が子供時代にあるかないかは、人生をも左右するのではないかと考えています。
大人になると、そもそも「叱ってくれる」他者というのは限りなく少なくなります。子供時代に叱られるということは、「その所作に何かしらの問題がある」と、関わる大人が感じているということです。
姿勢や挨拶といった人間的なことから、忘れ物や遅刻といった社会に出てからの信用に関わること。字が雑であったり態度に問題があったり。関わる大人が増えれば増えるほど、たくさんの視点から指摘されることが増えていきます。
もちろん子供たちが持っている特性を考慮することは大切なことです。子どもたちを指導するのであれば、そうした知見を持ったうえで当ることは当たり前のことです。
しかしながら、これほどまでに情報を容易に取得できる現代であっても、特性について無知であったり片寄った知識しかない大人は少なくないのです。その啓蒙を行うことが必要なのは論を待ちませんが、現実問題として、子どもたちが飛び出していく社会は、まだまだそうした知識も配慮も完璧ではありません。むしろまだまだだと言えます。
だからこそ、子供時代に「正しく叱られる」という経験はとても大切だと考えるのです。そんなお話を生徒にすることもあります。
叱らずにニコニコして、良くないことを放おっておく。どれだけ簡単で楽なことでしょう。でも、私はそんな無責任な指導はしたくありません。そんな「叱らない指導」が正義となるなら、私はそっと退場することになるんでしょうね。