応えていきますからね!
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小さい頃からお子様をお預かりするということ

2018-05-27 00:54:47 | 日記
 は、半端な責任ではないですね。

 姿勢を正しくお勉強をすること。ごあいさつ。物事との向き合い方。うそでごまかすことを良しとするのかしないのか。自分のお名前を丁寧に書くこと。努力を厭わない取り組みができるか。人のお話をきちんと聞けるか…。

 幼少期~小学校低学年のお子さまをお預かりするということは、本当に大きな責任が伴います。にも関わらずそうしたことを全く理解しない、子供たちにとって害悪にしかならに指導者には本当に腹が立ちます。

 スポーツの指導者で、練習前や競技前にグランドや施設に挨拶をさせないとか、試合に勝てば自分の指導のおかげで負ければ子供たちのせいにするとか、練習予定が前の週(下手すると前日)にしか決まらないとか…。
 挨拶や礼儀は身に付かないし、計画的に物事を考えることはできなくなるし。もう本当に害悪でしかないですよね。


 そしてもうひとつ腹が立つのは、「取り組みの姿勢ができていなければ、入学を断る」というお子様をお預かりするお教室ですよ。お稽古事や学習塾などですね。それを教えるのが指導者の務めじゃないのか? そう思ってしまいます。子供たちに向き合う気持ちがないのなら、そもそもお教室を開くなよ!と思ってしまうわけですよ。

 もちろん、ある程度の期間指導をしても改善せず、ましてや保護者の方のご協力も得られないとかならわかりますよ。入学の申込時や体験授業時に明確な規定があるのでしたらまだ分かります。入学を検討する前に、検討に値しないかが分かりますからね。


 とにかくお子様をお預かりするお教室が、教えやすい生徒だけを選りすぐって集めてしまうなんていうのは違うと思ってしまうわけですよ。

 私のお教室ですか?そろばんに関してはご入学のご案内に挙げている通りです。そしてブログでは何度か書いていますが、発達障害の傾向を示す生徒のうち、他人を意味無く攻撃してしまう「他傷性」の傾向を持つ場合のみ、ご入学はお断りします。

 さて、縄手北中学の第1回定期考査が昨日で終了しました。塾指導をしている生徒は基本的にそろばん学習でお預かりした生徒限定です。小さい頃からお預かりしていても、やはり学習指導となると完璧に指導できるわけではありません。
 今日も1年生のテスト前の取り組みについてお説教をしました。まだまだ「小学7年生」から脱却できていないと感じています。

 で、その原因の1つとして、学習環境(私の教室の狭さ)もあるのではないかとずっと悩んでいました。今年度の目標として
 ・ そろばんの指導体制の変更(達成しました)
 ・ 塾指導時の学習環境の改善
 がありました。2つ目の目標もなんとか夏までに達成するめどがつきました。「決意」をきちんと形にできそうです。(まあ、そのために貯金を吐き出してしまうわけですけどね。そしてそれだけの投資をしながら、外部の生徒さんをお受けする気は相変わらずないわけですが)

 まあ、地域の指導者の中に「こどもたちの害悪」にしかならない指導者がいるのであれば、私がさらに精進すればいいだけじゃないか! ということにいまさらながら気づいたわけです。

 お預かりしているお子様を、少しでもきちんと伸ばしていくことができるように、まだまだ前を向いて走ります!!!

※ そんなわけで、ここ2週間ほどとても忙しく過ごしております。もう少しこの状況は続きそうで、ブログの更新は滞ると思います。生暖かい目で見てやってくださいね。
※ なんか支離滅裂な文章ですが、これも含めて私の現状と言うことで、このまま投稿することにします。
※ どこかの某塾と同じような状況ですね。
※ 「森本の実力不足」とでも言いましょうか?
※ さらにパクリ感丸出しですが気にしないでください。
※ そんなことで怒る方ではないですから。
※ ところで、日大って大丈夫ですかね?
※ 浜口さん、アッキーナさんご結婚おめでとうございます。
※ 私には予定のかけらもないので誰か助けてください。
※ 愚痴が多すぎるのでこのへんにしておきます。
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網羅的なお勉強

2018-05-20 09:53:35 | 学習・塾に関する中身
 さて、この方針賛否両論が多い考え方です。

 反対派の意見として多いのは「網羅的なお勉強は高校以降で通用しない」というものです。だから、弱点を把握して効率よく得点することを中学生の間に覚えるべきだと。あるいは「効率の悪いお勉強をしている時間がもったいない」なんていうお考えもあるようです。

 賛成派の意見としては「義務教育の学習内容くらいで取捨選択しなきゃいけないことなんてない」というものが多いように思います。


 で、いろんな方のブログやホームページを(勝手に)読んだ結果、どうやら方法論が違うだけで、ゴールは同じなんですよね。

現時点でできていないことをできる状態にするため



 の指導なんですよね。


 さて、ここからは私の私見ですから、「またそろばんの先生ごときが偉そうに」という方はどうぞ読まないでくださいね。効率が悪くてただの時間の無駄ですからね。

 さて、「定期テストの過去問」や「塾が作成する予想(チェック)問題」でできないところをみつけてできるようにすることと、「試験範囲をくまなくお勉強して穴をなくしていくこと」。この二つの最終目的地は同じだと思いませんか? 
 ただ、その過程が全く違うわけです。

 そして、「網羅的なお勉強」に「無駄で非効率だ」というお考えのお持ちの方の意見の多くは「高校以降で課題を指示してくれたり、与えられたことを何度も繰り返して点数を取ったりということは、そのお勉強の量や質を考えると非現実的だ」というものだと感じます。
 でも、効率の良いお勉強のために、こうしたお考えの方も課題を与えているわけですよね? では自分の弱点は高校以降どのようにして見つけるのですか? 中学時代に効率の良いお勉強を通して身に付いている? なるほど。

 網羅的な課題をこなす中で、生徒たちは圧倒的な基礎学力を身につけています。その処理能力は素晴らしく早いものになっていますし、基地の知識を道の知識に組み合わせる訓練もその中で行っています。
 中学生のときにこなした物量が多く、そしてそれがきちんと身に付いている生徒は、やはり高校意向も高い能力を示します。これはアスリートの練習を考えて頂ければお分かりいただけると思います。

 要は通る道のりが違うだけで、子供たちに到達して欲しいゴールは同じだと言うことです。

 圧倒的な課題を否定する方々は、圧倒的な課題を課されて潰れていく(ギブアップする)生徒を多く見てこられたのでしょう。

 効率のよいお勉強を否定される方は、高校以降、その知識の薄っぺらさに太刀打ちできなくなった生徒を多く見てこられたのでしょう(私はこちらのうちの1人です)。

 私としては別にどちらの考え方でもいいように思えてきました。私は効率を追い求めて「大量の過去問」や「予想問題」を使用するお勉強は性に合わないですし、薄っぺらいお勉強だと考えています。そして「網羅的なお勉強(というよりは分からないを分かるに、覚えていないを覚えているに、時間のある限りやりなさいという指示です)」をきちんとこなした(本人の能力に応じてですよ)生徒のその後は、(学力の高低ではなくて)自分の進路を自分に合わせてきちんと切り開いてくれています。

 だから私は「効率的なお勉強」を自分の指導とすることは絶対にありません。でも効率の良いお勉強を指導されても、その生徒がしっかりとした将来をつかめばそれでいいじゃないですか。と思うようになりました。

 保護者の皆様にはぜひとも指導者のお考えをしっかりと把握して頂き、保護者の皆様が大切なお子様を信頼して預けて頂くようにお願いしたいと思います。別に「効率の良いお勉強」でも「圧倒的な課題」でもその生徒に合えば一番ですからね。


 ※ちなみに私の課すお勉強は「圧倒的」というほどの物量ではありません。分からないことを分からないままに、覚えていないことを覚えていないままにしないようにしなさい! という考えが指導の根本にあります(生徒の分からないときのあのなんともいえない悲しい顔を見るのが大嫌いです)。

 
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教員の人材不足

2018-05-19 19:17:59 | 日記
 教員になるためには教員免許が必要です。「教職課程」を設置している4年生大学に通い、教育実習を経験して、教員採用試験に合格して晴れて教師になることができます。

 この教員採用試験ですが、基本的に狭き門です。特に高校教員と幼稚園教員は本当に採用が少なくなっています。で、不合格になると「(非)常勤講師」として勤務する方が大半なのですが、基本的な仕事は正式採用の教員と同じです。その仕事量はものすごく多いので、講師として勤務しながら教員採用試験の勉強をするのはとても難しくなります。したがって新卒で合格できないとなかなか本採用まで進むことが難しいのが現状です。
 すると、給与も上がらずに不安定な身分となってしまい、有能な先生でも「正社員」の口があれば他業種へと流れてしまうわけです。残念ながら、「教員採用試験」に一発で合格する者ほど、頭でっかちな先生である方が多いと(私が大学に通っていて、先輩・同輩・後輩の合格状況を見ての経験です。今から22年前から15年前くらいのお話ですよ。でも現在は教員採用試験の倍率が低下傾向なので、もっと事態は深刻なような気がしています)感じました。

 さて、広島県の中学校で教員が不足していて授業が成立していないというニュースがありました。こんな事例は氷山の一角です。今もどこかの中学校では先生が足りず自習が続いているなんてよくあることです。それはなぜか? ものすごく単純です。「日本という国が教育に予算をかけないから」 これにつきます。

 だから市井の教育機関の中で、志のある者が、死に物狂いで子供たちと向き合うのです。だからこそ、子供たちの前に立ち続けるのです。もし日本から市井の教育機関が立ち退けば、10年とたたずに日本は後進国になってしまうでしょう。

 まずは、教師という仕事が誇れる状態に戻すべきです。最低でも大学院卒が教員になる資格として必要です。そして試用期間は最低3年。その期間に教師に向いていないと判断された場合は容赦なく退場してもらえばいいのです。その代わりに給与は最低でも今の倍は必要です。そして教師という仕事が社会から必要とされ、尊敬されるようにしなければなりません。その代わりに、保護者からのリコール制度のような仕組みを整えるべきです。
 そうすれば、教師が辞めることもなくなっていくでしょうし、問題教師が生徒の前に立ち続けるという現状も大きく改善されるでしょう。いわゆる「プロの教師」だけが教壇に立てる仕組みを作らなければなりません。
 そうすれば、教師という仕事の持つ価値が大きく上昇し、昨今の人材不足に歯止めがかかるでしょう。教育は「国家百年の計」の根幹をなすものです。「教員不足で授業が成立しない」という現状は「火事で消防車がこない」「事故で救急車がこない」という事態と同じレベルの深刻さであるということを、もっとわれわれ大人が認識しなければなりません。

 私たち市井の教育機関の最大の欠点は「指導に対して相応の対価をいただかなければならない」ということです。つまり入り口の時点である程度の対価をお支払いいただけない方には来て頂けないのです。教育はすべてのこどもに均等に与えられなければいけません。教育は現状を逆転するために必要なのです。その入り口を大人の都合で閉ざしている現状を、ぜひとも変えてほしいのですが…。

 今の国会を見ていると、足の引っ張り合いしかしていない印象を受けます。自分の損得だけしか考えない方々が政治を担っている間は、こうした現状は変わらないんでしょうね。だからこそ、市井の教育機関がふんばらないといけないんだと思うわけです。

 今はまだ市井の教育機関が、こうした教員不足を支えていますが、これから超少子高齢化社会になるに向けて、将来の担い手に対する教育の現状がこれでは…。というお話でした。

 だから、私は教え子に全力で向かいますよ。はい。
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決意

2018-05-16 19:38:57 | 日記
 ここ1ヶ月ちょっと、教え子たちの環境を何とかしたいと思って動いていました。

 なかなか難しい中身でしたが、いろいろな方々に助けて頂き実行に移す目処が付きました。

 そろばん教室を始めて18年、同時にお勉強もこっそりと見続けてきました。

 あくまでそろばんのおまけというスタンスで教え子たちに向き合うには、大阪府という地域のルールはあまりにも難しいものなっています。

 お勉強を指導することを辞めるのか、腹をくくってお勉強を指導するのか。

 この春卒業したメンバーと共に戦う中で「教え子たちともう少し走ろう」という結論にいたりました。

 なんとか夏休みまでに今の思いを具現化するために奔走します。

 そして教え子たちがそろばんとお勉強に向き合うために最適な環境を目指して動きます。

 「そろばんなんか」というお考えの皆様に「しまった!」とお考えいただけるように。

 そして私に大切な大切なお子様をお預けいただく保護者の皆様の想いにできる限りお答えするために。

 やります。

 という決意表明でした。生徒(卒業生の高校生を含む)の皆さん、保護者の皆様方はご期待ください!
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